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その先にあるもの

 七井さんとデートをした翌日。その日も相変わらずのバイトだった。今日は七井さんは休みで田崎さんはいる。昨日七井さんとデートをしたのだから、田崎さんの顔を見るのになんらかの抵抗を感じたが、それは自意識過剰と言うものだろう。そして今日も明日も僕はバイトだ。バイトの無い日のほうが少ないのだ。

 バイト自体はイヤではない。誰かの役に立っているという実感だって悪くないし、お金だって欲しい。

 お金は大事だ。例えば、次の七井さんとデートだってそうだ。お酒を飲もうと約束をしたのだから、居酒屋に行くことになるだろう。安い所だって3000円はかかる。無論、バイトをしていて実家暮らしの僕にとって、3000円はそれほど痛い金額ではない。ただ、だからと言って、そうポンポン出せる金額とも言えない。このワイワイマーケットの時給で割れば、おおよそ4時間。居酒屋の代金3000円は、この「たまになら余裕で出せる」というラインなのだろう。うまく出来ている。

 実際のところ、こううやってスーパーマーケットでバイトをしていると、居酒屋の代金は高いと思えて仕方が無い。生中1杯500円。おつまみ1品300円。このワイワイマーケットでなら、それだけあればばもっと買える。もちろんそれを言っては外食産業なんてのは成り立たないわけなのだし、席料と言う意味だってあるわけだ。それは分っている。僕もそこまでバカではない。ただ貧乏性の僕はどうにもそう考えてしまう。


 今日はかなり暇な日だった。お客さん自体が少なく閑散とし、ネコおばさんの浜口さんも来なかった。商品だしもあらかた終わり、やることが無い。手持ち無沙汰なので、何か仕事は無いか、と、三和さんに話しかけたが「今日はやることないね」とのことだ。レジうちの子たちも暇そうであり、田崎さんを見ると、やはりぼんやりと考え事をしているようだった。いつもは人手不足を嘆いているこのワイワイマーケットではあるが、今日は人手が足りすぎている。僕がこのバイトに入って初めてのことだ。

 さしてやることもなく、ただただ時間が過ぎていった。僕たちはバイトなので、時間とお金を交換している。1時間いくらでお金をもらっている。だからそこに仕事があろうが無かろうが、時間が過ぎればお金が入る。それは間違いが無いが、ただそれを傍観ぼうかんしているのはイヤだった。何も無い時間。それは時間を浪費しているように思えるのだ。以前の僕ならそうは思わなかったかもしれない。ただ、今の僕は少しでも話を進めようとしている。1時間あれば、藤沢に話術を習うことも、鈴本のバイト先でどの服を買うか悩むことだって出来る。八木に面白い本を教えてもらい、それを七井さんと共有することもできる。

 僕は三和さんに提案することにした。仕事が無いのでバイトを早上がりさせてくれないか、というものだ。三和さんはそれほど考えるそぶりも見せず、OKを出した。もしかすれば、うすうす考えていたことなのかもしれない。


 バイトを早上がりした僕は、更衣室に入り早々に着替えた。自販機で缶コーヒーを買い、目を閉じぼんやりと考え事をした。


 ここ1ヶ月くらいを思い起こしてみる。榊さん、藤沢、鈴本の力を借り、僕は確実に変わった。服装を覚え、話術を学び、行動を起こした。そして七井さんとデートをした。それは期せずして起こった出来事ではあったけれど、僕にとっては劇的な変化でだった。結果がでた、と言い換えてもいい。

 努力をして結果を出す。僕の人生に一番足りなかったものはそれではなかったか、と思う。

 勉強はそこそこだった。5段階評価で社会が5で美術が2。残りは4が多めで英語は3。全国模試での偏差値は55前後。まさにそこそこだ。

 スポーツはバレーボールを少しかじった。僕は人よりも結構身長が高いからだ。とはいっても、強くないチームのレギュラー。地区大会では2回戦落ち。人に言えるほどの特技ではない。

 僕はヒーローにもスターにもなることはなかった。だからと言って、そのための努力をしたのか、と言われれば疑問だ。生まれ持ったものと少しの努力だけでやってきた。学年でトップの成績を目指し、寸暇すんかを惜しんで勉強をしたわけでもない。スポーツに打ち込み、日夜体を鍛えていたわけでもない。ただ「こうなったらいいな」という楽観的で怠惰な希望と妄想を抱えていただけだ。

 今なら思う。それで結果がついてくるのは物語の主人公だけだ。それもかなり面白くない部類のやつだ。

 努力は人を変え、結果は自信を生む。たったそれだけの単純なロジック。それが何故わからなかったのか。


 そこまで思考が伸びたとき、僕は目を開けた。なんだか色んなことが起こって、考え事をしてしまった。それそのものにいいも悪いも無く、しかしこの変化を僕は歓迎する、というだけだった。


 時計を見ると、少し時間が経っていた。せっかく早帰りできるのだから、早く帰ろう。僕が手元にあったカバンを持ち、控え室から出ようとしたとき、田崎さんが控え室に入ってきた。僕はその時、思うよりも早く口が動いた。


 「お疲れさまです。田崎さん」


 「お疲れ様です。宮内さん。今日は早いんですね」


 「仕事無いですからね。早帰りですよ」


 「私も同じなんですよ。お客さん、いないんですよね」


 「田崎さん、よかったら、少しお話しませんか?」


 「あ、いいですよ。それほど長くは話せませんけど」


 「じゃ、少しだけお話をしましょうか」


 ここまで、僕はほぼ無意識に喋っていた。口から言葉が飛び出、会話を紡いでいく。結果が行動を置き去りにした。

 そこから僕と田崎さんの会話が始まった。

 それは他愛もない雑談だった。この前食べたパスタが美味しかったとか、学校で流行っている占いとか、そういうものだ。

 しかし、大きな意味がある。僕は、今、好きな人と楽しく会話をしているのだ。その事実は何よりも大きく、今までの努力はこのためにあった、と言えた。

 話は15分ほどで終わった。会話を打ち切ったのは僕からだ。少しの時間、という制約を守りたかった。今日が最後ではない。これが始まりなんだ。そういう意味もあった。

 ただ、どうしてもこれだけはしたかったことがある。しかし悩む。悩みの先はするか、しないか、しかない。するかしないか。ならば僕の決断は。

 僕は話を切り出した。


 「メイトやってます?やってるならID交換しませんか?」


 「やってますよ。私でよければ交換しましょう」


 バイト先を後にした僕は、自転車で家に向かう。ペダルを漕ぐ足は軽く、背中に羽が生えているようなものだ。体に広がる万能感。家まであと数百メートル。家に帰ったら、布団に包まり叫ぼう。叫ぶことは祝砲だ。


 僕がしたメイトのIDを交換する、という決断。僕には確信があった。それは交換できる、という確信ではない。僕なら言える、という確信だった。僕は変わったのだ。これも確信的に言えた。

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