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18,魔力の圧縮

 あの日、俺たちが「不完全な魔力水」の抽出に成功して以来、数週間が経過した。


 しかし、その後の研究は、完全に泥沼化していた。


 「濃縮」と「安定化」――その二つの高い壁を前に、俺たちは為すすべもなく、ただ時間だけを浪費していた。


 ドルゴの工房は、今や失敗した実験の残骸で溢れかえっている。

 加熱しすぎて炭になった薬草、異臭を放つ謎の液体、ひび割れたガラス瓶。


 そして、そんな混沌とした工房以上に、俺たち三人の間に流れる空気は、よどみきっていた。


「だから、その加熱方法では有効成分まで壊れると言っているんだ!」

「あんたの設計こそ、精密さが足りん! これでは圧力が逃げてしまう!」

「へっ、そいつを言うなら、ケンの理屈そのものがおかしいんじゃねえのか!」


 焦りと、連日の疲労。

 いつ終わるとも知れない試行錯誤に、俺たちの心はささくれ立ち、すり減っていた。


 そんなある夜だった。

 ボルガとドルゴが、いつものように口論をしながら帰って行った後、俺は一人、工房に残って頭を抱えていた。


 テーブルの上には、白く濁った魔力水が入った瓶が、ぽつんと置かれている。

 それは、俺たちの行き詰まりを象徴しているかのようだった。


 その時、背後で、そっと扉の開く音がした。


「……ケンさん」


 振り返ると、リーリエが、湯気の立つ温かいスープの入った鍋を手に、心配そうに立っていた。


「……また、ダメだったのですか?」


 彼女は、研究の進捗を尋ねるのではなく、ただ、疲弊した俺の体を気遣ってくれる。

 その優しさが、張り詰めていた俺の心の糸を、ふと緩ませた。

 俺は、自分でも驚くほど素直に、弱音をこぼしていた。


「ああ。……正直、完全に行き詰まってる。俺の知識だけじゃ、もう限界なのかもしれない」


 俯く俺に対し、リーリエは静かに、しかし力強く語りかける。

 その声は、まるで聖女の祈りのように、俺の心に染み渡っていった。


「ケンさんは、この村に来た時もそうでした。誰もが諦めていた不毛の畑を見て、豊かな実りを信じてくれました。壊れた井戸を見て、綺麗な水が湧く未来を信じてくれました」


 彼女は、俺の隣まで来ると、テーブルの上の、白く濁った液体を指さした。


「今、ケンさんが見ているのも、ただの濁った水じゃない。その先にある、村の未来に続く橋の姿のはずです」


 そして、俺の目をじっと見つめて、微笑んだ。


「だから、諦めないでください。私、信じていますから」


 リーリエの、ひたむきで、絶対的な信頼。

 その言葉が、袋小路に陥っていた俺の思考に、一筋の光を差し込んだ。


(そうだ、俺は、俺の世界の『常識』だけで戦おうとしていた。物理学、化学、工学……。だが、ここは異世界だ。なら、この世界の(ことわり)に、答えがあるはずだ)


 治癒魔法に反応して、その効果を増幅させた「癒やし草」。

 この世界の生命は、俺の知らない法則で動いている。


 ケンは顔を上げると、リーリエに力強く頷いた。

 もう、その目に迷いの色はなかった。


「……ありがとう、リーリエ。もう少しだけ、頑張ってみるよ」


 そして、俺は次の行動を決意する。

 自分たちの知識だけではダメだ。


 俺は、俺の世界の知識だけで、この世界の法則をねじ伏せようとしている。だが、問題の根源は「魔力」そのものだ。


 ならば、それを、もっと根本から理解する必要がある。


 気分転換と、新たなアプローチの模索。

 そのために、俺は村長の家に向かい、リーリエに頭を下げた。


「頼む、リーリエ。俺に、魔法を教えてくれないか」

「えっ!? ま、魔法、ですか?」

「ああ。魔力そのものを、もっと理解したいんだ」


 俺の真剣な眼差しに、リーリエは戸惑いながらも頷いてくれた。




 ◇




 村はずれの静かな広場。


「では……まず、目を閉じて、自分の中の、温かい流れを感じるんです……。川のせせらぎのように、穏やかで、でも確かな流れが、体中を巡っているはずですから」


 リーリエに言われた通り、俺は目を閉じて、意識を自分の内側へと集中させる。

 しかし、やはり何も感じない。


「ダメだ、リーリエ。俺には……」


「そんなことありません! 訓練すれば、簡単な魔法なら誰だって使えるようになるんですから! きっと、コツさえ掴めば……。」


 彼女はそこまで言うと、少し頬を赤らめながら、おずおずと続けた。


「あの、もし……もしよろしければ、少しだけ、手を握ってもいいですか? 私の魔力を少しだけ流して、流れを掴むきっかけになれば……」


 俺は、彼女の提案に少し驚いたが、藁にもすがる思いで「……ああ」と頷いた。


 リーリエの、小さくて細い指が、俺の無骨な手にそっと触れる。

 普段、土や鉄ばかりに触れている俺の手には、その感触が、やけに柔らかく、そして温かく感じられた。


 顔を上げると、耳まで真っ赤にしたリーリエと、ばっちり目が合ってしまった。

 彼女は、はっとしたように、慌てて視線をそらす。


「い、いきますね……。私の、この温かい感じ、伝わりますか……?」


 リーリエの手のひらから、ふわりと、温かい光が放たれる。

 だが、その光が俺の体に触れた瞬間だった。


「きゃっ!?」


 リーリエが、まるで感電したかのように、弾かれたように俺から手を離した。彼女の顔は、驚きと、信じられないものを見たという畏怖で、真っ青になっている。


「り、リーリエ!? どうしたんだ!」


「け、ケンさん……一体、あなたの中には、何があるのですか……?」


 彼女は、震える声で言った。


「まるで、静かで穏やかな湖だと思っていたら、その底が、全く見えないほど巨大な……静まり返った、ダムのようで……」


(ダム……? 何のことだ? 俺には、相変わらず何も感じられないが……)


 リーリエは、ごくりと唾を飲むと、続けた。


「ケンさんには、信じられないくらいの魔力の量があります。でも、それは流れずに、ただそこに、膨大に在るだけで……それを動かすための回路が、まるで無いみたいで……。こんなこと、聞いたことがありません」


 俺は、その言葉に、自分の体の秘密の一端を、垣間見た気がした。


(……絶大な、しかし使えない魔力。なるほどな)


 俺は、自分の手のひらを見つめた。


(俺がこの村のためにすべきことは、この得体の知れない、俺個人の力に頼ることじゃない。そんなことをすれば、俺がいなくなった時、この村はまた立ち行かなくなる。そうじゃない。俺の知識と技術で、この村が、村の人々自身の力で、未来永劫、自立できる仕組みを創ることだ)


 俺の中で、進むべき道が、より明確になった。


「……すまない、リーリエ。驚かせたみたいだな。どうやら、俺は本当に、魔法には向いてないらしい」


 俺がそう言って苦笑すると、リーリエはまだ驚きを隠せない顔で、何度も首を横に振るのだった。

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