協奏曲 “恋情” ~第1楽章 “はつ恋”(2)~
――それは、花開く日常。
「――夏芽。放課後だが……夏芽?」
机に伏せっているわたしの背中に、
小鳥のさえずり<トリュ>みたいな声が降ってくる。
やがて、柔らかな手が、そっと肩に触れた。
「……寝ているのか? 」
わたしはがばっ、と起きる。
「……ねっ……寝てないよ!!」
緊張してたとは言えない。
寝てるふりをすれば、少しは落ち着くと思ったけど、全然だった。
たちまち心音は行進<マーチ>をはじめる。
「えと……話ってどこでするの?」
「? ぼくの自宅だが?」
「え……!!」
いきなり家?! ハードルが高すぎる!
「いやなら改めるが……」
「い、いや、大丈夫! 全然問題ないよ!」
「そうか」
さらり、と短い白金の髪を揺らし、うむ、とうなずく唯音。
うわああ、なんで唯音は、こんなに落ち着いているんだろう。
わたしなんか、超テンパってるのに!
あわあわしながらも、校門までなんとか普通っぽさを装いつつ、
一緒に歩くと、見計らったかのように黒ぬりの車がやってきた。
唯音のお家の車だ。もちろん、乗ったことなんてない。
ドキドキする……!
うわああ、唯音パパに遭遇! とかだったらどうしよう!!
「唯音様。お迎えに上がりました」
車内から、ピシッとスーツを来た、
バリバリのキャリアウーマン風の美人さんが出てきた。
アシンメトリーにしたショートカットが、
クールビューティーで凛々しい。
切れ長なその紫色の眼が、わずかに細められる。
「……唯音様。そちらは?」
「ぼくの学友だ。彼女も家まで案内してくれ」
「……なるほど」
(……えっ?)
なぜか含み笑いをされた。
「…では、ご案内いたします。夏芽様」
(……?)
わたし、名前言ったっけ?
「お邪魔します!」
ちょっと縮こまりながら車内に入る。
ワインレッドのソファーは、信じられないほど、ふこふこだ。
車内には、どこかで聞いたことがあるような、
しっとりとしたBGMが流れていた。
授業で習ったような……えーっと、雨、雨がどうとか……?
「夏芽様。学内での 唯音様はどうです?」
「……えーっと」
学校での唯音。
小テストで毎回満点で、実技も完璧。
体育はいつも欠席していて、周囲からは少し浮いていて……。
「優しくて、照れ屋さんで、可愛いです。
……すごく、可愛いです!
でも、どこかさびしそうで、なんだか守ってあげたくなるような……」
「……コホン」
唯音がちいさく咳をした。
「……あっ、でも、すごく頼りになるんです。
小テストの前は、問題を出してくれたり、
わからなかったところを教えてくれたり!
なんか、先生より先生っぽくて。わかりやすいし、丁寧だし!」
「……こほん」
あっ、ちょっと照れてる。
うっすらと色ずく頬に、思わずきゅんときた。
「……それにすっごく可愛いし!」
「――それはさっきも言っただろう!」
……あ。もっと赤くなった。
沸騰したやかんみたいになってる…!
だから、そういうところが可愛いんだって!!
「……ぷくっ」
運転席のお姉さんの、ポーカフェイスが崩れる。
「……結構なお手前で。
唯音様のそんな姿を、またみれるなんて思いませんでしたわ」
くすくすと笑い出すお姉さんを、唯音は軽くにらむ。
「……あいつは帰って来ないしな」
「……唯音の知り合い?」
「……ああ、いや……まあな」
「?」
なんだか意味深だ。
ひょっとして、唯音のすきなひとだったり……?!
