~組曲 “恋情” 第2楽章 “熱情”<アパショナータ>~ ‐first-
――それは、永久再生の翼。
愛染家は、古くから続く、女系のオペラ一家だ。
代々(だいだい)、まるでしめし合わせたように美しい女の子が生まれ、
特に長女ともなると、オペラのプリマドンナ……、
つまり、花形になるという、ジンクスまである。
それは、運命であり、定めとすら言えるものだった。
そう、14年前までは……。
あたし、愛染烈火は、
はじめてそのジンクスを破った。
叩き壊した、と言ってもいい。
母は嘆き、父は落胆し、祖父母、親戚一同は、あたしを見放した。
だけどあたしは、ショックを受けて打ちひしがれるような、
弱虫にはなりたくなかった。
だから、あたしは、女として、
愛染家の長女として振る舞うようになった。
まず、容姿<カタチ>から。
オレンジがかったまばゆいブロンドを胸まで伸ばし、
ゆるく螺旋状のくせのついたそれを、
毎日コテで、さらにきつく巻く。
うまく巻けた日は、それだけで自信がつく。
もちろん、いつだって完璧だ。
あたしは、完璧でなければならない。
両親を見返してやるために、あたしはオペラの初等教育をねだった。
気乗りしなかった2人にイエスと言わせるため、
あたしはしつこく主張し、とうとう勝ち取った、オペラ座入団。
あたしは、死に物狂いで学んだ。
親に言われて来たような軟弱者なんて、相手じゃない。
――あたしは、絶対に、プリマドンナになる!
やっと花形として認められたのは、中学一年の頃。
子どもなんて侮る大人は、まとめてねじ伏せてやった。
もはや、誰もあたしを侮らない。
そう、あたしは、この瞬間、本物の愛染烈火となったのだ。
(――やった、やった、とうとう、やってやったわ!)
その時のあたしは、柄にもなく浮かれていた。
最高にハイになるとはこのこと。
無償に走り回りたくなり、髪を結んで、意気揚々とランニングした。
緑に満ちた紫苑の街並みを、自慢の足をさらけ出し、走る。
もはや、飛翔している気分だった。
――気が付くと、ずいぶん遠くまできていた。
散々走り回っただけあって、少し冷静になって、速度を緩めると、
お洒落な洋館のようなカフェに目が留まった。
センスいいわね――そう、二度見した時だった。
「――ッ!」
店内から、美しい少女が出てきた。
別に、美女だろうが、美少女だろうが、なんてこともなく、見慣れている。
でも、彼女は、あきらかに、あからさまにオーラが違った。
たとえるなら、宵の明星。
ここにいるのに、どこにもいないような、そんなあやうい輝き。
深みのあるアッシュブラウンの三つ編みも、
陶磁器のような肌も、華奢な体躯も、
まるで絵画から抜け出てきたように、美しかったけれど、
底なし沼のような暗緑の瞳。
――あれはやばい。
一瞬みただけで、もう目が離せない。
彼女は、こちらの情熱的な視線にはまるで気づかず、
冷たい氷でできたような表情で、空をみつめる。
そして、ふと、その顔をほころばせる。
その長い指に、一羽の赤い小鳥が止まった。
『――リリカ』
唇が、そう動く。
やがて、店長にでも呼ばれたか、踵を返し、
店内に戻っていった。
犬飼絵馬。
本名、エマニュエル・アンダーソン。
彼女が、この四音音楽学院中等部の生徒だと知ったのは、
一年後、同じクラスになってからだった。
あれほどの存在感を持ちながら、まったく目立たない理由。
それはすぐにわかった。
――気配を殺している。
それも、黒子並の周到さで。
もはや、天賦の才能か、
でなければ、裏社会との密接な関わりがあっても、
おかしくないレベルだった。
あたしは、そんな謎めいた彼女から、すぐに目が離せなくなった。
しかし、どこか冒しがたい、
崇高さをあわせ持つ彼女に、
堂々と話しかける勇気を持つ者は、
転校生の空橋夏芽ぐらいだった。
やがて、あたしはその無鉄砲少女、
夏芽の天性の明るさに魅了され、
うっかり友達となってしまい――そして、エマへの恋心を自覚する。
これは、そんなあたし――愛染烈火の、燃え上がる恋の劇だ。
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――駆けて、駆けて、駆け抜ける。
夏芽と話して、はっきりわかったこと。
あたしは、この気持ちを、眠らせたままでいるのはいや。
胸に秘めたまま大切にしたいと思ったのは本当。
――でも、咲いた想いを伝えたいのも、本当。
息が切れる。
廊下を走るなんて、あたしらしくもないけど、
それすらも、どこか心地よかった。
手足が風を切る清々しい感触と共に、
葛藤は、速やかに消えていった。
――そうよ。
あたしは、一体今まで、なにを怖がっていたんだろう。
フられるとか、拒絶されるとか、
この気持ちを誰にも暴かれたくないとか。
ぜんぜんあたしらしく、なかったじゃない。
だいたい、あたしは、愛染烈火は――。
はじめから、物わかりいい子じゃなかったわ。
プリマドンナとなるために生まれて、失望されて。
――悔しくて、悔しくて。
あたしを侮った大人達を、全員見返してやるために、
この炎のような橙を帯びた黄金の髪を、伸ばしに伸ばして。
これぞ主役にふさわしい巻き方も、お化粧も、すぐにマスターしたわ。
ファッションは、誰よりも華やかに。
ワンピースも、ドレスも、最高にモードかつ、クラシカルに。
ティーン達のファションリーダーとなるのも、楽勝だったわ。
女神に愛された美貌の少女と呼ばれて、
やっと、オペラでも認められた。
どこまでも、どこまでも、意地だけでのしあがって。
わがままで……強欲で。そして……いかなるときも、情熱的であれ。
それが、あたしのプライド。あたしの誇り。
そして、あたしの――……最高の生きざま、なんだから――!
