会話巧者
翌日、僕は四時限目の授業が終わると全速力でバイト先に向かった。わき目も振らず真っ直ぐに。
理由は明確だ。田崎さんと話をするチャンスを得るためだ。昨日、僕は田崎さんから飲み物をもらった。そのお礼にかこつけて、話を進めたいのだ。「このタイミングを逃すなよ。メイトのIDを聞いて来い」という藤沢の言葉が僕に行動を起こさせた。考えてみれば、このタイミングしかない。さすがの藤沢だ。
バイト先に到着した。そして、田崎さんはそこにいた。控え室のイスに座り、大きく息を吐いていた。それはため息の様でもあったが、何かがあったのだろうか。それとも落ち着きたいのだろうか。それは僕には分らない。しかし手をこまねいてみても、話が進むわけでもない。僕は心の中で気合を入れ、話しかけることにした。
「田崎さん、お疲れ様です。昨日は飲み物ありがとうございました。美味しく飲ませてもらいました」
自分でも意外なほどすらすらと言葉が出てきた。それはそうだ。ここに来るまでに、何度も何度も頭の中で唱えた言葉だ。そのかいはあったのだろう。
「お疲れ様です。いや、宮内さん。昨日はありがとうございました。あれは……その……感謝の印です。飲んでもらえれば、飲み物も喜ぶと思います」
田崎さんは笑顔を返し、そう言った。その笑顔は軽やかで、さっきのはため息ではなかったのかもしれない。そうであれば少しうれしい。
そこから僕と田崎さんの会話は始まった。
僕は話をした。学校のこと、バイトのこと、友人のこと。出来るだけ面白おかしく、だ。特に友人の話をした。藤沢と言う話の上手なやつがいて、八木と言う読書家もいる。おおよそそんな話をだ。
僕は田崎さんの時間をもらっている。ならば、そのお返しとして面白い話をしなければならない。それは僕の義務であり使命だ。
しかし。
僕の思いはさておき、10分も話したときには会話が止まった。言葉が出なくなった。話が続かない。話題がない。
田崎さんはにこにこしながら僕を見ているが、僕は頭の中が真っ白だ。何を話せばいいかと考えれば考えるほど、頭の中は白く染まっていく。焦りがそれを加速させていく。
うまくいかない。どうしようもなく、うまくいかない。
僕が自分を呪った時、バイトの時間が始まった。救いの神だった。
「じゃ、バイトですね。宮内さん。またお話してください」
田崎さんの言葉は次を示すものだったが、僕にはもう話すことがない。もしかすれば、さっきまでの笑顔も愛想笑いだったのではないか。そんな灰色の思いが僕の心を塗りつぶす。
榊さんや藤沢のようにはいかないのだ。そこにはいかんともしがたい壁があった。
「お前は根本的な勘違いをしているな。A定食奢ってくれたら教えて進ぜよう。この藤沢さんに任せたまえ」
翌日、藤沢を学食に誘った。そして僕の体たらくを話した。メイトの交換も出来なかった、と言ったら、藤沢はアメリカの通販番組のように大げさなリアクションをとった。「ヘ~イ!ボーブ!それはやっちまったな!」と、うざったいことこの上ない物まねも披露された。
壁を感じたとき、とる行動は二つしかない。諦めるか、乗り越えるかだ。僕はダメだ、と諦めてしまえば話はそこで終わる。僕はいつもどおりの日常を送るのだろう。今までどおりの日常を。自分の不甲斐なさを呪いながら、後ろを向けばいい。
ただ、今の僕にはそれは、逃げでしかないと感じるのだ。今までの自分と決別し、具体的な行動を起こしていく。そして望む結果を求める。それが今の、変化した僕だ。壁を乗り越えるのは言葉では簡単だが、もちろんそう簡単にはいかない。だから、藤沢という手助けを頼んだ。
今思えば、受験のときにこの考えに辿りつけば、結果は変わったのかもしれない。英語の偏差値が伸び悩んだ時だ。勉強しても勉強しても、偏差値はさして上がらなかった。そこで僕がとった行動とはなんだったか。得意な日本史をより固く、より延ばすことだった。壁を感じたとき、僕はそれを乗り越えようとしなかった。日本史の偏差値がいい、という自分の殻に篭り、逃げた。日本史はいいんだ。それが心の支えだった。
結果、僕は予想通り第一志望に落ち、今この大学に通っているのだ。
A定食のおかず、ちくわの磯辺揚げを食べながら、藤沢の話術講義が始まった。
「まずは根本的な勘違いを指摘しよう。お前、面白い話をしようとしただろ?面白い人と思われるように」
「した。それが問題なのか?」
「大問題」
「どういうこと?面白い話をするってのはそんなにダメなことなのか?
