ハラスメントのない浦島太郎
A氏は古今の昔話をまとめている作家だ。
出版社のH氏から、新しい昔話本の作成を頼まれ、頭をひねっていた。
H氏が言うには、これからの時代、ハラスメントやコンプライアンス違反のない物語が求められるらしい。
「昨今、グリム童話の『ヘンゼルとグレーテル』でも、継母に捨てられるというような『子捨て』の要素は省くことが望ましいとされています。日本の昔話でもできるだけ、モラルに反するようなことは排除していくべきだと思うのです」
H氏の言いたいことは、A氏にも理解できた。
子捨て、婆捨てや盗みなどの要素の入った物語をわざわざ子供に見せれば、ショックであろう。何より、昔話を購入する親が子供に見せたくないに違いない。
A氏は日本を代表する物語、浦島太郎に思いをはせ、ペンをとった。
ある日、太郎は海辺でカメをいじめている子たちに出会った。
「これこれ、カメをいじめてはいけないよ」
──あ。これ、だめなやつ。
A氏は愕然とした。
冒頭から、無抵抗のカメに子供たちが暴力をふるっている。
A氏は冒頭を書き直した。
ある日、太郎は海辺で、人をのせられるほどの大きなカメに出会った。
「でかいカメだなあ」
「やあ、君、竜宮城に行ってみない?」
カメは太郎を自分の住んでいる海に誘ってくれました。
「え? それって、どんなとこ?」
「美しい乙姫さまがいて、ごちそうもありますよ」
「わ、行ってみたい!」
太郎は、カメの甲羅の上にのって、竜宮城へ向かうことにしました。
──よし。あ、でも、これだと、甘言にのせられて知らない人についていってしまうみたいになっているな。
昨今の防災では『いかのおすし』という用語がある。
①いか 知らない人にはついていかない
②の 声をかけられても車にはのらない
③お 知らない人につれていかれそうになったら、おおごえをだす
④す 声をかけられたり、追いかけられそうになったら、すぐに逃げる
⑤し 怖いことにあったり、見たりしたら、すぐに大人にしらせる
つまり、この冒頭では、太郎はカメにより竜宮城への連れ去りにあったことになってしまう。これは子供の教育に良くない。
A氏は悩んだ。
とりあえず、カメと浦島を知人とする。
だが、知っている人なら、そのままついていっていいものだろうか? 太郎は一応、成人した男性という設定だ。だから、保護者に連絡して出かける必要は本来なら、ない。だが、昔話は子供が読むものである。多少なりとも、子供への影響を考えるなら、竜宮城にいってくるむね、誰かに伝えておいた方がよいのではなかろうか。
それにしても、太郎は漁師であるが一人で漁師をしているのだろうか? 自分の家の舟をもち、ひとりで漁をしているなら問題ないが、誰かと一緒に漁をしているのであるなら、少なくともいつまでは休むとか伝えておくべきだ。何も言わずに仕事をバックレるのは、社会人としてあまりにも無責任であろう。
「そういえば、浦島太郎はもともとカメが乙姫だという異類婚姻譚という話があったな」
浦島太郎は日本全国に古くからある物語だ。
古い説話では、カメである乙姫が浦島太郎を異郷で夫婦になろうと持ち掛けるらしい。もともと異郷も、海でも地上でもない場所だった。
江戸期には太郎と乙姫が舟で竜宮城にたどり着くとした話もあったのだ。のちに、乙姫は海神の娘であるという説がでてきて、カメは単純に眷属の位置づけになっていったらしい。
そもそも日本書紀や万葉集に描かれた浦島太郎の物語は、いわゆる報恩譚ではない。あくまでも、太郎と乙姫のラブロマンスと、最後に太郎におそいかかる時の流れの残酷さの物語なのだ。
現在知られている『浦島太郎』の物語は明治時代に『小学校の教本』として編集されたものが骨格になっている。
ゆえに、『善行に対する報恩』『約束を破ったことの報い』がクローズアップされ、物語の大事なファクターであった『夫婦』の要素が抜け落ちてしまった。
「いくら子供が読むものだからといって、何でもかんでも教訓をいれる必要はなかろう」
A氏は首を振る。
子供が触れるものだから、何かを学ばせたい、学んでほしいと願うのは大人として当然なのかもしれない。だが、そうした大人の思惑が物語や本への忌避感を育てている側面もあるのだ。
「物語としては報恩より、ラブロマンスのほうがきっと楽しいだろうな」
ただ、対象が子供である以上、恋愛的な駆け引きなどは控えるべきなのだろう。せいぜい『お嫁(お婿)になる』『この人が好き』程度だ。それでも、その要素は本来の物語としては大切なエッセンスである。
そして普通に考えて、成人した男女が恋に落ちて夫婦になる物語に親兄弟はそれほど必要はないが、浦島太郎の場合は、『望郷』という要素が不可欠である。単純に『故国』では弱い。両親がいたという話の方が子供にはより分かりやすいだろう。
