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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

ゴブリンが人型の獣なら人型の獣はゴブリンなのか

作者: 芽野小幸
掲載日:2025/09/29


 男はいつも下ばかりを見ていた。前を見るのが怖かったわけでは無く、人を見るのが怖かった。伸ばした前髪も都合がよかった、それだけ。

 

 動き出すのは決まって人が寝静まった真夜中。通りを抜けて街を出る。一人月明かりを頼りに森へと進む。足音を消す方法は物心ついた時から知っていた。床のきしむ音は男にとって痛みに変わる。見たくも無い人間が男を見ようとする。それがたまらなく嫌だった。いっそのこと殺してしまえばいいのに。


 人型の獣に気取られぬよう男は森を進んでいく。


「見付けた」


 小さな声で喜びをあらわにする。掌ほどの赤い木の実。熟れて落ちた木のみを数個抱えて道を戻る。空腹に駆られてここで木の実をかじってしまえば、人型の獣に悟られてしまうだろう。男は食欲を街へと戻るまで我慢した。


 人の気配、それは男にとって最も気にするところ。だが数日ぶりの食べ物が、食欲がその邪魔をした。


「おい、ゴミ。良い物を持っているじゃないか」


 恐怖と絶望が全身に走る。目線の先に足を見る。すぐさま男の顔は空を向いた。鼻の奥に熱を感じ、痛みが脳に走る。噴き出した血液が空気を取り込むことを阻害する。


「あ、あ」


 声と共に息を吐く。


「そいつを置いて行け」


「な、なにも食べてないんです」


「だから」


「死にたくない」


「それで」


「こ、この実をください」


「と、いうことは」


「わ、渡せな……」


 今度は腹部に痛みを覚える。喉が焼けるように痛む。口から痛みのもとが飛び出した。何もないはずの胃袋から。


「その実をどうしたいって」


「やめてください」


 髪を掴まれる。無理やり顔を上げられ、血液が喉を癒す。


「その実をどうしたいって」


「わ、渡します」


「そうか。その実はお前の物だったか」


「違います。僕の物ではないです」


「そうだよな」


 踏みつけられるよりも早く、額を地面に付ける。その方が痛みは少ないと分かっていた。


 遠ざかる足音に集中する。見えなくなるまでこうしていれば、もう痛みを与えられることはない。早くいなくなってくれ。そればかりを男は願っていた。いっそのこと殺してしまえばいいのに。


 だが足音は消える前に止まった。


「そういえば、明日は依頼期限だったな。新しい以来受けたら、準備金持って来いよ」


 それだけ言い残し足音は消えた。


 治安維持管理局。街の中心に建つひときわ大きな建物。そこでは腕の立つ者達へ様々な依頼を行っている。依頼を受けると準備金としていくらかの金銭が貰えた。内容によって期限が設けられ、未達の場合は再度別の者へ依頼される。準備金の返還は求められないが、未達が続けば新たな依頼を受けることが出来なくなる。男に依頼を達成させる力は無かった。未達の数は増えるばかり。新たな依頼を受けさせてもらえる保証は無かった。

 

 街外れにあるゴミ捨て場へと向かう男。幾重にも重ねられた廃棄物の中から食べられそうなものを探す。腐敗臭は食物があることを示している。男はごみの山をかき分けた。湿った感触を感じると迷わず口に運ぶ。味は感じない。咀嚼の必要は無く、僅かな舌の痺れはあるものの、それを胃袋に流し込んだ。繰り返し、何度も。


「またはずれだったよ」


 何者かが訪れ、新たなゴミを放っていく。暗闇にうごめく男を認識したのか、足早にその者達は駆けて行った。


 捨てられた物に目を向ける。真っ白い卵。片手には収まらない程の卵。だが食欲は掻き立てられない。それが食べられないと男は知っていた。浮獣(ふじゅう)。孵化すると様々な力を与えると言われる獣。その獣の飼育は治安維持管理局が管理しており、依頼達成の折に卵が配布される。当然依頼を達成した事の無い男には無縁の物だった。卵の模様によって等級が決まっており、模様の無い卵は低級種として廃棄されることが多かった。


「同じだね。こんな汚い手でごめん」


 親近感に似た感情を抱いた男は卵を拾い上げる。空腹に加え、体中の痛みから男はその場に座り込む。卵を抱きかかえるようにして目を瞑る。これは睡魔かはたまた。目覚める事を男は期待していなかった。


