第3章 馬鹿のやり方
第三章 馬鹿のやり方
―1―
「ただいまー・・・って返事なんかねぇーよな」
もしかしたら誰かいるんじゃないか、そう思っては見たもののやはり返事はない。
「そりゃそうだよな・・・、はぁー」
深いため息をつきながら、明彦はベットに倒れ込んだ。
今日は色々ありすぎた、人世でそう何度も経験する事のない体験を前倒しにほとんど味わってしまったかのようで、肉体的にも、精神的にも初老のおじさんくらいに老け込んだ気分だ。
あの後、生徒会室に連行され学校の事を色々と教えられたが何にも覚えていない。裏葉のいれてくらた紅茶の味、かなり出し惜しみつつも差し出してくれたクッキーにも手を付けず、ぼーっとただその時が過ぎゆくのを待っていた。
時々、「聞いてるのですか?」と言われたような気もするが、ここに無事帰還したということは、無意識の自分が何とかしてくれたのだろう。
「それにしても・・・、居心地わるいなぁ」
色々考え事をしていて忘れていたが、昨日引っ越してきたばかりだった。部屋の何から何まで自分の私物なのに、部屋という入れ物が変わるだけで、それらすべてのものが誰かに使い古された中古品に見える。ベットについている思い出深いシミですら、薄汚いよごれに思えてしまう。
それに、何か普通すぎる。別に普通であることがおかしいことではなく、それが一番落ち着き、安らぐ環境であることに間違いはない。
ただ、今朝の体験があまりにも異常すぎたために、どう見ても不自然に飾られていた生徒会室にいた方がまだ違和感を感じずにいられただろう。
それにしても、彼女は本当に夢の中の住人だったのだろうか。
あんなにもリアルな体感が本当に夢の中だけのものだったのだろうか。
それを夢ではないという証拠は自分が覚えていると言うことと、思わず持って帰ってきてしまった紙パックだけだ。結局の所、目に見える物証はこれだけしかない。
この紙パックについている指紋でも調べれば、もしかしたら彼女が存在していると証明できるかも知れない。あの馬鹿でかい学校を建てるほどの大財閥のご令嬢だ、そんな事はいとも容易いだろう。
だが、そんなことはできない。
言ったところで間に受けるかどうかも心配だが、何より
「もし、俺が女の子の捨てた紙パックを大切に持ち帰ってたなんて事が知れたら、間違いなく裏葉は軽蔑してくるだろうし、ストーカーやろうと噂され俺のバラ色の学園生活は崩壊するな」
そういったリスクの方が高い。
無難に学園生活を送りたいの出あれば早々に夢だと認め、気を改めるのが一番いい。
それが一番だ・・・
そんなこと頭では理解できる。頭から命令を出し、体にも強制的に理解させる事もできる。なんなら、今は裸になって町へ出向き、「彼女は存在しません、夢に中の住人でした」と叫ぶことも不可能ではない。
だが、何か引っかかる。何か納得できない。
目にみえないもやもやが体中に引っかかり、イライラする。
どんなに力をいれてもはがれないガムテープが体にまとわりつくかのように、気持ち悪い。
それは彼が言われたことをきちんとこなす、聞き分けのある優等生ではないから、というわけでもなく、言われたことに何か反発したくなるようなやんちゃな劣等生だからというわけでもない。
そして、本当にいるかもしれない彼女を、夢の中の住人だと決めつけてしまう事への罪悪感を彼の良信が許していないというわけでもない。
彼の心がそうさせている・・・、という可愛らしいものでもない。
自分の見たものを信じることができない彼を、自分自身の『魂』が許していない、そんな単純なものだった。
「よくわかんねーけど、明日、学校のやつに聞いてみるか」
いくら生徒会長だからといって本当にすべての生徒の顔や名前を覚えているわけがない。もしかしたら、見逃している人も何人かいるだろう。
これ以上考えていても、その度に自分で自分の事を否定してしまう。
明彦はそっと目を閉じた。
―2―
翌日、2年A組。
ホームルーム中だと言うのにいつもより妙に騒がしく、盛り上がりをみせている。
それもそのはず、昨日転入してくるとされていた大紋 明彦は屋上で寝ていたという話がコーラス部の面々から次から次へと噂されていた。
姿の見えぬ転校生に色々とつい夢見てしまう女の子は、昨日まではいたが、今朝になってからというものその姿を見せず、代わりに、どのくらいの偏差値を持ってくれているのかと、クラス成績下位グループは大はしゃぎで彼の登場を待っていた。
