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悪役令嬢に贈るカーテンコール

作者: 高野 耶麻

 卒業パーティー(プロムナード)とは決まって華やかなもの。

 とはいえ、グランクニソン学園のそれは特に際立っている。


 グランクニソン学園は貴族だけではなく平民にも門戸を開いてはいるが、入学試験は難関を極める。

 しかし、入学さえできればべノー王国でも最上級の教育が約束されており、当然のごとく卒業生の将来は明るい。

 官職となる者や王族の侍従や侍女となる者は当然のようにいるし、高位の魔術師や神職者にも学園の卒業生が数多くいる。

 また、王位継承権を持つ王族や高位貴族も学園の出身者が多い。

 それと同時に、本来ならばデビューの舞踏会(デビュタント・バル)にも出られない身分の者もいる。

 だからというべきか、グランクニソン学園の卒業パーティーはデビューの舞踏会も兼ねている。

 デビューの舞踏会というからには国王夫妻も参列する為、それ相応の華やかなパーティーとなっているわけだ。


 当然、そのような場で問題を起こそうなどと思う者はおらず、起きるはずもない。

 ――本来ならば。


 喜びを滲ませた会話が繰り広げられるはずのホールの中心にひとりの娘が立っている。

 存在感を主張する赤いドレスは黒と金の糸でいくつものバラが大きく描かれ、金細工の髪飾りが結い上げられた黒髪を彩っている。


 卒業パーティーでもあるということで、デビューの舞踏会でありながらドレスは白に限られてはいないが、この娘のものほど主張が強いドレスを着る者はそうそういない。


 しかし、彼女が注目を集めているのはそこではない。

 その姿を認める度にざわめきがひとつ、またひとつと大きくなる。


「やはり、おひとりですのね……」

「婚約者が一緒でないということは」


 そう、彼女――エノー公爵令嬢クロティルド・ルイーズ・デュ・アルトはたったひとりでこの場所に立っていた。

 婚約者のエスコートを受けず、だ。


「近頃のあの方の行いはあまりにも……」

「ええ、今では立派な『悪役令嬢』ぶりですもの」

「嫌がらせのお相手がよりにもよって『救国の聖女』。貴族の立場でも平民の立場でも、庇う余地がないわ」


 そんな観衆の声はクロティルドの耳に届いている。

 しかし、彼女は微動だにせず、ただただホールの入口を見据えている。


「あの『悪役令嬢』の役は素晴らしかったんだがな……それが()()()()()()()()()()()()()()のはいただけない」

「ええ、本当に。わたくし、あのクロティルド様のお芝居には感銘を受けましたのに……」

「芝居ではなく本性だったとはね」


 一年次の学園祭で彼女のクラスは劇を演じた。

 不幸な生い立ちの娘が困難を乗り越え幸せになるという、内容そのものはありきたりな話。

 過去の学園祭での演劇は、学園内でいっときの話題になるかどうかであった。

 だが、クロティルドが演じた悪役の貴族令嬢が光った。

 その迫真の演技は初めて演劇を目にする平民はもちろん、目が肥えた貴族も絶賛するものであった。


「まさかクロティルド様があのようなことをされるとは」

「まさか、なんて思えたのはいつ頃までだったかな。

 温和で聡明な素晴らしい女性だったのに、嫉妬にふりまわされるとはね」

「今では日常になってしまったものね。まさしく『悪役令嬢』だわ」


 軽蔑と好奇。

 クロティルドが『救国の聖女』と称えられる同級生に働いた嫌がらせの数々がそこかしこで上げられる。

 聖女にぶつかられたと難癖をつけた、聖女からハンカチを取り上げインク壺に浸した、教科書を暖炉に投げ入れた、など。

 公爵令嬢として、いや、人としてあるまじき行いの数々。


「この前など、侮辱しただけでなく手も上げられて」

「それはさすがに噂だと思っていたけれど、本当なの?」

