第4章 人間
第4章 人間
―1―
放課後、生徒会室。
「裏葉ぁ、裏葉ぁ」
「・・・」
「ちょっと裏葉ぁー」
だだをこねる子どものように「裏葉」と呼び続けるが、当の本人は全く相手にせず、何か思い悩んでいる。
「あっそ」
何度呼んでも反応すらしてくれない彼女を見かねて、隠してあったメルへーヴェルのクッキーを取り出し「食べちゃうぞー」とか騒ぎたてて見てもこっちすら見てはくれない。
いつもならここで「いい加減にしろ」とか、キレてきてもいいのだがそれすらみせない彼女に春亜は違和感を感じずにはいられなかった。
「裏葉ぁ・・・」
「ちゃんと聞こえてるから」
春亜にそっと笑みを浮かべた。
最初の方はともかくとして、途中からいらない心配をかけてしまった。
そんな春亜にこれ以上気を遣わせまいとし、無理矢理に笑ってたせいか、笑顔とはほど遠いものになり、余計に心配をかけてしまった。
「裏葉ぁ・・・、私はながあっても裏葉の味方だからねぇ」
「そんな大げさな」
ちょっと冷めた態度をとる裏葉の様子を見て、春亜は「いつもの裏葉だぁー」と喜んでくれた。
正直、あまりしつこい人間は好きではない。
それでも、こうやって言葉にして自分の事を慕ってくれる人がいるのはちょっとむずがゆい気もするが、幸せな事だ。
「で、なに悩んじゃってるのかなぁ?」
「うん、そんなたいしたことじゃないんだけどね」
「あれか、あの転入生ねぇ。昨日散々あたしの裏葉に迷惑かけたらしいじゃん」
「まぁ、そんなとこね」
当たらずとも遠からずといったところだ。
確かにレディーを 散々またすなんてもってのほかだ。
でも、そんなちっぽけなことならまだかわいい。
問題はもっと違うところにある・・・。
色々思うところはあるが、裏葉はその思いをそっと胸の奥深くにしまい込んだ。
「それでぇ、実物はどーなわけぇ?」
「何?ちょっと期待しちゃってたわけ?」
「そりゃー、女の子だもん」
実物を目の当たりにした裏葉からしてみれば、予想通りの残念なやつだった。この世の中にまだ、あんな馬鹿が存在していたとは、ある意味で奇跡だ。
ただ、興味なさげにしていた彼女が若干の期待をしてしまってる以上、「予想通りの残念なやつだった」と言って、見もしないうちからその期待を潰してしまうのは何かかわいそうな気がした・・・。
いや、何かもったいない気がした。
「そうね・・・、まぁ、写真って結構ブサイクに映るからねぇ。アリかなしかで言ったらアリだったかもね」
「・・・!!!」
裏葉の言葉を聞いた途端、春亜の顔が豹変した。
「あの・・・、裏葉が・・・、あたしの裏葉が・・・」
「春亜・・・さん?」
「倒す、ぶ倒してやる・・・」
そういうと、裏葉の言葉など全く聞きもせずに生徒会室を飛び出していった。
「ったく、あの子は・・・」
やれやれ、ちょっと迷惑そうに、でもうれしそうな顔をしながら2人分の紅茶を入れ始めた。
―2―
「てか。この学校何人いんだよ・・・」
放課後、明彦は校門の前で帰って行く生徒達を一人一人なめ回すように眺めていた。
石神にはあんなかっこいい事を言った手前、実際にやってみると正直しんどすぎる。
単純に考えてこの学校はそれぞれの学年が20クラス近くあり、全校生徒は2000人にものぼる。高校でありながら、すでに大学規模の大きさと人数を兼ね備えている。そんな中で1人の女の子を探すなんて途方もない時間がかかるだろう。
「蒼の野郎、結局手伝ってくれねーのかよ」
昼休み、かなりそれっぽい事を言ってくれていたのだが、帰りのホームルーム後・・・
「蒼―、早速だけど今日の放課後、校門前で帰りの生徒調べてみよーかと思ってるんだけど」
「おー、積極的じゃん。がんばれよ」
「がんばれって・・・、随分他人事だな」
「はぁ?俺もやんのか?」
「え?」
「わりぃわりぃ、手伝いたいのは山々なんだけど、今日はデートなんだよ、しかも、めっちゃ美人の子。ってことで、俺は遠くから見守ってるぜ」
・・・、随分都合のいいやつだ。
「その気にさせといて・・・」
結局、チャラそうな雰囲気はどこまでいっても変わることはなさそうだ。
それにしても、校則の一条のせいかやはり皆個性が強い。一年生はまだ入学して間もないせいか、ほとんどが同じような格好に見えるが、二年、三年生になるとここは本当に高校なのかと疑ってしまう様なクレイジーな格好をしている者が多数見られる。
