36,旅の途中
リーリエたちに見送られ、俺が村を出てから、五日が過ぎた。
「おい、小僧! そもそも、なぜこの若造までついてきているんだ? 村の護衛が一人減るではないか。ただでさえ、人手が足りんというのに」
背後から聞こえてくる、ボルガの不平不満。それが、この旅の、いつものBGMになっていた。
俺たちの目の前に広がるのは、道と呼ぶのもおこがましい、荒れ果てた獣道だ。
俺たちが架けた、あの「夜明けの橋」が、まるで、文明と未開の地の境界線だったかのように、その先の街道は、何十年も、人の手が入っていないようだった。
「俺が好きでついてきてるんですよ! ケンさんたち二人だけじゃ、危なっかしくて見てられませんからね!」
最前列で、斥候として周囲を警戒しながら、時折、鉈で茨を切り拓いているガスが、呆れたように振り返る。
「まあ、そう言うな、ボルガさん。こいつがついてくることになったのには、少し、訳があってな……」
俺は、苦笑しながら、旅立ちの前日のことを、思い出していた。
◇
それは、旅立ちの前日の夕暮れのことだった。
遠征の準備をしていた俺の元に、リーリエが、思い詰めたような顔でやってきた。
「ケンさん……。本当に、行ってしまわれるのですね……ボルガさんと、お二人で……」
「ああ。それが、一番、効率がいい」
俺の答えに、彼女は、か細い声で、しかし、強い意志で、首を横に振った。
「……いけません」
「リーリエ?」
「ボルガさんは、戦士ではありません。ケンさんも、ご自分の身を守る術は、お持ちではないでしょう? 万が一、魔物に襲われたら……! 考えるだけで、私は……!」
彼女の瞳が、恐怖と、不安に、大きく揺れている。
俺は、彼女を安心させようと、言葉を続けた。
「俺の【構造解析】があれば、危険な場所は避けられる。それに、無駄な戦闘はしない。大丈夫だ」
「いいえ、大丈夫ではありません!」
彼女は、俺の言葉を、遮った。
「お願いです、ケンさん。ガスを、連れて行ってください。彼が、この村で、一番、森を知り、戦いに長けています。彼がいれば、きっと……!」
それは、彼女の、心の底からの、悲痛な願いだった。
彼女を、これ以上、心配させたくない。
俺が、その頼みを、まさに、引き受けようとした、その時だった。
「リーリエの言う通りです、ケンさん!」
話を聞いていたのだろう。
工房の入り口に、ガスが、息を切らして立っていた。
「俺も、行かせてください! 村長にも、リーリエにも、俺は、でっけえ恩がある。その恩を、今、返さなきゃ、俺は、男じゃねえ!ケンさんたちを守るのは、俺の役目だ!」
リーリエの、涙を浮かべた、必死の眼差し。
ガスの、決意に満ちた、真っ直ぐな瞳。
俺は、そんな二人を前に、降参するように、両手を上げた。
「……分かった。分かったよ、リーリエ。あんたの心配性が、俺を説得した。ガス、護衛を頼む。お前がいれば、リーリエも、少しは、安心できるだろう」
俺の言葉に、二人が、ぱあっと、顔を輝かせたのを、俺は、今でも、はっきりと覚えている。
◇
「……という訳だ。リーリエの、過保護なまでの心配りが、こいつをここに連れてきた」
俺が、焚き火の炎を見つめながら言うと、ボルガは、ふん、と鼻を鳴らした。
「女の涙に絆されたか。小僧らしいわ」
「リーリエに頼まれたからには、ケンさんのことは、俺が絶対に守りやす!」
ガスは、胸を叩いて、自信満々に言った。
俺は、そんな二人のやり取りに、改めて、感謝していた。
リーリエの優しさと、ガスの忠誠心。そして、ボルガの、不器用な仲間意識。
その全てが、この、困難な旅の、何よりの支えになっていた。
「さて、と。明日は、いよいよ国境の山越えだ」
ボルガが、この辺りの古い地図を広げながら言った。
「この先は、ただの魔物だけじゃない。盗賊の類も出るという。……気を引き締めていけよ、小僧ども」
俺は、遠くにそびえる、険しい山々のシルエットを見つめた。
旅は、まだ、始まったばかりだ。
だが、この頼もしい仲間たちとなら、どこまでだって行ける。
俺は、そう固く信じていた。
◇
道中。
ぬかるみに足を取られ、伸び放題の茨が服に絡みつく。
荷物を満載した手押し車が、木の根に乗り上げて、何度も、進路を阻んだ。
「ボルガさん、文句ばっかり言ってねえで、少しは手伝ってくだせえよ!」
最前列で、斥候として周囲を警戒しながら、時折、鉈で茨を切り拓いているガスが、呆れたように振り返る。
「ふん。俺は、古代建築の調査のために、ついてきてやっただけだ。荷物持ちなど、契約にない」
ボルガは、そう言って、ぷいと顔をそむける。
まあ、口ではそう言っているが、手押し車が本気でスタックした時には、誰よりも先に、その構造的な弱点を見つけて、的確な指示を飛ばしてくれるのを、俺は知っていた。
俺は、そんな二人のやり取りに苦笑しながら、常に、意識の半分を、周囲の地形に向けていた。
(この先の窪地、地盤が緩いな。雨水が溜まって、沼地になっている可能性が高い。右手の、あの岩場を抜けるルートの方が、少し遠回りだが、安全か)
