3,農具と鍛冶師の心の傷(前編)
呪われた畑から村へ戻る道すがら、俺はリーリエに比べて口数が少なかった。
彼女は俺の沈黙を、目の当たりにした惨状への同情や、あるいはさじを投げたのだと思ったかもしれない。だが、俺の頭の中は、プロの土木技師としての思考がフル回転していた。
あの土地を再生させるための工程が、いくつもの階層となって脳内に構築されていく。
表土の入れ替え、排水路の確保、土壌改良、そして防御施設の設計。
だが、それらすべての起点となる、最も重要かつ原始的な第一歩が存在した。
「リーリエ」
村の中心部に戻り、井戸の周りで水を汲む村人たちの姿が見えてきたところで、俺は口を開いた。
「畑をどうこうする前に、まず道具だ。話にならん」
「え……?」
「村の農具を見せてくれ。納屋にあるものでいい」
リーリエに案内されたのは、村の集会所の裏手にある、傾きかけた納屋だった。扉を開けると、かびと埃の匂いがむわりと鼻を突く。壁には、数本のクワやスキが立てかけられていた。
俺は無言でそのうちの一本を手に取る。木製の柄はささくれ立ち、刃先は錆びて欠けている。
だが、問題はそんな表面的なことではなかった。
「ひどいな、こいつは」
俺はクワの重心を確かめながら、思わず呟いた。
「柄と刃の重量バランスが最悪だ。これじゃあ、振り下ろした力が刃先に伝わる前に、手首と肘がぶれる。一日使えば体を痛めるだけだ」
さらに、刃と柄の接合部を指でなぞる。
「角度も悪い。これでは土を『耕す』んじゃなく、『叩いて』るだけだ。土が締まる一方で、作物が根を張るための酸素も入らん。はっきり言って、素人の仕事だ」
俺の専門的な指摘に、リーリエはただ目を丸くするばかりだった。彼女にとって、それはただの「古い道具」でしかなかっただろう。だが、俺の目には、使う者の体を蝕み、土地の生産性を下げる「欠陥品」にしか見えなかった。
「こんなものであの畑と向き合ったところで、十年かかっても再生は無理だ。ちゃんとした職人が作った、本物の道具が必要になる。この村に、腕の立つ鍛冶師はいないのか?」
その瞬間、リーリエの表情が、畑の話をした時以上に複雑に曇った。それは悲しみであり、悔しさであり、そしてどうしようもない諦念が混じり合った色だった。
「……います。いました、と言うべきでしょうか」
彼女は、まるで遠い昔の伝説を語るかのように、ゆっくりと話し始めた。
「ドルゴさん、という方です。昔は……それはもう、陽気で、頑固で、自分の仕事に誰よりも誇りを持っている、村一番の鍛冶職人でした。父が言うには、ドルゴさんの打った農具は町でも評判で、わざわざ買い付けに来る行商人もいたそうです。村の男たちはみんな、彼の打ったナイフを腰に下げていることを自慢していました」
その声には、今は失われてしまった村の活気への思慕が滲んでいた。
「ゴブリンの襲撃が始まった時も、ドルゴさんは工房に籠りっきりになって、村を守るための武器や、畑を守るための頑丈な柵を作ってくれました。来る日も来る日も、休まずに槌を振るい続けて……」
だが、そこで彼女の言葉は途切れた。唇が、微かに震えている。
「あの、最後の日……畑が襲われた、あの日。村の若者たちが、ドルゴさんが新しく打った槍を手に、畑の入り口で防衛線を張っていました。その中には、彼の親友だったマルクさんもいました」
「…………」
「でも……魔物の猛攻の中で、マルクさんの持っていた槍が……折れたんです。穂先が、まるで枝のように、ぽっきりと。一瞬の隙を突かれて、マルクさんは……」
それ以上、彼女は語れなかった。だが、すべてを察するには十分だった。
自分の作り上げたものが、最も信頼してくれていたはずの親友の命を奪った。それがどれほどの絶望か。職人であればこそ、その責め苦は想像を絶する。
