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知らない世界と僕

 「とっちゃえばいいんです」という榊さんの昨日の言葉。これを何度頭で唱えれば僕は納得するのだろうか。今日一日で、両の指では足らない回数になるだろう。


 田崎さんには彼氏がいる。これは僕にとってショックでもあり、また当然のことでもあった。榊さんが僕を面食いというくらいには、彼女はかわいいのだ。むしろ彼氏がいない、と言うほうが驚くべきことなのかもしれない。


 そんなことを考えながら、僕は商品出しに精を出す。

 今日は田崎さんも榊さんも休みなので、そういう意味では平穏な日と言えた。


 僕の今日の受け持ちはレトルト食品で、コーナーの角に商品を並べる。レトルトというのは結構売れる。カレーにしろパスタにしろお粥にしろ、手を抜いた食事でいいときはレトルトに限る。

 社員の三和さんが言うには「俺が若い頃のレトルトは本当に雑な味だった。なのに、今は下手な人が作るくらいならレトルトのほうが美味しい。俺のような独身者にはいい時代だよ」とのことだ。三和さんが独身なことについては触れないのがバイトの暗黙の了解だが、自分でそう言われてしまうとなんともいいようの無い感じになる。受け答えに困る話、というのはあるのだ。


「お!宮内君。今日はレトルト?いつもガンバっているねえ!」


 僕にそう声をかけてきたのは常連客、浜口さんだ。ちりちりパーマに大きなメガネ。買い物にくるだけなのに厚化粧、という分りやすいおばさんだ。年のころは50を少し超えたくらいだろうか。

 話しかけられればもちろん僕も受け答えをしなければならない。


「浜口さん、今日もあれですか。ネコちゃんのごはん」


「そう!魚の切り出しね。さすが長い付き合いだから分ってるね!」


 浜口は、ネコをたくさん飼っているのだそうだ。家の中はネコだらけで足の踏み場も無い、というのは本人の言葉。そんな理由もあってか、毎日魚の切り出しを買っていく。いわゆる魚のお惣菜の使わなかった部分、というやつだ。


 このおばさんは、どういうわけか僕のことを気に入っていて、見かけると話しかけてくる。おおよそはネコの話であり、あのネコがどうたらこのネコがどうたらなどそんな話だ。その話には何パターンかあるが、おおよそそれは1週間ごとのルーチンになっているらしく、何度も同じ話をする。別にそれがさして苦痛と言うわけでもない。だが、バイトの同僚の磯君などは、それが苦痛でたまらないらしく、浜口さんには近寄らないことにしている。もしかして、僕が話に付き合うから気に入られているのだろうか。どうにもそれが真実に近いように思えた。


 そんなこんながあり、僕は今日のバイトを終える。タイムカードを切り、同僚に挨拶をして家路につく。

 季節は初夏を通り越したが本格的な夏、とまでは言えなかった。自転車に乗り、風をきって進むと心地よい風が頬に当たる。

 家に着き、母が茹でた冷麦をすすり食事を終えると、僕は自室に向かう。自室には熱が篭っており、窓を開け換気をし、空気が入れ替わったらエアコンをつける。いつもの流れだ。


「とっちゃえばいいんです」


 自室のイスに座りながら、今度は口に出してみた。

 そして僕は思わず笑ってしまった。

 僕が田崎さんを彼氏からとる?この彼女がいたこともなく、告白さえできず、第一志望の高校大学に落ち、さした取り得もないこの僕が。そんなことはできっこない。言葉には全く現実感が無かった。

 彼女の彼氏はどんな人なのだろうか。そりゃあ魅力的な男子に決まっているのだ。かっこよく、頭もよく、お金だってあるかもしれない。勝てっこない。


 いつもの僕ならここで話が終わったはずだ。だが、この話はここで終わらなかった。続いたのだ。


「戦う前から負け犬でどうするの」


 そんな言葉が口から出た。

 言った後、僕は自分の言葉に驚いた。あいつの言葉だ。幼馴染であり、将棋と読書とオシャレの好きな鈴本すずもとの言葉だ。

 その言葉は意外なほど、今の僕には勇気をくれる言葉だった。そして負け犬と言う言葉が持つ敗北感が僕の背中を押した。

 戦う。そう戦うんだ。俺は今まで何度も自分に愛想が尽き果てた。それこそ何度も何度もだ。そのままでいいのか。いいはずが無い。相手は強いかもしれない。でも、戦わずして負け犬になんてなりたくない。戦え。相手と戦え。自分と戦え。

