33,自覚
礼拝堂で、この村が抱える、あまりにも悲しい秘密の全てを知ってしまった。
リーリエは、たった一人で、何年も、この場所で、終わりなき戦いを続けていたのか。村長を、呪いから守るために。
そして、その必死の戦いの余波が、村全体の認識を、歪めて……。
俺は、自分の部屋に戻ると、扉を閉め、そこに崩れ落ちるように座り込んだ。
糸が、切れた。
これまで、どんな難題も「解決すべき仕事」として、俺は乗り越えてきた。
だが、今回ばかりは違う。
相手は、呪いという未知の脅威であり、そして、何よりも、自分が最も大切に思う少女の、悲痛な心の叫びそのものだった。
どうすればいい?
俺のスキルは、呪いには通用しない。
リーリエに真実を告げれば、彼女は、今度こそ、本当に壊れてしまうだろう。
かといって、このままでは、彼女の魂そのものが、いずれは摩耗し、尽きてしまう。
手詰まりだ。完全に。
俺は、らしくもなく、壁を殴りつけた。
鈍い痛みが走るが、心の痛みは、少しも和らがない。
技術者として、リーダーとして、そして、一人の男として、俺は、あまりにも無力だった。
◇
あの日から、三日が過ぎた。
俺は、部屋に閉じこもったまま、ほとんど眠ることも、食事を摂ることもなかった。
ただ、ベッドの上で、天井の木目を、意味もなく見つめ続けるだけ。
思考は、同じ場所を、ぐるぐると、ただ回り続けていた。
コン、コン。
控えめなノックの音と、リーリエの心配そうな声が、扉の向こうから聞こえる。
「ケンさん……? 朝ですよ。食事を、持ってきました。お部屋の前に、置いておきますね……」
彼女が、毎日、三度、こうして食事を運んできてくれていることは、知っていた。
だが、俺は、それに答えることができなかった。
彼女の優しさが、今は、何よりも、辛かったからだ。
そして、四日目の昼。
ついに、扉が、ゆっくりと開かれた。
リーリエが、お盆に乗せた、温かいスープを手に、おずおずと入ってくる。
「ケンさん……」
部屋の中は、昼間だというのに、カーテンが閉め切られ、薄暗い。
ベッドに腰掛け、虚ろな目で床を見つめる俺の姿に、彼女が息を呑むのが分かった。
「……どうして、何も、召し上がってくれないのですか? 体を、壊してしまいます……」
彼女の声は、泣きそうに震えている。
俺は、顔を上げることができない。
今、彼女の顔を見たら、その心配そうな瞳を見たら、俺の中で、何かが、決壊してしまう。
彼女に、全てを話してしまいそうになる。
そして、彼女を、取り返しのつかないほど、傷つけてしまうだろう。
「……ケンさん、お願いです。何か、言ってください……」
彼女は、俺の隣に、そっとスープの器を置いた。
俺は、沈黙を貫いた。
それが、今の俺にできる、唯一のことだった。
やがて、リーリエは、諦めたように、静かに立ち上がる。
扉が閉まる、その直前。
彼女の、しゃくりあげるような、小さな嗚咽が、俺の耳に届いた。
◇
一人になった部屋で、俺は、改めて、自問する。
(なぜだ? なぜ俺は、ここまで、この村に、彼女に、入れ込んでいるんだ……?)
村のためか? 村長のためか?
違う。
俺の脳裏に、彼女の笑顔が浮かぶ。
初めて会った時の、芯の強そうな瞳。
俺の仕事を、誰よりも信じ、応援してくれた時の、眩しい笑顔。
そして、俺の秘密を、涙ながらに、受け止めてくれた、あの夜の、温かい手のぬくもり。
その一つ一つを思い出すたびに、胸の奥が、締め付けられるように、痛む。
守りたい。
彼女の笑顔を、守りたい。
彼女の涙を、もう、見たくない。
その、どうしようもない想いの果てに、俺は、ようやく、自分の本当の気持ちを自覚した。
俺は、リーリエのことが、好きなのか。
いや、違う。そんな、ありふれた言葉じゃない。
俺は、彼女を……愛しているんだ。
その、単純で、絶対的な答えにたどり着いた瞬間。
絶望の闇に閉ざされていた俺の心に、まるで、一条の光が差し込んだようだった。
そうだ。
俺が、やるべきことは、決まっている。
俺が、彼女を、救うんだ。
彼女は、今この瞬間も、無自覚ながら必死に戦っているじゃないか。
俺が絶望してどうする。
俺は、おぼつかない足で、ゆっくりと立ち上がった。
テーブルの上には、リーリエが置いていってくれたスープが、もうすっかり冷めていた。
俺は、その器を手に取ると、一気に、中身を飲み干した。
あたたかい。
それは、数日ぶりに、俺の身体に染み渡る、命の味だった。
顔を上げる。
もう、その目に、迷いはなかった。
俺は、工房へと向かう。
この世界に来て、最も困難で、そして、最もやり甲斐のある「仕事」に、取り掛かるために。
少し、暗くなりましたね。
これからハッピーエンドまで駆け上がっていきます。




