その6 車神編
八月中旬、お盆の時期。
男は実家に帰るため、田舎道を車で走っていた。
少し前まで渋滞の真っ只中に居たため
時刻は深夜0時を回っていた。
男:「すっかり遅くなっちまったなあ」
「まあ他の車も見かけなくなったし
飛ばせばもう少しかな」
「あー、赤かよ・・・」
前方の信号が赤に変わり
男は少し苛立ちながら停止した。
しかし、渋滞の時は鬱陶しいことこの上ないが
周辺に車が一台もいないというのも
少し寂しいものである。
と、反対車線に赤い乗用車が来るのが見えた。
男:(こんな夜中に町の方向へ?)
(コンビニでも行くのかな?)
赤い車も、赤信号の手前で止まる。
男は目を疑った。
赤い車の運転席に誰も座っていない。
助手席、後部座席にも人の姿がない。
赤い車は無人だった。
信号が青に変わり、赤い車は音もなく
男の車の横を通り過ぎた。
男は車を前進させるのも忘れ
走り去る赤い車を茫然と眺めていた。
後に知ったことだが、赤い無人車は
2ヶ月ほど前からたびたび出没しているらしい。
ひと気のない道路の行き止まり。
工具箱を持った怪しげな男が通りかかった。
男:「さて、久々にお仕事と行きますか」
路上には、一台の赤い自動車が止めてあった。
男は周りに人が居ないのを確認し
自動車の運転席を覗き込んだ。
男:「何も置いてねえな」
「使えそうなのはカーナビくらいか」
男は工具箱からハンマーを取り出し
運転席の窓ガラスを割ろうとした。
ハンマーが当たる直前、いきなり窓ガラスが開き
結果的に座席を殴ってしまった。
男:「な、なんだ?」
男は再び周囲を見回す。しかし誰もいない。
なんだか薄気味悪いが
せっかくのチャンスを無駄するのはアホらしい。
男は気を取り直し、窓から助手席に乗り込んだ。
カーナビに手を伸ばし、引きはがそうとする。
シートベルトがシュルシュルと音を立てながら
伸びてきて、男の首に巻きついた。
男:「ぐっ!」
窓が開いたときに頭によぎった嫌な予感が
的中してしまった。
近頃出没していると噂に聞く
幽霊自動車に違いない。
男は首に巻きついているシートベルトを
はがそうとしたが、更にきつく締まるばかりだ。
男は必死にもがき、車のドアに体当たりした。
意外にもドアはあっさり開き、男は外に投げ出された。
首に巻きついていたシートベルトも同時にほどけた。
男:「ひえぇぇお助けぇぇ!」
男は情けない声を上げながら逃走した。
行き止まりからT字路に出て、左の道を選ぶ。
その道幅は車一台分しかなく
前方から車は来ていない。
男は後方を確認した。
先ほどの幽霊自動車が交差点に差し掛かり
こちらに曲がって来るのが見えた。
追ってきた!このままでは追いつかれてしまう。
男は左側にある塀に手をかけ、急いでよじ登った。
塀の向こう側に落ちると同時に
男が先ほどまでいた場所を
幽霊自動車が猛スピードで通り抜けた。
助かった!しかし、ここは?
