第二幕 “不死鳥”
―-それは、暁をみつめる、宵闇の娘。
心がざわつく。
気づけば、目で追っていた。
ファッションは完璧。成績も優秀。
本業はオペラの花形――プリマドンナ。
極めつけは、美の女神のごとき華やかな美貌。
いつもたくさんの女子に囲まれ、
それでいて、鼻についたところがない。
口では高飛車に振る舞っていても、
本当は誰より思いやりがあって、
面倒見がいいのは、火を見るより明らかだった。
そんな彼女――いや、彼は、なんで女として、振る舞っているのか。
理由は明白だった。
彼に関する噂――愛染家は、女流のオペラ一家。
期待され、失望され、見返すために、そう振る舞うのだと――。
――でも、納得できない。
なんであんなに……、
あんなに眩いあなたは、本当の自分をさらけ出さないの?
――違うでしょう?
役割を演じることに、疲れているんでしょう。
疲れていることすら気づけないほど、
一日中、自分を輝かすことを、やめられないんでしょう。
がんばってがんばって……強がっているんでしょう。
思い込みなんかじゃない。
だって、ずっと、みていたんだもの。
恋焦がれて、いたんだもの。
悔しい。……悔しい。
でも、一番悔しいのは、なにもできない自分。
人を愛することも、愛されることもできない自分。
……リリカ!
助けて……!
もう、私は、こんな私をやめたい……!
…
……
………
「――エマ?」
ぴょこんと顔を出したのは、夏芽だった。
「……夏芽……」
泣きそうになって、顔を上げられない。
机に突っ伏し、背中を震わす。
「……痛いの?」
よしよし、と背中をさする夏芽は、ひっそりとその呪文を口にする。
「……痛いの痛いの、とんでけ」
優しく、くすぐったい吐息が、
わたしのざらつく心を、なでてゆく。
ひとしきり、なでてくれたあと、夏芽は、口を開く。
「ねえ、エマ、恋って素敵なことだね」
「……なにが……?」
「たったそれだけで、体全体が目を覚ます。
すきって思うほどに、
全身の細胞が作りかえられちゃうみたいに、花開く。
今までみてた世界だって、ひっくり返って、ぜんぜん違うものになる」
「……そうかしら……」
「…そうだよ。
たぶん恋って、魔法なんだ。自分をすきになれる魔法。
それは、不可能だって可能にしちゃえるような奇跡だよ。
きっと、わたし達は、そのために生まれてきたんだよ」
――“恋するために。
そして、愛するために。”――
歌うように、そう言った夏芽は、最後に、こうしめくくった。
「――だから、きっと大丈夫。」
――はにかむような口元。
――――どこか照れたように、色ずく頬。
―――――……木漏れ日のような、その笑顔。
そのすべてが、一陣の風をまとって、
私の心を塗り替える。
なにが、とは夏芽は言わなかった。
――たぶん、そういうことなのだ。
励ましてくれている。決して、傷痕に触れず。
そっと秘めた、想いを暴くことなく。
「――そうね」
泣きそうになっって、こらえる。
唇が少し歪んだ。
でも、関係ない。
夏芽には、どうせ、すべてお見通しなのだから。
騙したいのは、自分の心。
弱い、弱すぎるこの心を、違う、私は強いのだ、と上書きする。
それがどんなにむなしい行為なのか、知っている。
だけど……。
私は、静かに窓の外を向いた。
校門の近く、橙に染まるブロンドが揺れている。
多くの取り巻きを引き連れて、きっと完璧な笑顔をまとっている。
強がりも、その向こう側も、知っている。
いつか、暴きたい、とこの胸がうずく。
その上っ面の余計なものをすべて剥いで、私だけのものにしたい。
それがどんなに身勝手で、許されないことだって知っている。
どれほど、私が醜いかも知っている。
充分すぎるほど。
だけど、夏芽は、それを知っていて、「だから?」と言っているのだ。
“そっか、エマは、自分が醜いって、思ってるんだ。――だから?”
――私は、ここではない世界で、異端児として生まれた。
“――だから?”
――私は、誰にも愛されず、家畜のように扱われてきた。
“――だから?”
――私は、自分を救ってくれた、唯一のひとに、
私しか愛せないという、残酷な運命を、背負わせた。
“――……だから?”
……そう。ぜんぶ、言い訳だった。
ただ、自分が傷つきたくなくて、閉じこもっていただけだった。
罪という名のもとに、自分をいじめて、
悲劇の主人公よろしく、自分しかみていなかった。
だからもう、そんなことはやめよう。
……なんて簡単に言えるほど強くも、たくましくもない。
だけど……烈火。
本当は誰より泣き虫なあなたが、虚勢を張って、
あまりに美しい、完璧な笑みをまとって、
みんなに愛されている、その姿をみていると。
……憎らしくて。
まぶしくて。
――羨ましくて。
わたしはほんの少しだけ、自分のことを忘れていられる。
その華麗なステージに、魅せられる。
夏芽とは違う。
どんなに賢い者も、かなわない、聖なるあの子とは。
引かれた一線。おかしがたい、妙なる領域。
無邪気さのかたまりで、魔法使いみたいな、
存在しているだけで奇跡みたいな、あの子とは違う。
誰かの心にそっとお邪魔して、
永遠に消えない蝋燭みたいな、
ひかりの魔法を灯す、魔法使いとは、全然違う。
――烈火の本質は、もっと眩暈がする。
激しく燃え上がる炎の象徴。
情熱の不死鳥。
太陽に飛び込み、なんどだって再生する、その雄々(おお)しさ。
暴力的なまでの魅力。
みための女性的な美しい容姿に騙されて、吸い寄せられ、
気が付けばその鮮烈な差異に魂ごと奪われ、
魅了されてしまう者が、どれほどいることか。
私は、その大勢のうちのひとりでしかない。
わかっているわ。
それでも、あなたが好きよ。
愛染烈火。
あなたがすき。
でも、私は、あなたに近づいたりしない。
ひっそりと、この胸に秘め続けるのだわ――。
そう、思っていた。
私は、まだ知らない。
彼がどんなに悪魔的か。
どんなに果てしなく、燃えているか。
その情熱的な焔の前で、
私がどんなに無力か。
私は、知らない。
いつだって、知らない。
無敵の魔法使いと、死なずの不死鳥と、無敵の魔法使いと……。
――展覧会の絵に魅了された少女。
これは、そんな物語なのだと――。




