第1章 クロス・ビフォア
第一章 クロス・ビフォア
―1―
桜の花がまだ美しいピンクを色褪せていない、四月。東京都都立第7学園では始業式と共に新学年、新学期が始まってからおよそ1週間が経とうとしていた。
校門をくぐり登校してくる二、三年生には少し大人びた様子が見られ、一年生は高校生を思わせる雰囲気を醸し出してはいるものの、ぎこちない様子であり、中学4年生と言ったところだ。
そんな若葉マークをつけている彼らを校門の内で待ち受けているのは、手厚い歓迎ではなく、部活動の手強い勧誘だ。「君、絶対バスケ部に向いてるよ」だとか、「ウチの部活は楽しいよ」という何の根拠もない言葉を並べて、とりあえず新入部員をかき集めている。戦力になるとか、そういったことも考えてはいるが、結局の所『雑用』が欲しいのだろう。それを証拠に、全く運動ができなさそうな理科系の子をラグビー部の大男達が取り囲んでいる。
「おまぇ、当然ラグビー部はいるよなぁ?」
理科系の彼に選択肢などあろうか、断ろうものなら彼の描くスクールライフなどこの瞬間、木っ端みじんに砕かれるだろう。
YESもNOも言えない彼を見かねてか
「ちょっとぉー、そこまでですよぉーーー!」
メガホンを持ち一人の女の子が彼らの中に割って入ってきた。
「なぁにやっちゃってんですかぁ、現行犯ですよぉ?」
「あんだぁ。俺らはこいつがラグビーやりたいってから相談にのってやってんだぞ」
「どうにもそうは見えないんですけどねぇ、そちらの彼、どうなんですかぁ?」
理科系の男の子は全力で首を横に振っている。
彼女たちのやりとりが気になったか、いつの間にか周りをギャラリーが取り囲んでいた。
「あぁん、おめーどういうつもりだぁ?ラグビーやりてぇんだろ?」
たぶん一人くらい殺っている、にらみをきかす彼の顔は極悪非道まさにそのものだ。
「僕は・・・、僕は・・・。」
この場合の最善策を今必死に考えてはいるが、ピタゴラスの定理を使っても答えはでなかった。
そんなうじうじしている彼にしびれを切らしたのか、とうとう怒りが爆発した。
「男がぁ、うじうじしてんじゃねぇー!」
勧誘をしている生徒の手は止まり、登校し仲良く話していた生徒達の声は止み、教室のドアからは生徒達が顔を出し始めた。
声を張り上げた者の近くにいた生徒達は驚きを隠せない。
『助けに入ったあんたが、なにゆーてんねん』
誰もが心の中で静かにつっこみをを入れた。そして、先ほどまでの可愛らしい言葉使いとのギャップに困惑した者が大多数と、そのギャップに萌えてしまったマイノリティーも少なからずいた。
そんな周りの目をよそに、彼女の言葉は続く。
「てめーの体ん中にも精子がうろちょろしとんなら、はっきりせーやぁ!」
多くの生徒に熱くなるような気持ちが芽生えたと共に、何か残念な気持ちまで芽生えてしまった。
言ってやったといわんばかりのどや顔を披露するも、周りの異様な雰囲気を察し、やっと我に帰った。急に恥じらいを見せ、もじもじし、「てへっ」とはにかんで見せるも過ぎ去った時間は帰っては来ない。
「てか、あの腕章・・・、副会長じゃない?」
突然気づいたかのように、周りのギャラリー達が騒ぎ始めた。
「本当だ。確か佐伯 春亜先輩じゃなかたっけ?」
「そいうえば、入学式に司会進行してくれてた人だよね」
「そうそう、結構かわいい人だと思ってたんだけどなぁ、なんかショック」
「確かに、あんなワード大声で叫ぶとか信じらんないよね」
崩れ去り、後悔の念にうちひしがれている彼女に追い打ちをかけるように、グサグサと胸にきつい言葉が刺さっていく。もう、見ている方が心が痛い。
