第2話
いつの間にか、私は漆黒の虚無が広がる不可思議な空間に立っていた。
「ここは……」
地平線まで何もないその場所には、太陽さえ存在しない。
ただ、空間そのものが生きているかのように脈動し、静かな漆黒の波動が、私の肌を優しく、かつ逃れようもなく撫で回していた。
「死後の世界……私、死んだの…」
独り言が、どこまでも広がる闇の深淵に吸い込まれ、波紋一つ立てずに消えていく。
背後に気配を感じて振り返った私は、言葉を失った。
そこにいたのは、漆黒の翼を背負い、夜の深淵を紡いだような黒髪をなびかせる、男性が佇んでいた。
彼の瞳は、銀河の最奥を覗き込んだかのように底知れず、彼が吐き出す吐息さえもが凍てついた闇の香りを纏っている。
「あ、貴方は……」
「俺を呼んだのは、お前か」
彼の声は、鼓膜を震わせるのではなく、私の魂の芯に直接響き渡った。
「い、いいえ…私も突然ここへ……」
「そうか。何故お前はここへ?」
私は、ぽつりぽつりと自分の身に起こった出来事を語り聞かせた。
まるで他人事のように。呪毒を無理やり飲まされた自分が、何故かここにいることを、名も知らぬ彼にすべて話した。
「……そうか。恨みはしないのか?」
「死ぬほど悔しい… 力さえあれば…」
私の心の叫びが虚無を震わせた瞬間、彼の背負う漆黒の翼が、共鳴するように大きく打ち振るわれた。
心が黒い憎しみに塗りつぶされる瞬間、内側から熱い何かが膨れ上がる感覚を覚え、私の魂がこの超常の存在に感応していく。
初めて会ったはずなのに、彼のことを以前から知っているような、血の奥底に刻まれた記憶を呼び覚まされるような不思議な感覚。
私は胸に手を当て、激しい動悸を鎮めようとした。
その時、私のダークブラウンの髪色が、毛先から凍てつくような白銀に染まり始めた。
闇を切り裂く鋭い光を放ちながら、瞬く間にすべてが純白の銀髪へと変貌を遂げる。
「……お前は……」
「えっ、 髪が… な、なんで…」
あまりの出来事に戸惑う私の肩を、彼の冷たくも確かな熱を持った手が抱き寄せた。
彼は私の一房の髪を慈しむように手に取り、静かに口づけをする。
驚きのあまり言葉を失う私の眼前で、彼の深淵のような瞳から、一筋の涙が頬を伝い、顎先から零れ落ちた。
その涙が、私の足元の虚無に触れた瞬間
──パリ────ン
世界の均衡が崩れるような澄んだ音が響き渡った。
魂の芯が熱く溶け、別の形に鋳直されるような激痛。
脳裏を駆け巡るのは、今世の記憶ではない。見たこともない風景、交わしたはずの遠い約束…
そして…目の前の彼と共に歩んだ悠久の時。これまでの人生を上書きするように流れ込んできた。
魂の上書きに伴う全能感と痛みに耐え、私はすべてを理解した。
……落ち着きを取り戻したとき、私は前世の記憶をすべて取り戻していた。
視界は晴れ渡り、漆黒の空間さえもが美しく澄み渡るようだ。
目の前にいる彼のことを、私は知っている。その呼び名も、その孤独も、その愛の深さも…
途端に目頭が熱くなり、涙が溢れ出した。
私は、はにかみながら微笑み…
「おかえり……」と一言呟いて、彼の胸に飛び込んだ。
抱きしめられながら、二度と会えないと悲しみの果て諦念の末に彼の後を追って逝った…再び出会えた奇跡を噛み締める。
嬉しくて、切なくて、もう一秒たりとも離れたくなかった。
「貴方とはもう出会うことはないと諦めていたわ。巡り巡って再び出会えた。ねぇ、アスレン」
「……やはりお前は、エリシーラの生まれ変わりか」
彼が私の名を呼ぶ声は、千年の孤独を耐え抜いた歓喜に満ち溢れた祈りのようだった。
「まだ、私のことを愛してる?」
「ああ、お前のことを未来永劫愛してる」
その誓いが発せられた瞬間、私たちの周囲を漂っていた漆黒の波動が、祝福するかのように、燐光が煌いた。
吸い込まれるように見つめ、浮かぶ燐光に手を伸ばした…手の平で泡のように消えていく「綺麗…」と私は呟いた。そして、彼を再び見つめる。
「嬉しいわ。でも、なぜ私たちがここで出会ったのかしら」
「分からない…俺は、あれ以来ずっとこの冥府の間を漂っていた。突然、エリシーラに呼ばれた気がして……そうしたら、今世のお前がここにいたというわけだ」
「今世の私に感謝ね。でも、この身に受けた痛みと屈辱は私の魂に刻まれたわ……。ところで私、生きてるの…、死んでるの…」
「お前は一度死んで、この冥府の狭間にいる……。生き返りたくはないか」
「生き返れるの… アスレン…」
「ああ、今なら生き返れる。ただし、君一人だ」
「嫌よ! 貴方と離れるのは……」
「俺もエリシーラと共に生きたい」
「なら、共に生きましょう。私の魂とともに」
「ああ、今度こそ…共に生きよう。俺の魂とともに」
見つめ合い、互いに手を取り合い、どちらからともなく引き寄せられた。
唇が重なった瞬間、エリシーラの白銀の魂と、アスレンが千年の孤独と絶望で深く傷付いた漆黒の魂が、お互いを慈しむように螺旋を描き重なりあった。
深く、深く、魂の根源までが絡み合う口づけ。
それは、凍てついた冥府に初めて灯った根源の火。
二人の意識は「一つの巨大な光の渦」となって、死の静寂を内側から打ち破った。
永遠に離れないように…互いの想いと魂を固く結び付けた。
意識が徐々に途切れ、深淵に引き込まれるように落ちていく、深く、深く…。
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