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1-L 絵本の夜
電気スタンドがつくる橙色の円の中、私は分厚い絵本を胸に抱えた。
「ここ、読んで」
父――レノスは眼鏡を押し上げ、落ち着いた低い声でページをめくる。
紙に刷られた夜の海は深い群青。真円の月が波を照らし、子クジラが跳ねている。
「海の道を照らす満月はキラキラと輝いて、小さなクジラを導く――」
指先でクジラの背をそっとなでると、インクのざらりとした盛り上がりが残った。
読み終えると、父は見返しに赤いインクで署名を入れる。
For Sera — Lenos
(セラへ レノスより)
「世界に一冊だけだ」
そう言われて胸が温かくなる。私は笑みをこぼし、サインの隣に小さなハートを描き足した。
父が立ち上がり、ブランケットを肩まで掛けてくれる。スタンドのスイッチがぱちりと落ちる。
天井の蓄光シールが星座を淡く浮かべ、私はクジラといっしょに静かな海へ沈んでいった。