そんな悲惨な光景を見るに堪えなくなったギャラリーも早々に退散し、ラグビー部の部員達も「悪かったな」と彼女を慰め去っていった。理科系の彼はというとすでにその場に姿はなく、どうやら彼女が熱弁し、自分の世界に入っているうちにこっそりと逃げていったようだ。
報われない。だが、一応はその責務を果たしたと言っていいだろう。
腕に巻かれた「副会長」の腕章が誇らしげに光っていた。
―2―
「えぇ、わかっていますわ。」
かなり高級感のあるソファーの上で女性がちょこんと座り、電話で対応をしている。
黄金色に光るきれいな髪、透き通るような白い肌、モデルを思わせるきれいな体のライン。神様のいたずらが生み出した喜劇の産物としか思えないほど美しい。
「まだ、確認はしていませんが、必ず・・・・」
そんな美女は何か焦っているようで、近くに置いてある懐中電灯を何度もこづいている。どこに出もあるようなその懐中電灯の存在はこの部屋の中で一番の異彩を放つ。
都立第七学園、生徒会室。
先ほどの高級ソファーに加え、高そうな絨毯、よくわからないがどこかのすごい画家が描いたと思われる絵画、これを使うだけで何十倍も紅茶が美味しく頂けるであろうティーポットなど、生徒会室というよりかは一晩で何十、何百万とする極上のスイートルームだ。
都立第七学園は日本を代表する大財閥、通称「モノクロ財閥」の「モノ」の方である「白銀財閥」が管理している学校である。そして、
「わかっておりますわ。この白銀 裏葉がなんとしてでも・・・・」
彼女は白銀財閥のご令嬢であり、この学校の生徒会長である。この部屋一室を私物化するのなど誰の断りも無く行えるし、何を置いたとしても誰も文句を言えない。事実上、彼女は教師を差し置きこの学園のトップに君臨しているのだ。
「では、ごきげんよう。」
長い通話に疲れたのか、どっとため息をつき、ソファーに横になった。
白銀財閥のご令嬢と言えどまだ高校生だ。彼女がこれから白銀の名を継ぐとしても、今は一人の学生としてスクールライフを満喫したいと思うだろう。そんな彼女の気持ちなどお構いなしに毎日電話がかかってきたり、社交辞令でお偉いさん方の所へ出向いたり、この時期から将来の殿方を紹介されたりと多忙な日々を送っている。
外から聞こえる騒がしい声にも耳もくれず、そっと目を閉じるが、また携帯電話は鳴り出し彼女を休ませてはくれない。
「はぁ、しつこいわね。少しは休ませなさいよ・・・」
先ほどの丁寧な言葉使いとは違い、ちょっとふてくされていてがさつだ。さすがに二十四時間ご令嬢を演じているわけもなく、合間合間で普通の女の子に戻っている。
そんな女の子に戻ったのもつかの間、着信先の表示を見た途端急に目つきが変わった。それは、先ほどの白銀財閥のご令嬢という顔ではない。
「もしもし、裏葉だけど何かわかった?・・・・・、ちょっと待って」
テーブルの上に綺麗に積み重なっている資料をおかまいなしに次から次へとかき分け、茶色い封筒を掴みだした。
茶色い封筒の中には『転入手続き』の書類が入っていた。
「・・・・うん・・・・、こいつが?」
彼女は転校手続きを隅々まで見渡す、氏名、生年月日、住所など、だが特に変わった点などない。強いて言えば、顔写真欄の所に張ってある写真が少し風変わりなだけだ。
「まじでいってんの?まぁ、可能性が0%ってわけじゃないけど」
真剣であった顔は少し緩み、転入手続きの写真をみる彼女の顔は得たいの知れないものを見るかのようであった。
その後数分間、何度も転入手続きを見ては首をかしげたり、写真に写っている人を罵倒したりなど普通の女の子に戻っていた。
