11,それぞれの現場
崖崩れの現場は、数日前とはまるで違う、熱気に満ちた「仕事場」に変わっていた。
村の男たちが声を掛け合いながら、土砂を運び、俺が教えた通りに土嚢を積み上げていく。
最初の絶望はどこにもない。皆の顔には、自らの手で未来を切り拓いているという、確かな自信が満ちていた。
「おい、そこ! 腰で上げちゃダメだ、膝を使えってケンさんが言ってたろ!」
若い村人が重い土嚢に苦戦していると、ガスがひょいと隣にやってきて、軽々と持ち上げてみせた。
「へへっ、こうやるんだよ。体全体を使うのがコツだぜ」
「す、すげえなガス……!」
「だろ? 狩りもそうだが、ケンさんに色々教わって、体の使い方が分かってきたんだ」
得意げに笑うガスは、もうただの村の若者じゃない。仲間を引っ張るリーダーの一人として、頼もしく成長していた。
俺は、組み上がった土嚢の壁の高さを確認しながら、その様子に目を細める。
いい雰囲気だ。
この調子なら、擁壁の完成はそう遠くないだろう。
だが――。
(問題は、この先だ……)
俺の視線は、自然と擁壁の向こう、ごうごうと流れる谷へと向かう。
あの谷を越えなければ、この道は繋がらない。
「ケンさん、お昼にしましょう!」
不意に、背後から明るい声がした。
振り返ると、リーリエが村の女たちと一緒に、大きな荷車を押してきていた。大鍋からは、湯気の立った美味そうな匂いが漂ってくる。
「おお、待ってました!」
「腹減ったー!」
作業をしていた男たちから、歓声が上がる。
つかの間の、楽しい昼食の時間だ。
◇
「どうぞ、ケンさん。今日は猪肉のスープですよ」
「ああ、ありがとう。美味そうだな」
リーリエから木の器を受け取り、俺は岩に腰を下ろす。
彼女は、俺の隣にちょこんと座ると、自分の分のスープをふーふーと冷ましながら口に運んだ。
「……美味しいです」
「ああ、美味いな。ここの村の料理は、素朴だが、素材の味がしっかりしてて好きだ」
「えへへ……ありがとうございます」
リーリエは、嬉しそうに頬を緩ませる。
だが、俺の視線が、食事中も谷の方へ向いていることに気づいたのだろう。
彼女は、少し心配そうに俺の顔を覗き込んだ。
「……やはり、橋のことが気になりますか?」
「……ああ。悪いな、せっかくの食事中なのに」
「いえ、そんなこと……」
俺は、ため息を一つ吐いた。
「擁壁作りは、皆の頑張りでどうにかなる。だが、橋だけは、気合と根性だけじゃどうにもならない。あれは、専門的な知識と、高度な技術が必要な、全く別の仕事なんだ」
その言葉に、リーリエの表情が曇る。
彼女を不安にさせたいわけじゃない。だが、リーダーである彼女には、正確な状況を伝えておく必要があった。
「あの、ケンさん……」
沈黙を破ったのは、リーリエの方だった。彼女は、何か話題を変えようと思ったのかもしれない。
「いつもお聞きしようと思っていたのですが……ケンさんが、井戸や畑、それに今回の土嚢作りで、色々なことを見抜いたり、思いついたりする時の『コツ』というのは……もしかして、スキルなのですか?」
その問いに、俺は少しだけ驚いたが、隠すことでもないので頷いた。
「ああ。『構造解析』と『最適化』というスキルだ。戦闘には向かない、地味なスキルだよ」
「構造解析……と、最適化……」
リーリエは、その言葉を繰り返す。
「なるほど、だからケンさんは、物の仕組みや、どこが弱いのかが一瞬で分かるのですね。それに、一番いい方法をすぐに見つけ出せる……」
彼女は納得したように、ポンと手を打った。
「なんだか、私の知っている『鑑定』スキルに少しだけ似ています」
「鑑定スキル?」
聞き返すと、リーリエはにこやかに説明してくれた。
「はい。物の名前や価値が分かったり、人のステータスが見えたりする、とても珍しいスキルなんです。ケンさんのスキルは、それをもっと専門的に、深くしたような感じなのですね。すごいです」
(鑑定スキル……。物の価値やステータスが見える、か。便利なスキルだな。まるでゲームだ)
異世界に来てから、どこか現実離れしたこの状況に無理やり自分を納得させてきたが、やはりここはそういう世界らしい。
(それにしても、俺のスキルも大概だが……。建造物から作業工程、果ては草の編み方まで、あらゆるものの構造を解析して、最適な答えを導き出す。使い方次第では、とんでもなく強力なスキルだ)
