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プロローグ


 クッキーにケーキにチョコレート。お菓子の甘い香りが大衆食堂の調理場に漂う。翌日販売する用のお菓子はいつも前日の夜、食堂の営業を終えてから作る。そうしないと料理にお菓子の甘い香りが移ってしまうからだ。

私の仕事は焼き上がったクッキーとケーキをオーブンから取り出して冷ますために網に並べることだ。

いつも通り仕事をしていると、金髪に飴色の瞳の少年がやって来て並んでいるお菓子を覗き込んだ。この大衆食堂の息子で幼馴染のエドガーだ。


「今日はココアクッキーか。美味そうだな!」

「つまみ食いはダメだよ。これは明日の商品なんだから」

「なんだ」


少し落ち込んでいるエドガーに紙でできた袋を手渡した。


「こっちなら食べてもいいよ。私が練習で作ったものだから味は保証できな、」


私が言い切るよりも先にエドガーはクッキーを袋から取り出してすぐに口に放り込んだ。


「美味いよ、ステラ!やっぱりお前、お菓子作る天才だな!」

「ありがとう」


この大衆食堂で働き始めてはや半年。ずいぶんと仕事にも慣れてきた。

私は半年前に唯一の肉親だった母を亡くした。父は物心がつく前亡くなったそうで顔も覚えていない。母を亡くし、身寄りのなくなった私に一緒に住まないかと言ってくれたのが私の両親と親交の深かったエドガーの両親だった。そして、働き口がなかった私は居候を始めた日からおじさんとおばさんが営むこの大衆食堂の調理場の雑用をさせてもらうことになった。そして時々、趣味のお菓子作りもさせてもらっている。


仕事が終わるとおじさんとおばさんとエドガーとエドガーの妹のミアと銭湯へ行った。富豪やお貴族様の家にはお風呂があるって、わざわざ銭湯まで行く必要はないらしい。羨ましい。


家に帰ると、おじさんとおばさんは明日の仕込みを始めるので私たち子供は先に寝る。

これがルーティーンだ。



翌日、丸一日休暇をもらったので街の真ん中にある噴水広場へ向かった。噴水広場には教会があって今日は母にクッキーを供えに来た。母は私の作るクッキーをエドガー以上に好んで食べていた。私のお菓子を食べる度に私と同じ空色の髪を揺らしながら幸せそうに笑っていたあの優しい母が、数年も前から病に侵されていたなんて私は全く知らなかった。

時々休日に家を空けていることがあったけど、まさかお医者様のところへ行っていたなんて。そのお医者様から聞いた話だと、母は亡くなる一月前にはすでにいつ亡くなってもおかしくないくらい病が進行していたそうだ。どうして気付いてあげられなかったのだろうかと母を失ってから後悔が絶えない。

教会に来る度に私は泣いてしまう。エドガー家族といるときはまだ笑っていられるのに、ここに来るともう母とは二度と会えないということを実感してしまうからだろう。


しばらくして涙を拭いて教会を出た。せっかくの休日だ。ここでずっと泣いていたら母に心配をかけてしまうだろう。

この街一番のお菓子屋さんへ行こう。生前、母とよく2人で行ったタルトの美味しいお菓子屋さんへ。

少し路地に入ったところにある、老舗のお菓子屋さんの扉を開けると甘い香りが漂っていた。


「あら、ステラじゃない。久しぶりね」

「おばさん!ベリータルト1つ」

「ステラはそればっかりね。少しだけ待っててね」


お菓子屋のおばさんとはすっかり顔馴染みで私の好きなチョコレートもおまけでつけてくれた。

お気に入りの窓際の席に座ってタルトにフォークを入れるとさっくりと切れた。そのまま口に運ぶとベリーの甘酸っぱい風味が広がってさくさくほろほろのタルトと合わさる。本当にここのタルトはとても美味しい。


「ごちそうさまでした」


タルトを食べ終えると、食器をカウンターへ戻して店を出た。日が暮れるまで市場を見たり、目的もなく町を歩いてみたりして家に帰った。

居間に行くとエドガーが浮ついた様子で待っていた。


「ただいま」

「おかえり、ステラ」


何も訊かなくてもいいことがあったのは分かるけど、訊いてほしそうな顔をしていたからどうして嬉しそうなのか訊いてみた。


「俺、来年の春から商工会のレストランで下働きさせてもらえることになったんだ!」

「え、本当?おめでとう!エド!」


この町では13歳の春までに働き口を探さなければならないけれど、エドガーは中々見つからなかった。というよりかは、志望しているところへ行っても人手が足りていて断られ続けていた。それがようやく見つかったようで一安心だ。