「ああ、それなら俺も見たよ。それどころか、階段から突き落とそうとまでしていた」

「まあ……」


 パシッ。

 クロティルドが扇子を己の手に軽く打ち付けただけの音が響き渡り、観衆はいっせいに口を噤んだ。

 パシッ。

 再び、同じ音。

 鋭さを増したクロティルドの視線は貫くようにホールの入口に向けられていた。

 幾人もの入場者がいる中で、彼女が誰を睨んでいるのか。

 その場の誰しもが理解していた。


「ルシアン様。これは、いったいどういうことでしょうか?」


 よく通る声で問いかける。

 クロティルドの婚約者である第三王子ルシアン・シャルルに向けられているが、言葉の棘はその隣に立つ聖女――ニナ・クレマンを刺している。

 淡い水色のふんわりとしたドレスは、戦装束のように赤いドレスを身に纏うクロティルドとは対象的だ。


「クロティルド……」

「ルシアン様の婚約者はエノー公爵家の娘であるわたくし、クロティルド・ルイーズ・デュ・アルトであったと記憶しておりますが」

「……ああ、そのとおりだ」

「それではなぜ、わたくしではなくそこの卑しい身の娘がルシアン様のエスコートを受けているのでしょう。

 わたくしに教えていただけますか?」


 クロティルドの唇が優美な弧を描いた。

 けれど、瞳の底に激しく燃える怒りの炎があることはホールの誰もが気付いている。


 何もかもを燃やし尽くしそうな炎に気圧されつつも、ルシアンはその背にニナを庇う。

 クロティルドの赤い瞳がすうっと細められた。


「わたくし、何度も申し上げたはずですわ。

 情けをかけるのは結構ですが、程度というものがあるでしょう、と」

「クロティルド、僕も何度も言った。やましいことは何もしていないと」

「ならばお答えくださいな。なぜ、その娘がルシアン様のエスコートを?」

「……手紙が届いているはずだ」

「手紙……?」


 バシッと、扇子が先ほどよりも強く手のひらに打ち付けられた。

 眦がつりあがり、微笑みで取り繕うことを忘れた唇が怒りで震えている。

 観衆の中でも気の弱い者たちが怯えて後ずさる。


「ルシアン様には()()()()が出来たため、パーティーを欠席するように……あのような戯言が書かれただけの手紙で納得しろと仰るのですか!?

 今なお、事の説明もないというのに!?」


 ルシアンの青い瞳が言葉を探すように揺れた。

 保身のためというよりも、気遣わしげな態度。

 お優しい方だと囁く観衆もいるが、クロティルドにとっては神経を逆撫でする態度だ。


「なにも仰っては下さらないのですか!?」

「……手紙の(いん)が誰の物か、君は気付いているんだろう?」


 苦しげに吐き出された言葉にクロティルドの肩が強ばった。

 ルシアンが言葉を伏せたのは具体的な差出人を観衆に知らせないようにという、クロティルドへの気遣いだろう。

 しかし、観衆はグランクニソン学園の優秀な卒業生と在校生が大半を占める。

 手紙の主は国王あるいは王妃だろうと、皆が察するにはじゅうぶんだった。


「クロティルド……君のしたことは、もう誰にも庇えないところまで来てしまったんだよ」


 ニナが『救国の聖女』と呼ばれてるのは事実、彼女が国を救ったからだ。

 そんな人物に害を与え続けたのであれば、いかに王子の婚約者といえど処罰は免れない。

 いや、すでに処遇は決まっているのだろう。

 このような場で王子のパートナーから外されたということは、つまり――。


「クロティルド様……!」


 ニナが震えながらも声を張り上げた。

 震えを隠すために手を強く組み合わせながらも、ルシアンに頼らず、己の力でクロティルドと対峙しようとするその姿は健気だ。

 それが、クロティルドを苛立たせるのかもしれないが。


「どうか、どうかもう……おやめ下さ

「お黙りなさい! わたくしは、お前ではなくルシアン様と話しているのです!