教室のドアを、勢いよく開ける。
ひとりぼっちで夕日を眺めていたエマが、振り返る。
封じ込めた想いを打ち明けるのなら、もう――今しかない。
「あ、あたし……!」
気持ちの濁流が、喉につかえる。
――もう!!
思い切り飲み込んで、大声で叫ぶ。
「……あなたのこと……すきだわ……!」
言っちゃった!
――じゃない、言ってやったわ!!
かああ、と頬が熱くなって、思わず瞳をそらし、口をとがらせる。
虚勢を張ろうとしたのに、果てしなく恥ずかしくて、指をからめた。
ああ、思ってたのと全然違う!
ぐるぐるする思考に、スカートをぐしゃぐしゃにして、返事を待つ。
「……ふうん」
思わず顔を上げると、エマは薄く笑っていた。
嘲るような表情に、背筋がさっと冷たくなる。
「――でも、あなたに私が愛せるとは思えないわ」
ばくん。胸が大きく鳴る。
鈍器で殴られたように、頭が真っ白になった。
「あなた、勘違いしていない?
みんなに愛されて、自分は特別だって思ってるでしょ。
ファッションも、オペラも、
私は一流よ、完璧でしょ、って全員に触れ回ってるみたい。
そんなに虚勢はって、一体何をごまかそうとしてるの?
弱い自分? ほんとは女じゃない自分?」
「……ッ!」
あまりの言われように、頭にカッと血がのぼり、ついには真っ青になった。
絶望的な返事。
怒りを通り越して、膝が震える。
……でも、なにひとつ言いかえせなかった。
だって、ぜんぶ、本当のことだからだ。
あたしは、唇を噛んで、無理やり声をふりしぼる。
「……そうよ。あたしはハリボテ。
ファッション? オペラ? 努力してるわよ。
今ではファッションリーダーよ。オペラだって、プリマドンナよ。
プライドだって一流で、ちやほやされるのなんか慣れてるわよ。
すっかり……当たり前になっちゃったわよ」
俯いたまま、ぎゅっと服を握る。
「……今日だって、少し、期待してたわよ。
想定では、もっと情熱的に口説く予定だったし、
あたしのファンみたいに簡単に落とせるなんて、思ってなかったけど、
まっすぐ向き合って、気持ちを込めれば、
お友達ぐらいにはなれるかと思ったわよ。
――だって、あたしにとって、あなたは……」
「……聞きたくない。
あなたにとっての私なんて、どうでもいいことだわ。
付き合うなんて、それ以前のことよ」
ぴしゃりと言ったエマは、一体どんな顔をしているんだろう。
ふと、そんな考えが頭をよぎって、余裕すぎて笑った。
こんなに、辛いのに。
頭がぐらぐらして、足の感覚なんかないぐらいなのに。
だけどその声は、あたしよりよっぽど苦しそうに聞こえた。
虚勢をはっているように、聞こえた。
――その時、頭に浮かんだ、笑顔があった。
「……夏芽なら、良かったの……?」
『笑顔は、愛は、最強なんだよ!』
すべてを肯定するような、お日さまの笑顔。
子どもっぽくて、ため息をつくほどバカなのに、
時々誰よりも崇高で、
この世でいちばん、真実に近い場所にいるような、あの子。
誰にも心を許さない、賢い野生動物みたいなエマが、
唯一、ほんとうの笑顔をみせる相手。
「……なにを言うかと思えば。
女同士なのに? 生産性は? 合理性は?」
嘲るようなクールな顔でエマは言う。
ガラスで作った刃を、ざくざく投げるように。
……自分の手が血まみれになるのも、気にしないで。
ざあ……っ!