ちなみに、エドガーの働き先の商工会が運営するレストランはうちの大衆食堂とは客層が全く違う。うちは主に市民が来るが、商工会の運営するレストランは富豪やこの領地の騎士様、時々お貴族様がお見えになることもある。

エドガーは宮廷料理人になるのが夢だからレストランなどで腕を磨いてお貴族様に腕を認めてもらわなければならない。一般市民が宮廷料理人になるにはツテを作るところから始めなければならないのだ。


「夢に一歩近づいたね」

「ああ!腕磨いて絶対宮廷料理人になる!てか、ステラはうちで働いてるけど菓子職人になるのか?お菓子作るの好きだし」

「うん。多分ね。他に好きなこととか特にないし」

「じゃあ、ステラも宮廷菓子職人を目指せよ。そしたら大人になっても一緒に働けるだろ?」


飴色の瞳を輝かせながらエドガーが笑った。正直、お菓子を作るのは好きだけど宮廷菓子職人になるほどの向上心は持ち合わせていない。お菓子は作るより食べる方が好きだし。だけど、大人になってもエドガーと一緒に働けるのは少し楽しそうだ。


「考えておくね」




数日後、エドガーの働き先におじさんとおばさんとミアと挨拶を兼ねて食事に行った。レストランの近くに来たのは初めてだったのでこんなに立派な建物だとは知らなかった。外観だけだと貴族や富豪のお屋敷みたいに見える。

私とミアは外観に圧倒されているとエドガーが可笑しそうに笑った。


「二人とも、そんなところで突っ立ってると他のお客さんの邪魔になるだろ」

「だって、兄さんが春からこんなところで働くなんて信じられないんだもん」


ミアの言葉につい頷きそうになるくらい私たちには縁がない場所だ。よく働かせてもらえることになったなと改めて感心する。

レストランに入ると、ウェイターが席へ案内してくれた。店内はうちの食堂のように賑やかではなく静かなゆったりとした空気が流れている。


「エド、注文はウェイターにすればいいの?」

「いや、注文は要らない。コース料理って言って前菜から決まったものが順番に運ばれてくるから」

「前菜って?」

「主菜の前に食べる軽い料理みたいなのだよ」


さすがエドガーだ。私たちは学校に通っていないけれど、代わりによく市内の図書館へ通っていた。私とミアは物語ばかり読んでいたけれどエドガーはずっと料理の本ばっかり読んでいた。だから、料理の知識量はおじさんやおばさんよりも上かもしれない。


少しすると料理が運ばれてきた。見たことがない高価そうなお皿にいかにも高級そうな盛り付けをされた料理ばかりだった。とても美味しかったけれど、カトラリーの扱い方が難しくて食べるのに少し苦戦した。今度来ることがあるかもしれないから、その時のためにも帰ったらカトラリーを使う練習をしよう。


食事を終えると、料理長を呼んでもらって挨拶をした。料理長がエドガーを働かせることにしたのは、エドガーが何度断っても直談判に来たからだそうだ。料理長はエドガーの料理への熱に負けて特別に働く許可を出したそうだ。


「今時、こんな筋の通った若者はそうそういないからな」


お会計は料理長が全て持ってくれて改めてお礼をしてレストランを出た。相変わらず立派な建物だと振り返ると、長身の初老の眼鏡をかけた男が立っていた。慌てて道を開けようと避けると、男はしゃがみ込んだ。


「ステラ!」


私を誘拐するとでも思ったのだろう。エドガーが私と男の間に入って男を睨みつけた。すると、男は両手を上げて首を振った。


「私は怪しい者ではございません。どうかご安心ください」


騒ぎに気付いたおじさんとおばさんとミアもこちらへやって来た。ここだと通行人の邪魔になるからと、今日は臨時休業しているうちの食堂へ行くことになった。

食堂に着くまでエドガーは男を警戒し続けていたのかずっと睨んでいた。男は少し困ったように笑いながら何も言わずついてきた。



向かい合った席に着くと、男が話を切り出した。男の名前はフリードと言ってエリセント侯爵家という王都にあるお貴族様の屋敷で執事をしているそうだ。


「こちらをどうぞ。貴方様のお母上であるセリーナ様が亡くなる直前に侯爵家宛てに出されたお手紙です」


フリードさんは私の目の前に手紙を差し出した。封を開けた。そこには母の字でエリセント侯爵に自分がもうすぐ亡くなることや、自分が亡くなった後の私を心配する言葉がズラリと並んでいた。そして、侯爵を父と呼び自分が亡くなった後、代わりに私の面倒を見てほしいと書かれていた。


