32、礼拝堂の中で
資料室での調査を終えた俺の頭の中には、一つの、あまりにも悲しい仮説が渦巻いていた。
村長は、重い病に倒れた。そして、彼を父と慕うリーリエや、村人たちは、その事実を受け入れるのが、あまりに辛い。だから、誰もが、その話題に触れないのだ、と。
だが、心の隅で、何かが違うと、俺の技術者としての勘が警告を発していた。
あの、あまりに完璧で、不自然な反応。あれは、ただの『気遣い』で説明がつくものなのか……?
確証を得るためには、まず、村長本人に会い、俺自身の目で、その現状を確認する必要がある。
(村長は、生きている。そして、重い病を患っている。だとしたら、一体、どこで療養しているんだ?)
村で、静かに療養できる場所……。
俺は、村の地図を頭に思い浮かべ、一人、歩き始めた。
家々を、畑を、そして森の入り口を。くまなく見て回る。
そして、俺は、一つの奇妙な場所にたどり着いた。
村を見下ろす、小高い丘の上。
そこに、ひっそりと佇む、古びた石造りの建物。
蔦に覆われ、長い間、使われている様子はない。だが、その佇まいは、ただの廃墟とはどこか違う、神聖な空気をまとっていた。
おそらく、村の古い礼拝堂なのだろう。
(……待てよ)
俺は、立ち止まった。
この村に来て、数ヶ月。俺は、一度も、この建物の存在を、誰の口からも聞いたことがない。
村の子供たちが、肝試しをするわけでもなく、恋人たちが、密会の場所に使うわけでもない。
まるで、村人たちの意識の中から、この場所だけが、すっぽりと抜け落ちているかのようだ。
俺は、近くで畑仕事をしていた村人に、声をかけた。
「すまない、あの丘の上の建物は、何だ?」
男は、俺の指さす方を見ると、一瞬、不思議そうな顔をした。
「ん? ああ、あれか。ただの古い廃墟だよ、ケンさん。何もないさ」
男は、そう言うと、すぐに自分の仕事に戻ってしまった。
その反応は、会議の時の、リーリエやドルゴと、全く同じだった。
(……これか。ここが、この村の、もう一つの『空白』か)
俺は、確信を持って、礼拝堂へと続く、草むした坂道を登り始めた。
◇
礼拝堂の、重い木の扉は、鍵がかかっていなかった。
ギィ、と軋む音を立てて扉を開けると、中は、薄暗く、そして、ひんやりとした空気に満ちていた。
床や長椅子には、埃が積もっている。だが、不思議と、荒れ果てた様子はなかった。まるで、誰かが、つい昨日まで、ここで祈りを捧げていたかのように。
俺は、礼拝堂の奥へと進む。
そして、かつて、神父の私室だったであろう、小さな部屋で、それを見つけた。
簡素なベッドの上に、一人の老人が、静かに横たわっていた。
白髪に、深く刻まれた皺。痩せてはいるが、その寝顔は、不思議なほど穏やかだった。
浅く、規則正しい呼吸を繰り返している。生きている。
(……村長)
間違いない。この人が、この村の長だ。
俺は、ゆっくりと、彼のベッドのそばに近づいた。
(原因不明の消耗病……。一体、何が、彼を……?)
俺は、自分の目で、その病の正体を確かめるため、眠る彼に、そっと、意識を集中させた。
「――【構造解析】」
瞬間、俺の視界が、青いワイヤーフレームの世界へと変わる。
そして、そこに映し出された光景に、俺は、息を呑んだ。
村長の痩せた身体。その胸の中心に、渦を巻くように、どす黒い「何か」が、居座っていた。
それは、病気や、怪我といった、物理的な損傷ではない。まるで、黒い靄のような、混沌としたエネルギーの塊。俺のスキルが、その内部を解析しようとするが、弾かれるように、視界にノイズが走る。
【解析不能:高密度な呪詛】
(……なんだ、これは? 病気……じゃない。これが、『呪い』か)
だが、それだけではなかった。
その黒い靄に、必死に抵抗するかのように、一本の、力強く、そして、ひどく優しい、金色の魔力の糸が、村長の身体に、幾重にも、幾重にも、巻き付いていた。
黒い靄が、村長の生命力をじわじわと侵食しようとするたびに、金色の糸が、まばゆい光を放って、それを押し返す。
俺の視界の端に、無機質なシステムメッセージが、次々と浮かび上がった。
【金色の魔力糸:対象の生命活動を維持。時間遅延効果を確認。ただし、術者の消耗により、効果は減衰中】
【副次効果:過剰な魔力放出により、周辺空間に強力な認識阻害フィールドを形成】
(……そういうこと、だったのか)
謎の全てが、一本の糸のようにつながっていく。
村人たちが村長を忘れていたのは、この金色の糸が、村長の命を繋ぎ止めるために、あまりにも膨大な魔力を放出し続けた、その副作用。
そして認識阻害の犯人は、村長をこの世から消し去りたかったわけでも、悪意があったわけでもない。ただ、必死に、その命を救おうとしていただけだ。
俺は、その金色の、優しい魔力の糸から、目を離すことができなかった。
(この魔力の『波長』……この温かい感じ……どこかで……)
脳裏に、あの日の光景が蘇る。
広場で、子供の傷を治していた、リーリエの、あの手のひらの光。
俺に、魔法を教えようとして、その手を握った時の、あの温もり。
(……間違いない。この、あまりにも優しくて、そして、あまりにも必死な魔力は……リーリエのものだ)
彼女は、たった一人で、何年も、この場所で、終わりなき戦いを続けていたのか。
村長を、呪いから守るために。
そして、その必死の戦いの余波が、村全体の認識を、歪めて……。
俺は、眠る村長の穏やかな顔と、彼を包む優しい光を見下ろし、言葉を失っていた。
そして、この村に来て、初めて、自分の無力さを、心の底から、呪った。
リーリエの秘密に迫る――。
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