前編
「ジェシカ姉さん、大好きだよ」
癖のないサラサラのブラウンの髪に、澄んだ空のようなブルーの瞳。チェスターのあまりにも整ったその顔は、まるで美しい人形のようだ。この美貌のせいで、最近はよく御令嬢たちに追いかけられているらしい。
ついこの前まで、私より背も低く頼りなかったのに……男の子の成長とは早いものだ。
「私もチェスターが大好きよ」
私がそう伝えると、チェスターは嬉しそうに目を細めてへにゃりと笑った。その顔がとても可愛くて、私は胸がきゅんと高鳴った。
――ああ、どうしてチェスターはこんなに天使なのかしら。やっぱり大きくなってもチェスターはチェスターのままだわ。
「それならさ……僕の婚約者になってくれる?」
頬を染めて恥ずかしそうにしているチェスターに、私は首を傾げた。
「え? なんで」
どうして私とチェスターが婚約するなんて話になっているのだろうか。そんなことあり得ないことだ。
「な、なんでって僕のこと……大好きって言ってくれたよね?」
チェスターは泣きそうな顔で、私を恨みがましくじっと見つめた。
「言ったけれど、それは『家族』としてよ。弟として愛してるわ」
「僕とジェシカ姉さんは姉弟じゃない! ただの幼馴染じゃないか」
「そりゃそうだけど。チェスターだってきっと私のことを慕っているだけで、恋じゃないわよ。こういうのは手近で済ませちゃだめ! それに私はうんと年上が好みなの知っているでしょう?」
私はハッキリとそう伝えた。チェスターは年下なので、恋愛対象外だ。できれば紳士でダンディなおじさまがいい。
「年の離れた人はだめだって、ラルフさんに大反対されていただろ?」
「お父様には秘密で付き合えばいいのよ。ふふ、最近マッチングサービス始めたの」
「何考えてるの! あれは危険もあるんだから、使っちゃだめだよ」
目を吊り上げて、チェスターは真剣な顔で怒りだした。
「あなたこそ何言ってるのよ? 私より二歳も若いくせに考え方が古いわね。最近の若い貴族たちの約半分はマッチング婚よ」
「……それはたまたま運の良かった人たちだよ」
「私も上手くいくかもしれないじゃない。年齢や性格を入力したら、自分の好みの人と出逢えるの! ほら、こんな風に」
私が自分のプロフィール画面を見せると、チェスターはそれを食い入るように見つめていた。
――なんだ、チェスターも興味あるんじゃないの。
さっきは怒っていたが、やはりチェスターも年頃の男の子。男女の出逢いに興味あるわよね。
「……これ、本当のこと書いてあるの?」
「それなのよね。問題は」
このマッチングサービスは数年前に始まった。この国の貴族は、力に大小はあれどみんな魔法が使える。魔電という小さな通信機器に魔力を込めると、メッセージが送れたり通話ができる。
親世代はそのように使うだけだが若い世代は画像のやり取りをしたり、顔の知らない相手と交流するマッチングを利用して楽しんでいる。
マッチングの場合、全員がプロフィールを正直に書いていれば問題はないが……デタラメを書く人も多い。
いざ会ってみたら全く顔が違ったとか、実は既婚者で愛人になれと迫られたとか……結構問題も多いのだ。中には酷い事件になったなんて話もある。
もちろんそんな人ばかりではなく、普通な出逢いの場合も多いのだけれど……悪い点があるのも本当の話だった。
「やっぱり危ないからやめなよ」
「まあね。でも私かなり年上が好きだから、普通じゃ出逢えないの。だから対象年齢を三十歳から四十歳って登録したの」
「え! まだ十九歳なのに、ジェシカ姉さんはそんなに年上がいいの?」
チェスターは目を見開いて、青ざめていた。そんな引かなくてもいいではないか。
「そうよ。大人の紳士が好きだもの! 私のことを甘やかせて、自由にさせてくれる人がいいの。お父様みたいに『大人しくしろ』なんて口うるさくない人を見つけるわ。でも、実際来るメッセージ見てよ……」
