遠くで見ているだけではなく
二限目の授業である国際経済学が終わった直後、スマホがチャイムを鳴らした。何かと見てみれば、藤沢からのメッセージだった。「昼飯一緒に食わない?」大学生にはよくある食事の誘い。断る理由もないので「OK」と返信をする。
学食に着いた僕は、入り口付近で藤沢と合流する。中に入り、食券販売機の前に。「なに食おうかな」と言うが早いか、藤沢はアジフライがおかずのB定食を選んだ。言葉とは反対に行動は早かった。僕は悩んだ挙句ラーメンを選んだ。さして美味しくない学食のメニュー。別におなかに入れば何だっていいのだが、僕はいつも迷ってしまう。
藤沢に会うのは3日ぶりくらいで、相変わらず少しちゃらちゃらした格好だった。派手な原色のポロシャツに真っ赤なパンツ。腕にはどんな名前だったか忘れたが、パワーストーンなるものをつけていた。それでお世辞にも引き締まったとは言えない体を包んでいる。見た目は僕と、まったくの正反対だった。
席につき、藤沢はアジフライを口に運び、僕はラーメンをすする。やはり美味しいとはかけ離れていたが、安いのだからそれは仕方のないことなのだろうと思う。季節は夏なのだから、冷やし中華とかが学食に追加されることをいつも願うが、それが叶えられたことはない。
ひとしきり食べ終わると、藤沢が口を開いた。そして、立て続けに3つほど言葉が飛び出す。
「今度さ、サークルのライブがあるから来いよ。俺のドラムにお前も酔いしれればいいよ」
「今回SNSでも告知するんだよ。女の子もいっぱい呼ぶ。どうしような。俺、彼女いるのにモテモテになっちゃったら。ま、今の彼女大好きだから、浮気とかないんだけどな」
「お前も音楽始めろよ。バイトに明け暮れてるだけじゃ学生生活の損だ。楽しくて、しかもモテる。こんないいことないぞ。楽器屋さんなら紹介してやるから。ギターとかどうだ?」
いつもどおりの軽口。どこまで本気なのかは分らない。こういう話し方が毎度のことなのだから恐れ入る。よくもまぁポンポンと飛び出してくるものだ。
藤沢は僕と同じ大学生のはずなんだが、その学生生活には大きな隔たりがある。SNSとサークル活動にハマる藤沢と、学業とバイトに明け暮れる僕。藤沢と僕は見た目同様、その生活も正反対だった。
僕は藤沢とひとしきり話をする。僕だって話題がないわけではないが、藤沢ほど弁が立つわけでもない。会話の七割は藤沢のライブだった。
話の流れが変わったのは、藤沢のこんな一言だった。
「ところで、最近変わったことはないのか?」
僕は少しだけ黙り考えた。そして「この前、かわいい女の子がバイトに入ってきた」と告げた。藤沢はそれを聞くと、いたずらをする子供のような目をした。そういえば過去にも何度かこういう目を見たことがある。何かいいことを思いついた時の目だ。
「へえ。へえ。へえ!いや、なんだ。お前も女の子をかわいい、とか思う時もあったんだな。いやいや、これは大進歩。面白そうな話じゃないか。ということは、あれか、気になる感じか?」
僕はそれに頷く。言われてみれば、藤沢に女の子の話をするのは初めてのような気がする。が、好きになったとは言わない。あくまで気になる、と留めておいたほうがいい気がしたのだ。言葉が足りないのはウソではない。それはなによりも、こういう言葉が続くからだ。僕は言葉を繋ぐ。
「でも今回も遠くで見ているだけのような気がするんだよ。今までと同じように。自分とはつり合わないよ」
それは間違いなく僕の本心であるのだが、その言葉で藤沢の表情が少しだけに変わった。琴線に触れたのだろうか。バンドでドラムを叩き始める前もこんな表情だった気がする。
「誰がそんなこと決めた?」
その藤沢の言葉には、なにか力を感じた。
誰がそんなことを決めたか。誰だ。誰でもない。僕だ。
それだけ言うと、藤沢は元の表情に戻っていた。いや、さっきよりも若干ヘラヘラした顔に、だ。
「あのな、宮内。あんまり先のことまで考えるなよ。つり合うとかつり合わないとか、そういうのどうでもいいじゃん。お前はその子のことが気になる。まずはそこから始めようぜ。で、その子は彼氏とかいるの?」
「彼氏がいるかは分らない。というよりも、話したこともない。」
「んじゃ、まずはそっから始めようか。彼氏がいるのか、それともいないのか。そこを確認しよう。お前だって気になるんだろ?じゃあ行動すべきだな。見てるだけではつまんないよ。話進めようぜ」
行動。その言葉が僕にのしかかる。
僕の頭がそれに支配されつつあるとき、藤沢はスマホを取り出し、なにやら操作をすると画面を僕に見せた。そこにはかわいらしい女性と藤沢の姿が写っていた。
「これ、俺の彼女。かわいいだろ?俺の自慢の彼女。な。お前もがんばれよ。珍しく女の子に興味を持ったんならな。行動こそ真実。手伝えることがあれば手伝ってやる。友達なんだから遠慮はいらない。ま、報酬はもらうけどな」
友達。改めて聞いてみると、なんとも頼れる言葉だった。
時間を見れば、昼休みの時間ももう終わるころだった。以外に長く話し込んでしまったようだ。僕は藤沢と別れ、次の授業のある教室に向かう。
歩きながら僕は考える。僕は田崎さんのことが気になる。いや。好きなのだ。彼女のことをもっと知りたいと思う。彼氏がいるかどうか。とても気になる。
どうすればいい。行動なんてしたことがない。いや、怖いのだ。行動することが怖いのだ。何かが起こるんではないか。そんな気持ちが僕に降りかかる。
しかし。藤沢の言葉はとても重いものだった。僕は結果を恐れて行動をしてこなかった。だから今の僕がいる。こんな自分を少しだけでも変えたい。藤沢の言葉は、確かに僕の心に刺さってた。意外なほど素直な自分がそこにいた。
とは言うものの、話をしたこともない田崎さんに彼氏がいるかどうかをどうやって調べる。直接話しかけて聞くか。いや、それは出来ない。私はあなたのことに興味があります。好きです。そう言っているようなものじゃないか。それは、さすがに出来ない。じゃあどうしよう。どうすればいい。
その時、頭に一人の女性が浮かんだ。
榊さん。
そうだ。彼女なら知っているかもしれない。
彼女なら、話したこともある。
なんとかなるのではないか。僕はそう思った。