塀に仕切られた広い敷地。
塀の内側に沿って並んでいる木々。
その中央に、大きな屋敷がひっそりと建っている。
?:「あら?わたくしの庭は立ち入り禁止ですよ?」
声の方を見ると、ショートヘアで黒髪の美人が
立っていた。
男:「た、助けてくれ、車が、赤い車が!」
女性:「少し落ち着きなさい
何を言っているのかわからないわ」
男は今までの経緯を話した。
女性:「まあ、それは災難でしたね」
「でも、この敷地に侵入してくることは無いから
安心していいわ」
男:「なぜそう言いきれる?」
女性:「わたくしの敷地内で勝手なことは許されなくてよ」
いまいち説得力に欠けるが
女性の自信に満ちた態度からして
大丈夫だという気がしてきた。
男:「あんたはここに一人で住んでいるのか?」
女性:「他に、殿方が一人居ますが
彼はアウトドア派なので
この屋敷に居ることはあまりないですね」
男:「じゃあ今はあんた一人な訳か」
女性:「それが何か?」
男:「つまりこういうことだよ!」
男は女性に襲いかかった。
女性の狂おしいほどの美貌に
理性を保てなくなっていた。
だが、男が抱きつこうとする寸前に
女性は消えてしまった。
つんのめった男が姿勢を立て直し、頭を上げると
目の前に女性がいた。
女性は片手を振り上げ、男にビンタした。
男の首は、力を受けた向きに砲弾の如く吹っ飛んだ。
女性:「わたくしの手を汚させるなんて、とんだ客人だこと」
女性は敷地の外に顔を向けた。
すると、その方角から数人の女性が飛んできた。
女性の一人は男の首なし死体を担ぎ
敷地の外へ持ち去った。
他の女性は清掃具を持ち
庭の血痕を拭き取っている。
この殺人は、奇妙なことに事件として捜査されることはなく
ニュースに取り上げられることも無かった。
場所と時は変わり
ある山奥の道路のでのこと。
禿頭の少年が一人、道路脇に立っている。
少年は、車が通るたびに手を上げているが
どの車も少年の横を通り過ぎるだけだ。
そこに、一台の赤い車が通りかかった。
例の幽霊車である。
幽霊車は少年の横に止まり、ドアを開けた。
少年は特に驚くこともなく
車の後部座席に乗り込んだ。
ドアが閉まり、車が走り出す。
「どちらへ?」
カーナビの声色を用いて幽霊車が尋ねた。
少年:「ここから北東のほうに大きな屋敷があります」
「もしその方面に向かうのでしたら
そこまで乗せてください」
幽霊車:「了解」
「ところで、あんたは何者なんだ?」
「神々の一柱であることは分かっている」
「後部座席の空間を満たしていた
我が魂の一部をどかさなければ
あんたを乗せられなかったからな」
少年:「私はご覧の通り、人間を操る者です」
幽霊車:「すると、これから向かう
屋敷の連中の上位互換なわけか」
少年:「屋敷の方々をご存じでしたか」
幽霊車:「顔見知り程度に」
少年:「あなたも見た目通りの方ですか?」
幽霊車:「そうだ。俺は車全般を操る化け物さ」
「今はこの赤くて小柄な体が気に入ってる」
前触れもなく地響きが鳴り、道路が軽く振動した。
前方を見ると、今走っている道路の先にある
トンネルが崩れ、砂煙を上げていた。
少年の表情が強張ったが、すぐに表情を緩めた。
少年:「良かった、誰も巻き込まれていない」
幽霊車:「脇道無しか」
道は崖に沿った一本道なため
トンネルが使えないのは致命的だ。
少年:「飛べば良いでしょうに」
幽霊車:「車は大地を走るもの。飛ぶのは飛行機の仕事だ」
「とはいえ、他に手段は無さそうだ」
赤い自動車は、ふわりと浮かびあがり
レールを飛び越え、崖に沿うように山を下っていった。
間もなく別の道路に着地し
車は屋敷のある方角に走り出した。
しばらくして、住宅地の入り組んだ道路に入り込み
住宅同士の狭い隙間から
直列に並んだ木々が見えた。
少年:「着きましたね」
車が角を曲がると、頑丈そうな門が正面に構えていた。
少年:「ここまで運んでいただき、感謝致します」
