第8話
──王城の最深部
陽の光さえ届かぬ一室で、この国の主であるアウドゥニ国王は冷酷に言い放った。
「……王家の権威に泥を塗った挙げ句、あろうことかあの忌々しいエルヴァン侯爵の娘に冤罪をふっ掛けただと…それに最上級の呪毒まで勝手に持ち出して、それで殺せなかったというのか……」
「も、申し訳ありません…お父様…」
「それに、近衛騎士や衛兵にまで多数の怪我を負わせ、王城から無罪放免で取り逃がし、挙げ句の果てに、エルヴァン侯爵に身柄を確保され、反撃のチャンスまで与えるとは、愚かな」
その目の前で、サリエラ第三王女は青ざめた顔で震えていた。
取り巻きの一人リュシテル伯爵子息は、失禁の跡も生々しく床に伏している。
「お、お父様……。あ、あれはエリスが、化け物になって……!」
「黙れ。目撃した衛兵たちの口は封じたが、目撃者が多過ぎる王家の醜聞は免れぬ。それに、お前も知っているとおり、エルヴァン侯爵は貴族派の筆頭だ!奴の派閥に動かれては、王家も無事ではすまぬわ!」
アウドゥニ王は、椅子にもたれ掛かり、虚空を見つめ煙管に火をつけた。白煙の揺らぎを見つめ虚空に漂う白煙に息を強く吹き掛け、煙を霧散させた。
「今ならまだ間に合うかもしれん。王家の暗部と暗殺部隊を貸してやる。直ちに『掃除』をしろ。侯爵家丸ごと、この世から消し去るのだ。証拠は一切残すな」
王の冷徹な眼光に、サリエラ第三王女は歪んだ歓喜の笑みを浮かべた。
「……ええ、お父様。今度こそ、あの目障りな雑草を根絶やしにしてみせますわ」
──エルヴァン侯爵邸の湯殿では、温かな湯気が立ち込めていた。
エリスの専属侍女であるキルムと、母の専属侍女のシャーリーは、エリスの身体を壊れ物を扱うように丁寧に、優しく、こびりついた血を洗い流しながら、堪えきれずに涙を溢れさせていた。
「お嬢様……。この、酷い痣は……。あんなに白くて綺麗だったお肌が、こんなに……っ」
エリスの背中や腕には、王女とその取り巻きから受けた凄惨な暴行の痕が、生々しく残っていた。
「それに、夫人とお揃いの艶やかなダークブラウンの髪色も……」
エリスは鏡に映る自分の傷を静かに見つめ、キルムとシャーリーの手を寄せ自分の手を重ねた。
「いいのよ、キルムもシャーリーも。この傷は、私が生き延びた証。もう痛みは感じないわ。この白銀の髪はこれはこれで気に入ってるのよ」
(……エリシーラ。この傷の数だけ、奴らに報いを受けさせねばならん)
(ええ、そうねアスレン。でも今は、このお湯の温もりを感じていたいの。何だか今を生きてるって感じがして嬉しいの)
湯殿を出た後、エリスをキャサリンの所へ送り届け、キルムとシャーリーは震える足取りで侯爵夫妻の元へ向かった。
そして、エリスの全身に残された無数の痣と、皮膚が削げ落ち手首と足首に這う、イバラの棘のような裂傷の跡を、嗚咽と共に報告した。
「本当に辛いのはエリスなのに……私は…自分の事しか……」
泣き崩れるテレモア……シャーリーがそっと寄り添い、ソファーへ連れて行った。
「……な、なんという、ことだ……!」
エルヴァン侯爵は、愛娘に振るわれた暴力の凄まじさに、握りしめた拳から血を滴らせた。
「我が娘を……王家の玩具のように扱い、あまつさえ殺そうとしたのか。王家への忠誠など、もはや塵に等しい。……妻よ。私は、この命を賭してエリスを、そしてこの家を護る覚悟だ」
夫人テリモアもまた、ハンカチで涙を拭い、決意に満ちた瞳で頷いた。
診察を終えたエリスは、キルムを連れて重い足取りで廊下を進み、幾度も深いため息をつきながら、執務室に着いた。
覚悟を決め、重厚な扉をノックし声を掛け室内に入った。そこには両親と家令、弁護人とシャーリーの五人が待っていた。
「お待たせして申し訳ありません」
「エリスは此方に座ってくれ」
気が滅入っていた私は言われるまま座った。
両親が弁護人と王城での出来事を話し合っている。その横で家令が三人の話しを聞きながら羽ペンを走らせていた。
時折弁護人の質問に答え、私の口から補足と加害者や園遊会に参加していた貴族家の家名を告げていく。
それを聴き家令が名簿を書き連ねる…。
まるで尋問のような遣り取りに、今日何度目になるか分からない溜め息が溢れる。
(……私が加害者みたいな気分ね。何だか、もう、疲れたわ……)
話し合いも終わり、キルムと共に自室へ戻った私は、疲れ果てベッドに転がりそのまま眠りに落ちた…
(ゆっくりおやすみ…愛しのエリシーラ…気分が晴れるように、魔力に溺れて眠れ…)
「お前…エリスは、どうした」
「あなた、エリスなら疲れて部屋で寝ているわ」
「そうか、お昼も食堂に顔を出さなかったな。相当疲れていたんだな」
「そうね、でも、もう直に晩餐の時間よ。そろそろ、起こしておきましょうか。シャーリーお願いね」
「分かりました。奥様」
侯爵邸の食堂には、どこか取り繕った空気のなか、久しぶりに家族三人の笑い声が響いていた。
テーブルにはエリスの好物が並び、柔らかな燭台の火が家族の顔を優しく照らしている。
「エリス、これはお前の好きな鴨のローストだよ」
「ありがとう、お父様。……ふふ、お家の料理は、こんなに美味しいのね」
エリスは幸せそうに微笑んだ。その明るさは、昼間の寂しげな姿が嘘のようだった。
(……ねえ、アスレン。前世のエリシーラだった時、私はこんな風に家族と笑い合うことができなかった。失って初めて、この温かさがどれほど尊いものか分かったわ)
(ああ。……お前のその笑顔を護るためなら、俺はこの世界を灰にしても構わない)
(ありがとう。貴方の魂に包まれて、ゆっくりと休めたわ…。それに、貴方に包まれていたお陰で、気分も楽になったわ)
「エリス、体の方は本当に大丈夫なの?」
母テレモアの心配そうな声に、エリスは燭台を眺め、子供の頃に両親に挟まれて無邪気に笑い合う家族を思い出しながら応えた。
「大丈夫よ、お母様。私、今が一番幸せだわ…。お父様とお母様がいて、キルムやシャーリーたちがいて……私を愛してくれる人たちが、……こんなにたくさんいるんですもの……」
エリスの瞳は、過去の幻影を見るような儚げな瞳で虚空を眺めていた。それに気づかない父プレイドは満足げに頷き、静かにグラスを掲げた。
それに気づいたのは、母テレモアとシャーリー、キルムの三人だけだった。寂しげな瞳はあまりに冷たく、陽光を浴びた雪の結晶が溶けるように、今にも消えて無くなりそうだった…
(エリス……)
((お嬢様……))
「明日からは、新しい戦いが始まる。だが今夜だけは、ただの家族として過ごそう。……我が娘エリス、お前の帰還に乾杯を」
「「乾杯」」
グラスの触れ合う清らかな音が、静かな夜の部屋に響く。それは、あまりにも脆く、あまりにも美しい、最後の安らぎの時間だった。
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