 身の程も知らない、思い上がった平民ごときが割ってはいらないで頂戴!」


 怒声がシャンデリアを揺らす。

 びりびりと空気を介して伝わるのではと思わされるほどの怒気だった。

 業火のような怒りに包まれたニナの唇が空気を求め、震え、喘ぐ。


「ルシアン様の婚約者はわたくしなのです!

 どうして、どうしてお前がっ!!」


 王子の婚約者として育てられた娘の、婚約者を慕う娘の叫び。

 肩をいからせ、手中の扇子は折れそうなほどに強く握りしめられている。

 公爵令嬢にあるまじき醜態に、ある者は眉をひそめ、またある者は哀れみの目を向け、またある者は嘲笑を浮かべた。

 もしクロティルドが淑女教育を受けていないただの娘であったなら、髪が乱れるほどに頭を掻きむしっていただろう。


「そこまでだ、クロティルド」


 低く厳かな声が響いた。

 いっとう高いところに設けられた特別席を全員が見上げる。

 王冠を戴いた、べノー国でもっとも尊い身の人がそこにいた。

 当然、その隣にはこの国の女性を統べる淑女がいる。


「国王陛下……!」

「そなたの聡明さを評価していたのだが、残念だ」

「陛下、そんな、お待ちください! わたくしはっ!」

「ニナ・クレマンは我が国を救ったのだ。

 彼女の成したことを正当に評価できぬばかりか、その身を害することは我が国に刃を向けたと同義」

「この場を欠席するように申し付けたのは、これまで懸命に務めを果たしてきた貴女への情けだったのですが……本当に残念です」

「王妃殿下! 嫌です、わたくしはっ、ルシアン様をお慕いしてっ!」

「皆も察しておろうが、改めて宣言する。

 我が息子、第三王子ルシアン・シャルルとエノー公爵令嬢クロティルド・ルイーズ・デュ・アルトの婚約は本日、この時をもって破棄とする!

 また、ニナ・クレマンに対する危害については詳しく調査を行った上で処罰を与える!」

「いやあああああああああああああああ!!」


 クロティルドが絶叫とともに崩れ落ちた。

 床に広がったドレスの赤は、彼女が血溜まりの中にいるような錯覚を観衆に与える。

 観衆のさまざまな感情がクロティルドに注がれる中、もっとも色濃く憐憫の情を向けているのはルシアンだろう。

 それは婚約者だった相手へのものか、それとも統治者としてのものか。

 どちらにせよ、クロティルドにはなんの慰めにもなりえない。


「あああああ! どうして、どうしてっ!?

 ルシアン様の隣に立つのは、わたくしなのに!!