「お手紙でお分かりいただけたかもしれませんが、セリーナ様はエリセント侯爵の娘です。そしてステラ様、貴方はエリセント侯爵の孫娘にあたります」

「それって私が貴族ってこと?」

「正確にはステラ様は『貴族になる資格がある一般市民』です。貴族になるための手続きをすると正式な貴族になります」


面倒なんだなと少し顔をしかめると、フリードさんは指を2本立てた。


「ステラ様には選択肢が2つあります。1つは今まで通り、この街で生活を続けること。もう1つは貴族として王都へ行き次期侯爵夫妻、つまり、貴方の伯父夫妻の養子に入り貴族になること。侯爵はステラ様のお好きな方を選ぶようにと仰っていました」


好きな方なんて言われたって、困る。急に貴族になるなんて私には出来ないと思う。だけど、今まで通りの生活ってことは大人になるまでエドガー家族に迷惑をかけ続けることになる。どっちを選んだ方がいいのだろうか。


「7日後にもう一度参ります。その時に貴族になると決めたならすぐに出発できるようにご用意をお願いします」


フリードさんはそれだけ告げて帰っていった。私と一緒にフリードさんの話を聞いていたエドガーもミアもおじさんもおばさんもまだ話に追いつかないような顔をしていた。私だってそうだ。しかも、7日後には答えを出さなければならないなんて。


その夜はいつも賑やかに食べるご飯がとても静かだった。誰も何も言わない。何を言えばいいのか分からない。それだけが伝わってきた。



翌朝、いつも通り食堂の前を掃除しているとエドガーがほうきを持ってきて手伝い始めた。いつもはまだ寝ているか起きて料理の下ごしらえを手伝っている時間だ。まあ、昨日の今日だから眠れなかったのかもしれない。


「ステラは、貴族になるのか?」

「分かんない」

「どこにも行くな!」

「エド、」

「………って、俺が止めたらステラは貴族にならないのか?」


即答出来なかった。貴族になって権力を持ちたいわけじゃない。もちろん、お金持ちになって何不自由なく暮らせることに憧れるしきっと幸せだと思う。だけど、一番は祖父に会いたいからだ。だからといって、エドガーたちとも離れたくない。私にとっては第二の家族のようなものだから。

答えに詰まっているとエドガーは仕方なさそうに笑った。


「引き留めても悩むくらいなら貴族になれ」

「え、」

「貴族から市民になることは出来ても、市民から貴族になることはなかなか出来ないことだろ?だったら一度貴族になるのもいいんじゃねえの?嫌気が差したらまたここに戻ってこればいいし」

「でも、エドやみんなに会えなくなるのは嫌だよ」

「俺が会いに行ってやるよ。言ったろ?宮廷料理人になるって。なるには貴族の屋敷で修行するのが普通だ。頑張ってステラの屋敷で修行出来るようになるから」

「本当?」

「ああ。約束する」


エドガーは私の手を握って額をコツンと当てた。同い年なのに、エドガーは私のお兄ちゃんみたいだ。貴族になって会えなくなってもエドガーが会いに来てくれるって信じて待っていれば寂しさも少しは紛れるだろう。


夜、おばさんとおじさんとミアに貴族になると宣言した。ミアは羨ましいと言っていたけれどおばさとおじさんは生活環境が完全に変わるけど大丈夫なのか?やっていけるのか?と心配してくれた。だけど、心配しながらも私が選んだならと受け入れてくれた。


「フリードさんが来るまで数日間しかないけど、お世話になった分、おじさんとおばさんに頑張って親孝行するね!」

「そんなことしなくていいんだよ。あたしらはあんたが今笑ってくれてるだけで十分幸せだから。」

「セリーナが亡くなってから、ステラの本当の笑顔を初めて見た気がするな」


おばさんとおじさんに抱きしめられて何も言えずに涙が溢れてきた。私が作り笑いだったって気付いてたんだ。ずっと見守ってきてくれていたんだ。尚更別れが惜しくなるけれど、祖父に会うと決めたから今だけは存分に2人に甘えておこう。

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