幽霊車:「感謝されるなんて初めてだが
案外悪くないもんだな」
少年が下りると、赤い車はヘッドランプを二度点滅させ
Uターンをして走り去った。
少年:「さて」
ぴんぽーん
チャイムを鳴らすと、インターホンから
女性の声が聞こえた。
女性:「はい?」
少年の口から、テンポの速い奇妙なメロディが
発せられた。
神々が編み出した、人語とは異なる言語だ。
ほとんどの神々にとっては
こちらのほうが発声が楽なため
神同士のコミュニケーションによく用いられるのだ。
門が開き、美しい女性が出迎えた。
女性:「人神様、ようこそおいで下さいました」
少年:「お久しぶりです、女神殿。
100年ぶりくらいになりますね」
「近くの山でちょっとした実験をしていたのですが」
「雨風の凌げる場所が恋しくなり
ここを訪れた次第です」
女性:「昨夜はひどい嵐でしたものね」
少年:「ええ、その雨で土砂崩れが起きるほどに」
少年は、ふと何かに気づき、顔をしかめた。
少年:「お宅の庭から微かに血の匂いがします」
女性は嫌な顔をした。
女性:「わたくしを襲おうとした不届き者の血ですわ」
少年:「何も殺すことはないでしょう」
「人間は、我々神に比べると、とても弱い存在です」
「罪を犯した者でも
手加減をして適度に罰するべきです」
?:「あ、人神様じゃないですか、お久しぶりです」
体格の良い男が屋敷から出てきて、声をかけた。
少年:「男神殿、お久しぶりです」
女神:「男神よ、お聞きになって。
人神様ったら、わたくしが変質者を罰したことを
お咎めになったのよ」
男神:「ううむ、まあ良いではないですか。
人間の一人や二人。」
「どうせ時が来れば何事も無かったかのように
蘇生するんですし」
人神:「その時が来るまで放置するつもりですか」
「リセットが来るまでの数年の人生を
女神殿は奪ったのですよ?」
「その人間を神と置き換えてごらんなさい」
「到底許されることではないはずです」
「それで女神殿、人間の遺体はどうしました?」
女神:「火葬場で灰になりました」
「でも頭部はこの付近にあるでしょうけどね」
女神は不貞腐れ気味に答えた。
人神:「頭部は私が探します。男神殿は食肉加工場から
適量の肉と骨を運んできてもらえますか?」
男神:「人間を蘇生されるおつもりですか。物好きな方だ」
人神:「完全にとは行かないまでも
奪われた人生の数年を戻してあげましょう」
やがて男の頭部と、十分な量の肉と骨が運ばれてきた。
頭部は白骨化が進み、しゃれこうべとなっていた。
人神:「まだDNAの損傷は少ないので
肉体の再現は容易です。」
「ただ脳が残っていないので、記憶の修復が出来ない」
「女神殿、男の生前の記憶は保持されていますか?」
女神:「持ち合わせていませんわ」
人神:「本当に?」
少しの沈黙。
女神:「ええ、保持していますとも。
付近の人間の脳を覗き見ることは、
人を支配する神々の間では慣習ですから」
人神:「では、その記憶を私に全て伝えてください」
「始めましょうか」
人神は用意された骨付き肉の塊を
恐ろしいペースで食べ始めた。
人神が食べた分だけ
彼の背中にコブができ、盛り上がった。
十分な量を食べ終わる時には
彼の背後に、生前と同じ姿の男がくっついていた。
人神が男を背中から切り離すと
男は事前に用意された服を着用した。
人神:「後は記憶ですね」
人神が男の額を見つめると
男の目に知性の光が灯った。
人神:「修復完了。自宅に帰して差し上げよう」
修復された男はどこかに飛び去り、見えなくなった。
人神:「これから宿を借りる立場だというのに
我が儘を言って申し訳ありません」
男神:「まあもう済んだことですし、お気になさらず」
女神:「嫌な事は水に流しましょう。
それより、先程のお口直しにワインでもいかがです?」
人神:「口の中がまだ血生臭いので、助かります」
彼らは屋敷の中へと入り、談話を楽しむのだった。