 どうしてえええええ!!!」


 するりと、ルシアンに庇われていたニナがクロティルドに近寄る。

 その足取りはあまりにも迷いがなく、ルシアンが止める間もなかった。


「ニナ!?」


 ルシアンが声をかけた頃には、すでにニナはクロティルドに寄り添うべく膝を着き――


「クロティルド様……っ!」


 その手がクロティルドの白い肩に触れる寸前、ドレスと同じ赤に包まれた手に払われた。


「お前ごときがわたくしに触れないでっ!」


 クロティルドの怒り炎は涙に濡れてなお燃えている。

 いや、むしろその激しさは増し、業火と呼ぶのが相応しい。


「お前さえいなければ、わたくしはっ! 今もルシアン様の隣にいられたのにっ!! お前さえいなければっ!!!」


 扇子を握った手が振り上がる。シャンデリアの光を浴びた扇子が、まるでナイフのように鈍く輝く。

 しかし、二人の間にルシアンが割って入った。

 クロティルドの顔が悲哀に歪む。

 ニナに手を上げることに躊躇いはなくとも、ルシアンを傷付けることはクロティルドにはできない。

 振り上げられた手は宙で止まり、戦慄(わなな)く。

 その光景はまさに舞台の一幕。

 王子が悪役から姫君を守る、見せ場そのものだ。


「衛兵、クロティルドを外へ連れ出せ!」


 国王の命令が聞こえてもなお、クロティルドは動かなかった。

 いまだに怒りで震える手が衛兵に拘束される。


「あ、あ……あぁぁぁ……」


 抵抗こそしないが自力で立ち上がることもしないクロティルドを、衛兵達は両側で挟み、なかば引き摺るようにホールから連れ出す。

 ホールに虚しく響く嗚咽だけが、クロティルドがこの場にいた唯一の痕跡となった。


 翌日、クロティルドとルシアンの婚約破棄が公式に言い渡された。

 さらにその二日後、エノー公爵は沙汰が下される前に、文字通り身一つでクロティルドを公爵家から追い出した。

 国王の怒りを鎮め、クロティルドに端を発する調査から逃れようという魂胆だったが、芋づる式に不正が暴かれ、爵位と領地、さらには財産の大部分が取り上げられた。

 代わりに屋敷とも呼べない小さな家を与えられ、エノー公爵とその家族はそこに封じ込められることとなった。

 クロティルドの行方はエノー公爵も把握していなかったため、捜索隊が出されたが見つからず、やがて捜索は打ち切られた。

 尊い身の人として生きる術を知っていても、市井で生きる術を持たない貴族令嬢がひとりで生きていけるわけなどない。

 彼女がどうなったのか――娼婦にでも身を落としたか、あるいは野垂れ死んだか。いくつかの憶測が行き交ったが、二ヶ月経つ頃にはその存在すら忘れられた。

 悪役令嬢に相応しい末路だった。










 ホールが拍手で満たされる。

 喝采を浴びるのは舞台に立つ数人の男女。

 その中でも熱心な賞賛が送られているのは金髪の年若い娘だ。

 主演の二人に次いで、チルダ、チルダと名を呼ばれている。

 もっとも注目されている若手で、少ない場数でありながら早くも助演を任された演技力の持ち主だ。

 喜劇らしい賑やかな身振り手振りとおどけた物言いは何度も観客の笑いを誘った。


 上階のボックス席から観劇していたルシアンも、何度も笑わされた人間だ。

 ニナは隣の席で、カーテンコールに応えて出てきた役者達へ手が痛くなっているのではないかと思うほどに強い拍手を送っている。

 頬を染め、キラキラと輝く笑顔で舞台を見つめているニナは、チルダの熱心な支持者(ファン)だ。

 彼女が端役として初めての舞台に立った時から全ての出演作を欠かさずに見ているほどだ。


「喜劇で、それもお調子者の町娘の役と聞いて彼女に合うのかと疑問に思ったけれど……杞憂だったね」

「だから言ったじゃないですか。どんな役でも大丈夫だって!」

「そうだね、君が正しかった。

 ただ、ひとつだけ言い訳させてもらうと、僕が知ってる彼女とはあまりにも違いすぎたんだよ」

「ふふ、なら()()()はどうなるんですか」

「参ったな。それを言われると返す言葉がない」


 三度目のカーテンコールが終わった。

 舞台袖にはけていった役者たちがもう一度出てくる気配は無い。