私はげんなりしながら、チェスターに自分の魔電を見せた。
【ベリーちゃんと一晩過ごしたいな】
【私が手取り足取り全部教えてあげよう】
【可愛い君の初めてが欲しい】
明らかに下心たっぷりの吐き気のするメッセージのオンパレードだ。もちろん、全部ブロックした。
「うわ、気持ち悪い。こんなの身体目当ての下心しかないじゃないか!」
「……だよね」
「このベリーって、ニックネームみたいなもの?」
「そうそう。ほら、私って目が赤いからベリーしたの。本名でする勇気ないもの。みんなニックネームよ」
「そうなんだ」
紳士な大人が好きなだけなのに、メッセージをくれるのは身体目当ての品のない男性ばかりだ。
「どうしたら身体目当てじゃなくなるのかしら」
「……とりあえずこいつらとはやり取りしちゃダメだからね」
「しないわよ! もうブロックしたわ」
「ジェシカ姉さんの年齢を変えるといいよ。あえて結婚適齢期を過ぎた年齢に嘘をつけばいい。じゃあ、若い女目当ての男からは連絡来なくなるから」
チェスターは難しい顔で考えながら、私にアイデアを出してくれた。
我が国の貴族令嬢の結婚適齢期は短く、十六から二十歳くらいまでだ。私はそんな基準はおかしいと思うけれど。だからこそ両親は『早く婚約者を見つけろ』と煩いのだ。
「そっか! でも、そんなことをしたら……もし良い人がいても嘘をついて騙したことにならない?」
「登録の年齢より若いんだから……謝れば許してくれるよ。世の中の男ってみんなそんなものだよ」
「そう……なの?」
かなりチェスターの偏見が入っている気もするが、同じ性別の意見は貴重だ。それにチェスターは昔から頭が良いので、そのアイディアに乗った方がいいと思ってしまった。
「じゃあ年齢を二十五歳に変更してみる」
「うん、いいと思うよ」
「まずは紳士に出逢えないと恋も始まらないものね」
私はニコリと笑い、チェスターの腕にギュッと抱き着いた。
「ありがとう!」
「……でも、やっぱり危ないからやめた方がいいと思うよ」
「何言ってるのよ! あ、チェスターもやってみたら? 好みの御令嬢と出逢えるかもしれないわよ」
「いや、僕はやらないよ」
チェスターは怒ったように不機嫌になり、私の身体を乱暴に離して「帰る」とそのまま部屋を出て行ってしまった。
「なんだか、チェスターも難しい年頃になってしまったわね」
昔はいつでも私の後ろを付いてまわって『ジェシカ姉さん』と呼びながら、甘えていた弟のような存在だったというのに。
ふうとため息をつくと、ピコンと魔電の音が鳴った。誰からだろうと確認すると、それはマッチングサービスの運営からの通知だった。
【ブルー様からメッセージが来ています。承認しますか?】
初めての人だと思いながら、私はメッセージを開いた。どうせまた下心ある人なんだろうな、と期待はしていなかった。
でもとりあえず承認してメッセージの確認をすることにした。嫌だったら即ブロックをしたらいいのだから。こういうところは、相手の顔が見えないので気持ちが楽だ。
【初めまして。私はブルーと申します。三十歳です。あなたが好きだと登録されていた本、私も大好きです。是非お友達になってくださいませんか?】
その紳士的なメッセージに、私は一気にテンションが上がった。友達からなんて今まで送られてきたことがなかったからだ。
【初めまして。嬉しいです。是非お友達になってください】
【ありがとうございます】
そんなこんなで、私は毎日のようにブルー様とメッセージのやり取りをすることになった。
ちなみにチェスターのアドバイスは的確で、ブルー様以外からは連絡が全く来なくなった。本当に、以前連絡してきた男たちは『若い身体目当て』だってことがわかった。
【この前おすすめしていただいた本、とても面白かったです。キャラクターの心情がとてもよく出ていますね】