「はい、はい。了解したわよ」
電話が終わり、高そうなティーポッドで紅茶を入れ始めると生徒会室には気品あふれる香りが漂い始めた。そして戸棚からクッキーを取り出すとまだ口にしてもいないのに笑みがこぼれ始めた。
「これこれ、メルへーヴェルのクッキー。これだけは、白銀に生まれたことに感謝しないといけませんわぁ」
これ以上ないくらいの笑みを浮かべ、クッキーの包みを丁寧に開き、缶の蓋を開けると、実に美味しそうなクッキー達が出迎えてくれた。
たくさんの種類のあるクッキーを眺め、どれをいただこうかと手を迷わせる、もしかしたら、食べる以上にこの瞬間の方が至福の時なのかもしれない。
やっとの思いでクッキーを一つ選び出し、そのまま一直線に口の中へ運ぼうとしたが、今度は生徒会室に備え付けられた固定電話がなりだした。
「ん、もぉーーー。」
頭をくしゃくしゃかき、名残惜しそうにクッキーから目を離し、受話器を取り上げた。
「ごきげんよう。こちらは都立第七学園、生徒会室でございますが。」
丁寧に挨拶すると、相手は受話器からだだ漏れになるくらい大きな声を出しているが、声が大きすぎて何を言っているのかわからない。
「っつ、何なのこいつ。」
キーンとなる耳から受話器を定規一本分くらい遠のけ、ぼそっとつぶやくように愚痴をこぼした。
「もしもし、もう少し声の大きさを抑えて頂けないでしょうか?」
「あっ、すいません」
まだ、声は大きいものの先ほどよりかはだいぶましになり、何とか会話も成立できる大きさにはなっていたが、それでも受話器と耳の距離とはそこまで縮まらなかった。
「それで、どちら様ですか?」
「はい、大紋 明彦と申しますが・・・」
「大紋?」
聞き覚えのない名前だったらしく、少し困惑している。
ふと思い出すかのように彼女は受話器を寝かせ、先ほどの転入手続きの書類を手にとり、名前を確認した。そこには間違いなく「大紋 明彦」と書かれていた。
彼女が転入手続きを確認している間ずっと何かしゃべっていたようだが、そんなもの耳に入る様子もない。
再び、受話器を耳に当てる。
「今日転入なさってこられる、大紋 明彦さんですね。ごきげんよう。」
「ごきげんよう?あぁ、おほはようございますね。それよりちょっと緊急事態が生じまして・・・。」
「緊急事態?」
先ほどまでの大きな声もトーンダウンして、その神妙さを伺わせている。そういえば、先ほどの声もあのように大きかったのは、焦っていたのではないか。それまであきれ半分な対応を見せていた彼女の雰囲気も妙に変わった。
「それで、どうしたんですか?」
「実は・・・」
中々しゃべろうとしない電話の向こうがわの相手に不信感を抱き始め、
「早く・・・、言え・・・・。」
と、凍り付くような声で一言浴びせた。
この声を聞いた途端、電話の向こう側から見えない恐怖を感じ始め彼は、観念したかのように「すいません」と詫びを入れ、白状した。
「実は、本日お寝坊の方をさせていただきまして、貴方様の素晴らしきお学校に登校するのが遅れいたしてしまう所存にございます。」
「???」
本当に悪いと思ったのか、彼女の恐怖に怯えたのか、精一杯の敬意を払って言葉を選んだつもりだったが、なれない言葉を使ったせいで全くおかしなものになっていた。
「要するに、寝坊で遅刻ですね?」
「はぃ・・・・。」
彼の長ったらしい言い訳と要件をたった二言で済ませ、彼の返答を聞くと、体全体の気が緩みはじめた。
「それくらいの事でわざわざ緊急事態って・・・、まぁ、いいですけど」
「ごめんなさい。」