「つーわけで、こいつが転入生の大紋 明彦だ。まぁ、本当は昨日来る予定だったんだけど、頭がいいから屋上でさぼってたそうです。じゃあ大紋、自己紹介よろしく。」
おいおい、随分とハードルを上げてくれたものだ。
先生のウィットに富んだ紹介で多くの生徒は自己紹介に少なからずの期待を抱いてしまっただろう。
それに、加えてプレッシャーを感じさせる存在が一人。
白銀 裏葉だ。よりにもよってやつがいるとは。
昨日、大遅刻をかましたあげく、屋上で居眠りをかまし、何時間に渡り迷惑をかけてしまった。その憂さ晴らしも兼ねて、彼女曰く、存在しないとされる生徒と自分との夢物語をおもしろおかしく話したに違いない。
そう思うと、クラス全体が、期待を込めてニコニコ迎えてくれたのではなく、人の事を小馬鹿にするかの様に、にやにやしているように見え恥ずかしくなってきた。
こういうとき、人間はお決まりかのように緊張という状態にとりつかれる。
話そうと思っていた事は頭から消えていき、どんどんと真っ白になっていき、終いには「ドンマイ」と肩を叩かれ、終いには慰められる結果になるというあれだ。
今、それが第三段階くらいまで突入してきている。
やばい、やばい、何か話さなくては。でないと、最終段階に突入し、自分の頭のボキャブラリーが綺麗に無くなってしまう。
どんどんと頭から消えゆく言葉を何でもいいからとっさに拾い集め、口を開いた。
「ギ、ギタコ」
自分でもなんと言ったのか始めはわからなかったが、周りの様子を見て慌てて気づいた。
先ほどまでにぎやかな雰囲気をみせていたクラスに沈黙が流れる。
やってしまった、やってしまったよ。
自分の自己紹介にもかかわらず、よりによってなんであいつの名前が出てくるんだ。
昨晩、散々ギタコの事について考えていたのだから、彼の頭の最新情報として、彼女の名前が出て来るのは、そう不自然なことではない。
できる事なら昨日の自分に、明日の自己紹介の練習でもしろと喝を入れてやりたい。
頭をかきむしり、後悔するがもう遅かった。
クラス全体にあふれんばかりの笑い声が鳴り響いた。
あるものは机を叩き、あるものは人に指をさし、あるものは・・・?
おかしい。
何かが変だ。
一番ここで笑ってやるべき彼女は、全く笑っていない。
それどこから、無である。
人間は喜怒哀楽の表情がそれぞれあり、それに応じた顔というものがある。その他にも悩んでいる時の顔や、困っているときの顔というものが存在しているのだが、今の彼女の表情は自分が目にしてきたどれでもないものだった。
よほどあきれたのだろうか、それでもそんな顔をして欲しくは無かった。
「おいおい、なんだそりゃ?ギタコってなんだぁ?」
「あの・・・、その・・・」
なんと言えばいいのか、なんと言ったら満足してくれるのか。
ここで、昨日のエピソードを全て話そうか、いや、でもそうしたら・・・。
色々と考えてはみたものの、どうせクラスのやつには裏葉がしゃべっているだろうし、多少なり知らないやつもいるだろうが今更どうなるわけでもない。
それに、ここで話さなかったら、それこそ空気の読めないやつと思われて本当に終わりだろう。
意を決して「実は・・・」と言いかけた途端、
「もうよろしいのではないのですか?」
白銀が席を立つと、明彦の時とは違った様子でクラスが沈黙した。それでも先生と教室の奥の方に座っている金髪の男の子だけはケラケラと笑っていたが、その温度差に数秒経ってから気づく。
「オホン」と咳払いをし、改まる。
「彼の名前は大紋 明彦さんです。さぁ、自己紹介よろしくおねがいします」
「あっ・・・、はい」
彼女の言葉をすんなりと受け取ってしまった。
こういうときに、「何て空気にしてくれたんだ」と言ってやれば、いい雰囲気に戻るのだろうが、余計なことはするなと命令されているかのようで、
「大紋 明彦です。よろしくお願いします。」
と、さらっと挨拶を済ませた。
パラパラと拍手が起きるが、その拍手が溜まらなく身にしみて痛い。
きっと彼らには、勉強にしか興味ないガリ勉野郎のような全くつまらない人間に見えてしまっただろう。
最悪だ、良くもまぁやってくださいました。圧迫させて潰すとは・・・。
彼女だけはやはり敵に回すと面倒なことになりそうだ。
暗い部屋の中に、突然閃光弾を無理矢理ぶち込んできたかのように言葉がはじける。
「ってことだ、見かけ倒しの野郎か?まぁ、緊張してたんだろ。みんな頼んだぞ」
そういうと、さっさと教室を出て行ったしまった。