「じゃあ、分りやすく説明をしよう。お笑い芸人という職業があるだろ?笑えて面白い話をするのが商売の人たちだ。」
「いるね。話術と言うと、そこがまず浮かぶよね」
「そう。まずそういうのが真っ先に思い浮かぶ。ただこう考えてみろよ。漫才とかって5分くらいじゃんね。ああいうセンスも才能もあって、なおかつ血の滲むような努力をしている人らであっても、5分くらいしか連続して面白い話はできないんだよ。仮に20個ネタがあっても100分だ。プロでもそれだぞ?」
「……。なるほど。確かに言われてみればそうだ。でもコメディやコントならもっと話は長いだろ?」
「それは完結した物語だからだよ。俺たちが話すのは物語か?何十分にもわたり紡いでいく物語か?」
「……それは……確かに違う」
「な。話を戻そう。素人の俺たちが面白い話をし続けるなんて、無理だってこと。だから面白い話じゃないんだよ。楽しい会話なんだよ」
「面白い話と楽しい会話は違うのか?」
「大違いだ。そもそも話と会話は全く違う。野球で例えようか。話はピッチングみたいなもので、こっちから一方的に投げ続ければいい。剛速球でもいいし、変化球でもいい。アウトが取れればいいんだよ」
「うん」
「対して会話はキャッチボールだ。お互いに投げあい、キャッチしあう。このキャッチボールと言うのが大事なんだよ。聞いたことはあるだろ?会話はキャッチボールだって」
「それは聞いたことがある。意味はよく分ってないけど」
「だからその意味を教えるな。キャッチボールで剛速球投げたらどうなる?」
「取れないよね」
「そういうこと。ようはキャッチボールについて言えば、剛速球を投げる必要なんてないんだよ。相手が取り難いだけだ。それを楽しいと思う人もいるだろうが、それは一部だ。ボールを投げる。キャッチしてもらう。ボールを投げてもらう。キャッチする。そのやりとりの中で、楽しい、という感情が生まれる。」
「なるほどね。すると、こちらからは相手が取りやすいボールを投げるのか」
「そういうこと。飲み込みが早くていいぞ。キレの鋭い話とか滑らない話とか、そういうのは剛速球や変化球だ。わざわざそんな話をする必要なんてない」
「それは分った。でも具体的にはどうしたらいいんだ?イメージはつかめたけど、現実的には思いついていない」
「OKOK。じゃあ次のステップだ。守る約束はたった二つ。まず相手に話を振る。そして、跳ね返ってきた話に自分の考えや話を返す。たったこれだけで楽しい会話は出来る」
「んー……」
「じゃ宮内。その女の子……えーっと、田崎さんとかいったよな。どういうところが好きになった?」
「そうだな……綺麗なところとか清楚なところとか。でも、一目ぼれだから、ここが、とかないんだよね」
「清楚な女の子が好きなの?」
「うん。清楚な女の子が好きなんだ。あんまり遊んでいるような子は好きになりにくいよね」
「今まで好きになった子も大体清楚?」
「そうとも言いきれないよ。元気で明るい子だって好きになったこともあるし」
「それはいい。元気で明るい子はいいぞ。一緒にいて楽しい」
「気持ちはわかるけどね。まぁタイプだって時と共に変わるし……」
「ま、これくらいでいいだろう。少し楽しい会話を実演してみた」
「あ……」
「分った?これが会話のキャッチボール。俺は一切面白い話はしてないぞ。なのに会話は途切れない。多分、これからだっていくらでも話は続いていくと思えるだろ?」
「こういうことか……」
「そういうこと。こんなものは技術だ。知って実践して体に馴染ませれば、誰にだってできる。スポーツと同じな。運動神経が悪くても、野球部で3年間汗を流せばそれなりにはなる。バッティングセンターに行けば、やってないやつよりは打てるだろうさ。ま、やってみな。次の講義、八木と一緒だっただろ?あいつを練習台にしてさ。最初は質問攻めにするくらいでちょうどいい。宮内生徒君。次はいい報告を期待しているぞ。むほほ」