「とにかく、登校した際は速やかに4階にある生徒会室までお越しくださいね。くれぐれも寄り道などせずに」
「はい、必ず・・・」
強く念を押すと受話器を置いた。
先ほど入れた紅茶はちょうどいいくらいに冷めており、その温度の変わりようが彼女の忙しさを伺わせていた。
今日は朝から散々な一日だ。電話は来るは、転入生は遅刻するは、クッキーは食べそびるはで。だが、もう彼女の邪魔をするものは何もない。電話のコードは抜いたし、携帯の電話は切った。念には念をいれて、生徒会室の鍵もかけた。
彼女の優雅な一時を邪魔する者は誰もいない。
「ごめんなさいね、メルヘーヴェルちゃん。もう、邪魔する者はいないわ」
先ほど口へ運ぼうとしていたクッキーを摘みだし、口の中へ入れた。
「んーーーーん」
他に何か感想とかは無いのだろうかと言わんばかりの食レポではあるが、この上なく美味しいという事は伝わってくる。
「さて、もう一つ・・・」
缶の中からもう一つ、クッキーを頂こうかと手を伸ばした時、突然、鍵をかけてあるはずの生徒会室のドアが開き、それと同時に一人の女の子が流れ込んできた。
「裏葉ぁーーーーーー」
「春亜、ピッキングしないでっていってるでしょう」
突然、有無を言わさず白銀に飛びついてくる彼女に驚きもせず、よしよしといってなだめた。
泣きやむやいなや、メルヘーヴェルのクッキーに手を出そうとするが、「何をどさくさに紛れて」と手を掴まれ死守されてしまった。
「で、春亜。今度は何やらかした?」
「あのねぇ、男の子助けようとしたらぁ・・・・・」
「もう言わんでいい」
きっとしゃべった途端に泣き出してしまうだろう。それに、先ほどの外が騒がしかったのと関係があるそぶりを見せているので、ゆっくりと聞き出すように話を進めていった。
案の定、彼女が飛び込んできた理由は、この生徒会室にも届いてきた、朝にふさわしくないワードの件であった。
確かに、女としては失態ではあったが、生徒会の一員としては良くやったと言葉をかけてあげると、納得したかのようにケロッとした表情を見せ白銀の飲んでいた紅茶をすすり始めた。
「ったく、春亜は黙っていればいい女なんだから」
「でもさぁ、なんかぁ、見ててうじうじしちゃってさぁ。ところでぇ、昨日の見合いはどうだったのぉ?」
何かおもしろいネタでも話してくれるのかと期待して白銀の顔をうかがった。
「見合いって、別にそんなんじゃないけど」
「お嬢様はお目が高いのねぇ。私なら則OKだったけどぉ」
「じゃぁ、あんたが私の代わりにどう?」
そういうと、転入手続きの書類を春亜に渡した。それを見るやいなや「ゲッ」とした表情を浮かべる。
「何これぇ?」
「今日の見合い相手よ」
「まじぃ?趣味悪ぅー。どこのボンボンなわけぇー?」
「どっかの田舎からくるんだって。まぁ、土地だけはたくさん持ってそうね」
「うぇ、土地ってぇ・・・、つかぁ、こいつ転入してくるやつねぇ」
「そーいうこと」
何ら興味を示さなくなったその書類を白銀に突き返した隙に、クッキーを一枚こっそりと頂戴した。それを口に入れると「ごちそうさま」とかわいく笑って見せたが白銀は許すわけでもなく、彼女の首根っこを掴み、
「こらぁ、春亜!観念しなさーい」
とすごみ、手を肩に回し、拳をふるわせた。絶体絶命、弱い十六歳にして春亜はこの世を去るを覚悟した。
しかし、そんなびくびくする春亜を救うかのように校内にはチャイムが鳴り響く。
「あら、もうこんな時間?」
白銀が時計を確認する一瞬の隙をついて、春亜は彼女の手を払い、
「生徒会が遅刻なんてぇ、しゃれにならないでしょぉ?」
というと、一目散に生徒会室を出て行った。
