下ごしらえ45【車窓編】その足でたどり着いた先
これは一人の少女が寂しい魔術師へと辿り着くまでの物語。
彼女の旅には様々な人々の想いが寄せられている。
目的の地にもうすぐ至るからこそ。
もう一度少女とその先にいる彼との邂逅を見返してみるのもいいかもしれない。
ジェシカは目が覚めたレオナのために温かいココアを淹れてあげてから、列車内で起きた事件についてその間眠っていて何も知らない彼女に教えてあげた。
その話の中に紫の仮面を着けたMAILの騎士は出ていない。
事を伝えるだけなら十数分で済んだが外はもう七時を過ぎており、暗く凍える夜となっていた。
そこでジェシカはレオナにある提案を持ちかけた。
「もう外も暗いし、今夜はここに泊まっていきなさい」
「いいんですか」
「ええ。あなたの様子見もあるからわたしもここにいるし、ご飯だって出すわよ」
「そんな宿みたいに使っちゃって、申し訳ないな」
「平気、平気。じゃっ、決まりってことで」
「そうですね。宿代も浮くし。一晩よろしくお願いします」
「ふふ、もうレオナちゃんったら」
「へへ、つい言っちゃった」
なんか初日からゴタゴタしちゃったな。
複雑な気持ちながら、あえて現金な発言をすればジェシカの自分に対する心配や負担も減るだろうとレオナは打算的に笑った。
ジェシカはそれを見抜いていたのか定かでないが。
あまりレオナの調子を伺いはせずに彼女の旅の目的について尋ねた。
「ねえ、レオナちゃんはどうしてイクラジオに」
「ちょっとヘルシィさんに会いに」
「ヘルシィさんって、あのMAGの開発者のヘルシィ・ハーミット?」
「はい。そうです」
「流石にあなたがデモ活動するようには見えないけど……なんで会いたいのか教えてくれてもいいかしら」
「ええっと」
ちょっと泥棒をしに、など。
聖騎士団やMAIL関係者であろうジェシカに言えるわけでもなく。
レオナは言葉に詰まってしまった。
ジェシカもまた彼女を困らせてしまう質問だと察したのか、その場を誤魔化すように笑った。
「よかったらで構わないから。困らせてごめんね」
「ああ、いえ。その占いをしてもらって。そこでヘルシィさんにあった方がいいって出たんです」
「なるほどね」
「ごめんなさい、信じてもらえませんよね」
「そんな事ないわ、きっと占ってくれた人も凄腕に違いないわ」
「そうですね」
マダム・エンプレの称号もらった人に占ってもらったんだけどね。
そう思いながらも口には出さず。
レオナもまたジェシカと一緒にその場しのぎの誤魔化し笑いをした。
そうして時間も過ぎていき、遅めの夕飯をレオナはジェシカから与えられた。
「イクラジオの野菜を使ったサラダとスープ。私が作ったの。お口に合うかしら」
「ジェシカさんが。私のためにありがとうございます」
ジェシカがファイルや書類などをどかして医務室の机の上に並べた料理にレオナは目をやった。
魔力が宿った特殊な食材ではなく。
オーソドックスな野菜を使った二皿。
サラダはマヨネーズドレッシングがかかったキャベツにプチトマト。
スープにはほうれん草と細かく刻まれた人参と玉ねぎが入っている。
「それじゃあ、いただきます」
ジェシカに見つめられながら。
レオナはまずサラダから食べた。
マヨネーズのコクがシャキシャキのキャベツの食感にあい。
ついついもう一口もう一口と手が止まらなくなってしまう。
そして、スープはというと。
ほうれん草のしっとりした味わいに。
人参の甘みと玉ねぎの旨みはスープを飲んだ際に体の芯から温め。
食事をするとともに優しい感覚に包まれていった。
サラダは爽やかでサッパリとしていて。
スープは不安に苛まれそうな体に温もりを与えてくれて。
冷たさと暖かさのコントラストがあるからこそ。
レオナの食欲を刺激し、完食までそんなに時間はかからなかった。
「ごちそうさまでした」
野菜の葉も一つ残さず。
スープの一滴も残さず。
レオナはジェシカの料理を完食した。
「ありがとう。ありあわせの食材だけで手早く作っただけなんだけどね」
「いえいえ。とてもおいしかったです」
「ふふ、じゃあ今日はゆっくりお休みね」
「はい、それで一つお願いがあるんですけどいいですか」
