その9 本神編
とある国立図書館。
そこには国内のみならず、世界中で出版される
あらゆる本が逐一保管されている。
図書館の最深部、ひと気がなく陰気くさい通路を
大男が急ぎ足で歩いていた。
男は通路の中間で立ち止まり、本棚に向かって
囁いた。
男:「本神殿、おられるのだろう?」
一冊の分厚い本が、本棚からゆっくりと飛び出し
空中でとまり、こちらに表紙を向けた。
やがて細かく震えだし、くぐもった声を発した。
本神:「これはこれは男神殿ではないか」
「男神殿が図書館に出向くとは、こりゃ雪でも降るかな」
男神:「冗談など言っている場合ではないぞ」
「前代未聞の事態につき、是非知恵をお借りたい」
「力でなく、知恵をな」
本神:「ふむ」
男神:「得体の知れない者達が突如現れ
世界各地で暴れまわっているのだ」
「奴らは魂を持っている、
いや、魂だけの存在と言ったほうが適切か」
「これまで、魂を所持するのは神の特徴の一つであり
魂を持つもの=神という認識でも問題は無かった」
「しかし奴らは、魂を持つにも関わらず
今までの神とは性質が異なる」
「様々な物や生命に取り付き
媒体の性質などお構いなしに
でたらめに操作し、媒体およびその周辺に
大変な被害をもたらす」
「奴らに荒らされた人間の町をいくつか見たが
惨いものだった」
「人間の空想の産物である、地獄を
目の当たりにしているかのようだった」
「また、恐ろしいことに
奴らは他の魂を傷つけることが出来るのだ」
「奴らを取り押さえようとした神が一柱いた」
「空気を操る、力のある神だ」
「当然、魂だけの者には
物質を用いた攻撃は効かないので
魂の牢獄を形成し、奴らを封じ込めようとしたのだ」
「だが、牢獄はあっけなく破られ
その神は消滅した」
「以降、神々は奴らに対抗する術を持たず
ただ逃げ惑うことしか出来ない」
「今こうして話をしている間にも
何柱もの神が捕まり、滅ぼされているかもしれん」
「それでだ。少し思い当たる事があって
貴方の元を訪ねたのだ」
「悪意のある霊魂から身を守る呪文。
そういったものが、もしかすると有効なのでは
と思ってな」
本神:「なるほど。これまでの理を覆すような輩には
かつて迷信とされてきた術も効くかもしれんな」
「私に聞きに来たのは良い判断だ。
私は世界中の本の殆どを
一字一句暗記しているからな」
本神は自身のページをパラパラとめくり
ある一箇所で止めて男神に見せた。
本神:「これなんてどうだろうか?」
”むかしむかしあるところに
おじいさんとおばあさんが住んでおったそうな。
おじいさんは山へ柴刈りに・・・”
男神:「何だこれは?」
と、そのページの全ての文字が揺らぎ
別の文章に置き換わった。
”古の神より授かりし十字、邪を破らんとす”
”言葉無き者は記せ
光無き者は唱えよ
双方無き者は念じよ”
”羅 天 与 陀 僧 典 巣 帝 阿 穴”
本神:「神聖十字といってな」
「個々の文字に力は無いが、この十字を
この順で連結すると効力を発揮し
悪霊を祓ってくれるらしい」
男神:「試すとしよう」
「術が効かず、私が敗れたら後の事は頼むぞ」
本神:「別の術をかき集めて
他の神に伝えれば良いのだろう?」
「任せておけ。ああそうだ、これを持って行け」
本棚から小さめのルーズリーフが飛び出し
男神の手のひらに収まった。
中を見ると、先ほどの十字が
全てのページに書かれていた。
男神:「ありがとう。ぞんざいに扱わせてもらうよ」
そう言い、男神は図書館を後にした。
図書館から十分離れた場所まで来ると
男神は魂の触手をいくつか伸ばし
悪霊どもの位置を探索した。
ここから北東1000キロほど進んだ地点に
魂が不自然に集結している。
そこにいる男達の恐怖と狂気も読み取れる。
間違いない、悪霊どもはそこで暴れている。
男神は肉体が耐えうる限界寸前のスピードで
その場に向かった。
そこに着くと、辺りは血の匂いに満ちていた。
建物は崩れ、木はなぎ倒され
アスファルトは血と肉塊で着色されている。
悪霊どもは、住人を全員バラバラに
引き裂いてしまったらしい。
男神:「おのれ、好き放題荒らしおって」
そのとき、近くの建物の窓が割れ
一体の悪霊が飛び出してきた。
その悪霊が不気味な声で叫ぶと
どこからともなく他の悪霊が沸いて出てきた。
全部で30体ほどか。
悪霊達:「憎イ、憎イ・・・」
