27,商人【ガス視点】
俺は、村の入り口で、一度だけ、ゆっくりと振り返った。
朝日を浴びて、白く輝く「夜明けの橋」。
その上には、俺を見送ってくれる、かけがえのない仲間たちの姿があった。
ケンさん。リーリエ。ドルゴの爺さん。そして、ボルガさん。
皆の想いが、ずしりと、この両肩にのしかかる。
それは、重たいだけの責任じゃない。誇らしくて、温かい、最高の重圧だった。
(ケンさん、リーリエ……みんな。俺、必ず、やり遂げてみせるからな)
俺は、もう一度、前を向く。
そして、村の未来を切り拓く、「最初の使者」として、力強く、一歩を踏み出した。
◇
ケンさんたちが造ってくれた、あの壮麗な石橋を渡り終えた瞬間、そこから先は、まるで別の世界だった。
「……うわっ、ひでえな」
思わず、独り言がこぼれる。
橋とは裏腹に、その先の街道は、ひどいもんだった。
かつては石畳だったであろう道は、ほとんどが土に埋もれ、ひび割れている。道の両脇からは、伸び放題の茨や雑草がせり出して、荷車の行く手を阻んだ。
ガタンッ!
荷車の車輪が、ぬかるみにはまる。
「くそっ!」
俺は、何度も荷車から降りて、自分の手で車輪を泥から押し出さなければならなかった。
服は泥だらけになり、茨で腕は傷だらけだ。
見通しの悪い道の両脇からは、いつ魔物が飛び出してきてもおかしくない。俺は、片時も、腰のナイフから手を離せなかった。
(だけど、ここでへこたれるわけにはいかねえんだ。みんなが、待ってるんだから……!)
俺は、歯を食いしばり、荷車の柄を、強く、強く握りしめた。
◇
丸一日以上をかけて、俺は泥だらけになりながらも、なんとか目的の町「アリア」にたどり着いた。
生まれて初めて見る、大きな石造りの城壁。活気のある人々の喧騒。様々な荷を運ぶ馬車。村では嗅いだことのないスパイスの匂い。
その全てに圧倒されながら、俺は、城門へと向かった。
そこには、二人の衛兵が、気だるそうに立っていた。
「止まれ。名前と、出身を言え」
俺は、背筋を伸ばし、練習してきた通り、はきはきと答えた。
「ガス、だ! 村の名は……」
俺が、誇らしげに村の名を告げた瞬間、衛兵たちの顔つきが変わった。
気だるさは消え、あからさまな侮蔑と、面倒ごとを避けるような警戒の色が浮かぶ。
「はっ? あの『見捨てられた谷』の村か? まだ人が住んでたのかよ、あんな場所に」
「おい、やめとけ。関わるだけ損だ。呪いでも移されたら、どうする」
衛兵たちは、俺の荷車に積まれた、泥はねしてはいるが、それでも分かるほど立派な野菜を一瞥すると、鼻で笑った。
「なんだ、その汚ねえ草は!さっさと帰れ、疫病神」
(なんだと……!?)
頭に、血が上るのが分かった。
俺達が魂かけて育てた野菜を、草だと?
