表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/29

第一幕 “魔法使いの娘” 

――それは、聖なる領域。

私は、孤独だった。

別に、不自由ではなかった。

誰にもとらわれず生きてゆくのは、気安きやすかった。


例外はいた。

たったひとり、私を愛してくれたひと。


――リリカ。

あなたは私の胸の焼きいんをけしてくれ、

私の守護者になってくれた。


でもそれは、幸福な結末を生まなかった。


残酷な子どもたちが大人達を支配する、昼蝉ひるせみの世界から、

抜け出した私は、翼となってくれたリリカから、声を奪ってしまった。


私以外の誰とも話せない。そんな対価たいかがあると知っていたら。


いや、それでも私はきっと、リリカに甘えてしまっただろう。


リリカにとっての私は、命の恩人おんじんで、唯一の存在だった。


それは、ちっぽけな私には重すぎた。


私にはきっと、誰も愛せない。

その資格がない。

リリカ以外に愛されることすらも、罪だと思った。


私は、もう、なにも奪いたくないのだ。

地獄のような、昼蝉の世界から、解放されただけよしとしよう。

この朝顔の……美しい世界にいられるだけで。


彼らをみつめているだけで、じゅうぶんに、私はしあわせだ。


そんな世界に、その子は現れた。



――小麦色の肌。

――くりくりとした瞳。

――ちっちゃくて、元気で。


……お日様に溶かした、蜂蜜はちみつのような、甘い笑顔。


夏蜜柑なつみかんのように爽やかで、

甘酸あまずっぱいにおいのする子だった。


空橋夏芽そらばし・なつめ、という名を聞いた時、納得してしまった。


人と人との深いへだたりに、いともたやすくはしをかけてしまう子。


大空の虹のように、希望にあふれていて、夏のようにまぶしい子。


みずみずしい若葉のように生き生きとしていて、宝石のような涙を流す子。


そんなイメージが、全身からあふれて、私の心は揺れた。


そしてそのわずかな隙間から、

そよ風のように、なんの不快感も与えず、その子はやってきた。


「……その本、面白い?」


好奇心こうきしん無邪気むじゃきさの固まりのような笑顔で、

“空橋夏芽”は見上げてきた。


二択にたくで答えられる、気軽な質問だった。


「……興味深い内容よ」


「きょうみ……エマって頭良さそうなしゃべり方するね!」


「――そうかしら」


「――そうだよ!」


ストレートにほめてくる。

しかも、なんのてらいもなく、本心から言っている。

しっぽをふる子犬並みに、あからさまな子だった。


(……可愛い)


どれだけ純粋培養じゅんすいばいようすれば、

こんな子に育つのだろうか。


「よかったら、あなたも読む?」


するりとその言葉が出たのは、自分でも意外だった。


「いいの?やった!!」


言って、ぴょん、と飛びねる。



(……大げさな子。)



でも、不思議とばかにする気にはならない。

むしろ、胸の奥がくすぐったかった。


「ええーと、なになに……。

 多世界解釈たせかいかいしゃくについての……。

 こぺんはーげん解釈が……、

 波動関数はどうかんすうで……、

 ……?? なんだこりゃ! さっぱりわからん!!」


目をぱちくりしてから、ぎょっとした表情で、文字通り丸投げする夏芽。


「『エヴェレットの多世界解釈』……あなたには難しすぎたかもね」


くすくすと笑い出す私に、


「いや! 気合い出せば読める! ねばーぎぶあっぷ!

 今日貸して! 明日までに読んでくる!!」

 


と鼻息をあらくする夏芽。


「……え……400ページあるけど……」


「大丈夫! たぶん! 太陽は必ずのぼる!」


よくわからないやる気をみせて、

こぶしをにぎった夏芽は、意気揚々(いきようよう)と帰った。


翌日、目の下にくまを作ってふらふらする夏芽は、


「よくわからなかった……。

 ぎゃくせつ的に、エマがすごいのは、よくわかった……」


とちょっと賢くなっていた。


微笑ましい、と素直に思った。

私はもうそれだけで、夏芽のことが好きになった。


こんなに簡単に、人を好きになることができるのだと、わたしは驚いた。


夏芽が特殊とくしゅなのだと気づいても、

少しも失望しつぼうしなかった。


愛によってられた美しい朝顔の世界においても、

夏芽はとびきりだった。


なんて美しい、なんて可愛らしい、なんて愛おしい。


私は、羨望せんぼうと共に、あらためてこの世界をまぶしく思った。

自分とは違いすぎる、

けれど、絶望よりも甘く、やさしいこの世界。


こうしてその、産毛うぶげのようなあたたかさにくるまれていれば、

それだけでもう、じゅうぶんだった。



……はずなのに。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