【そうですよね! 読んでいただいて嬉しいです。またブルー様も面白いのがあれば教えてください】
年齢差があるようには思えないほど、ブルー様とメッセージを通してのやり取りは楽しいものだった。私はいつしか、魔電を常に持ってメッセージが来ていないか気にするようになっていた。
【私は勇気がなくて、いつもなかなか素直に自分の気持ちを伝えられないんです。真っ直ぐなベリー様が羨ましいです】
【そうなのですか? それはきっとブルー様が優しいので、人のことを考えることができる人だからですよ。私なんて我儘ですから。だから、ブルー様ももっと我儘になってください! 私には遠慮はいりません】
【ありがとうございます。ベリー様のおかげで元気が出ました】
私はブルー様のそんな繊細な部分もとても好感が持てた。
♢♢♢
「なんかジェシカ姉さん、ご機嫌だね」
「ふふ、わかる?」
「わかるよ。何年一緒にいると思ってるのさ」
今はチェスターと舞踏会に参加しているのだが、ついニマニマしてしまうのはしょうがないだろう。
だって……だって、ブルー様とのやりとりが毎日とても楽しいのだから。
「チェスターのアドバイスのおかげで、マッチングサービスで素敵な紳士と出逢ったの」
「……まだそんなことしていたの? 僕やめたほうがいいって言ったよね」
「もう無理よ。彼が私の運命の人かもしれないもん」
私がふふふと笑うと、チェスターは大きなため息をついた。
「そんなにいい人なの?」
「ええ! 会話はとても知的で、メッセージの内容もいつも面白いのに紳士的なの。私が馬に乗ったり、勉強したりするのが好きだって伝えても『素敵だ』って褒めてくれたの。女性なのにそんなことするな、とか一切仰らないの!」
「……へえ」
「でも全然逢いたいって言ってくださらないのよね。私に興味無いのかしら」
私は唇をツンと尖らせて、髪の毛をくるくると指に巻きつけた。
「逢って想像と違ったらどうするの? 恐ろしい顔の毛むくじゃらの大男かもしれないよ」
チェスターは冷やかな目で私にそう言った。私はまだ見ぬブルー様を想像してみる。
頭の中ではビシッとジャケットを着たダンディな紳士を思い描いているけれど……そうよね、そうとは限らないものね。
「それでもいいわ! きっと中身は良い人だもの。私、こんなに気の合う人初めてよ」
私がそう伝えると、チェスターは眉を顰めた。
「……そんな男でもいいの?」
「ええ」
そもそも私は面食いでは無い。私の初恋は、五歳の時に家に遊びにきていたお父様の友人だ。容姿は普通だが、優しいおじ様だった。
木登りをしていた時に、降りられなくなったところを助けれてくれた人。お転婆がバレてお父様には雷を落とされたけれど、その友人の方は『それくらい元気があったほうがいい』と微笑んで頭を撫でてくれた。まあ、もちろん既婚者だったので恋をしてすぐに失恋してのだけれど。
「なら……なんで僕はだめなんだよ」
チェスターはグッと拳を握り、悔しそうに唇を噛んだ。
「え、なにか言った?」
舞踏会場はザワザワと煩くて、チェスターの小さな声はちゃんと聞こえなかった。
「なんでもないよ」
「そう?」
「……うん」
なんだか最近のチェスターは情緒不安定なので、少し心配だ。今も元気がないように見える。
「大丈夫? しんどいなら休みましょう。熱はないの?」
私がチェスターのおでこに手を当てると、彼は頬を染めてパッと身体を離した。
「は、恥ずかしいからやめてくれ。もう子どもじゃないんだから」
「ご、ごめん。昔の癖で」
「……本当に大丈夫だから」
チェスターに強い拒否をされたことに、少し傷ついている自分がいた。何この気持ち。
「チェスター様! こんなところにいらっしゃったんですね。向こうでお話ししましょうよ」
きゃっきゃと高い声をあげて近付いてきたのは、流行りのドレスを着た可愛らしい御令嬢。確か……チェスターと同じクラスだと言っていたかしら?