「あら、なに」
「明日、朝早くヘルシィさんの所に行ってみたいです」
イクラジオは町というよりも村に近く。
民家と民家との間にも距離があり。
積もった白い雪が美しく染めている一方で家々の屋根や道には積雪も見られるため自然の厳しさも垣間見られる。
幸いこの三日間は昼間は晴れており、夜の内に降った雪も人の脅威となるほど積もっているわけでもない。
しかし、山道を行くとならば話は別だ。
太陽がまだ昇るよりも朝早く。
聖騎士団の詰所の前にレオナはジェシカの二人はいた。
「帽子にコート、登山靴に道具まで貸してくださりありがとうございます」
「流石にあの格好であなたを行かせていい場所にあるわけじゃないしね」
「色々と助かります」
母から貸してもらったコートから更に防寒用のコートを着て。
レオナは小型の道具類をジェシカから渡されていた。
掌代の発煙筒やライト、更には非常食など。
「一応これから行くフルート山は整備された道とはいえしっかり準備しとかないとね」
「なにからなにまですいません」
「ピッケルとまではいかないけども杖は要らない?」
「ああ、大丈夫です」
昨日の件について、医務室で聞いたジェシカの話と自分の記憶を照らし合わせ。
しばらく杖を手にすることにレオナは抵抗を覚えていた。
「そう、まあ。今日の天気だったら普通に徒歩でも行けるしね」
「やっぱりイクラジオからヘルシィさんの家まで遠いんですか」
「そうね。歩いてだと町から二時間以上かかるだろうけど、わたしの車で途中まで送っていくわ。それなら歩き込みで一時間もかからないから」
「本当にいいんですか」
「もちろんよ、ただ一つ約束して」
「はい。なんです」
「必ずまたここの聖騎士団の詰所に帰ってきてね。わたしはしばらくここにいるから」
心配そうに見つめるジェシカにレオナは自信満々に笑って見せた。
「大丈夫です、絶対帰りますから。それに私の靴とかも詰所に置いてますしね」
「もう、この子ったら」
「色々な人が関わっているからもう私一人の事だなんて思っていません。だから……」
目の前にいるジェシカ以外にも。
両親に、リブをはじめとした職場の面々、昨日自分を助けてくれたMAILあるいは聖騎士団の人など。
様々な人のおかげで今ここに立っているからこそレオナは改めて笑って見せた。
「私の帰りを待っている人達のためにも無事にここにもどってきます」
「二回も念入りに言われたら、もうなにも言えないわね。それじゃ、わたしの車に乗りましょうか」
レオナの固い決意を受け止めると聖騎士団の詰所の裏手へとジェシカは彼女を案内した。
そこには一台の魔導車が停められていた。
特筆すべきはタイヤで、停車した車両の四つのタイヤには鎖が巻かれていた。
「兄さんの代行用に敢えて置いていたこれがこんな風に役に立つなんてね」
「トランシープの街中じゃ見ないタイヤですね」
「雪道用のタイヤよ。車が滑らないようにするためのね」
「鎖が巻かれているのはそのためなんですね」
「まあね。じゃあ乗ったらシートベルトを締めてね」
ジェシカはそう言って車のドアを開けると助手席に備え付けられた合成樹脂のベルトを指した。
「ええと、どうすれば」
「肩からかけるようにして下にある差し込み口に金具を入れて」
「あっ、鍵をかける感じですね。おっ、できたかな」
慣れない魔導車への乗り込みに苦戦しながらもレオナは助手席に着き、それを確認するとジェシカも魔導車へと乗り込んだ。
「それじゃあ行くわよ。多少の揺れは勘弁してね」
「はい」
レオナとジェシカを乗せた車は発進した。
車体の前に搭載されている二つのライトは夜道を行く獣の眼光の如く輝き。
まだ多くの人々が眠りにつく町から一台の車はどんどん遠ざかっていった。
彼女達を乗せた車はイクラジオを発ち。
ヘルシィのいるフルート山へと向かっていく。
資産家の住居へと至るからなのか。
町から外れた地域であっても山道は舗装されており。
車の窓の外に広がる夜明け前の風景は暗くとも美しい雪景色であったが。
レオナはそれに見向きもせず。
ただ、前を向いて「もうすぐヘルシィさんに会えるんだ」と期待以上に不安と緊張でいっぱいだった。
