7,畑を耕せ!
ゴブリンを撃退した翌朝。
村は、数年ぶりに訪れた心の底からの安堵と、小さな勝利の喜びに包まれていた。
だが、俺は一人、夜明け前から完成したばかりの防御施設を入念に点検して回っていた。
(うん、堀の角度、土塁の強度、共に計算通り。だが、念のため、あそこの土留めは近いうちに補強しておきたいな……)
そんな俺の元に、リーリエが温かいスープの入った椀を手に、駆け寄ってきた。
「ケンさん、朝早くから……。昨日は、本当にありがとうございました」
その瞳は、昨日までの不安が嘘のように、澄み切った信頼の光で満ちている。
「ああ。だが、本当の戦いはこれからだ」
俺は集まってきた村人たちを見渡し、少し悪戯っぽく笑いながら言った。
「さて、と。昨日の客は追い払ったことだし、ここからが本番だ。次の相手は、あのどうしようもなく広くて、今はぐっすり眠っちまってる土地そのものだよ」
俺が指さした先には、静まり返った呪いの畑が広がっている。
「そのために、少しみんなの力を貸してほしいんだ。この中に、土や水に関わる、ささやかな魔法でも使える人はいるかな?」
俺の問いに、村人たちは顔を見合わせる。やがて、杖をついた腰の曲がった爺さんと、おずおずと手を挙げた内気そうな若い娘が前に出てきた。
「わ、わしは、土の中の石ころを探したり、畑をほんの少しだけ柔らかくするくらいの『土いじり』の魔法なら……」
「わ、私は、桶一杯の水を出すくらいの『水出し』の魔法が、使えます……」
二人とも、とても実戦で使えるような魔法じゃない、と恥ずかしそうだ。
だが、俺は満面の笑みで頷いた。
「十分すぎる。爺さんたちのその『ささやかな魔法』が、今日、この村で一番の伝説になる。俺が保証するよ」
俺は土塁の一番高い場所に立つと、スキルを全開にした。
【構造解析】――【最適化】!
脳内に、広大な畑の全てが、青いワイヤーフレームとなって再構築される。
土の成分、固さ、水脈の流れ、栄養の偏り――全てのデータが一瞬で解析され、畑全体を貫く、巨大なエネルギーライン、いわば土地の「龍脈」のようなものが可視化された。
「爺さん、ちょっといいかい」
俺は杖の爺さんを手招きする。
「わしの魔力では、隅っこを耕すのがやっとじゃが……」
「大丈夫、できるさ。畑全体を耕す必要はないんだ。俺がこれから教える、いくつかの『要』になる場所にだけ力を集中させれば、それでいい。まあ、俺を信じて、一度やってみてくれ」
俺は、解析した龍脈の結節点を、一つ一つ丁寧に指し示していく。
爺さんは俺の落ち着いた態度に何かを感じ取ったのか、こくりと頷くと、杖を地面に突き立てて集中し始めた。
「おお、大地の精霊よ……わしの声に応えたまえ……」
次の瞬間、異変が起きた。
ゴゴゴゴゴ……!
爺さんの杖を中心に、魔法の光が地面を走り、俺が示した「要」を次々と繋いでいく!
そして、光のラインが畑全体に行き渡った瞬間――!
ズズズズズウウウウウンッッ!!!
地響きと共に、広大な畑の全てが、まるで巨大な生き物のようにうねり出した!
固く死んでいた土が、一瞬にして耕され、黒々とした生命力あふれる柔らかな土へと姿を変えていく。
村人たちは、その神話のような光景に、声も出せずに立ち尽くしていた。
「す……」
「すげええええええええっ!!」
やがて、誰かが叫んだのを皮切りに、割れんばかりの歓声が巻き起こった。
「よし、お嬢ちゃん、次は君の番だ」
俺は興奮冷めやらぬ村人たちをよそに、呆然とする娘に優しく声をかける。
「は、はい!」
「俺がさっき地面に描いた溝の始点に、君の『水出し』の魔法を使ってくれるかな。焦らなくていい、君のペースで」
「は、はいっ! 清らかなる水の恵みよ――“湧水”!」
彼女の手のひらから溢れ出した水は、俺が設計した水路へと吸い込まれるように流れ込み、まるで意思を持っているかのように畑全体へと広がっていく。完璧な灌漑システムの完成だ。
「わ、私の魔法が……こんな風に……」
娘は、自分の力が起こした奇跡に、涙を浮かべていた。
「よし、みんな! もうひとっ走り、仕上げにかかろうか!」
俺の号令で、ドルゴが作った新型農具を手にした若者たちが、一斉に畑へと駆け出す。
魔法で生まれ変わった土を、最高の道具で畝に変えていく。その作業は、誰もが笑顔で、活気に満ちた祭りのようだった。
たった一日。
誰もが絶望していた呪いの畑は、神々しいまでの生命力に満ちた、約束の農地へと生まれ変わった。
その夜の宴は、これまでにないほどの大騒ぎになった。
「ケンさん、あんたは魔法使い様か!」
「いや、魔法使いに命令するんだから、大魔法使い様だ!」
村人たちから次々に酒を注がれ、俺は人の好い笑顔でそれを受けるしかなかった。
そんな喧騒の中、リーリエが頬を赤く染めながら、俺の隣にそっと座った。
「け、ケンさん……本当に、その……ありがとうございます。ケンさんが来てくれて、村が……私も……」
感謝の言葉のはずなのに、彼女は俯いてしまい、うまく続けられないようだ。その潤んだ瞳と、普段は見せないしおらしい姿に、さすがの俺も少しどきまぎしてしまう。
「おっと、どうした? まあ、みんなが無事で、腹いっぱい飯が食えるのが一番だ。それより、リーリエもちゃんと食ってるか?」
俺は照れ隠しに、彼女の皿に焼きたてのパンを一つ置いてやった。
だが、宴が落ち着いた頃、リーリエと今後の作付けについて話していた俺たちは、一つの現実に直面する。
「今回蒔ける種は、村に残っていた備蓄のすべてです。これを来年の種に回すと、今年の冬を越す食料が、正直、ギリギリで……」
リーリエが、申し訳なさそうに言う。
ああ、わかっている。
魔法のような一日で土地は蘇ったが、無から有は生み出せない。作物の種類も、このままでは偏ってしまう。
俺は、豊作への希望に沸く村人たちの輪から少し離れ、崖崩れで道が寸断された方角を、静かに見つめた。
土地はできた。道具も、仲間もいる。
だが、この村が本当に豊かになるには、まだ決定的なピースが足りない。
――やはり、あの道をなんとかするしか、ないか。
俺の心はもう、次なる巨大な『現場』へと向かっていた。
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