~組曲 “恋情” 第2楽章 “熱情”<アパショナータ>~ -finale-
――それは、解放の時。
……じゃきん。
金属がすれる音がして、黄金が宙に舞った。
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朝日をあびて、神々しく照らされる、オレンジがかった黄金の束。
それは、愛染烈火の、自慢のブロンドだった。
「……あなた……!」
じゃきん、じゃきん、じゃきん。
軽やかに切られてゆく、螺旋状の巻き髪。
なんて、無残な……なのに、どうしてだろう。
なんて、清々しくて、美しいんだろう――!!
女神に愛された美貌に、
これほど、めまいを覚えたのは、はじめてだった。
何度もみているはずなのに、目が離せない。
「――ッ……!」
「……あたしは、お前のために女を捨てる。
お前が、女と付き合う気がないなら、
“俺“はもう、男であることから逃げない。
……<愛染烈火>は約束を違えない。
――約束する。舞台以外では、俺はもう、女のふりをやめる」
烈火の小指に、炎みたいな光がやどる。
オレンジがかった黄金色。
髪と同じ、きっと烈火自身の、魂の色。
「俺が、男であることを否定した、親族連中にはもう媚びない。
そんな必要なんて、最初からなかったんだ。
オペラで見返せば、それだけでよかったんだ。
それを教えてくれたのは、お前だった」
「……なに、それ……」
「俺は弱い。周囲の目ばかり気にして、
いつだって、認められようと、やっきになっていた。
……でもそれは、ただのハリボテだ。
お前の言うとおり、俺は自分と向き合っていなかった」
「……でも、おかげで、気づけた。
俺は、自分を殺すべきじゃない。
媚びて、自分を捨てるべきじゃない。
……俺は、これまでの俺じゃない、オリジナルの俺を作るべきだ。
そしてそれには、お前が必要だ」
「……なんで……」
「お前は、周囲みたいに、俺を祭り上げない。
それでいて、夏芽みたいに、無邪気に褒めるんでもない。
俺のウィークポイントを一番見抜いていて、
それを伝えるのに遠慮しない。
――もう一度言う。お前が必要だ。
他の誰でもない、とげだらけで毒まみれなお前にしか、できない。
……そして俺は、お前がすきだ」
「……す、すき、とか……」
目をそらす。
――まずい。
もう烈火のペースに、引きずられている。
「……好きだ。お前が知りたい。
いいところも、悪いところも、ぜんぶ。俺に教えてくれ」
「――そんなことしたら、嫌いになるかも、しれないわ……」
取り返さないと。もとのペースを。
取り繕わないと。いつもの冷静さを。
なのに、この口は、まるで逆のことを口走る。
とげも毒も、出そうとしてこんなに必死なのに、
ばらばらに砕けてかき集めることさえできない。
――どうしよう。
今さらあせる。
「――っ!」
慌てて、口を開いた私は、思わず、目を上げてしまった。
……飛び込む。
烈火の笑顔。
「……これだけぎったんぎったんにしておいて、今更嫌うもないだろ。
――それに、もう手遅れだ」
それは、苦笑だった。
ただ、瞳を細めるだけの微笑。
なのに、力強くて、思わず、身体が震える。
唇を噛んで、いまにも、とろけそうになるのを、こらえる。
どくん、と胸が激しく乱れる。
なに、期待してるの……?!
わたしは、今、なにを考えている……?
「俺はお前に、約束した。
お前のために、男でいることを。
これを破れば、俺は死ぬ。でも、それでいいと思ってる。
愛染烈火は、愛に染まる不死鳥。
炎に飛び込み、新たな生を生きる、死なずの鳥。
――お前が怖いというなら、一緒に飛んでやる。
大空を飛べば、お前にもわかる。
この世界で、お前がどれだけ、損をしていたか。
――愛することが怖い?
……自分のせいで、誰かを犠牲にすることが?
――奪い、奪われることが怖い?