俺の頭脳が、構造解析の力で、この荒れ果てた自然の中に、目に見えない「最適解」のルートを描き出していく。
俺は、この三人パーティの、ナビゲーターであり、リーダーだった。
「ガス、前方の窪地は避けろ。右手の岩場を抜けるぞ。ボルガさん、あんたは、岩場の地質を見て、崩落の危険がないか、確認を頼む」
「……ちっ。人使いの荒い小僧だ」
ボルガは、悪態をつきながらも、その目は、既に、専門家としての鋭い光を宿していた。
俺たちは、いがみ合い、文句を言い合いながらも、それぞれの専門知識を駆使して、この未開の地を、一歩、また一歩と、確実に進んでいた。
それは、奇妙で、ちぐはぐで、しかし、間違いなく、最強のパーティだった。
◇
その日の昼過ぎ。
俺の予測通り、窪地は、たちの悪い沼地になっていた。
俺たちが、岩場を抜けて、それを迂回しようとした、その時だった。
「――ケンさん、伏せて!」
ガスの、鋭い声が響く。
次の瞬間、俺たちがいた場所を、巨大な影が、猛スピードで通り過ぎていった。
泥しぶきを上げて、沼地の中から現れたのは、猪のような、しかし、その倍はあろうかという体躯を持つ、巨大な魔物だった。二本の牙は、人の腕ほどもある。
「『沼地の主』だ! くそっ、縄張りに、入り込んじまったか!」
ガスが、即座に槍を構える。
「ただの猪ではないな。あの突進力……まともに受ければ、鉄の盾でも、貫かれるぞ」
ボルガが、冷静に分析する。
沼地の主は、一度、俺たちを威嚇するように、ぶひ、と鼻を鳴らすと、再び、こちらへ突進してきた。
その狙いは、一番前にいる、ガスだ。
「ガス、右へ跳べ! そして、あの倒木を盾にしろ!」
俺は、構造解析の力で、この場の地形と、敵の動き、そして味方の能力、その全てを把握し、最適な指示を出す。
「おう!」
ガスは、俺の言葉に、一瞬の迷いもなく、俊敏な動きで突進をかわし、倒木の後ろへと身を隠した。
ドゴォッ!という轟音と共に、沼地の主が、倒木に牙を突き立てる。
倒木は、ミシリと、嫌な音を立てて、砕け散った。
(だが、それでいい!)
「今だ、ボルガさん!」
「……分かっている!」
沼地の主が、牙を倒木に突き立て、一瞬、動きを止めた、その隙。
ボルガが、荷車から、彼が「調査道具だ」と言って持ってきていた、一本の、長くて頑丈な鉄の杭を手に取り、それを、まるで投槍のように、沼地の主の足元めがけて、全力で投げつけた。
その狙いは、魔物本体ではない。
その、すぐ横の、俺が「構造的に最も脆い」と判断していた、沼地の地面だった。
グズリ、と。
鉄の杭が、深く、柔らかい地面に突き刺さる。
そして、沼地の主が、次の突進のために、そこに全体重をかけた、その瞬間。
「グモォッ!?」
足元の地面が、まるで落とし穴のように、大きく陥没した。
バランスを崩した巨体が、無様に、横倒しになる。
白い、柔らかい腹が、無防備に、俺たちの前に晒された。
「――決めろ、ガス!」
「もらったァッ!!」
ガスは、好機を逃さなかった。
倒木の後ろから、電光石火の速さで飛び出すと、その槍の穂先を、沼地の主の、柔らかい腹部へと、深く、深く、突き立てた。
断末魔の叫びが、沼地に、虚しく響き渡った。
◇
その夜。
俺たちは、仕留めた沼地の主の肉を、焚き火で炙っていた。
ボルガの言った通り、少し泥臭いが、栄養価は高そうだった。
「……しかし、驚いたな。ボルガさんがあんな真似をするとは」
俺が言うと、ボルガは、ふん、と鼻を鳴らした。
「勘違いするな。俺は、貴様の『地盤の脆弱性を利用して、敵のバランスを崩す』という、その一点のアイデアに、興味を持っただけだ。土木技術を、戦闘に応用する……。くだらんが、悪くない発想だ」
素直じゃない男だ。だが、その言葉が、彼なりの、最大の賛辞であることは、もう、分かっていた。
「へへっ、でも、ケンさんの指示は、本当にすげえよな。まるで、未来が見えてるみたいだ。あんた、一体、何者なんだ?」
ガスが、純粋な目で、俺に尋ねる。
「……ただの、土木技師だよ」
俺は、そう言って、苦笑するしかなかった。
自分の身体の秘密も、この世界に来た本当の理由も、彼らに話すことはできない。
焚き火の炎を見つめながら、俺は、村に残してきた、リーリエのことを想う。
彼女は、今、どうしているだろうか。
一人で、あの礼拝堂で、戦っているのだろうか。
(待ってろ、リーリエ。俺は、必ず、お前を救うための『薬』を、手に入れて帰るから)
その想いが、俺の、この旅の、唯一の道標だった。
「さて、と。明日は、いよいよ国境の山越えだ」
ボルガが、この辺りの古い地図を広げながら言った。
「この先は、ただの魔物だけじゃない。盗賊の類も出るという。……気を引き締めていけよ、小僧ども」
俺は、遠くにそびえる、険しい山々のシルエットを見つめた。
旅は、まだ、始まったばかりだ。
だが、この頼もしい仲間たちとなら、どこまでだって行ける。
俺は、そう固く信じていた。
旅の道中です。
もし、続きが気になる、面白い!と思っていただけたら、ブックマークや評価をいただけると幸いです。
いつも、執筆の励みにさせていただいております。