 階下の観客たちは名残惜しげな様子で出口へ向かうが、ルシアンとニナは変わらず腰掛けたままだ。

 護衛はもちろん劇場の者も心得ており、急かすどころか紅茶の準備をしている。


 卒業パーティーから二年。そして婚約から半年。

 まだまだ慣れないことだらけだが、ニナはようやく側に仕えられることに慣れてきた。

 最初は何もかもに自分以外の手が入る状況に辟易していたが、

「ひとりでしたいことがあるなら、毅然と断ってご覧なさい。そうすれば彼女たちも引き下がりますわ。

 不安を見せてしまうと、彼女たちは手助けしなくてはと思ってしまうものです」

 という助言をもらってからはなんとか上手くやれている。


「だけど、こうなるといよいよ次の舞台が楽しみだよ」

「うっ……本当に、やるんですか……?」

「ニナが本気で嫌なら止めるけど、()()()()()()()もやってもらえなくなるよ?」

「だから断れなくて困ってるんです!」

「なら、諦めるしかないね。彼女の方が僕らより何枚も上手なんだから」


 はあぁぁと、王子の婚約者とは思えない大袈裟な溜め息を吐くニナ。

 ルシアンはそんなニナを微笑ましいと言わんばかりの眼差しで見ているのだから、誰がどう見ても二人の仲は良好だ。

 だからこそ、ニナは聖女などという己の肩書きに甘えず、少しでも王子の妃として相応しい女性になれるようにと努力しているのだ。


「殿下、お見えになりました」

「通してくれ」

「かしこまりました」


 優美な彫刻が施されたウォールナットの扉から入ってきたのは金髪の助演の娘――チルダだ。

 所作は豪奢な赤いガウンに見合った美しさで、むしろガウンの下にある村娘の衣装の方が似合っていない。

 舞台上では誰も違和感を抱かなかったというのに。


「やあ、来たね」

「本日もお越しくださり、ありがとうございます。お待ちになられましたか?」

「いいや。感想を言い合っていたらあっという間さ」

「今日のお芝居も素晴らしかったです。途中で本物の山羊も跳ねてるように見えました!」

「それは役者冥利に尽きるお言葉ですわ」


 チルダが新たに用意された席に腰掛けると、彼女にも同じ紅茶が注がれた。

 湯気と共に広がる花のような香りは気持ちをふわりと解してくれる。


「いつも最終日に時間を取らせてすまないね」

「いいえ、助かっているくらいです。

 ルシアン様とニナ様のお相手となると、他の後援者も引き下がってくれますもの。

 他の方々だと、今のようにゆっくりさせては頂けませんから」

「あれ、他の後援者って貴族の方々ですよね? もしかして気付いてらっしゃらないんですか?」

「ええ、そのようです」

「呆れた……いくら髪色を変えてるからって、声と顔で気付かないなんて」

「後援者の皆さまには、わたくしも多少は演技をして接してますもの。易々と気付かれては困りますわ」


 それに、と白く細い指がティーカップに触れる。


「こんなところで公爵家の娘であった者が役者をしてるだなんて、想像もしないでしょう?」


 そう言って、公爵家の令嬢であったチルダ――いや、クロティルドは微笑んだ。


()()()には完璧な経歴を用意してあるからね。まず疑わないよ」

「そうであることを祈りますわ、ルシアン様」

「信用してると言って欲しいところだね」

「残念ですけれど、あの卒業パーティーで台本どおりのお芝居ができなかったお方には言えませんわ」


 クロティルドがニッコリと笑って見せると、ルシアンは素知らぬ顔でティーカップに口をつけた。

 逆に、ニナが申し訳なさそうに眉尻を下げる。


「あの時については私も……ごめんなさい」

「あら。ニナ様の咄嗟のアドリブはとても効果的でしたのよ。

 自信を持ってくださいな」

「いえ、だって、お芝居じゃなくて、クロティルド様に寄り添わないとって、本当に思っちゃって……」

「完全に役に入り込んでしまわれたということですわ! 素晴らしいです!」


 卒業パーティーでの騒動は、クロティルドを中心に組み立てられた芝居だった。

 クロティルドが台本を書き、ルシアンを筆頭とした協力者に役を振り分け、全員の不利益を最小に抑えるために裏で奔走した。

 そんな舞台。


