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得るべき教訓と実感

 今回の買い物で得た教訓は、服は結構高いということだ。

 どうせなら鈴本に、いくらくらいするものなのか先に聞いておけばよかった。知らない世界というのは、えてしてこういうことが起こる。おそらく榊さんと鈴本は「まぁそれくらいはするよね」という感覚でいたはずだし、僕は僕で「まぁ布なんだからそんなにしないだろう」という感覚でいたわけだ。この感覚のズレが、僕をATMに走らせることになった。


「じゃ宮内君。お買い上げありがとう。いい報告を期待するよ」


 鈴本のバイト先を後にした僕が、次にしないといけないことは、榊さんにご飯をおごることだ。

 実はこの大型ショッピングセンターには、野菜と大豆製品、そして蕎麦を主に食べさせるバイキングがある。店頭でいくらか払ったら、時間制限はあるが食べ放題というわけだ。榊さんも年頃の女性なのだから、そういうヘルシーなものが喜んでくれるのではないか。会計も明朗で分りやすい、というのもポイントが高い。バイキングなのだから、むしろ思いっきり食べて欲しい。


 そしてそれから20分後。僕と榊さんは向かい合ってハンバーグを食べていた。


 僕の計画は、榊さんの「宮内さん。私、お肉が食べたいです」という一言で塵芥ちりあくたになった。僕の事前調査はなんだったのか、と思わずにはいられない。しかし、今回の立役者である榊さんの要望を無視するわけにはいかない。肉が食べたいのであればそれはそれでいい。むしろ、今回も事前に話を聞いておいたほうがよかったのだろうか。報酬の食事は何がいいか。何事も事前の取り決めが大事なのだ、と、これまた得た今回の教訓だ。今日は学ぶことが多い日だ。とても美味そうにハンバーグを食べている榊さんを見ながら、そんなことを思った。

 そういえば、女性と二人で食事をするなんて経験は始めてではないか。僕は手を見ることにした。手汗はかいていなかった。


 それから2週間くらいの間は、榊さんによる宮内洋改造計画だった。

 端的に言ってしまうとそれで終わりなのだが、それはこんな具合だった。


「宮内さんはいかにも文系な感じなんで、こう、髪型とかも短く刈り込むよりも、少し長めでゆるめに流していたほうがいいと思うんですよ。じゃあ今のままじゃダメか、と言われればダメです。重すぎます」


「アクセサリーとかも買いましょうか。んー。でもあれですね。ちょっと宮内さんのキャラじゃないかな。じゃあ腕時計とかを買いましょうか。スマホで時間見るのもイマイチですよ。実用性もありますし。スポーティーなものよりもシルバーなやつのほうがいい感じかもしれません」


「せっかく読書が趣味なんですから、ブックカバーとか栞とかにもこだわりましょうよ。大きな本屋さんや雑貨屋さんには売ってますから。私、本は読まないですけど、本読んでいると知的に見えますよ?服が明るい感じなんで、ブックカバーなんかはシックなほうが。でも皮とかだとちょっとイヤミな感じなんです。いいのあるか見に行きましょうか」


 実際のところは、もっと細かく「なにもそこまで」というのもあったのだが、僕は田崎さんの言葉を全部受け入れることにした。正しい、間違っている、という判断ではない。僕は榊さんの力を借りているのだ。ます信じるところから始めないといけない。力を借りる人の力を信じなくてどうする。

 しかし、何が榊さんをそこまで駆り立てるのか、それは僕にも分らない。最初こそ報酬として食事をおごりはしたが、毎回報酬を払っているわけではない。いずれ訳を聞いてみたいが、それは今でなくてもいい。今はそれ以上にやることがある。


 僕がこの改造計画で使ったお金を計算すると、おおよそ1月分のバイト代にあたる。それは僕にとって大きな出費であったし、いくらか欲しいものを諦めたりもした。しかし、その効果を実感することが出来たので、惜しいという感情はわかなかった。


 まず第一に、身だしなみについての不安がなくなった。今の僕の頭からつま先までは榊さんの力を借り、コーディネートされている。「僕はダサいんじゃないか?」という不安が無い。ファッションに関する知識のない僕にとって、これは大きな出来事なのだ。我流ではない。意外にもこれが、僕の中で大きな変化だった。戦場に立つのに鎧を着ているような安心感があるのだ。


 次の一つ。バイト先のおばさんの面々が反応しだしたのだ。「イメチェン?」とか「かっこよくなったわねー」とかそういう反応があった。それは全く悪い気はしないし、おおむね好反応であるのだからなおのことだ。「好きな子でも出来た?」という反応もあった。それには曖昧な笑みを浮かべるだけにとどめておくことにした。おばさんというのは口が軽い生き物だ。僕に好きな子が出来たと知ったら、それこそ「誰?誰?」とはやし立てるに違いない。


 最後に一つ。藤沢から褒められたのだ。

 大学生活を謳歌することに全力を注いでいる藤沢だ。僕のこの変化を非常に気に入ってもらえた。「いかにも大学生な感じになったな。いいじゃんいいじゃん。その変化、俺は好きだよ」という言葉ももらった。同性から見てもいい反応と言うのはうれしい。藤沢の反応があって、僕は榊さんの力を改めて思い知った。榊さんにお願いするという僕の判断は間違ってはいなかったのだ。


 それら三つを持って、僕こと宮内洋は少し変わったのだ、という結論に至った。


 しかし。


 僕が変わったからと言って、それがそのままズバリ、田崎さんとの距離を縮めたわけではない。確かに僕は変化したのだ。それは実感としてある。しかしいまだに僕は田崎さんに話しかけられずにいるし、彼女は彼女でバイト先の女子大生グループにいるわけだ。男子グループと女子グループの距離は少しだけ遠い。準備も体制も整いつつあるのだが、最初の一歩目をどうしたらいいか分からない。藤沢に言わせてしまえば「こんにちは。バイト慣れました?から話しかけてしまえばいい」らしいのだが、それが出来れば苦労はしない。それが出来ないからこうやって苦労しているのだ。ミスできない状況、というのも、これまた本当のことなのだ。


 それから二日ほどたって、僕と田崎さんは言葉を交わすことになる。

 何が起こったか。

 それは、常連客で猫おばさんである、浜口さんが事の発端だった。

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