「ったく、あの子は・・・」
迷惑がる一方で、うれしそうな顔をする今の彼女が本当の白銀 裏葉なのだろう。
―3―
「はぁ、はぁ、はぁ・・・」
息をきらし、必死に走る少年が一人。番長を思わせるような風貌を見る限り、どうやら高校生くらいの子であろう。だが、時刻は十時を回りどこの学校もとっくにホームルームは終わり、1限目の受業がとっくに始まっている。
「やっちまった、初っ端からやっちまった。」
大抵の人間はここで、「間に合わないなら、いつ行っても一緒だろう」とだらだら歩いているが、完全に遅刻とわかっていながらも、必死に走るその姿は見上げたものではある。だからといって彼が偉いと言える訳ではない。そもそも、遅刻するのが悪いのだから。
「てか転入初日から遅刻とか、マジ終わってんだろ。ったく・・・、でも、案外こっちの方がかっこいいかも、もしかしたら・・・・」
何を期待しているのかぶつぶつとぼやくが、どうせこの後に待つのは、教師からの説教と転入生に興味津々なクラスメイトからの質問攻めだろう。
しかし、まだ四月に入ったばかりと言うのに転入とは珍しいものだ。本来であれば新学期と同時に新しい学校へと転入するのがほとんどであるのだが、そのあたりはきっと親の急な都合でもあるのだろう。
走り続ける彼の前には次第に大きな学校が見えてきた。普通の学校よりも数倍と行ってもいいくらい大きく、遠くからでもすぐに目についた。この学校に来るのに地図などは必要ないだろう。
「でぇけー・・・」
これ以外の言葉は見つからない。彼は今、自分が遅刻をしている身分だということを完全に忘れ、一観光客として足を止めていた。
以前彼が通っていたのはど田舎の学校であり、この学校と比べることすら恥ずかしいくらいの小さな校舎であった。この校舎が物珍しく見えても不思議ではない。
「今日から、ここでお世話になんのか・・・」
初めてくぐる校門の前で丁寧に一礼をし、男としての心得がどうだとかぶつぶつ言終えると、その第一歩目を踏み出した。
校門の中は外観以上の世界が広がっており、何クラスあるのかと思われる校舎はもちろん、食堂を思わせないレストランや、多数の機器がそろっているスポーツジムなど、これを学校と定義するにはいささか疑問が残るほどのものだ。
そんな新世界を目にした彼は、攻略法もわからず隠しダンジョンに突入してしまった愚かな勇者様のようだった。
「4階の生徒会室に直で来いっていってたけど・・・、まず、入口はどこだ?」
先ほど手に入れた「キーアイテム」も使い方がわからなければ何の意味もないガラクタだ。
彷徨うように校内を歩いているが入口が見つかる様子もなく、また、人っ子一人いない。どこのクラスも授業の真っ最中なのだからしょうがない。
「なんだよここ、てか、誰もいねぇー」
ただでさえ遅刻しているのに、これ以上遅くなってはならないと彼は、焦り始めていた。それは、人間としての彼の良心がそうさせているのではなく、先ほどの電話の向う側の相手に対する恐怖心が彼を動かしているのだ。
しかし、そんな焦りはどんどんと彼を追いつめていく。
「たいていの学校はまず、入ってすぐの所に昇降口があるのが普通だが、ここは普通じゃないから・・・・。」
いや、考えるのはよそう。今の精神状態ではろくな考えは生まれてこない。
「こういう時こそ、『ドント スィンク ヒール』だ。考えるな、えーと・・・、ヒールだから、悪役?そうか、考えるんじゃなくて悪者になれってことか」
こういう時、頭のいい人間が勝ち組になれるというのがよくわかる。
とにかく彼は、悪役、つまり不審者の気持ちになって侵入ゲートを探し始めようとしたが、