「いや、僕は遠慮するよ」
無表情のチェスターは、冷たく返事をした。私の前ではわりと表情豊かだが、他の人と話している時は基本的にあまり愛想がない。
理由を聞くと、笑顔を振り撒くと『御令嬢方が煩いから』と羨ましいようなモテ発言をしていた。
うゔっ……悔しい。モテたことのない私からしたら、一度でもそんなことを言ってみたいものだ。
「えーどうしてですか?」
「……パートナーがいる。一人にするわけにはいかない」
「そんなの! お姉様、別によろしいですよね?」
その子は、私にニッコリと微笑んだ。恐らく私が『本物の姉』ではないことを知りながら、あえてこう呼んだのだろう。明らかな敵意だ。
貴族令嬢は一見お淑やかで清楚に見えても、中身はなかなか強かな人ばかりだ。
「ええ、私はかまいませんわ」
私がニッコリと微笑むと、御令嬢はチェスターの腕にギュッとしがみついた。
「良かったですわ! お姉様の許可も出ましたし、行きましょう」
「離してくれ。僕は行かない」
「まあ、まあ。いいではありませんか。お姉様もお相手がいらっしゃるかもしれませんもの。邪魔してはいけませんわ」
つまり彼女は『あんたなんか、これ以上チェスター様の傍にいるんじゃないわよ!』と言いたいのだろう。
さすがにレディを無理矢理跳ね除けるわけにもいかず、渋々連行されたチェスターは後ろを振り返り、私を怨みがましい目で睨んでいた。
私は苦笑いをしながら『頑張って』と口パクで、激励を送っておく。
「性格はともかく、見た目はお似合いよね」
地味な私と並ぶよりも、キラキラと着飾った御令嬢の方がよっぽどしっくりきている。
チェスターが結婚したら寂しい気がするけれど、時間の問題だろう。彼が望めば、一瞬で結婚相手が決まりそうだ。
「これじゃあ、子離れできない母親みたいね」
私は今後チェスターに舞踏会のパートナーを頼むという迷惑をかけないためにも、ブルー様となんとか上手くいきたいと思っていた。
割とすぐに戻って来たチェスターに「可愛い子だったわね」と言うと「全く興味ないよ」と不機嫌に言い返されてしまった。
風の噂では、どうやらチェスターはあの子を振ってしまったらしい。どうやら今回の御令嬢は、チェスターのお眼鏡にかなわなかったようだ。
♢♢♢
【今度王家主催の乗馬の大会に出るんです。お父様には女がそんなものに出るなと言われてるんですけれど】
【そうなのですか? 好きなことを諦めてはいけません。きっと馬に乗ってるベリー様は、誰よりも輝いているでしょうから】
ブルー様はいつでも私を励ましてくれる。両親からは、お願いだから貴族令嬢らしくピアノを弾いたり刺繍をしたりしてくれと頼まれるが私はそんなことは好きではない。
このままの私を認めてくれる人と、結婚をしたい。そんな人がいないのであれば、働き口を見つけて一人で生きていきたい。
本当は馬の世話の仕方を教えたり、初めて馬に乗る子どもたちにレクチャーするような仕事ができたらいいなと思っている。でも貴族令嬢が働くのは、あまり褒められたことではないので難しいだろう。
好きな勉強をして、好きな時に馬に乗って出掛け、好きなことをしたい。
宝石もドレスも舞踏会も……私にはあまり興味のないものだ。
そう伝えたらお母様はショックで寝込み、お父様には激怒された。申し訳ないとは思うけれど、どうしようもないのだ。
【ありがとうございます。一番になりますので、お時間があれば観にきてください。その時にお話ししたいことがあります】
私は緊張しながら、その一文を送った。ボタンを押す時は、手が震えていた。だって逢いたいと遠回しに伝えるようなものだからだ。
もし逢えたら、その時は年齢を若く偽っていたことを正直に謝って『好きだ』と伝えようと決めていた。
逢えば嘘がバレてしまうが、それでも逢いたい気持ちの方が強かった。
しかし、その日から三日間ブルー様からの返事は来なかった。それまでは毎日何通ものメッセージのやり取りをしていたのに。
「……来ない。嫌だったのかな」
私がショックを受けて凹んでいると、我が家にチェスターがやって来た。
「ジェシカ姉さん、どうしたの? そんな哀しそうな顔して」