それだけではなく、そこら辺の雑誌にも載っていそうなくらいのオシャレな女の子であったり、視界には何人も映りこんでいる。
都立第7学園は、白銀財閥が管理している言わば、ブランドに惹かれてくる生徒が多いと思っていたが、どうやら多くの生徒は服装や、髪型などそういった目に見える自己主張、自分らしくいられる学校としてこの学校を選択している人が多いようだ。
ギタコ自体、かなり変わっていると思っていたが、この学校自体が異常なわけで、外見だけ見た限りでは彼女は普通の女の子に属されるに過ぎない。
そして、彼女の一番の手がかりとなるピンクの髪の色だが、今のところ同じように染めている生徒は一人もいない。
「さすがにピンクに染めてるやつなんてそういるもんじゃねーよな」
何千と生徒がいたとしても、パッと見分けることができそうな髪をしていてくれて良かった。意外と早く見つける事ができるかも知れない。
そんな事を思ったのもつかの間。
「大紋 明彦、大紋 明彦、生徒会副会長の佐伯 春亜がご立腹だ。さっさと放送室までこい」
「???」
何だ、このアナウンスは・・・
自分が転入してきて二日、実際のところ今日が初日の様なものだが、あのように呼び捨て去れる覚えも、喧嘩を売られる覚えもない。
全くもって見あたらない。
「なんなんだよ一体・・・」
向こうにどんな事情があるのかそんな事は知ったことではない。
そもそも、「ご立腹」など完全に私情を挟んでいるだろう。
こんな善良な一生徒を校内アナウンスを使って呼びつける、「佐伯 春亜」という生徒もそうだが、そんなやつを生徒会に置いておくこの学校もおかしい。
それに・・・
「どー間違えても女の声だろ?」
言葉遣いは悪いが、その声は決して男が出すことができない女性独特のものであった。
裏葉といい、こいつといい、随分とこの学校の生徒会は気の強い女が多いのだろうか。そのうち、この学校内では女性が上に立つべきだという校則が立ってしまわないかと、この学校の将来に不安を感じた。
とりあえず、彼女に恨みを買われる様な覚えは無いが、このままほったらかしておくと、明日あたりクラスに出向いて来そうな予感がする。
それだけは絶対に阻止しなければ・・・。
ただでさえ、クラスの人とは距離が開いているのだから、これ以上はさすがにきつい。
「ったく、こっちはそれどころじゃねーつのに」
校内放送をこんなふざけたことに使うやつだ、またいつ何時、アナウンスをかけてくるかわからない。
ギタコを見つけるよりもこんなやつを見つけなければいけないとは・・・
―3―
「お嬢様、入ってもいいかなー?」
生徒会室の扉の外から、随分とふざけた声が聞こえる。
裏葉は、そんな声など気にもとめず紅茶を飲み、携帯をいじくっている。
「随分、つめたいんじゃないのー」
入ってもいいかと聞いてきたくせに、断りもなく生徒会室の扉を開けて入ってきたのは石神 蒼二だった。
「何々、さっきアイツの名前放送で呼ばれてたけど」
裏葉の飲んでいない方の紅茶を下品に音を立ててすすると「あちっ」と、いって下を巻いた。平気に飲んでいる裏葉を見るとどうやら彼は猫舌らしい。
「たぶん、春亜に殺されんじゃないの」
「おぉー、そりゃかわいそうだ。南無南無・・・」
石神は両手をこすり合わせ、祈りを捧げた。
だが、彼の捧げる祈りには、「南無」とか「アーメン」とか多数の宗教が混じっており、そんなごちゃ混ぜの祈りなど神様はきっと聞いてはくれないだろう。
裏葉も冷たい視線を彼に浴びせあきれかえっている。
何の反応も示してくれない裏葉に「そりゃないぜ」と声をかけ、一通りの祈りを捧げ終えると「さて」と一拍おくとガラリと雰囲気が変わる。
「で、まだ、あいつだと思ってるわけ?」
「そうね・・・。」
「俺は白だと思うけど、だって、あいつ馬鹿じゃん」
「そこは否定しないわ・・・でも」
「でも?」
「そう装ってるとしたら?」
「まさか、ありゃどう考えたって天然もんだろ」
冗談はよしてくれと言わんばかりに石神は笑っている。
対して裏葉は顔色一つ変えない。
「転入手続きの書類を見たときはそう思った。昨日、初めて話したときもそう思った・・・、だけど、あいつがあの子の名前を出す度に、なんか・・・。馬鹿なふりして、私達のことをあざけ笑っているかのように見えて・・・、殺したくなる・・・」