「いてっ。」
突然、彼の頭に何かが降ってきた。地に落ちたものを拾い上げるとそれは飲み物のパックで、『いちごにゅーぎゅー』と書かれている。
「どこのどいつかしらんが、ふざけた真似しやがって・・・」
どこもかしこも授業中、おそらくは屋上から投げられたものだろう。授業をさぼり人に紙パックをぶつけるなどいい度胸だ。彼の頭からは生徒会室に行く選択肢は無くなり、代わりに屋上へ行き、一発殴るという選択肢以外残らなかった。
ともかく、まずは学校に入らなければならない。やはり、校門を入ってすぐの所に昇降口があるのが鉄板だと考え、もう一度校門に戻ったが、結果は先ほどと変わらなかった。
しかし首をかしげていると、突然校舎の一部が開き始め、中からは杖をついたおじいちゃんが出てきた。
「嘘ぉーーー」
よく見ると壁だと思っていたところは馬鹿でかいドアになっていた。さすが校舎がでかいところだけある。 感心しつつもとにかく猛ダッシュで校舎内に突入した。
校舎の中は良く手入れが行き届いており、ちょっとしたほこりなどは見られるものの、目立ったゴミなど一つとして落ちていない。
「ここ・・・、本当に学校か?」
もしかしたら自分が通う学校はここでは無いのかと疑っては見るが、所々に張ってある生徒会だよりんには「都立第7学園」とかかれている。
昇降口からすぐの階段をのぼり始めるとすぐに怒鳴り声が聞こえてきたが、そんな事よりも彼の頭にはまず屋上にいくこと以外考えられなかった。
やっとの思いで3階までたどり着くと、その先に信じられない光景が彼を待ち受けていた。
「まじかよ・・・、これ血じゃねーか?」
階段には明らかに血と思われるものが点々と垂れていた。それもちょっとといえる量じゃない。一段一段確認していくと、たまに地溜まりみたいな大きなものもあり、出血したというよりも、もう流血に近い状態だ。なんでこんなところに血が、階段を上っていくたびにだんだん不気味になっていった。
その時、最悪な結末が彼の脳裏をよぎる。
「まさか・・・自殺?」
先ほど投げられた紙パックは『最後の晩餐』、この血は『リストカットの後』、そして、誰にも気づかれない授業中を選んだという『秘密性』。彼は確信した。
今、屋上にいる子は自殺する!
「ふざけんな、ふざけんなよ」
とにかく彼は今あるだけの力を振り絞り、全力で階段を駆け上がった。途中で通り過ぎた4階、生徒会室あるフロアなど見向きもせずにとにかく屋上を目指した。
先ほどから走り続けているのもあるが、異常なくらいの汗が体から吹き出ており、制服の上着にもその汗の後がじわりと現れている。
「はぁ、はぁ、はぁ」
足が重くなり、乳酸がたまってきているのがよくわかる。心臓の鼓動もいつもの何倍も早く聞こえ、肺が締め付けられるように痛い。
「はぁ、はぁ、はぁ、待ってろよ、今この瞬間が生きてるってことをわからせてやるまで、死ぬんじゃねーぞ。」
今、自分の手に一人の人間の命がゆだねられている、もしかしたら命を救うことができるかも知れない。それだけを信じ、屋上まで駆け上がった。
屋上の扉に手をかけ、屋外に出ようとしたとき、ふと彼の手は止まる。
「びびってんのか・・・、俺」
もし、扉を開き間に合っていなかったら、自分はこの先一生後悔することになる、それ以前にこの学校にあれこれと夢見た新生活など消え去ってしまうだろう。
だが、今はそんなことどーでもいい。目の前に現実から逃げてはいけない。
勇気を振り絞り、ドアを開く。
そこには雲一つ無い青空としゃがみ込むピンクの髪をした女の子
そして、・・・赤い色をした液溜まりがあった。