こんなチートなスキルを、『地味で使えない』と切り捨てた勇者たち。
(……そう考えると、あのガキどもが、少しだけ哀れに思えてくるな)
俺は、そんなことを考えながら、思わず口元に浮かんだ小さな笑みを、スープをすすることで誤魔化した。
リーリエは、そんな俺の心中など知る由もなく、いつものリーダーの顔に戻って、にこりと微笑んだ。
「……大丈夫です。ケンさんなら、きっと何か方法を見つけてくれます。村の皆、そう信じていますから」
その真っ直ぐな信頼に、俺は少し気恥ずかしくなって、頭を掻いた。
「……そうだな。やるしかねえよな。ありがとう、リーリエ」
彼女の応援は、素直に力になる。
◇
その頃、村では。
昼食を届け終えたリーリエが、村に残った人々の様子を見て回っていた。
広場では、数人の女たちが、次の食事の準備のために、大きな野菜を切り分けている。
「リーリエちゃんも、大変ですわねえ」
村の長老でもある老婆が、優しく声をかける。
「うふふ、なんだか最近、リーリエちゃんのお顔つきが、とてもよくなりましたよ」
「えっ!? そ、そんなこと……!」
「恋する乙女は、美しいものだからねぇ」
「ち、違いますってば!」
顔を真っ赤にして否定するリーリエの姿に、女たちの間から楽しそうな笑い声がこぼれた。
別の場所では、十人ほどの村人が、黙々とギシギシ草を編み、土嚢を作り続けている。
「ケンさんの言う通りに編むと、本当に丈夫になるもんだねえ」
「ああ。それに、自分の作ったものが、村の未来になるって思うと、なんだか力が湧いてくるよ」
彼らの手は休まることなく、村の未来を、一目一目、着実に編み込んでいた。
◇
夕暮れ時。
一日の作業を終えた俺たちが、現場で後片付けをしていると、森の中からガサガサと大きな音がした。
「ケンさーん! リーリエー! 獲物だぜー!」
現れたのは、泥だらけのガスと、数人の若者たち。彼らは、巨大な猪のような魔物を担いでいた。
「おお! やったな、ガス!」
「へへん! ケンさんに教えてもらった罠のおかげで、楽勝だったぜ!」
誇らしげに胸を張るガス。
皆の顔には、一日の仕事を終えた満足感と、豊かな夕食への期待が浮かんでいる。
組み上がった擁壁は、夕日を浴びて、頼もしくそびえ立っていた。
希望に満ちた、完璧な一日の終わり。
だが、そんな穏やかな空気の中、ドルゴが、静かに、だが重い口調で言った。
「……ケン。この壁作りも、もうすぐ終わりが見えてきた。だが、肝心の問題は、手つかずのままだぞ」
その視線は、俺と同じく、暗い影を落とす谷間に向けられていた。
「……分かってる」
俺が短く答えると、それまで黙って俺たちの会話を聞いていたリーリエが、ふと、何かを思い出したように顔を上げた。
「……専門家、ですよね。ケンさんが、専門家の力が必要だと……」
彼女は、ドルゴの方を向いた。
「ドルゴさん、昔、おばあ様から聞いた話を、覚えていらっしゃいますか?」
「ん? なんだ、急に」
「昔、国がこの先に橋を架けるために、都から天才的な技師様を呼んだけれど、計画が中止になって……その方が、近くの廃採石場に引きこもってしまった、というお話を……」
(国が、橋を……?)
リーリエの言葉に、俺の思考が数日前の記憶へと飛ぶ。
(なぜ、こんな山奥の辺境に、国がわざわざ橋を架けるんだ……? やはり、この前の話と繋がるのか。この村が、ただの村ではなかったという、あの……)
調査の日に見た、不自然なほどに頑丈で、丁寧な造りの古い石垣。
ドルゴが言った「この村が、まだ『村』じゃなかった頃」という言葉。
点と点が、頭の中で繋がりかけていた。
その言葉に、ドルゴの目が、わずかに見開かれた。
「……ああ、そういや、そんな噂があったな。廃採石場の変人か。気難しくて、誰とも口を利かねえって話だったが……」
廃採石場。変人。天才技師。
その単語が、俺の頭の中で、一本の線で繋がった。
「……詳しく聞かせてくれないか。その男のこと、知ってる全てを」
俺の目に、新たな光が宿ったのを、仲間たちはまだ気づいていなかった。
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