 榊さんは言っていた。女の子を落としたければ、見た目と話術だと。話術なら藤沢。なら見た目なら誰だ。少なくともファッションなら。


 僕はスマホを取り出すと、鈴本にメイトでメッセージを飛ばした。


「将棋ささないか?」


 その一時間後、僕は鈴本とメイトで通話をしながら、ネットを介して将棋を指していた。久しぶりにログインした画面には駒が並んでおり、妙な懐かしさを覚えた。


「しかし。まさか君から将棋の誘いがあるとはね。何の心境の変化かはわからんが歓迎するよ」


 僕の飛車を桂馬で取りながら、鈴本は言った。相変わらず将棋が強い。僕は成す術無く自分のスカスカになった陣地を見るだけだった。

 こうやって通話をするのは2ヶ月くらいぶりだろうか。IT系の専門学校に通い、アメカジショプでバイトをするこの幼馴染とは最近時間が合わず疎遠だった。しかし幼馴染だけあって、時間があいてもこうやって話が出来るのはありがたいことだ。

 それから3局ほど将棋をさし、それは僕の3連敗で幕を閉じた。「強くなりたかったら定跡を覚えろ」と何度言われたかわからない。


 僕は本題を話すことにした。


「気になる子が出来た。女の子受けする服装を教えて欲しい」


 そう聞いた後、鈴本は少し黙った。そうだ。鈴本は考えるとき、言葉を閉じる。こういう時には何も言わないほうがいいのだ。

 そして、少し間があって口を開いた。


「うーん。こうね。一概に女性受けと言っても色々あるんだよ。その子の好みもあるし、着る人の体型もあるしな。いや、君の場合はいいのか。体型はちょい細身だしね。そうね。将棋で例える。言ってしまえば、絶対に勝てる戦法なんてないわけだよね。それこそ君が考えられないほど戦法はあり、そのどれもが万能ではない。相手の出方にもよる」


 鈴本が言わんとしていることはわかった。確かにそうだ。もし絶対に勝てる戦法があるなら、誰も彼もがそれを採用している。絶対に勝てるのだから。考えてみれば当然のことなのだ。そして、僕は田崎さんのことを何も知らない。見ているだけ分るものなんてほとんどない。


「ただ。それでも方法が無いわけじゃないさ。絶対に勝てる戦法は無いが、それでも相手に勝つために戦法や定跡が考え出されるわけだ。だからこの場合の定跡を教えよう。そう難しいことじゃない」


 僕は自分がつばを飲む音を聞いた。生まれて始めての経験だった。


「女の子受けする服装について、戦法は三つある。後になるほど勝てる戦法だと思ってもらいたいね。さて、まず最初。モテる男に聞く。結果出してるからそりゃそうだよね。あと同性なんだから頼みやすいだろうし効果は高い。が、はまらなかったときは手痛い結果になる。その友人の趣味がそのまま出るときがあるからね」


「次。二つ目。友人の女の子に選んでもらう。女の子受けは女の子に聞くほうが早い。この戦法のいいところは、攻守共に優れていること。ファッションに興味の無い女の子は少ないからね。なんだかんだ楽しんで選んでくると思うよ」


「そして。最後。これが一番効果が高く、一番ハードルが高い。なんとなく予感したなら、その予感は的中。三つ目。その気になる女の子に選んでもらう。これ以上無い結果が出ると思うね。なんてったって、その子の趣味なんだから。しかもデートのお誘いも兼ねている。最高だね。さて、君はどれを選ぶ?」


「ともかく宮内君。一回僕のバイト先においで。輸入物なんで少し高いが、悪くないと思うよ」


 僕はその時決めた。榊さんの誕生日を聞こう。彼女に誕生日プレゼントを贈らないといけない。

 僕は鈴本に礼をいい、榊さんにメッセージを飛ばすことにした。

 それにしても、彼女が迷惑がっていなければいいのだが。

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