 では、そもそもなぜあのような芝居をとクロティルドに問えば、一年次での演劇が切っ掛けだったと答えるだろう。

 クロティルドの演技はそれを生業とする者からも高く評価された。

 同時に、「貴女が貴族でなければ……」と強く惜しまれた。

 貴族が役者になどなるわけがないからだ。

 しかも、クロティルドは第三王子の婚約者。冗談であっても役者にならないかと誘える立場ではない。

 当のクロティルドも芝居への強い意欲が芽生えてはいたものの、己の立場を弁えていたためにその気持ちに蓋をした。

 けれど、蓋をした奥底でずっと消えることなく燻っていた。

 エ見ないように気付かないようにしていた、そんな時だった。エノー公爵の悪事を知ったのは。


 まず、不正。

 不正は実に悪質だった。

 税収を少なく偽った上、病人が多いと嘆いて見せて国から補助金まで引き出した。

 実際、病人が国のいたるところで急増はしていたのだ。

 飲み水からくる病で、しかも国の水が呪われたことが原因だったからだ。

 国は対応に追われたため、エノー公爵の不正がすんなり通ってしまったわけだ。


 次に、暗殺計画。

 浄化の力を宿したニナが現れ、半年に及ぶ旅路の末に各地の水を清め、呪いの元を絶った。

 その行いは救国だと国中が感謝したのだが、エノー公爵は違った。

 自身は安全な水を飲み、私腹を肥やすことに終始していたエノー公爵は不正が暴かれやすくなったと、ニナを逆恨みしたのだ。

 ただ恨むだけでなく、暗殺まで企てたのだから始末に負えない。


 クロティルドがこれらのことを知ったのは偶然だった。

 買収した役人とエノー公爵の密談を聞いてしまったのだが、屋敷でそれをやっていたのだからエノー公爵はあまりにも考えが甘い。


 どうするか、クロティルドは考えた。

 いますぐの告発は無理だ。証拠がない。

 そこでクロティルドは物証を集めることにした。

 しかし、帳簿や手紙などの物証がなかなか見つからない。考えが甘いくせに、こういうところはしっかりしているのだから腹立たしい。

 尻尾を掴めぬまま二週間が過ぎ、物証を得るための作戦を練っている時にクロティルドはふと気付いた。


 この機会に婚約を解消できるのでは、と。


 それからクロティルドはアプローチを変えることにした。

 この手の捜索においてクロティルドは素人だ。物証集めは続けるが、比重を下げる。

 代わりに、己が悪役を演じて公爵家を咎めさせるのだ。

 エノー公爵が逃げも隠れもできないよう、舞台上に引っ張りあげて。


 そのためには協力者が必要だ。

 協力することでお互いが利益を得るような相手だ。

 屋敷の使用人に協力を求めたかったが、公爵に気付かれてしまった時に彼らは辞めさせられる。

 そうなると紹介状も貰えないはずだ。次の職場を探すのも難しくなるだろう。最悪は命を狙われる。

 クロティルドを赤子の頃から育み、見守ってくれている彼らにそんな危険な橋を渡らせたくない。


 だから、当然のようにルシアンへ最初に話を持ちかけた。

 ルシアンは完璧に隠し通していたつもりのようだが、彼はニナに惹かれていた。

 クロティルドからすると一目瞭然だったが、その頃のほとんどの人間は気付いていなかったというのだから、これはクロティルドの観察力が高かったのだろう。

 そもそも、ニナの浄化の力を見出したのがルシアンであったり、半年に渡る浄化の旅に同行したり、学園に編入させられたニナの面倒を見たり。

 王命があったとはいえ、これではニナに心惹かれるのも不思議では無い。

 ニナは素直で努力家の可愛らしい娘だ。

 しかも、ニナもルシアンに好意を寄せている。

 ルシアンほど巧みに隠せてはいないが、婚約者がいる相手に言いよろうという気持ちは欠けらも無い。


 とにかく、役者になりたいクロティルドとニナに惹かれているルシアン。

 どちらにとっても婚約解消は利点の方が大きかった。

 大まかな計画を話した時は難色を示したルシアンだったが、他の手段ではクロティルドは貴族のままで、とうてい役者にはなれない。しかもこのままだと他の王族とニナの婚約が持ち上がるはずだと指摘すると、ルシアンもようやく首を縦に振った。