あの教師はこの雰囲気で何故マイペースで居続けられるのかだろうか。自分が元気ないと生徒も元気がなくなってしまうから・・・、というような気遣いができる素敵教師では間違いなくないだろう。
それでもただ怒鳴ってくるだけの悪そうな担任でなくて良かった。
だが、問題なのはこのクラスの方だ。
先ほど裏葉がしゃべってから、このクラスの生徒は若干一名を覗いてはみんなだまり続け、とても負のオーラが漂っている。何かに怯えているかのようだった。
見えない何かを残し、チャイムと共にホームルームは終わりを告げる。
―3―
「やっぱり、いないか・・・」
昼休み、明彦は屋上で空を見上げていた。
もしかしたら、ここに来ればギタコに会えるんじゃないかと期待してはみたが、やっぱりどこにもいなかった。
昨日は、このすぐ側で一緒に空を見上げていたのだが、今は・・・、
「お前、随分いいとこ知ってんじゃねーか。実にいいよ、うん、いい。」
今朝のホームルーム後からつきまとってくる石神 蒼二がギタコの代わりにいた。
「てか、石神、何で俺と一緒にいるわけ?」
「ちょ、ちょっと待て、なんでなんで。お俺はあの糞恥ずかしい自己紹介で傷ついたお前を必死に慰めようとしてんだろ。そりゃないぜ。それに、石神って、蒼って呼んでくれよ」
慰めてくれる気持ちは充分に感謝したい、だが、触れられたくない事を一々掘り返してくるのは、絶対にわざとだ。こいつがどんなくそ真面目なことを話そうが、このチャラそうな雰囲気をしている限りは誰も信用しないだろう。
それでも、他のクラスの連中といるよりはずっといい。
朝の一件でクラスのやつから浮いたのはもちろんだが、あのクラス全体が黙りこくるという奇妙な光景を見てしまったら何か近づき難いものを感じてしまった。
だから、こういったどこにでもいるようなふざけた野郎といると、何か落ち着くというのも嘘ではない。
「で、ギタコって誰なわけ?女ちゃんですか、女ちゃん?」
「女ちゃんって・・・、言って信じてくれるかどうか」
「信じるぜ、なんせダチ公だからな」
お前は信じてくれるかも知れないが、俺は決して信じない。少なくと『女ちゃん』と言ってる限りでは。
「いつからダチ公になったんだ俺たちは?」
「お前、そこはさらっと流せや。でないと俺もイタい子になるだろーが」
「も?」
「そっ、お前と同じの」
「っつ、あのなー」
「そっちのほーが素か?結構かわいいとこあるじゃん」
不覚にもこいつ相手に恥じらいの顔を見せてしまったが、そういえば昨晩からずっと笑っていなかった気がする。
チャラチャラしているわりには意外と人の事をしっかりと見てくれる良いやつなのかも知れない。そう思うと、ただチャラいだけでふざけた野郎だと決めつけた自分が、とても小さな人間に思えてしまった。
こいつだったら信じてくれるかも知れない。
意を決して「あのな」と言いかけ、石神の方を見ると、自分が買ってきたであろう焼きそばパンを平然と食べていた。それももうほとんど残っていない。
「おまえ、それ・・・」
言い終えるより早く、最後の一口は彼の胃袋の中へと消え去ってしまった。
「いや、これはこれでありだな。」
「ありとか、そんなんじゃねーだろ、あのなぁ・・・」
「なんか随分と訳ありな顔してたからな、話してみ。嘘かどうかはそれから決める」
調子がくるう。
ふざけてるかと思えば途中でまじめになる、まじめになったかと思えば急にふざけだす。彼のギアチェンジの早さをもっと違うところで生かせないのか。
明彦は、一限目の授業で散々怒鳴り散らされていた石神を思い出した。
「そんなまじめになれんなら一限、あんなに怒鳴られなくすんだんじゃねーの?」
「あぁ、64か、あいつは俺に対してすんげー厳しいからな、昨日も大変だったんだぜ」
「昨日のあれはお前か。てか64って?」
昨日、学校中に鳴り響いていた怒鳴り声を明彦も耳にしていた。
「あぁそっか、知らねーのか。絶滅されたとされてる昭和のオヤジみたいにガミガミ叱ってくるだろ、だから昭和最後の年、64年をもじって64。なはは、結構いかしてるだろ」
なるほど、教師がこいつを目の敵にするのがよくわかる。
明彦は教師にすくなからずの同情を感じずにはいられなかった。
「んで」
脱線した話を戻すように石神の態度が改まる。
「ギタコって子のこと、話しみーや」
この感じ、今のこいつなら例え周りが冗談半分に思う内容ても、最後まで信じ聞いてくれるかも知れない。