「おうおうおうおうおうおうおうおう」


 異質な声に目を覚ます。差し込む朝日に目が眩む。


「おうおう、起きたかい」


 逆光になり、影しか見えないその姿は、男の眼前で小さな羽根を何度も羽ばたかせていた。夢でも見ているのかと思い瞼を擦る。


「なんだいなんだい、浮かない顔だ。俺様は浮いているというのに」


 足元には真っ白い卵の破片が散らばっていた。


「浮獣?」


「はあ?浮獣だああ?あれか?貴様ら人間は人間同士で、やあ人間、おう人間なんて呼び合うのかい?それはひどく不便だな。判別もくそもねえ。名前ってものを知らねえのかい」


 まくしたてる様な言葉の数に面食らう。


「おうおうおう、話は聞こえてんのか」


「ああ、ごめんよ。聞こえている。名前は知らないんだ」


「そりゃあ不便だ。人間は不便な生き物だな」


「いや、名前はあるんだけど僕には無いんだ」


「言ってる意味が分からねえが。まあいい俺様の事はゴビって呼びな」


 拳二つ分ほどの大きさの浮獣が男の肩に乗る。


「おい人間」


「あまり耳元で大きな声を出さないでくれよ」


「悪い、慣れてねえんだ」


「うん、それでどうしたの」


「腹が減った。ゴブリンの肉を食わせろ」


「ゴブリンって?」


「なんだ知らねえのか。つくづく不便な連中だな。森の中のいたる所に居るだろうが」


「人型の獣の事かい」


「ああ、それがゴブリンだ。あくまで種族名だがな。奴らは、やあゴブリン、おうゴブリンなんて呼び合ってはいねえぞ」


「わかったよ」


「そうかい。だったら早く森に連れて行ってくれ。肉を食わせろ」


「無理だよ。僕は弱いんだ」


「はあ?人間のくせにゴブリンにも勝てないのか」


「ごめんよ」


「俺様は浮けるが飛べねえ。困ったな」


 男はいつものように下を向いた。前髪が世界を隠す。


「おいおいおいおい。そんなに背中を丸められたら肩に止まってられねえだろ。下を向くんじゃねえ。前を向きやがれ」


「得意じゃないんだ。頭の上にでも乗ってくれよ」


「仕方ねえな」


 頭上にずしりとした重さを感じる。男は歩き辛さを受け入れた。


「どこに行くんだ。森か」


「いいや。依頼を受け直さないと。準備金が受け取れないから」


「依頼?ゴブリン討伐か」


「受けるだけだよ。お金を貰うだけ」


「なんの為に」


「生きる為だよ」


「生きたいのか?」


「あれ?わからない」


「変な奴だな」


 男は路地裏に足を向ける。日差しの遮られたその道は、昼間でも真っ暗だった。


「誰か……」


 路地の奥から絞り出したような女性の声が聞えてきた。


「見ろ、人間が人間を襲ってやがる。人間は種族間で狩り合うのか」


 男は足を止める。震えは足から全身へと広がっていく。


「おいおいおいおい、そんなに震えてちゃ止まってられねえ」


 何も言葉を返せず、男の身体は恐怖に包まれた。


「ゴミか。何か用があるのか」


 聞き馴染んだその声を聞いて男は膝を折り、その場に座り込んだ。地面に頭を付ける。


 「助けて」の声は一度だけ聞えた。人間が殴られる音は何度も聞こえた。痛みは一度も感じなかった。


「おいゴミ。俺の前から消えろ」


「はい」


「さっさと金を持って来い」


「はい」


「殺されたいのか。早く行け」


「やめてください」


「ああ?聞えなかった。もう一度言ってくれ」


「やめてください」


 足音が近づいてくる。恐怖と絶望の音。人間が殴られる音が痛みと共に何度も聞こえた。次第に何も感じなくなってくる。鈍い音も痛みも。ああ、耳も潰れたか。鼻も目も。いっそのこと。


〈生命力の著しい低下を確認。精神力の著しい低下を確認。共鳴開始〉


 耳では無いどこかから聞こえた声。恐怖の感情は抱いていなかった。


 足に力を込めて立ちあがる。肩に感じる重みは声の主か。


「いいね、初めてだこっち側は。気分がいいなあゴビ」


「うるせえ奴だ。耳元で大きな声を出すなと言ったのは貴様だろう」


「それは俺じゃねえ」


「そうかいそうかい。おうおうおうおう人間、やれるのか」


「ああ、やるぜ。いっそのこと殺してしまおう。食いたがってただろう」


「俺様が食いたいのはゴブリンだ」


「いいや、人型の獣だろ」


「そうだな。違いねえ」


 裸の女に興味は無い。その顔が別の恐怖で歪もうとどうでもいい。ただ獣を、人型の獣を狩るために生きるだけだ。





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