~最終楽章“祝福”~
~最終楽章“祝福”~
お付き合いをはじめて、一週間。
夏のにおいが雨に混ざって、浮き立つように待ち遠しくなる6月の半ば。
わたしたちはいわゆるデートとして、はじめての週末を水族館で過ごした。
特別なことはなくて。でも特別で。極上で。上々な、1日だった。
夕暮れの空が、桃色と橙色、空色のグラデーションをしていた。
綺麗だなあ……。
繋いだ手から伝わる、唯音の体温が、心地よい。
しばらく続いた無言は、甘くて物さびしい味をしていた。
「ここでお別れだな」
「――うん」
繋いだ手、離したくないな。
でも、唯音は忙しいんだ。
わたしみたいな普通の女の子じゃなくて、ヴァイオリンのコンサートや作曲もしてるし。
ほんとは、こうして会えるのだって貴重なんだ。
次、学校以外では、いつ会えるのかなあ……。
わたしは、唯音の顔をみあげる。
……よし。じゃあね、って言おう。
とびきりの笑顔で、「じゃあね!」って……。
「……唯音……」
笑って言おうと思ったのに、目は少し、潤んでしまった。
無意識に、裾をつかんでいたことに気づき、頬を染めて離す。
ぎゅっ、と目をつぶった。
……やっぱり。
(もうちょっと一緒にいたいよ……!)
「……ッ!」
唯音が息をのんだ気配がして、そっと目を開ける。
唯音の頬は、さくらんぼみたいな色をしていた。
そのまま、手を取られる。
ぐっと引き寄せた、唯音の細い指が、震えている。
眉を寄せて、目を閉じる。そのまぶたも震えている。
そして、唯音の顔が、唇が近づく。
あと10センチ。あと5センチ。4センチ。3、2……1。
柔らかくて熱い唇が、わたしのまぶたに触れた。
そして、ちゅ……っ、と音を立てて、再び離れる。
わたしはしびれるような頭で、ずっとそれをみていた。
唯音が目を開ける。
そして、はあ……はあ、と息をして、自分の唇を、拳で軽くこすった。
「……いや、拭っちゃったら、キスした意味ないんじゃないかな……?」
「……っ! うるさい。君が可愛いから悪い」
いや、話通じてないよね?
それに、今の唯音のほうが、百倍可愛いんですけど……!
照れてあさってをみつめ、耳まで真っ赤にする唯音に、わたしはもうたまらなくなって、暴れだしたい気持ちを抑えながら、唯音にキス返しをすべく、一歩つめた。
「……あっ……」
もつれるように、一歩ひかれた。
「……唯音?」
「……だっ、だっだめだ。キスはぼくから! 君は黙って、キスされていればいいんだ!」
……いや。すごく頑張ってくれたのは伝わってくるけど、まぶただよ? そもそも、口じゃないんだよ?
(――足りないよ!)
わたしは唯音にぶつかるように抱きつくと、その頬に、キスの雨を降らせた。
「唯音唯音、ゆいねー!」
「うわわ、やめろ! 恥じらいをしれー!」
キャラ崩壊する唯音の頬を、たっぷりと堪能すると、倒れこんでしまった唯音の胸に、とすん! と頬をのせた。
とくん、とくん……。唯音の、音がする。
どうしよう。今わたし、すごくしあわせだ。
唯音に出会えて、ほんとうによかった……。
わたしたちは、ちょっと変わったカップルかもしれない。
唯音は女の子みたいな容姿だし、ほんとはISって言って、遺伝子も体も、男の子でも、女の子でもない。
周りからだって、女の子同士でなにやってるんだろう、と誤解されて、冷たい目でみられるかもしれない。
でも、そんなことより、こんな可愛い唯音を独占できる、それが嬉しくって、泣きそうになる。
我慢できないくらい、わたしは唯音に魅惑されて、魅了されているんだ。
唯音、唯音、だいすき。
わたしのちょっと変わった彼氏さん。
わたしは君がだいすきです。
もう、軽く死んじゃうくらいに……!
夕焼けの空の下、わたしは唯音と、恋をする。
もう一度。何度だって、恋をする。
出会うたびに惚れ直して、何度忘れたって、思い出すよ。
おぼろげに、記憶の片隅から、懐かしいメロディーがもれだした。
つたないヴァイオリンが描く、甘くて儚い、あたたかくて包むような、求めていて、彷徨うような音楽のまんなかに。
若葉色の目をした……その子は、立っていた。
そうして、しゃがみこんで泣いているわたしの頭をそっとなぜて、その頭をやわらかな両手で包み込んだ。
しゃくりあげるわたしに、その子は、小鳥のさえずりのような声で、言った。
「――ぼくは君がすきだ。ゆううつな雨も、ざんこくな風も、つめたい雪も……」
その、ひっそりとしたささやきは、とけては消えて、耳をくすぐっていった。
「なつめ。よっつのたましいにかけて、君をまもる。“フレデリック・フランソワ・ルートヴィヒ……”」
記憶のかけらはさらさらと遠ざかって、わたしはもうなにも覚えていなかった。
けれど、胸に降ったきらきらしたそれは、なくなったあとも、あまくてやさしい、やわらかな音として、胸の鼓動と混ざり合っていった。
その後、わたしは何度もその音を思い返す。
わたしをいつだって抱きしめてくれる唯一の音色は、ずっとむかしから、わたしの胸の中にあったんだって。
秘密のはなしをしよう。
遠い未来、その扉をたたくことになる、三人の天使の物語を。
ひとりはまっさらな白い翼をはやし。
ひとりはきんいろの大きなベルを手にし。
さいごのひとりが言う。
「決めたの。芽衣は女神に、なる! ××ちゃんと××ちゃんの、おねえちゃんとおにいちゃんの味方になる! 生まれたとか生まれてないとか、生きてるとかそうじゃないとかぜんぜん関係ないよ!」
「だって、芽衣がぜんぶ包むから! 芽衣が、たくさんたくさん、愛しちゃうから!!」
「 “だから、もうね、さびしくないよ!” 」
まだ誰もしらない、とおいとおい先のお話。
――わたしと唯音は、家族になる。