いつものわたしだったら、しつこく聞くけど、
なんとなく言い出せずに、もやもやしてしまった。
緊張のせいもあるけど、落ち着かない。
もぞもぞと足を動かしているうちに、車が止まった。
「到着しました。夏芽様もこちらへ」
手を取られ、見上げる。
妖精の城を小さくしたみたいな洋館が姿を表した。
白磁の壁に、スカイブルーの屋根。
薔薇窓とかもある……。
「すごい……」
見惚れてしまうわたしに、唯音は言う。
「自慢の家だ。くつろいでいってくれ」
らせん階段を横切り、
アンティークな調度品に見惚れたりながら、
たどり着いたのは、唯音の部屋。
ヴァイオリンをはじめ、たくさんの楽器が壁にかけられている。
書斎にあるみたいな堂々とした机と、椅子、
それに、書きかけの五線譜。
いや、感心してる場合じゃないよね?!
……とうとう、ふたりきりになってしまった。
唯音の部屋。
唯音の匂いのする、この部屋で。
唯音はこほん、と咳をすると、目を泳がせた。
「その……何か聞いていくか? せっかくだし」
「――え?」
全然聞いていなかった。
「ぼくの本業は……まあ、一応学生ではあるが、
君も周囲からなんとなく聞いている通り、
一応プロとしてヴァイオリンと作曲をしている。歌も悪くない。
――それと、だが……。
最近作ったばかりで、未発表な曲がある。それを君に聞いてほしい」
「未発表……え、そんなのわたしが聞いちゃっていいの?!」
それって、超VIP待遇なんじゃ…
「かまわない。実は、まだ未完成なんだ。
それを完成させるのに、君の力が欲しい。
いや……君でなければいけないんだ。なぜなら……」
――コンコン。
扉が鳴る。
重そうな木の扉は、ぎぃ、と音を立てて開いた。
「紅茶です。今日はダージリンをお持ちしました」
「う、うむ。悪いな」
なぜか歯切れの悪い唯音。
「きっと上手くいきます」
くすりと笑んだそのひとは、
さらりとなにか耳うちすると、扉の向こうに消えていった。
「…………」
沈黙がおりる。
唯音は、はっとしたように顔を上げると、ヴァイオリンを手に取った。
きぃぃいん……!
「?!」
この音は……何?
まるでヴァイオリンじゃないみたいな……。
「……失礼。このヴァイオリンは、少々、特殊なんだ。
演奏者の心の声を模倣し……こんな風に、増幅する」
……どく……どく……。
その旋律は……そう、跳ねる心音。
熱い。熱い。早い。早くて……熱くて。
苦しいのに、どこか甘いパッセージ。
それはやがて飛翔する鳥のように解放を告げる。
わたしの頬が熱くなる。
“すきだ。好きだ。君がすきだ……”
……まるで、そう告白されているみたいで…。
わたしは、熱い、熱すぎる頬を押さえると、震える声で問いかけた。
「その曲のタイトルは……?」
「協奏曲“恋情”……第4楽章、“熱情”だ」
そっと、ふんわりと告げる唯音の目が優しい。
若葉みたいな瞳が、なにか愛おしいものを愛でるように語りかける。
すげく大人っぽい……とか、魅惑的……とか、
そんな言葉じゃ、全然足りない!
ああ、わたし、唯音がすきだ。すきだ。すきだ。
そんな唯音が、唯音がすきだよ……。
「唯音ぇ……」
「……待て!」
泣きそうになったわたしに、唯音の手のひらが、突き出される。
「……言わせてくれ。ぼくは、君のことが……」
その時、恐ろしい唸り声が聞こえた。
ゴロゴロゴロ……グヴヴヴラ……。
「えっ、えっ、何?」
ピシャン!
閃光が走り、凄まじい音が窓を叩くように訪れる。
「……雨だな」
「雨ぇ?!」
ただの雨がこんな凄い音するかな?!
「……まあ、おかげで本題を忘れずにすんだ」
どこか残念そうな唯音だけど、
さっきとは比べものにならないくらい、冷静な声色だった。
唯音は、そうして、その言葉を語る。
「……夏芽。ぼくは、女じゃない。だが、男でもない……」
まるで、用意していたように、ひどく落ち着いた声で。
その真実を、わたしに打ち明けた。
「ぼくは……ISなんだ」
「……あい、えす……?」
激しい雨と雷が、襲いかかるように、わたしの声を飲み込んだ……。