……昼蝉の世界で送ってきた、
ひどい人生が忘れられない?」
烈火は、私の瞳を、射抜いた。
「――なら、ついて来い。
お前が今まで、見過ごしてきた、世界の大きさ、尊さ。
全部みせてやる。――だから、来いよ」
そういって、まっすぐ手を差し伸べる烈火を、
茫然とみつめる。
私の身体から、力が抜けてゆく。
魅惑<チャーム>だわ、と私は思う。
私は、悔しいけど、
もうとっくに、魔法にかけられてしまったのだ。
導かれるままにそっと、手を差し出す。
ぎゅっと力を込めて、握られる。引っ張られる。
――気がつけば、その胸のなかにいた。
熱い脈動を感じた。
烈火の鼓動か、私の鼓動か、わからなかった。
……どくん、どくん。
あんまりうるさくて、うるさくて。
私のまなじりがじんと熱くなり、ぽろりと、なにかが頬をすべってゆく。
「私……」
「……別にいい。いくらでも泣けばいい。……見たりしねえから」
そういって、烈火は強く、優しく、抱きしめる。
しばらく、私は泣いていた。
そうして、目のはしが、かぴかぴになるころには、登校時間が迫っていた。
「今日は、休むわ」
と私はひとこと言うと、カバンを持って、烈火を振り向いた。
「ありがとう」
微笑み、返事を待たず、すたすたと教室を出る。
静謐な空気を、わけいるようにして歩く。
しばらく、ひとりになりたかった。
心を静め、黙々(もくもく)と歩く。そうして、何度も思い返す。
――すべらかな手だった。
……大きい手だった。
……痺れるくらい、熱い手だった。
……それはもう、疑いようもなく、男の手だった。
立ち止まる。
胸が激しく踊って、息が止まりそうになる。
(……お前が好きだ? 一緒に飛んでやる?)
(……あなたは馬鹿じゃない?)
(( ……私の方が、百倍好きよ!! ))
――もう、自分を騙すことなんて、できない。
……いつだって、羨ましくて、
妬ましくて、仕方がなかった。
いつもいつも、皆に愛されて、全力で生きる。
途方もなく輝いていて、果てしなく、遠い存在。
それでも、太陽に向かうイカロスには、なれそうもなかった。
私は、誰も愛せないと思っていた。
いや、そうじゃない、ただただ、怖かった。
昼蝉の世界に生まれ、欠陥品として、
家畜のような扱いを受けた私を、救ってくれたリリカ。
私のために、他の誰とも話せないという代償を捧げてまで、
この朝顔の世界に、連れてきてくれた、愛しいリリカ。
私は、ずっと彼女を、恨んできた。
感謝は、していた。 どれほどお礼をしたって、足りないくらいに。
――でも、私は、本当はつらかった。
私のせいで。
不良品の私のせいで、あなたは、もう私しか愛せない!
ならば、私だってもう、あなたしか愛せない!
もう、こんな思いはいや。
誰かを愛したかっただけなのに、ただ、それだけだったのに。
――あんまりだ!
“もう、私は……私は……何も奪い合いたくない!!”
その叫びを、いちばん最初に、みつけてくれたのが、夏芽なら、
最初に手を差しのべたのは、烈火……あなただった。
愛染烈火。
女の子の振りをした、王者のような、不死鳥。
こばめると思っていた。
これまで、この世のすべてを、否定してきた私なら、
リリカ以外を愛することを、罪だと思って、背負ってきた私なら、
その手を、簡単に振り払って、もとの私に戻れるって。
でも、予想に反し、私はすぐに烈火から目が離せなくなった。
あの、まばゆいばかりの輝きに、目が焼かれてしまうと思いながら、
心はいつだって、求めていた。
そんな私が、烈火に告白される?
信じられなかった。
でも、今日この日、それが勘違いじゃないと、知ってしまった。
――彼は、本気だ。
あの自慢のブロンドを、まさか、切ってしまうなんて。
私のために、女の子のふりをやめ、男として生きるなんて。
寮はもうすぐそこだ。
私は、はあ、と息をはいて、空をみあげた。
――心からだ、と思った。
『ありがとう』
……心から、あなたにお礼が言いたい。
こんな私をみつけてくれて。
それでいい、と受け止めてくれた。
がんじがらめだった心は、すっと解けていった。
まだ、信じられない。
でも、足取りは、軽くなってゆく。
歩きながら、三つ編みを、解く。
がんじがらめの呪縛を、解いてゆく。
心から。
心から、あなたを愛したい。
そうして、解いた髪に、お洒落な、編み込みをするのだ。
私は、鏡をみて、笑った。
鏡のなかの私は、しあわせそうな笑顔を浮かべていた。
もう、決めてしまった。
わたし、エマニュエル・アンダーソンは、明日から……、
だいすきな、愛するあなたの、恋人になる――。




