4,農具と鍛冶師の心の傷(後編)
工房の扉が目の前で閉ざされ、重い閂の音が俺たちの敗北を告げた。
「……すみません、ケンさん。やっぱり、ダメでした」
リーリエが、自分のことのように傷ついた顔で俯く。村の誰もが、この固く閉ざされた扉と心に、何度も跳ね返されてきたのだろう。
だが、俺の考えは違った。
「いや、手応えはあった」
「え?」
「本気でどうでもいいと思っているなら、相手にすらしないはずだ。昨日の俺の言葉に、あの男は間違いなく反応した。それは、あの分厚い錆の下に、まだ職人のプライドが燻っている証拠だ」
問題は、どうやってその錆を落とし、燻る火に酸素を送り込むか。言葉だけでは足りない。あの男が心の底から理解できる、「職人の言語」で語りかける必要がある。
「リーリエ、少し頼みがある。燃え残りの炭と、何か描けるもの……できれば、なめした皮か、大きな木の板を持ってきてくれないか」
村長の家に使われていない羊皮紙が数枚あると聞き、俺はそれを借り受けた。その日の午後、俺は村の集会所の片隅で、一人その羊皮紙に向き合っていた。
頭に思い描くのは、リーリエから聞いた悲劇。ゴブリンの猛攻、そして、最も重要な局面で折れたという、一本の槍。
スキル【構造解析】を起動し、その「折れた槍」のイメージを脳内で再構築する。材質、形状、鍛冶の工程、そして折れた瞬間に加わったであろう衝撃の角度と強さ。あらゆるデータが、青い光の線となって解析されていく。
原因は単純だ。
穂先と柄を繋ぐ茎が短すぎる。これでは衝撃が一点に集中し、金属疲労を加速させる。焼き入れの際の温度も不均一だ。表面は硬いが、内部に脆い部分が残っている。
次に【最適化】を発動。脳内に再構築した槍の欠陥部分が赤く点滅し、それを補うための理想的な設計図が自動的に生成されていく。
俺は一心不乱に、炭を手に取って羊皮紙の上を滑らせた。
描いたのは、ただの農具ではない。力の流れ(応力)、素材の内部構造、そして鍛冶工程における注意点までを詳細に書き込んだ、精密な「設計図」だった。
刃先の角度、重心の位置、柄との接合部分には、断面積を増やしつつ重量を軽減するための補強構造を。材質には、硬い鋼で柔らかい鉄を挟み込む「三枚合わせ」の技法を指定した。これなら、刃こぼれしにくく、かつ衝撃を全体で吸収して折れることがない。
それは、土木工学と材料力学の知識を持つ俺だからこそ描ける、この世界の誰も見たことのない、革新的な道具の設計図だった。
翌日、俺は一人でドルゴの工房へと向かった。
今回は扉を叩かない。代わりに、持参した二枚の羊皮紙――クワとスキの設計図を、工房の分厚い木の扉に木釘で打ち付けた。
そして、俺は何も言わず、工房の向かいにある大木の根元に腰を下ろし、静かにその時を待った。
昼近くになっても、工房の扉は開かない。
だが、焦りはなかった。
あの設計図は、俺がドルゴに宛てた挑戦状だ。本物の職人なら、無視できるはずがない。
陽が傾きかけた頃、ついに扉が軋み、ドルゴが姿を現した。昨日よりもさらに険しい顔で、俺を追い払うつもりだったのだろう。
だが、彼の視線は扉に貼り付けられた羊皮紙に吸い寄せられ、釘付けになった。
彼は怪訝な顔でそれに近づくと、最初は馬鹿にしたように鼻で笑った。だが、そこに描かれた緻密な線と、びっしりと書き込まれた注釈を読み解くうちに、その表情は驚愕へと変わり、やがて真剣な職人のそれへと変貌していく。
彼は設計図に描かれた断面図を、震える指でなぞった。力の流れを示す矢印の意味を、補強構造の意図を、彼の長年の経験が瞬時に理解させていた。
俺は静かに立ち上がると、彼に向かって歩み寄った。
「あんたの親友が死んだのは、あんたのせいじゃない」
ドルゴの肩が、びくりと跳ねた。彼は顔を上げ、殺意すら篭った目で俺を睨みつけた。
「……てめえに、何がわかる!」
俺は彼の目を真っ直ぐに見返し、扉の設計図を指さした。
「あの槍が折れたのは、道具の構造的欠陥のせいだ。作ったあんたのせいでも、使ったマルクさんのせいでもない。その『作り方』そのものに、問題があった。それはあんた一人の責任じゃない。この村の、いや、この世界の鍛冶技術が、そこまでだったというだけの話だ」
それは、慰めでも同情でもない。技術者としての、冷徹な事実の提示。
俺は続けた。
「だが、改善できる。その欠陥は、なくすことができる」
俺は設計図の、特に頑丈に設計した接合部を叩いた。
「この設計なら、同じ悲劇は二度と起きない。どんな衝撃が加わっても、刃先が飛ぶ前に、柄がしなって力を逃がす。万が一の時も、使い手に危険が及ぶことはない。俺が、俺の技術の全てをかけて保証する」
ドルゴは何も言わなかった。ただ、設計図と俺の顔を、交互に、何度も見比べている。彼の固く握られた拳が、小刻みに震えていた。長年、彼を苛んできた罪悪感という名の巨大な岩に、今、小さな楔が打ち込まれたのだ。
彼はゆっくりと踵を返し、一言も発さずに工房の中へと消えていく。
また、ダメか。
俺がそう思いかけた、その時だった。
工房の奥から、何かが擦れる音がした。薪を炉にくべる音。革の袋が空気を送り出す、懐かしい音。
ふいごの音だ。
やがて、何年も使われていなかった工房の煙突から、か細く、しかし確かに、一筋の煙が立ち上った。
ぱち、ぱち、と火の粉が爆ぜる音がする。
再び、工房の扉が開いた。そこに立っていたドルゴの顔は、いつの間にかうっすらと煤で汚れていた。昨日まで彼の瞳を覆っていた濁った光は消え、代わりに、炉の炎を反射した鋭い光が宿っていた。
「……いつまで突っ立ってやがる、素人」
ドルゴは、ぶっきらぼうに、しかし確かな意志の力を持って言った。
「火の番くらい手伝え。手が、足りん」
それは、長い冬の終わりを告げる、槌音の代わりの第一声だった。
俺は小さく笑うと、固く閉ざされていた工房の中へと、確かな一歩を踏み入れた。
そろそろ主人公を追放した奴等が今頃どうなってるか気になる頃合い。
忘れてませんよ!!!
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