第16話
エルヴァン侯爵邸の広間には、重くのしかかるような空気が流れていた。
「このまま王都に留まれば、宰相の毒牙は必ずや使用人や親族に向くでしょうな」
「そうだのう、宰相辺りは人命を何とも思っていないからのう」
「早急にこの邸宅を出て、エルヴァン侯爵領へ戻られるのが得策かと」
「エリスお嬢様のお力があれば、何とかなるかもしれませんが……。エルヴァン侯爵やテレモア夫人、それに大切にされている侍女や使用人達が人質に取られた場合、エリスお嬢様なら、相手の要求を呑んででも解放を優先してしまうかもしれませんしな」
「のう、エリス嬢よ。使用人の命と引き換えに、隷属の首輪をはめさせられようとしたら、エリス嬢は使用人を犠牲にできるかのう?」
「……い、いいえ……できません……」
派閥の重鎮が漏らしたその言葉は、エリスの心に鋭い棘を刺した。彼女の脳裏に、忠実な侍女たちが人質となり、自分に「隷属の首輪」を嵌めようと迫る敵の冷笑が浮かぶ。
だが、守りたいものが多すぎる。その純粋な優しさが、この権謀術数渦巻く王都では最大の弱点になることを、彼女は突きつけられていた。
(アスレン、私はどうしたらいいの……。このままじゃ、また私のせいで誰かが……)
絶望の淵で揺れるエリスの意識に、低く、だが絶対的な信頼を湛えた声が響く。
(このまま表舞台にいる限りは、二人や親族、派閥の重鎮達の言うとおりの策謀が必ず動き出す。いずれ、使用人も含め、家族の誰かが犠牲になるのは間違いない)
(それなら!? 私は、どうしたらいいのよ……)
(エリシーラ、案ずるな。お前の復讐を完遂させるため、俺の覚悟は既に決まっている。体を借りるぞ。俺が奴らと話す)
「……皆様、少しよろしくて。アスレンがお話をしたいそうですわ」
娘の助け舟をするため、テレモア婦人がアスレンについての説明を皆にし、先刻の根源的な恐怖が残っている親族や重鎮達は、疑う事なく納得したのだった。
それを見届けたエリスが静かに目を閉じた。次の瞬間、広間に満ちていた「春の陽だまり」のような空気が一変する。
肌を刺すような冷気。魂の芯まで凍てつかせるような圧倒的な威圧。
「話を聞いてくれて感謝する。俺がアスレンだ。礼儀を欠いた口調は許してくれ」
エリスの口から発せられたのは、彼女の声音でありながら、深淵から響くような力強い響きだった。
「父上殿、あんたたちの危惧は正しい。だが、戦力が分散すれば守れるものも守れなくなる。……そこで提案だ。皆は今すぐ自領へ戻れ。この邸宅には、エリスと俺だけが残る」
「なっ、エリスを一人にするというのか!?」
プレイドの叫びに、アスレンは冷徹な、だが愛おしげな眼差しで応えた。
「一人ではない。俺が共にいる。……愛するエリスは、たとえこの世界を灰にしてでも俺が守り通す。敵の狙いをこの一点に凝縮させれば、皮肉にも貴公らの安全は保証される」
「あなた……アスレンさんを信じましょ。それがエリスの安全に繋がるのなら、私は賛成よ」
「我々もそれで賛成ですな。先ほどのエリスお嬢様とアスレン殿の力を存分に示してもらったからのう。皆もそれでよいかのう」
「我々は、それに従うのみ。今は守りにだけに専念できるほうがありがたい」
「同じくだ」
その絶対的な自信に、重鎮たちは誰もが納得し、父プレイドも気圧されたように頷くしかなかった。
「分かった。即刻、この侯爵邸を引き払い侯爵領へ戻るとしよう。今回の件で、貴族派閥全体が狙われる可能性も考えておく必要があるが、皆はどう考える」
「今朝の騎士団が来たタイミングといい、こちらの動きは筒抜けなのだろうな。侯爵が危惧されているとおり、我々も十分注意が必要だな」
「それでは、各自王都を離れ、自領にて王家の動向を監視し、準備を進めよう。皆はそれで良いか」
一同が静かに頷いた
「うむ、それしかなかろう。皆、注意を怠らずにな」
話がまとまり、親族と派閥の重鎮達が急ぎ領地や邸宅へと帰って行った。
「本当に一人で大丈夫なの?」と、眉を寄せ心配する母テレモアは、エリスの顔を覗き込んだ。
アスレンは意識の主導権をエリスに返した。
「お父様、お母様……ご心配なく。前世の記憶がある私なら、掃除も料理も、一人でこなせますわ」
エリスは、先ほどまでの「死神」のような威圧を霧散させ、ふわりと微笑んだ。
「いつか全てが終わったら、私、とびきりの手料理を作りますね。お父様とお母様……そして、アスレンにも食べてほしいから」
その笑顔は、あまりに儚く、そして強かった。
───王城の執務室
「な、なに! 騎士団が全滅!? どういうことだ!」
王城の王の執務室で怒声が鳴り響く。
侯爵家全員と、そこに集まった貴族派の重鎮達を亡き者にするはずだった。
そのために第5騎士団・千名を動員したにも関わらず、全滅したという。