ならばやはり竜宮城に行くことは伝えておくべきだ。時の流れが違いすぎて、帰ってきた時には両親は死んでいたのは変えられない。変えられないが、両親はただ老いて、息子の帰りを待っていたとするならば、あまりにも親不孝だ。
A氏はもう一度ペンをとった。
「お父さん、お母さん、僕は竜宮城にいって、乙姫の婿になることになりました」
「すみません。遠い地になりますので、なかなか会いに来ることはできないかと思います」
太郎の両親の前で、美しい乙姫は頭を下げます。
今日は、太郎の婿入りの日です。
砂浜には両親をはじめ、村人たちがお祝いに駆け付け、遠くから見守っています。
「いやいや、うちの太郎が乙姫さまの父君である海神さまの仕事をきちんと手伝えるかどうか不安ではありますが、父君によろしゅうお伝えくださいませ」
太郎の両親は砂に額をつけ、そういいました。
「太郎、私たちのことはもういないものと思い、乙姫さまを何よりも大切にしなさい」
「はい」
ただの漁師である太郎が、海神の娘である乙姫と添い遂げることになったのは、浦島家にとってこの上もなく栄誉なことです。両親は二人の結婚を喜んでくれました。
太郎と乙姫は祝福され、竜宮城へと旅立っていきました。
ここまで書いて、A氏はふうっと息をついた。
カメをいじめる冒頭と違い、随分と輝かしい冒頭になった。話の雰囲気は随分と違うものになったが、浦島太郎はもともとこういう物語なのだから問題はないだろう。
これで、太郎が三年間と思う期間、両親のことを思い出さなくても、親不孝とは言えないだろう。それにしても、近代『浦島太郎』で描かれるタイやヒラメが舞い踊り、日夜どんちゃん騒ぎをしているだけの竜宮城の生活はいかにも怠惰で、よほど教育上よろしくない。もちろん、子供が読むものなので、夫婦生活を赤裸々に描くのも間違っている。
A氏は顎に手を当て、考え込んだ。
それから太郎は、乙姫の父である海神の仕事を手伝いながら、乙姫とともに仲良くくらしておりました。
三年が過ぎたある日、乙姫と太郎との間に子供が生まれました。
太郎は嬉しさのあまり、両親にも子供の姿を見せたい、それが無理なら、せめて子供が生まれたことを伝えたいと、乙姫に頼みました。
乙姫は、子供はまだ海から出ることができないため、一緒に行くことはできない、太郎が一人だけ地上に戻るならば、と許してくれました。『決して開けてはいけません』と言われた玉手箱を手に、太郎は地上に戻ることができました。
太郎は逸る心で、自分の家へと向かいましたが、そこに家はなく立派な墓がありました。両親の名前が彫られています。近所の人に聞くと、知り合いはもう誰もおらず、太郎が婿入りしてから既に三百年の月日が流れていました。
太郎はあまりのことに驚きました。そして驚きのあまりによろめいて、玉手箱を落としてしまい、ふたが開いてしまいました。
するともくもくと煙がたちのぼり、太郎は白髪の老人になってしまいました。
ないださざなみ、たろうのてがみ
ほうりょうのしらせ たろうのてがら
童たちがどこかで歌を歌っています。この村は、太郎が竜宮城へ婿入りしたことにより、嵐にもあわず、豊漁が続いていたのです。
「ああ、なんてことだろう」
地上にもう知り合いは誰もおらず、約束を破ってしまったせいで、もう乙姫に会うこともできません。
絶望した太郎は、そのまま鶴になり、空へ旅立っていきました。
「えっと、これが、浦島太郎?」
「はい」
仕上がった物語を目にした、H氏は目を丸くした。
「物語の原型に戻し、いじめの要素をなくしました。さらに、子供の教育的な視点もかんがみてみました」
「しかし浦島太郎が婿入りとは……」
H氏は少し眉を寄せる。
「もともと浦島太郎は押しかけ女房的なお話です。無理にカメに恩を売るよりはこのほうが自然ですから」
「玉手箱はそのままなのは?」
「それをなくしたら浦島太郎の物語ではなくなります」
A氏は断言する。
もちろん玉手箱がなくても、太郎の悲哀は表現できるだろう。ただ、それがあったほうが『もう取り戻せないものへの悲しみ』がわかりやすい。
「ふむ。なるほど」
H氏は表情の読めない顔で、原稿を見つめている。
「あの、それで、次は『桃太郎』を書こうと思っているのですが」
A氏は話を切り出した。
「いろいろ考えたのですが、やはり唐突に鬼退治をして宝を奪うのはどうかと思うので」
「まあ、そうだが」
H氏は頷く。桃太郎は勧善懲悪の物語だ。そのわりに鬼の悪行はあまり語られることが少ない。見方によっては、桃太郎の方が悪逆非道である。
「苦難の末、鬼ヶ島にたどりついて、ありがたい宝を鬼から譲り受けて帰るという話にしてはどうでしょう?」
「それ……『西遊記』だよ」
H氏は思わず呟き、首を振った。
あまりオチなかった( ;∀;)