先ほどまでの冷静さは失われ、声を荒げる彼女の放った最後の一言、「殺してやる」。これは、決して冗談で言っているものではなく、冷たく、胸が痛くなるように聞こえた。
とりあえず落ち付けと裏葉をなだめ、「気持ちはわかる」と答えた。
「まぁ、確かにあいつが0%黒ってわけでもない。だから俺が見張ってる。でもあいつが100%黒とも限らない。」
「・・・」
「今、下手に動いて取り返しのつかない事になったらどーする」
もっと慎重に行動を起こせ、その台詞を聞くや否や、裏葉は机を思いっ切り拳で叩いた。
机の上に置いてあったティーカップはその振動で床に転がり落ち、粉々に割れてしまった。
そして動揺する石神などお構いなしに、突然大声を張り上げた。
「じゃあ、今動かないで前みたい取り返しがつかなくなったらどーするの・・・、どうして・・・くれんのよ・・・」
「裏葉・・・」
最後の方は何て言ったのかわからない。
震える声
とめどなく流れる涙
心の底からわき上がる怒りと悲しみ・・・
こんなにも人間くさい裏葉を石神は見たことが無かった。
さすがにこればっかりはどうすることもできない。
気持ちがわかるとか、先ほどは言えた・・・、言えたが今の裏葉の怒りとか悲しみはわからない。
そんな簡単にわかるもんじゃない・・・。
そんなに軽いもんじゃ・・・。
石神は指をくわえ、彼女が泣きやむのを待つことしかできなかった。
―4―
「ここが放送室か」
あれからおよそ10分。
生徒手帳があるとはいえこの学校の広さ、もちろん途中迷ったのはともかくとして、たった放送室に行くのにこれほどまで時間がかかるなど思いもよらなかった。
これからこの学校で様々な授業を受けていくわけだが当然、教室移動等もある。その度に毎回これほどの距離を歩かせられるかと思うと、今から骨が折れそうだ。
とにかく、今はこの扉の奥にいる生徒会の権利乱用者、「佐伯 春亜」をなだめなければ、ならない。
明彦は恐る恐るその扉を開けると、
「この糞野郎がー」
怒鳴り声と同時に思いっ切り胸ぐらを掴まれ、地面に叩き付けられた。
何が起きたのかわからない。
あまりの出来事の早さに相手の顔すら見え無かった。
「いてー」とぶつけた頭を抱え込むもすぐさま「何しとんじゃ」とまた胸ぐらをつかまれた。
この時、初めて彼女の顔を拝んだが、校内放送であんな汚い言葉使いをするよう子にはとても見えなかった。
「ちょっと待て」、とりあえず事の次第がわからない以上、話し合うのが先決だと彼女を止めようとしたが「てめーも男だろ」と問答無用でもう一回叩き付けられた。
「はぁ。はぁ、はぁ、はぁ・・・。おい糞野郎」
さすがにこの短時間で大の男を二度も投げつければ相当の体力を使う、彼女は何キロも走った後のように息をきらしていた。
「痛てーよ馬鹿、俺が何したってんだよ」
そうだ、一体何の理由があってお前はこんな事をしでかしたのか、ここまでやられればさすがの女相手我慢ならない。
「・・・別に」
「は?」
こんだけの事をしておいて別にだと・・・。
明彦は思いっ切り拳を握る。
「で、何だよ」
「・・・。」
明彦は握りしめた拳を思いっ切り振り上げ、振り下ろした。
春亜は明彦が拳を振り上げると同時に覚悟したのか、目をそっと閉じた。
そしてドン・・・ものすごい鈍い音がした。
しばしの沈黙が流れた。
痛くない、何ともない・・・。
春亜はそっと目を開けた。
目を見開いたその前に映っていたのは、地面に拳を突き立てている、男の姿だった。
「えっ、なんで」
あれだけ馬鹿にした。あれだけ痛めつけた。
それなのにこの男は・・・。
「あのなぁ、お前は馬鹿か?」
「ばか?」
「普通のやつにこんなことすれば、お前ボコられんぞ」
「知ってる・・・」
「じゃあ、何で」
「裏葉があんたはいい男って言ったから。」
明彦は、事情がよくわからなかった。
あいつが俺をいい男なんて言うわけがない。昨日散々、迷惑をかけ、今日に至ってはあいつのせいで辱めを受けたばっかりだというのに。
しかし、例えそういう事情があったとしても、こいつのこれは異常としか言えない。
「まぁ、それは絶対ないにしても、それでこんなとこに呼ばれて、床にたたきつけられる理由にはならないと思うけど」
「ごめん」
さっきまでの威勢のいい虎みたいな彼女はそこにはいなく、どこか普通な女の子が代わりに立っていた。