「あの日以来、ドルゴさんは工房の火を落とし、誰とも口を利かず、お酒に溺れるように……。もう、何年も槌の音を聞いていません。みんな、わかっているんです。ドルゴさんを責める者なんて、誰もいない。でも、彼自身が、自分を許せないんだと思います」
話を聞き終えた俺は、錆びたクワをそっと壁に戻した。
「……その工房とやらに、案内してくれ」
「で、でも、無駄です! 今まで何度も村長やみんなで説得しましたが、彼は『二度と鉄は打たん』の一点張りで……」
「職人には、職人の話の仕方がある」
俺はリーリエの制止を遮り、有無を言わさぬ口調で告げた。
ドルゴの工房は、村のはずれに、まるで世間から隔絶されることを望むかのようにひっそりと佇んでいた。煙突から煙は上がっておらず、頑丈な石造りの建物は、主の心と同じように固く閉ざされている。工房の脇には、上等な木炭が雨除けのシートをかけられたまま、黒い塊となって積まれていた。
扉の前に立つと、中から微かに、酒瓶が床に転がる音が聞こえた。
俺は重い木の扉を、拳で三度ノックした。
「…………」
返事はない。もう一度、今度は少し強く叩く。
やがて、閂を外す重い音が響き、扉が軋みながらわずかに開いた。隙間から現れたのは、酒で赤く濁った目をした、白髪の老人だった。着ているものは汚れ、髭も伸び放題だが、その分厚い胸板と太い腕は、彼がただの酔いどれではないことを物語っていた。
「……リーリエか。何の用だ。見舞いならいらんと言ったはずだ」
ドルゴはリーリエを一瞥すると、次に俺に、獣のような警戒の目を向けた。
「なんだ、てめえは。見慣れねえ顔だな。見世物じゃねえぞ。さっさと帰れ」
「ドルゴさん、この方はケンさんと言って……」
「知るか!」
リーリエが何かを言いかけるのを、ドルゴは怒声で遮った。
俺はそんな彼らのやり取りを無視して、ドルゴの肩越しに、薄暗い工房の内部に視線を送った。様々な道具が整然と壁にかけられている。長年使われていないせいで埃をかぶっているが、その手入れの良さは、持ち主の腕の確かさを雄弁に物語っていた。
俺は、工房の隅にある作業台に、打ちかけのまま放置された分厚い鉄の塊があるのを見つけた。
「……ほう。見事な積層鋼だな」
俺の呟きに、ドルゴの眉がピクリと動いた。
「硬度の違う鉄を重ねて、強度と靭性を両立させる。理屈はわかるが、これだけ厚い鋼材を均一な温度で叩き上げるのは至難の業だ。その焼き入れの跡……温度管理が絶妙だな。だが、もしかして、冷却に使う水か油のタイミングを少し誤ったか?表面に微細な亀裂が見える」
それは懇願でも説得でもない。ただ、目の前の仕事に対する、純粋な技術者としての所見だった。
工房を支配していた酒と怠惰の匂いが、一瞬だけ、緊張で張り詰めた。
ドルゴの濁った目が、初めて俺という存在をはっきりと捉え、鋭い光を放った。この村の誰も、彼の仕事に対してこんな口を利いた者はいなかっただろう。
驚きと、侮辱されたと感じた怒りと、そしてほんのわずかな――同業者に向けた興味。
「……知ったような口を、叩きやがって……!」
ドルゴはそれだけを吐き捨てると、俺たちの目の前で、力任せに扉を閉めた。再び、重い閂のかかる音が響く。
「……すみません、ケンさん。やっぱり、ダメでした」
リーリエが申し訳なさそうに俯く。
だが、俺の口元には、確かな手応えを感じた笑みが浮かんでいた。
「いや、十分だ」
あの目だ。完全に心を失った人間の目じゃない。
分厚い錆の下で、職人の魂はまだ、消えずに燻っている。
あいつを工房に戻すための、最初の火種は投げ込まれた。
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