プロローグ、あるいは永遠のはじまり “主よ、人の望みの喜びよ”
愛と約束のメロディアス・ロマン『夏芽楽団交響曲』外伝。
暁に焦がれる宵闇の娘は、一羽の朱き霊鳥と出会う……。
『契約をしましょう。“××××××”』
それは、異端なる彼女が、はじめて誰かに名を呼ばれた瞬間だった……。
エマは、昼蝉の世界で家畜同然の扱いをされていて、
「あれ」とか「それ」と呼ばれていた。
彼女に「エマニュエル」という名を与えたのはリリカ。
昼蝉の子どもたちに石を投げられ、血まみれだったリリカは、
霊泉・神泉湖のほとりまで逃げてきた。
同じく子どもたちにいつもの虐待を受けたエマは、
片翼を失い傷だらけの朱い霊鳥、リリカと出会う。
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私は、その鳥をみた。傷だらけだった。
血まみれの、ぼろぼろ。
――まるで、今の私のようだった。
「――エマ」
「……え……?」
私は、聞き返した。
「エマニュエル……」
その瞬間、鳥が輝きだす。
目を開けると、そこには大人の女性がいた。
凛々しい顔立ちと、切れ長の青い瞳。
そして、まばゆく燃え盛るような朱い髪を、高く結っていた。
「契約をしましょう」
女性は言った。
「え…?」
私はうろたえた。
目の前の美しい女性は、美しすぎて醜悪な私が言うのもなんだが、
とてもこの世のものと思えなかった。
「契約をしましょう。エマニュエル」
「“エマニュエル”……?」
はい、と女性は言った。
「それが、あなたの名前。
……“高貴なる貴女”。
どうか、わたくしに名前をつけてください。
そうすればわたくしは……
わたしは、あなたの胸の刻印を消すことができる。
あなたの、翼になることができる」
「何を……」
そんな都合のいい話があるかと思った。
騙されてはいけない。これは、何かの罠。
そう思うのに、思っているのに、気がつくと私は頷いていた。
「――名を」と彼女は言う。
それは、まるで神の言葉を待つ修道女のような、厳かな問いだった。
「×××」
その瞬間、私が何を呟いたかは覚えていない。
けれど私の言葉に、彼女は微笑んだ。
それは、永く飢えた大地にはじめて降った雨に悦ぶような、
ほころぶような笑みだった。
目の端には、涙があった。
それから、数瞬の時が私を通り抜けた。
女性は、たっぷりと時間をあけて、私に語りかけた。
「では、わたしのことは、リリカ、と」
「リリカ…?」
魔法にかかったように、わたしはそう口にしていた。
「…はい。その名は、わたしには勿体なさすぎる。
だから、勝手ながら、少し縮めてみました」
リリカは、そう言って、私の前で頭を垂れた。
「どうか、リリカと」
「……リリカ」
「はい」
「リリカ……!」「――はい、エマ」
私は瞳をこすった。何度もぬぐった。
はじめて呼んだ。人の名を。はじめて呼ばれた。私の名。
エマニュエル。これが、私の名前……!
その時の私は知らなかった。
自分が、この昼蝉の世界を旅立ち、朝顔の世界へと導かれることを。
女神に愛された少女<夏芽>と出会い、
情熱の不死鳥<烈火>と出会うことを。
あるいは、世界が滅びようとしていることを。リリカの裏切りを。
私がどんな罪を背負い、どんな祝福に満ちるかを。
それでも、私は言おう。
生はギフトだと。
この名をもって、この世界をもって、私のすべてが完結するのだと……。
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・エマニュエルが呟いたリリカの本当の名前・
ヒントLilly+Chri×××aあるいはLilly+Cu××en。
意味、×××であり××××、あるいは美しき×××)
ふたりがお互いを鏡としてみていたという意味では前者、
訳語の自然さでいえば後者。
<リリカの本当の名前・第2のヒント>
Lilly=ユリ。キリスト教でこの花は、ある女性の象徴。
<リリカの本当の名前・第3のヒント>
「もったいない言葉」。
リリカにとって、
エマは「エマニュエル」=十字架にかけられた救い主であり、
エマにとってのリリカもそうだった……、
と明かせば今度こそわかるはず……!