俺は、ケンの言葉を思い出し、怒りをぐっとこらえて、毅然とした態度で衛兵たちをまっすぐに見据えた。
「俺は、商人ギルドに用がある。通してくれ」
しかし、衛兵は聞く耳を持たない。剣の柄に手をかけ、威圧的に言い放つ。
「聞こえなかったのか、小僧! とっとと失せろ!」
万事休す。俺が唇を噛み締めた、その時だった。
「――おいおい、待ちな」
気だるそうな声と共に、一人の男が、門の内側から現れた。
年の頃は三十代くらいだろうか。少しみすぼらしい格好だが、その目だけは、獲物を見定めるような鋭さを持つ、商人風の男だった。
男は、衛兵と俺の間に入ると、俺の荷車に積まれた野菜と、腰に差したドルゴの爺さん作のナイフに、一瞬だけ、鋭い視線を送った。
男の目が、怪しく光ったのを、俺は見逃さなかった。
次の瞬間、男は、まるで旧知の仲のように、馴れ馴れしく俺の肩を組んだ。
「わりいわりい、衛兵さん。こいつは俺の連れだ。少し世間知らずでな。迷惑かけたな、入れてやってくれ」
「な、なんだ、このおっさん!?」
突然のことに、俺も衛兵も、あっけにとられる。
衛兵は、男の顔を見て、面倒くさそうに吐き捨てた。
「ちっ、お前か、クラウス……。また厄介ごとか」
(クラウス……。どうやら、このおっさんの名前らしい。それに、衛兵の奴ら、すげえ嫌そうな顔してるな。あまり歓迎されてる奴じゃねえみたいだ)
衛兵は、まだ何か言いたそうだったが、クラウスと名乗った男が、ギルドの紋章が刻まれた革袋をちらつかせると、それ以上、強くは出られないようだった。
「……問題だけは起こすんじゃねえぞ」
吐き捨てるような言葉を背に、俺は商人の男に導かれるまま、町の中へと足を踏み入れた。
そして、路地裏で、男は、ぱっと俺の肩から手を離す。人懐っこい笑顔は消え、値踏みするような商人の目に変わっていた。
「……さて、小僧。ちいとばかし、貸しができたな? まずは、その荷物の中身を、じっくり見せてもらうぜ」
路地裏に二人きりになった途端、男は、先ほどまでの人懐っこい笑顔を消し、値踏みするような商人の目に変わっていた。
(やべえ……。やっぱり、野盗みたいな奴だったのか……?)
俺は、ごくりと唾を飲むと、いつでも抜けるように、ドルゴの爺さんにもらったナイフの柄に、そっと手をかけた。
俺の警戒を察したのか、クラウスは、やれやれと大げさに肩をすくめてみせた。
「おいおい、そんなに睨むなよ。取って食おうってわけじゃねえ」
彼は、両手を軽く上げて、敵意がないことを示す。
「さっき衛兵の野郎が言ってたように、俺の名はクラウス。見ての通り、しがない商人だ」
クラウスと名乗った男は、一度、俺たちの出てきた城門の方を親指で指し示した。
「あの衛兵どもは、噂や偏見でしか物を見ねえ、石頭だ。だが、俺は違う。俺は、俺の目だけを信じる」
彼の鋭い視線が、俺の腰のナイフと、荷車の野菜へと向けられる。
「お前さんの村が、どんなに『見捨てられた谷』だろうが、知ったこっちゃねえ。だが、お前さんが腰に差してるそのナイフの鋼の輝きと、荷車の野菜の瑞々しさは、間違いなく『本物』だ。俺の商人の目が、そう言ってる」
(……!)
俺は、彼の言葉に、思わず息を呑んだ。
この男は、あの門番たちとは違う。
ちゃんと、見てくれていたんだ。俺たちの、村の、仕事を。
「だから、取引だ」
クラウスは、ニヤリと口の端を吊り上げた。
「俺は、お前さんを助けてやった。その礼に、その『本物』を、この町で、誰よりも先に、この俺に鑑定させろ。話はそれからだ。どうだ? 悪い話じゃねえと思うがな」
(……胡散臭い男だ。だが……)
だが、この町で、初めて、俺たちの村の価値を認めようとしてくれている男でもある。
俺は、ナイフの柄からそっと手を離すと、覚悟を決めて、クラウスをまっすぐに見据えた。
「……分かった。あんたを、信じる」
俺は、荷車にかけていた麻布を、ゆっくりと取り払った。
朝露に濡れた、宝石のように輝く野菜たちが、薄暗い路地裏で、鮮やかな光を放っていた。
それを見たクラウスの目が、ギラリと、本物の輝きを宿したのを、俺は見逃さなかった。
想定していた10倍くらいの反響があったので、続編として第二章開始!!!
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