「第5騎士団長はどうした! 全滅だとしても、報告くらいは来れるだろう!」
「い、いいえ。それが……」
監視を行っていた密偵から真実が語られた。
───
「中庭にいる白銀の髪の少女がエリス嬢か…さあ、この状況で、エルヴァン侯爵はどう動く」
密偵が密かに、民衆に紛れて監視しているなか、信じられない光景が目に飛び込んで来た。
白銀に輝く髪と瞳、そして、抗う事も困難な圧倒的な威圧を振りまきながら彼女は空を飛んだ。
「なっ!?エリス嬢は本当に化け物なのか」
何より漆黒に揺らめく翼が燐光を纏い、漆黒のオーラが天を穿つ。空の支配者のようにエリス嬢は宙で佇んでいた……。
刹那その場から掻き消えた───
「えっ!?き、消えた…」
唖然と虚空を見つめる密偵を他所に、騎士の悲鳴が一帯に木霊した。
「う、嘘だろ……人間が…」
邸宅を取り囲む騎士たちを慈悲の欠片もなく打払い、木の葉のように舞っていた。
騎士たちは、燃やされ、斬られ、砕かれ、貫かれ、無残な鮮血の雨を王都の街に降り注ぎ、密偵も呆然としながら血の雨の洗礼を受け続けた。
「……あれは、人間が敵う存在じゃない」
残った半数の騎士たちを囲むように黒い半球状の「何か」が現れ、外からは窺い知ることも叶わない半球の中から、騎士たちの絶叫が王都に鳴り響いた。
「あの中で何が起こっているんだ…」
半球状の「何か」が解かれた跡には、騎士たちが絶望の血の海に沈んでいた。
「せ、千人の騎士を一瞬で…」
その上空で朝日に照らされ後光が差した様に白銀の髪がキラキラと煌き靡いた、漆黒の翼から放たれた燐光がひときわ輝きを増したかのように、神秘的な光景を醸し出していた。
「お、俺達は神か悪魔と戦ってるの、か…ひ、人が、あ、抗っていい存在じゃな、ない…」
絶望と恐怖で震え、固唾を呑んで行く末を見守る密偵は、さらなる戦慄を体験することになる。
エリス嬢が宙で何かを呟いた瞬間、漆黒と白銀が混じった焔が邸宅を中心に街中まで一気に広がり、騎士団も血の海も密偵も血濡れた民衆も何もかも呑み込み、幻のように霞へと消えていった。
「あっ…………お、俺に付いた血が、血が消えてる…騎士達も消えた!?い、今の焔で消したのか…」
残ったのは根源的な恐怖と人間では抗えない確実な溝だけだった
───
全身から冷や汗を伝わせ、ガタガタと震えながらも、必死の形相で語る密偵に、絶望しながらも国王は聴き入るしかなかった。
「……それは、誠か…………。第三王女が化け物になったと言っていたが、真実だったのか……」
「は、はい」
「第三王女は目を覚ましたのか? 宰相」
「いいえ、未だショックから抜け出されておりませぬ。倒れる直前の出来事は、騎士から報告書が上がっていますが、お読みになられますか」
「ああ、エリス嬢を冤罪にかけた所から全て確認しておこう」
国王は、第三王女の戯言程度にしか考えておらず、手間を掛けさせると辟易していたが、王家を……いや、この国を脅かす可能性に至り、宰相と法務卿、軍務卿とともに、今後のエリス嬢と貴族派派閥の動向を考え頭を悩ませた。
「国王よ、これは誠か? 第三王女の園遊会でエリス嬢を罠に嵌め、我ら法務局の承認を得ずに、最上級の呪毒を使って、極刑の中でも最も重罪人が受ける処刑を少女に行ったというのは……」
法務卿は、王国法を無視した所業に国の行く末を案じた。
「法務卿、そんなことはどうでもいい!我が軍の第5騎士団が全滅させられたのだぞ! そんな危険な存在は早急に始末しなければ、わが国の安全はないぞ!」
「そう声を荒げるな、軍務卿よ。人外であってもたかが小娘一人だ。いかに脅威だとしても、やり方などいくらでもあるわ」
「宰相、何か良い方法でもあるのか…」
「……陛下、ご安心を。いかに化け物じみた力を持とうとも、中身はあの『心優しいエリス嬢』です」
宰相は嘲笑いながら、ゆっくりと報告書を机の上に置き、射るような鋭い目つきで口角を上げた。
「いくら人外であろうとも、たかが小娘。人の心を持つ者は操るのが容易い。彼女が大切にしている者を糧にし、絶望の淵でその力を搾取して差し上げましょう。……軍務卿、暗部の精鋭を動かせ」
宰相が歪んだ笑みを浮かべた……。
お読み下さりありがとうございます。
今週はここまでとなります。楽しんで頂けましたでしょうか。
次回はまた来週の同じ頃に更新を行います。次回はエリスとアスレンの日常と恋愛を描きながら、迫り来る絶望を描いて行きたいと思います。
もう一つの「転生女神と聖母テティアの創生譚」もご覧頂けたら幸いです。
私の処女作で読み返すと拙さが目につきますが、ストーリーは色々な作風をチャレンジして書いて楽しんでいますので、温かい目で読んで頂けると幸いです。
評価も頂けたら励みになりますので、⭐も宜しくお願いします。