景色を楽しむ余裕などレオナにはなかった。
「申し訳ないけど、ここまでよ。これ以上はヘルシィさんの張った結界に引っかかるからね」
愛車を停めてジェシカはレオナと共に車から降りた。
雪は降り積もってないものの。
足元は凍結しており走ろうものなら滑ってしまう。
道幅は車が通れる程に広く。
中央を通れば斜面に落ちないだろうがそれでも気を抜くと怪我を負ってしまいそうだ。
「なんです、あれは」
「結界の境界線を表す文字よ」
色々と注意が必要になる状況下、そんな中でレオナの目を引いたのが路面上にオレンジ色で発光している文字だ。
STOP。
ジェシカの魔導車より数メートル先、目立つように警告のサインが書かれていた。
「結界に引っかかると警備用の魔法が発動するらしくてね、これ以上は進めないわ」
「ちなみに警備用の魔法ってどんなものなんですか」
「さあね。引っかかった人全員が何をされたか分からないって口を揃えて言っていたわ」
「無事じゃ済まないってことですよね」
「一応無傷で帰還した人もいるけど……だから、わたしとしてはあなたにここで引き返してほしいの」
「ジェシカさん……」
「朝早くって注文に応じたのも、あなたに考え直して欲しい時間を充分にあげるためよ」
これが最後の選択。
危険すらあるこの先の道を行くか。
あるいは目的の人物に会えなかったと嘘をついて引き返し。
完全に旅行として今回の旅路を楽しむか。
仮に先に進んだとしてもヘルシィに会えるかどうか分からない。
それでも尚レオナの決断は早かった。
「ここまで送ってくださりありがとうございます。ここからは私の足で進みます」
「やっぱり行くのね。なら、絶対に約束通りイクラジオには無事にもどってきてね」
「はい。ジェシカさん」
レオナへと微笑むとジェシカは愛車に乗り込んだ。
そして、エンジンをかけると車を発進させてその場を去っていった。
「本当にありがとう。ジェシカさん」
遠ざかっていくジェシカを乗せた車にレオナは手を振る。
恩人には聞こえずとも心の底から感謝の言葉を少女は口にし続けた。
「さて、行かなくちゃ」
まだヘルシィの邸宅は見えないもののレオナは歩き始めた。
少女は自らの意思と足で路面上に書かれた警告のサインより先へと進んだ。
一歩、二歩、三歩……。
(まだなにも起こらない)
結界の内部へと入ったものの特に何事もなく、ひたすらレオナは先へ先へと進んで行った。
そして、十分近く歩くと大きな門と外壁が彼女の目に飛び込んできた。
「あれか」
走りたい気持ちを我慢してレオナは一歩ずつ着実に門へと近づいていった。
結界に入ったことにより、一体の灰色のゴーレムに存在を把握されているとも知らずに。
それでいて大胆にも正面からレオナは門へと向かっていった。
一人の少女が寂しい魔術師に出会うに至るまでの道のり。
そこには様々な人々の想いや思惑があり。
その中には……。
彼女の記憶から忘れ去られた者もいた。
少しだけ未来を語るとしよう。
MAILの騎士団長のアクセルが駆るゴールデングリフォンの戦車に乗り。
イクラジオの町まで下山したレオナを見て驚いたジェシカとワッツは初めは困惑していたものの。
レオナの満面の笑顔を見て無事を確信し、とても喜んだそうだ。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
物語は最初の地点へと辿りつき。
【車窓編】はこれにて終了です。
ヘルシィとレオナの二人が巡りあう章よりも。
現在の下ごしらえ編の合計を数えてみても。
五倍以上の話数となりましたが。
追いかけてくれた読者の皆様には感謝しかございません。
次回より【ぼくとダグ】が始まります。
特殊な視点での語りになりますので。
最初は違和感があるかもしれませんが。
ご覧いただけることを待ち望んでおります。
では、次の更新は7/15の17:00です。
短いですが新章もお楽しみください。
それと少し気が早いですが。
活動報告において作品全体のあとがきをアップしておきました。
実際のところ今作の前半部分しかフォーカスされていませんが。
それでもお目通しいただければ嬉しいです。