 次はニナだった。

 ルシアンの気持ちは伏せた上で、クロティルドがどうしても婚約を解消したい事情を打ち明けた。

 お人好しのニナはすぐに協力を約束してくれるかと思いきや、クロティルドの印象が悪くなる計画が引っかかったらしい。


「クロティルド様が悪く思われるのは嫌です」


 そう言うニナを好ましく思いながらも、クロティルドは涙ながらに役者への強い気持ちを切々と語り、最終的にはニナを頷かせた。

 まあ、その涙が演技だったのは秘密だ。


 そして最後に国王夫妻。

 こちらは簡単だった。

 エノー公爵の悪事を王妃伝いで国王の耳に入れて場を設けてもらい、全ての計画を打ち明けた。

 二つ返事で賛同を得られたのは、国にはメリットしかなかったからだろう。

 救国の聖女であるニナの人気は高いし、彼女自身のためにも元の生活に戻してやるわけにはいかない。

 信頼できる貴族か王族の誰かとの婚約を整えたいところに、クロティルドが話を持ちかけたのだから渡りに船だったのだ。

 それにクロティルドが悪役令嬢として学園で騒ぎを起こしているうちは、公爵家の人間がもっとも疑われる立場にいるのだから暗殺などできない。

 おかげで、国王夫妻へのクロティルドの要望はすんなり通った。


 本邸の使用人たちとクロティルドの実母が罪に問われないように。

 それがクロティルドの願いだった。


 クロティルドは間違いなく公爵家の血筋の娘だが、エノー公爵の実子では無い。

 先代公爵――エノー公爵の実兄の娘なのだ。

 クロティルドの父が早逝(そうせい)し、エノー公爵が公爵家の実権を握った際に未亡人となった母は実家に返された。

 本当ならクロティルドも追い出したかったのだろうが、その頃にはすでに第三王子であるルシアンとの婚約が結ばれていた。

 利用価値を重視されたクロティルドは、養女として公爵家に留めおかれたというわけだ。


 使用人たちも母も悪事には加担していないが、エノー公爵の悪足掻きに巻き込まれる可能性がある。

 だからクロティルドは国王からの保証が欲しかったのだ。


 エノー公爵の性格上、クロティルドを追い出すのは間違いない。

 家を出たあとはあらゆるコネクションを使ってでも自力でなんとかするだけ。

 その覚悟を胸に、クロティルドは台本を書いた。


 役者たちは台本通りの小芝居を行い、その集大成というべき大舞台で成功を収めたのだ。

 そして今、クロティルドは役者として生きている。


「ニナ様のその資質が、ほんの少しでもルシアン様にあったなら……。陛下も呆れておられましたわよ」

「君は会う度にあの時のことを言うね」

「当然ですわ。ルシアン様が台本どおりにもっとわたくしのことを糾弾してくださったなら、わたくしの罪はもっと印象深く残されたはずですもの」


 ニナが二人のやりとりをクスクスと笑う。

 クロティルドが小気味よくぽんぽんと繰り出す言葉でルシアンがやっつけられるのはいつものことだ。

 幼馴染の姉弟もこんな感じだったので、ニナは二人の仲の良さに嫉妬よりも懐かしさと微笑ましさを感じるのだ。


「ところで、次の舞台は初日に来てくださいますの?」


 ギクリと、ニナの肩が強ばる。微笑ましいなと油断していた矢先にこれだ。


「……初日に観たい気持ちと、絶対に来たくない気持ちの二つがせめぎ合ってます」

「あら、どうしてでしょう?」


 小首を傾げたクロティルドの微笑みは、わかっててわざと聞いている人間のそれだ。

 そんなこと隠すくらい容易なはずなのに隠さないのはニナで遊んでいるからなのだが、遊ばれてる本人は知る由もない。


「クロティルド様のお芝居を観たいのは確かなんですけど……その、役が……」

「わたくしがニナ様を演じることに不安を覚えてらっしゃるのですか……?」