明彦は昨日の出来事を、洗いざらい話した。
自分がいちごにゅーぎゅーと血を勘違いしたこと
彼女が死んだと思い、絶叫したこと
彼女と一緒に空を見上げたこと
その間、石神は何も言わず黙って聞いてくれていた。むしろ微動だにしなかった。寝てるのかと思い、何度か顔を覗いたがしっかりと目をひらき、こちらが目を向けているのもしっかりとわかっていた。
「・・・ってなわけだ。」
「なるほどな」
意外だった。多少なり馬鹿にして来ると覚悟はしていたが、何もかも本当の事であると考え、そのうえで彼は「なるほど」と言ってくれたかのよう感じられた。
「信じるのか?裏葉はそんなやついないって馬鹿にしてたけど」
「あぁ、あのお嬢様ね。俺があんな堅物と一緒なわけねーだろ」
堅物・・・、思わず「ぷっ」っと吹いてしまった。
あのいかにもお嬢様って感じのしゃべり方や、育ち良いですみたいな態度、まだ知り合って間もないが石神の言っていることはよくわかった。
「それで、お前はどう思った?」
「そんなん決まってるだろ?」
「えっ」
今の内容を聞いただけで全てわかったというのか。何故、存在しないとされる生徒がこの学校に存在しているのかということに。
どうせ幽霊だとか、やっぱり夢だったとかそういった事を適当に言って済ませようとしているに決まっている・・・。
それでも彼の次に発する言葉に対して、明彦は期待せずにはいられなかった。
ツバを飲み込み、息を殺してそっと待った。
そして、満を持して彼はその口を開く。
「そんなもん、恋に決まってんだろ」
「・・・」
確かに期待は裏切らなかった。
ただ、予想を大きく上回る回答は決して正解なわけがない。
「だって、そのギタコって子が捨てた紙パックを大事にもってんだろ?そりゃーもう恋以外のなんでもねーだろ。熱いねー、青春してるねー」
完全に間違いだった。何をこいつに期待したのだろうか。
数分前の自分は大馬鹿野郎だ、完全に糞野郎だ。
・・・。
でも、結局はこんなものだろう。
それでも、よくつきあってくれたものだ。
証拠は自分の頭の中と、この紙パック。
信じる方がどうかしている・・・。
それでも信じて欲しかった。
もういい、もういいと自棄になり、明彦はふてくされて屋上を後にしようとしたが、「ちょい待ち」と石神が止めに入る。
「なんだよ、まだ馬鹿にすんのか?」
「違う、違う」
明彦をなだめると、石神は急にコンクリートの地面の上にうつぶせになり出した。
人を馬鹿にしておいて、その上呼び止めておいてこいつは一体何をしているんだ、そう怒りを感じたのもつかの間、
「まんざら嘘でもなさそーだな」
「はっ?」
「ここに、そのいちごにゅーぎゅーがこぼれてたんだろ。今、ここのにおい嗅いでみたけどまだ甘い香りが少し残ってる。」
明彦は言われるがままに、においを嗅いだがなんのにおいも感じられなかった。
性懲りもなくまたからかってるのか、明彦は拳を握りしめた。
「お前、いい加減にしろよ」
「いる」
明彦の怒り何て知ったことではないと言わんばかりに、強く言い放った。
「間違いなくにおいはする。それに、あのお嬢様に何言われたが知らんけど、お前、全校生徒確認したのか?あいつの言ってること鵜呑みにして、嘘とか勝手に決めつけてるのか?」
「違う、嘘だなんて言ってないし、決めつけてない」
明彦も、知らず知らずのうちに熱くなり、ついムキになってしまった。
先ほどまで真剣な顔をしていた石神は急ににこっと笑顔を取り戻した。まるで明彦のその言葉を待っていたかのように。
「なら、やることはわかんだろ?どーせ頭悪いんだ、賢いこととかあんま考えんなよ」
「そうだな」
そうだ、裏葉が言うようにもしかしたら本当に存在していないかもしれない。会長であればこの学校の全生徒を把握しているかも知れない。
でも、例えそうだとしても、それは自分の目で見て確認したものではない。
自分で目で見たものを信じているのならば、自分の目で見ていないものを信じ決めつけるなんて馬鹿だ、大馬鹿のやることだ。
この学校に生徒が何千人いるなんて知ったことではない。探していればきっと見つかるかもしれない。今はそう信じよう。
「サンキューな石神」
「随分丸くなった、それに石神じゃなくて蒼って呼べっていっただろ。なんか心外だわー」
「はいはい、わかりましたよ。蒼」
別にギタコが見つかったわけでもない。
それでも、彼女の存在を信じてくれた、自分を信じてくれたやつがこの学校にいてくれて良かった。