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2,畑の惨状

 井戸の一件から数日が経った。

 

 澄んだ水が安定して供給されるようになったことで、村の空気は澱んだ沼の底から、ようやく水面近くまで浮上したような、ほんの少しの明るさを取り戻していた。


 村人たちが俺に向ける視線から、あからさまな訝しげな色は消え、代わりに「あの男は何者なのだろう」という戸惑い混じりの興味が宿っているのを肌で感じる。


 その日の夕食後、俺がリーリエの家で質素な豆のスープを啜っていると、彼女は意を決したように、しかし蚊の鳴くような声で切り出した。


「ケンさん……もし、もしもご迷惑でなければ、見ていただきたい場所があるのですが……」


 その言葉に、それとなく近くにいた村人たちの肩が微かに揺れたのを、俺は見逃さなかった。誰もが視線を逸らし、気まずそうに己の食器に目を落とす。まるで、触れてはならない禁忌に触れたかのような反応だった。


 ただ事ではない。俺は静かに頷いた。


「わかった。案内してくれ」




 翌朝、俺はリーリエの後について村の外れへと歩を進めていた。


 村の中心部から離れるにつれて、道は少しずつ整備されていない素顔を覗かせる。轍の跡は消え、雑草が道の真ん中までせり出している。リーリエの口数も、一歩進むごとに減っていった。彼女の背中からは、これから向かう場所への強い忌避と、それでもなお進まなければならないという悲壮な決意が滲み出ていた。


 やがて、朽ちかけた木の柵が見えてきた。かつては畑と森を隔てる境界だったのだろう。その先は、空気が明らかに違っていた。生命の気配が希薄で、じっとりとした湿り気と、腐臭にも似た淀んだ匂いが鼻を突く。


「……ここです」


 リーリエは柵の前で立ち止まり、震える指でその先を指し示した。


 目の前に広がっていたのは、「畑」という言葉から連想されるものとはあまりにかけ離れた、絶望的な光景だった。


 広大だったであろう土地は、赤黒く変色した土が剥き出しになり、そこかしこに緑色の濁った水たまりが点在している。


 まるで巨大な獣が爪で引き裂いたかのような、不自然で深い溝が無数に走り、原型を留めない農具の残骸が、墓標のように突き刺さっていた。


 かろうじて形を保っているかかしは、首をもがれ、だらりと片腕を垂らしている。それはまるで、この土地で起きた惨劇を告発する、物言わぬ証人のようだった。


 鳥の声ひとつしない。風が雑草を揺らす音だけが、やけに大きく耳に届いた。


 俺は無言で一歩、柵の内側へと足を踏み入れた。安全靴が、ぬかるんだ土に「ぐちり」と沈む。


 スキル【構造解析】を発動させると、目に見える情報に加えて、この土地の内部構造が青いワイヤーフレームとなって脳内に流れ込んできた。


 酷いな。土壌の流出が激しすぎる。表土の栄養分はほとんど残っちゃいない。排水性がゼロだ。これじゃ作物が根を張る前に根腐れを起こす。


 だが、それだけではなかった。解析はさらに、土壌の深くに残る微かな痕跡を拾い上げていた。それは、植物のものでも、自然の鉱物のものでもない。おびただしい数の、異質な有機物の残留思念。血と、恐怖の記憶。


 俺が険しい顔で地面を睨んでいると、背後でリーリエが震える声で語り始めた。


「昔は……本当に、豊かな畑だったんです。金色の麦が揺れて、村の子供たちが走り回って……」


 彼女の声が、過去の幸せな記憶を呼び起こすと同時に、それを打ち砕いた悲劇の輪郭をなぞっていく。


「最初は、ほんの小さな兆候でした。森の奥で、ゴブリンを見た者がいる、と。そしてある夜、畑の作物が少しだけ荒らされました。男たちが集まって、追い払いました。その時は、まだ、それだけで済むと思っていたんです」


 だが、それは悪夢の序章に過ぎなかった。


「奴らは、次第に数を増やし、凶暴になっていきました。そして、あの晩……忘れもしない、満月の夜でした。今まで見たこともない数のゴブリンが、雄叫びを上げながら畑に現れたんです。その中には、一回りも体の大きな、ホブゴブリンと呼ばれる上位種もいました」


 村の男たちは、農具を手に必死で抵抗した。だが、相手は武器を持った魔物の軍勢だ。結果は、あまりにも一方的だった。


「私の父も……村長も、片腕を失いました。向かいのミーナさんの旦那さんは……帰ってきませんでした。他にも何人もの人が、命を、体を……」


 リー-リエは言葉を詰まらせ、唇を強く噛み締めた。


「畑は血で染まり、作物は踏み荒らされ、私たちは何もかも失ったんです。それ以来、この場所は『呪われた畑』。誰も近づこうとはしません。魔物の恐怖と、仲間を失った悲しみが、この土には染み付いているんです」


 そうか。だから村人たちはあんな顔をしたのか。

 これは単なる荒れ地じゃない。村人たちにとって、ここは忌まわしい記憶が眠る、巨大な墓場そのものなのだ。


 技術や理論だけでは、決して埋めることのできない深い傷。


 俺はゆっくりとしゃがみこみ、赤黒い土をひとつまみ、指先でこねた。粘土質で、生命の温かさがない。


 だが、同時に感じていた。この土の下には、本来の豊かさがまだ眠っている。


 絶望に覆われているだけで、死んではいない。


「……なるほどな」


 俺は静かに立ち上がると、リーリエに向き直った。


「経緯はわかった」


 同情でも、安請け合いの約束でもない。


 ただ、事実として目の前の惨状と、その背景にある悲劇の全てを受け止めた、という一言。


 だが、その言葉を聞いたリーリエの瞳に、ほんの僅かな光が宿ったのを、俺は見逃さなかった。


 この呪われた土地の再生は、まず、人の心から始めなければならないらしい。

畑編です!!!!!

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