第11話
キルムを連れて無事に侯爵邸へ帰り着いたエリスを待っていたのは、静まり返った屋敷の空気だった。
「お母様、ただいま戻りました。無事、キルムを救い出して来ましたわ」
テレモアは、娘と侍女が無事に帰って来たことに、そっと胸を撫でおろした。
「ええ、お帰り。エリス、キルムも無事……では無かったようね。エリスに治してもらえたの?」
「ただいま戻りました、奥様。お騒がせしてすみませんでした。はい、お嬢様に助けて頂いて、それに、傷も全て治していただいて……どう返せば……」
テレモアは優しく微笑んだ。
「我が家の使用人は皆家族よ。気にすることはないわ。ねえ、そうでしょ? エリス」
「そうですわ。キルムもいつものままでいてね。ところで、父の容態は?」
エリス自身の手で父プレイドの深い斬り傷は塞がったが、失われた血の量はあまりに多く、依然として死人のように青白い顔で、意識を失ったまま横たわっていた。
「……お父様。まだ、目を開けてくださらないのね……」
「あなた……起きてよ……」
テレモアとエリスは父の傍らに膝をつき、その冷たい手を二人で握りしめる。
母を庇って深手を負った専属侍女シャーリーもまた、使用人たちの必死の治療により微かに命を繋ぎ止めているだけの、予断を許さない状況だと伝えられたエリスは驚きに目を見開く。
「えっ!?……シャーリーが生きてた……本当に良かった……」
てっきりシャーリーは亡くなったと勘違いしていたエリスは、涙を浮かべ安堵したものの、予断を許さない状況に焦りを覚えた。
使用人に多少の怪我人は出たものの、重傷者は父プレイドとシャーリーの二人だけに留まり、家族全員が一人も欠けることなく生きていることに心から安堵し、涙を流した。しかし、二人とも危篤状態には変わりなかった。
(アスレン、お願い……! 二人を完全に引き戻して。私の魂の一部を使っても構わないわ!)
エリスの切実な祈りに、アスレンが深く、力強く応じる。
(案ずるな、エリシーラ。……失われた血液の代替として、俺の魔力素体を直接流し込む。細胞の一つ一つに、俺の拍動を刻みつけるぞ)
(ありがとう、アスレン。まずは、お父様からお願いね…)
(ああ、必ず助ける)
エリスの掌から、これまでの治癒魔法とは次元の違う、濃密で黄金の光が溢れ出した。それは傷を癒やすのではなく、不足した「生命そのもの」をアスレンの力で強引に補完する禁忌の技。
「……っ、はぁっ!?」
侯爵が大きく息を吹き返し、その瞳に力が宿る。死の淵から完全に生還を果たしたのだ。
「……エリス……? お前……無事だったのか……」
「あなた! 目を……ありがとう、エリス。本当にありがとう……」
奇跡的に目を覚ました父の言葉に、テレモアとエリスは安堵の涙を流した。
「お父様……良かった……目を覚まして。お母様、まだですわ。シャーリーは何処ですか、早く治療しなくては」
使用人に案内され、シャーリーの治療も行なわれると、彼女の呼吸も深く安定し、死の淵から完全に生還を果たした。その様子に使用人たちは驚きに目を見開いていたが、誰もが涙を流し手を取り合って喜んだ。
「お、お嬢様! ありがとうございました!」
心からのお礼を聞き、エリスは手を振り、父と母の元へ戻る。
(アスレン、ありがとう。 これから、お父様とお母様に、全てをお話しするわ)
(俺の助けが必要ならいつでも言え)
(ありがとう、分かったわ)
張り詰めていた侯爵邸の空気も落ち着きを取り戻した明け方、プレイドの寝室でエリスは両親に向き合い、自身の身に起きた全てを打ち明けた。
「お父様、お母様、聞いて頂けますか? 私の身に起きた真実を……」
「ああ、寝たままですまんが、聞かせてくれるか。その、真実を……」
「エリス、どんなことでも受け入れる覚悟はできているわ。例え貴女が人間でなくなっていたとしてもよ」
テレモアの言葉にプレイドは一瞬驚いたが、自身とシャーリーが回復したことを考えれば納得がいった。
エリスは震える自分の手を見つめ、ゆっくりと、だが拒めない事実を言葉にした。
「……私は、呪毒を呑んで…… 一度、あそこで事切れたのです。馬車で話したことに嘘偽りはありませんが、伝えていないのは、私が殺された後の出来事です……」
娘の『殺された後の出来事』という言葉に、両親は顔を強張らせた。
「…呪毒を飲まされた私は、この世にある痛みの全てをこの身で受け、何故私がと…溢れ出した憎悪が体内の呪毒と共鳴し、黒い炎となって私の意識を焼き尽くしていきました。そして、痛みを凌駕するほどの憎悪がこの身から溢れ出し、深淵にどこまでも堕ち続け、世界が暗転し、死後の世界の狭間に堕ちました…」
壮絶な娘の死に、両親は凍りつく。
「私は……堕ちる直前に心臓の音が止まるのを、確かに聞き届けました…」
静まり返った部屋に、母の小さく悲痛な呻きが漏れる。
「……死後の世界の狭間で私を拾い上げたのは、アスレンでした。彼と魂が重なった瞬間、私の内側に眠っていた前世の記憶が——エリシーラとしての魂が、濁流のように押し寄せたのです。今の私は、エリスであり、同時に彼を愛したエリシーラでもあるのです……」
エリスがそっと胸元に手を当てると、その肌が透けるように黄金色に明滅した。
「見て、お父様…お母様……。私の心臓は、もう私の血では動いていない。身体を巡っているのは、アスレンが流し込んでくれている、魔力の残滓なのです。彼が私という『器』を…彼自身が私の命そのものとなって……この世界に繋ぎ留めているの。彼と一つでいなければ、私は一瞬で塵に還るでしょう」
その言葉と同時に、エリスの背後にアスレンの幻影が、守護霊のように揺らめいた。
「……つまり、お前の命は今、その……『アスレン』という存在と一つにならなければ、形を保つことすらできないということか。……お前の『純粋な命』は、王家に、あいつらに、完全に奪われてしまったのだな……」
「ああ、なんてこと……。娘は亡き者にされ、前世の貴女とその愛する人が、今の貴女を繋ぎ止めているだけなんて……残酷過ぎるわ……」
震えるプレイドとテレモア。侯爵は、愛娘の体が「生きた屍」に近い状態であり、異能の力でかろうじて繋ぎ止められているという事実に、布団を力強く叩いた。
それは、王家への憎しみが、単なる政治的な反発から「魂を懸けた復讐」へと変質した瞬間だった。
エリスと両親は、涙ながらに、それでもエリスが、どんな姿であっても生きていてくれたことに感謝し、三人は熱い抱擁を交わす。
エリスの募った不安が『どんな姿であっても』で雪解けの氷のように氷解し、心に春の日差しの様な温もりが降り注いだ。
三人とアスレンは、復讐を固く誓い、心の繋がりを強めたのだった。
明朝の闇の中、予定を繰り上げて緊急招集を受けた親族や派閥の者たちが、戸惑いながらも侯爵邸に続々と集い始めた。
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