「殺ス、殺ス・・・」
「虚シイ、虚シイ・・・」
悪霊達は男神を取り囲み
手首を包丁や巨大な鋏に変化させた。
男神は、ルーズリーフから素早く1ページちぎり取り
真正面の悪霊に叩きつけた。
悪霊:「ギャアアアアア!」
一体の悪霊の輪郭と色が薄まり、虚無と化した。
神聖十字は確かに効力がある。至って強力な。
それだけ分かれば十分だ。
次の1ページをちぎる間もなく
悪霊達の攻撃が男神に次々と命中した。
しかし、男神の体が傷つくことは無かった。
いつの間にか、男神の全身に
黒色の神聖十字がびっしりと書かれていたのだ。
男神に攻撃を加えた悪霊達の手首が溶け
苦しそうに呻いた。
男神:「皮膚の色を操っただけでこの様か」
「もはや貴様らなど敵ではない!」
男神は、神聖十字付きの拳を
その場にいる悪霊全てに叩きこんだ。
30体余りの悪霊は瞬く間に消滅した。
男神「さて、と」
土神:「そうか。身を挺しての実験、ご苦労だった」
男神から報告を受けた土神はため息をついた。
大地を蹂躙し、友である空気神を葬った侵略者に
ようやく神罰を下せる。
土神は吼えた。
全ての大陸が振動し、土神の声が響き渡った。
土神:「よく聞け、邪悪な侵略者よ。
貴様らの暴挙は、貴様らの存在をもって
償ってもらう。
それが世界の選択だ。
羅 天 与 陀 僧 典 巣 帝 阿 穴!」
神聖十字の言葉と共に、山ほどの大きさの
漢字十字が各大陸から突き出た。
逃げ場を失った悪霊達は、一体残らず無に帰った。
日が西に沈みかけている。
図書館の窓から射すオレンジ色の光を受けながら
本神は物思いに耽っていた。
本神:(異様な者達の出現・・・確か前にもあった)
(魂を貪る怪物がどこからか現れ
影神が犠牲となった)
(二つの騒動の間隔は三年と短い。
しかもそれ以前は全く見られなかった)
(一体世界に何が起きているのか・・・)
景色の一部が歪んだ。
本神は我に返り、歪みを注視した。
歪みから、鋼色の鎧を着た若者が歩いて出てきた。
少しして、歪みは収まったが
鎧の男は歪みと共に消え去らず
その場に留まっている。
男:「ここは何処だ・・・本が浮いている?」
本神:「新たな訪問者だと?悪霊騒動が収まった端から」
男:「本の化け物とは珍しい」
男は剣を抜き、本神に斬りかかった。
本神は剣を避けると、本棚から無数の本を取り出し
自らを中心にゴーレム状に積み重ねた。
ゴーレムの大きな拳が男を殴り飛ばす。
男は壁に背をぶつけ、その場にくずおれた。
ゴーレム:「いきなり斬りかかるとはご挨拶な奴だ」
そのとき、窓から射す陽光が消えた。
日が完全に沈んだようだ。
ゴーレム形態の本神は
男から怪しげな気配を感じた。
男の鎧が黒ずみ、やがて漆黒に染まった。
男の顔は、黒い闇に変化し輪郭が無くなり
目だけが元の姿を維持していた。
黒い鎧、黒い兜、
そして暗すぎて影のように見える剣。
両眼以外、黒一色に統一されている。
黒い鎧は、剣を握りなおして
立ち上がるとこちらに向かってきた。
ゴーレム:(こんな化け物は初めて知った。
かつて見た、どんな本にも記されていない)
ゴーレムは一冊の本を呼び寄せ
中身を神聖十字で埋め尽くした。
その本を、黒い鎧めがけて投げつける。
黒い鎧は、剣を持っていない左手のひらで
本を止めた。
本の周りを小さな稲妻が走った後
本は灰となって崩れた。
ゴーレム:(やはり効かんか)
ゴーレムは小細工をやめて黒い鎧に殴りかかった。
変身前とは比べ物にならないスピードで
剣が孤を描き
ゴーレムと、その後方数十メートルにあるもの全て
真っ二つとなった。
図書館の床から天井付近にかけて
長い裂け目ができ、少しばかり塵が降ってきた。
黒い鎧:「弱い。もう少し骨のある奴を探すとしよう」
黒い鎧は周囲の闇に溶け込み、姿を消した。
本神は呻いた。
黒い鎧の剣は、本神の魂までは切り裂けなかったが
剣が通った部分が激しく痛み
その場を動くことが出来ない。
本神:(これが痛みというものか)
神経を持たない媒体を司る本神にとって
痛みは初の体験だった。
本神:(奴も魂に干渉する何らかの力がある)
(放置は危険だが、今の私に出来ることはない)
(それよりも心配なのが空間の歪みだ)
(異世界の怪物が、次々と入り込む)
(それだけで済めばまだ良いほうだな)
図書館の傷口から見える外の光景は
妙に静かだった。