「……チェスター、助けて!」
私はチェスターにうわーんと泣きついた。いきなり泣き出した私を見て、チェスターは慌てていた。
「え? 何があったの。誰かに何かされた?」
「……違うわ」
「ジェシカ姉さんが泣くなんてよっぽどだよ」
昔はよくチェスターが泣いているのを、私が慰めていた。身体が小さくて女の子みたいに可愛い顔だったチェスターは、よく同じ年代の男の子に虐められていたからだ。
幼い頃からお転婆だった私は虐めた男の子を追いかけて、チェスターの仇をとっていた。そして湖のほとりで泣いている彼を迎えに行くのが、お決まりのパターンだった。
それが今では全く逆の立場になっていた。
「僕が守るから。何でも言って欲しい」
「……来ないの」
「何が?」
「ブルー様から返事が! 乗馬の大会に来て欲しいってメッセージを送ったら、連絡が途絶えちゃったの。きっと嫌われたんだわ」
私がそう話すと、チェスターはとても嫌そうな顔をした。
「……そんなにその男が好きなの?」
「好きよ。でも、女から誘うようなはしたない真似したから呆れられたんだわ」
一度涙が出ると止まらなくなってしまって、私は子どものようにおいおいと泣き出した。
「……ほら、泣き止んで」
「うっ……うう」
「逢うのが恥ずかしいだけかもしれないよ。連絡がなくても遠くから観てくれるかもしれないし、ジェシカ姉さんは大会に全力で挑むべきだと思うよ」
ハンカチで優しく私の目元を拭って、チェスターはニコリと微笑んだ。
「……そうね。ありがとう」
「僕はいつでもジェシカ姉さんの味方だよ。当日も応援してるから」
「ええ、頑張るわ」
チェスターは、いつも私のやりたいことの後押しをしてくれる。昔から、本当に優しい子だ。
結局、ブルー様から連絡は来ないまま乗馬大会を迎えた。凹みそうになる気持ちを、チェスターの応援の言葉を思い出してなんとか自分を奮い立たせた。
「……ジェシカ、本当に出るのか?」
「出ますよ。当たり前のことを聞かないでくださいませ」
大会に出ることに納得していないお父様からそんなことを言われて、私はベーっと舌を出した。
「そんな男のような格好をして……」
「似合うでしょう? 特注です」
今日の私は、髪を一つにまとめて男装をしている。シャツやジャケットには凝った刺繍を入れて、煌びやかさを演出しているのだ。
なんならこの前の舞踏会のドレスよりも凝ったデザインにした自慢の一着だ。
「似合い過ぎてるのが問題なのだ! こんなことをしていては、また嫁の貰い手がいなくなるぞ」
「……はいはい。お父様、わかりましたから」
「お前は、わかってない!」
私が憎くてこんなことを言っているわけではないのは知っている。口煩いが、本当は私のことを心配しているのだろう。
「一番になりますから。お祝いの準備をしておいてくださいね」
これ以上話しても仕方がないので、私はお父様にウィンクして愛馬と共にその場を去った。
「ジェシカ姉さん」
「チェスター! 来てくれたのね」
「もちろんだよ。これ……さっき、ある男の人に姉さんに渡して欲しいって言われたんだ」
私が手を差し出すと、そこに美しいブルーのリボンが置かれた。
「これは……!」
「名乗らずにすぐ行っちゃったけど、ブルー様だと思うよ。勝利のお守りだって。応援してると伝えて欲しいと言われた」
ブルー様が観に来てくれたんだ。わざわざ……こんなお守りまで用意して。大会で女性の参加は私だけなので、すぐにベリーが誰かわかっただろう。私が年齢を詐称していたこともバレてしまったはずだ。
「ど、どんな人だった?」
「……安心して。ジェシカ姉さんの想像するような素敵な紳士だったよ」
その言葉を聞いて、私はとても幸せな気持ちでいっぱいになった。
「届けてくれてありがとう。髪に付けるわ」
「……僕がつけてあげるよ」
チェスターは、私の髪にリボンをきゅっと結んでくれた。
「よし、できたよ」
「気合いが入ったわ! 行ってくるわね」
「……頑張ってね。絶対上手くいくよ」
私はチェスターの声援に、手を振って応えて会場の中に向かった。
この時の私は、彼の顔が曇っていたことに気が付いていなかった。