痛々しい強がりに、頭のてっぺんまで血がのぼるのを感じた。
「……じゃあ、誰なら、あなたを愛せるのよ。
あなたはいつだってひとりぼっちで。
夏芽以外に心、開いてないじゃない。
開こうともしてないじゃない。
お外が怖い子どもみたいに、ぶるぶる震えてるのに、
オトナぶって、理論武装して。
そんなに心ぼそいのに、凍えてるのに。
――あなたは……大馬鹿者だわ!」
「――あなたに何がわかるのかしら?」
言ってしまってから、売り言葉に買い言葉だと思ったのだろう。
エマは、言い直す。
「――だけど、問いには答えておくわ。
私は、そんな風にズカズカ踏み込んでくる、
あなたみたいな人間が嫌い。……そして私は」
“もう何も奪いあいたくない”
そうつぶやくと、彼女は席から立った。
そのまま、あたしには目もくれず、教室のドアを空け、
一瞬、立ち止まり、そのまま、何事もなかったように出ていった。
その背は、いつもより少し小さく、
まるで、硝子細工のように、壊れそうにみえた。
そう、針と毒で武装する、ハリネズミのように――。
――そうね。
静かになった教室で、閉められたドアをみつめながら、思う。
――人間、しょせんは違う者同士。
簡単にわかりあえるなんて、
簡単に好きになってもらえるなんて、甘すぎたわ。
……でもね。こっちだって、バカじゃないのよ。
もう何ヶ月、あなたを見つめていたと思ってるのよ。
あなたのこと、ちょっとはわかった気になっていたのよ。
それが全部、勘違いだったなんてゴミ箱に捨ててしまうほど、
思い切りよくないし、単純でもないわよ。
あなたは、最後に言ってくれた。
強がりと毒舌でできた、
頑丈なとげだらけの要塞から、
たったひとつの弱音を。
<<……もう何も奪いあいたくない……!!>>
……それで充分よ。
この本気の告白で、それだけ引き出せたのなら。
当たってくだけて、正解だったわ。
強がり?
――そうね。
ハリボテ?
――そうだわ。
あたしがそうであるように、あなたも、そうだったんだわ。
たとえどんな違いがあっても、どんな隔たりがあっても。
同じところは、似たところは、必ずある。
――上等よ。
あなたが違いをあげつらうなら、あたしは、共通点をみつけてみせるわ。
パズルのピースのように、一個ずつ、あてはめてゆくわ。
永久に完成しない?
――そうよ。一緒の人間じゃないんだもの。
この世に、完璧なんて、ないんだもの。
だけど、未完成でも、いびつでも、あなたとの関わりが欲しい。
少しでも、わずかずつでも、あなたのことが、もっと知りたい。
――いつの間にか、あたしの胸は高鳴っていた。
その奥底で、情熱に似た炎の花が、ゆらり、と開くのを感じた。
唐突に、あたしは気づいた。
――これが、恋。……本当の恋だわ。
この瞬間、あたしはあなたに、本物の恋をした。
あなたでなければいけない理由。
あたしは、あたしとはまるで違って、
たったひとつだけ、あたしと似たかけらを持つ、あなたを救いたい。
傲慢かしら。
――そうね。
難題かしら。
――その通りよ。
あたしは、あたしのために、あなたを救いたい。
上からの同情じゃないわ。
あたしは、あたしを救うように、あなたを救いたいの。
そして、障害は、あればあるだけ、燃えるものよ。
あたしが、女として生まれたなら、ここまでオペラに夢中にならなかった。
この女性優位の芸術の世界、<朝顔の世界>で、
なおかつオペラの名門・愛染家で、男として生まれ、
両親にも親戚にも失望された、あたしだからこそ。
ライバルを蹴落とす、最強のプリマドンナになれた。
――エマ。犬飼絵馬。
本名を、エマニュエル・アンダーソン。
あなたを、征服してみせる。
最も平和的で、情熱的なアプローチで、陥落させてみせる。
とげだらけで、毒まみれの、完全要塞ハリネズミ城?
――問題ないわ。
愛染家の長男、
燃え上がる炎の名を与えられたあたしを、なめるんじゃないわよ。
――エマニュエル。
あたしは死ぬ気で、あなたを救ってみせる。
そして、憎たらしいぐらいクールで、ドライなあなたを――
もう嫌っていうほど、夢中にさせてあげるんだから――!!