「いえ、そうじゃなくてぇ……! 私のことがお芝居になるっていうのがぁ……!」


 そう、次の舞台のテーマはニナの浄化の旅。

 もちろん主役はニナだ。

 演じるのはクロティルドである。


「うぅ……クロティルド様からの交換条件なら飲むしかなくてぇ……」

「では諦めてくださいな」

「あまりいじめないでやってくれ。

 ニナは君の名誉が地に落ちたままなのが嫌なんだよ。僕としても、ね」

「わたくしは役者ができるなら、名誉などどうでもいいのですけれど」

「私たちが嫌なんです」


 へにょへにょと弱々しかった態度が一変。

 ニナは毅然と顔を上げた。


「今の私があるのはクロティルド様のおかげなんです。

 優しいクロティルド様が悪く思われたままなのは嫌です」

「君の目的が叶った以上、もう悪役令嬢のままでいる必要なんてないだろう?

 今のままでは、君が悪様(あしざま)に言われても僕らは言い返すことができないからね。

 友人としては少しばかり面白くない」

「少し、じゃなくてとても、ですよ。ルシアン様」


 胸中でクロティルドは苦笑した。

 ニナのこういう真っ直ぐさは好ましくもあり、心配にもなる。

 綺麗ごとばかりでは貴族はやっていられない。まして、ニナは未来の王子妃なのだ。

 ルシアンはもちろん、王妃も彼女を支えるだろうが、それでは手が足りないだろう。

 自分の名誉などどうでもいいが、そうすることでクロティルドがニナを助ける手段が増えるのも確かだ。

 だから、クロティルドの名誉を回復するための舞台を、という王家からの要望を受けたのだ。

 ニナの物語を先に演じることを交換条件として出したのは、ちょっとした意地悪が二割、役者としての挑戦心が八割だ。

 まだニナのような役は演じたことがない。いい経験になるだろう。


「とにかく、ご安心くださいな。次の舞台を終えたら、()()()()()()が見られるとお約束いたしますわ」

「楽しみです! あの卒業パーティーの話をクロティルド様が演じるのを見る日が待ち遠しくって!」

「その時に髪色は戻すのかい?」

「ええ、そのつもりです。

 あの日の悪役令嬢クロティルド・ルイーズ・デュ・アルトは黒髪でないと」

「今も素敵ですけれど、黒髪のクロティルド様の方が馴染みがあるからなんだか嬉しいです」

「わたくしも黒髪の方が気に入っているので、そう言っていただけると嬉しいですわ」


 クロティルドが言い終わると、護衛が一歩前に出た。


「ルシアン様、ニナ様。そろそろお時間です」

「ああ、もうそんな時間か」

「入口までお見送りいたします」

「いや、ここでいいよ」

「クロティルド様もご予定があるんでしょう? だからここで大丈夫です」

「お気遣いありがとうございますわ」


 心得たように護衛と劇場の者がルシアンとニナに外套を着せていく。

 クロティルドはそんな二人から目を逸らし、劇場を見渡した。

 階下の席も、他のボックス席にも残っている客はもういない。

 クロティルドはしんと静まった劇場を眺めるのが好きだ。

 べノー王国最大の客席数を誇るこの劇場を拍手喝采で満たすのは、役者にとって最高の栄誉だ。


「あ、そういえば」


 何か思い出したかのようにニナの声に、クロティルドは視線を劇場から友人二人へ戻した。


「どうかなさいましたか?」

「タイトルを聞き忘れてました!」

「次のですか?」

「いいえ! その次の……卒業パーティーの話のです!」


 聞かれたクロティルドの唇が艶然と弧を描いた。

 ほかの劇団員からの評価が低いが、座長が考えたそのタイトルをクロティルドはとても気に入っている。


「『 悪役令嬢に贈るカーテンコール』、ですわ」

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