新しい日常生活の始まり -1-
アンナマリーがやどりぎ館にやって来てから一週間以上が経ち、異世界を行き来するというちょっと変わった生活にも慣れてきた。
本人はモートレルと小樽の往復にまだ違和感があると言っているが、お風呂の設備はすぐに覚えて、仕事終わりの温泉は毎日堪能している。
「ユウトさんはこの朝食の後、自分の世界に戻るのか?」
「アンナマリー君はオレが戻ってくるまでにどこまで成長しているのか楽しみだな。帰ったら是非見せて貰おうじゃないか」
ユウトは男性だが、ひたむきに鍛錬する姿を見たアンナマリーに男嫌いは発動しなかった。まだ弱い剣士であるアンナマリーは、純粋に強さを求める彼の姿勢に尊敬の念を覚えた。そんな自分からはずっと上にいる彼からのエールに、騎士としての成長でもって答えたいと思う。
「お主に幸があらんことを祈っておるぞ」
「フィーネさん、帰ってきたらまたゆっくり飲みましょう」
「お前の好きな十勝のワインを用意してやるぜ」
「その際は勝利の美酒がよいのう」
「勿論」
しばらくご無沙汰になる伽里奈お手製の朝食を食べると、荷物を持ったユウトは裏の扉から出ていった。
「アンナマリーも適当に行かないと。これお弁当ね。おまけもついてるから、隊長さん達と食べてね」
「あ、ああ」
伽里奈はアンナマリーのお弁当だけではなく、女性騎士隊の腹の足しになるようにおまけをつけている。基本的にはちょっと多めに入れているだけだが、結構評判がいいそうだ。
「じゃあ行ってくる」
弁当が入ったバスケットを受け取ると、アンナマリーも裏の扉からモートレルに出勤していった。
「次はマスター達ですよ。この後はまかせてください」
「私は今日は寝こけてやる。昼は自分で適当に食うからいらない」
「我は昼前に店に行くとしよう」
「その際にサンドをトーストしますからね」
「ふむ、頼むぞシスティー」
伽里奈とエリアスは高校があるので、後のことはシスティーに任せて館を出て行った。
入居者が一人長期に不在となってしまったが、今日もやどりぎ館の一日が始まった。
* * *
日本政府が設立した魔術士養成機関である【国立小樽魔術大学】、その付属高校の普通科が、伽里奈とエリアスが通っている高校だ。
実際の所、伽里奈ことアリシアは何年も前に王都ラスタルにある王立魔法学院を卒業しているけれど、地球と呼ばれるこちらの世界を知るために普通の学生をやっている。
年齢的には19才のアリシアだが、日本に来た時にエリアスの希望で年齢を調整されて、現在16才になってしまった。故に日本では高校1年生として振る舞っている。
そしてエリアスも16才という設定で、同級生として同じ高校に通っている。
魔術士の養成機関といっても、魔術師のタマゴを教育する魔法術科に入学するにはある程度の魔力適正が必要で、専門の学科試験もあり、希望者全員が入学出来るわけでは無い。
また、普通科であっても選択授業には基礎魔術も含まれているので、将来的に軍隊や警察等の専門機関、または軍事関連企業で魔工具や設備の開発やサポートの仕事に就く卒業生も多い。
アシルステラの世界では「魔法騎士」と呼ばれ、高位の魔導士であった伽里奈でも、地球上では普通のやり方では魔法の使用が出来ないため、魔法術科には入れないし、女神であるエリアスは当然のように魔法など使えないので、二人揃って普通科に通っている。
「じゃあ見ててくれよ、伽里奈」
今は放課後になり、魔法術科のエリアにある室内実習施設に来ている。小樽で最初に友達になった中瀬稔と早藤由布子の二人を含めた、1年E組の魔法使い見習達の練習に付き合っている。
二人とは一般の中学生として出会ったけれど、検査の結果魔力適正を認められて、この春から魔法術科に入学した。
魔力適正のない伽里奈だが、高位の魔術士でもある霞沙羅のお手伝いがあるので、地球側の魔術は学者レベルでマスターしている。それもあって魔法術科を希望したこの2人の受験勉強に付き合い、入学後も放課後の復習や座学の相手をしてあげている。
―ヒルダとハルキスには冒険中に魔術を習得させているけど、習得が早かったなー。学校だとどうしても、よっぽどの才能とか家業とかいった要因がないとカリキュラム通りにしかならないんだよね。とはいってもこの世界じゃ学生はあくまで学生扱いだし、命のやり取りの場に叩き込むことは難しいしねー。
霞沙羅が活躍した厄災戦の時は、戦渦が広がり続けた結果、学生も駆り出されたそうだが、今はそこまでの事件は起きないから、学生は学校に通い、そこで勉強をするだけだ。
やはり環境による影響は大きいと思いながら、友人になってくれた2人への感謝として、頑張っているその背中を押している。
2人と、クラスメイトの5人は練習用レーンを予約して、魔力消費量が最低限で実用性はない練習用の炎系魔法を打ち続けている。
この魔法は、火をつけたマッチを投げているような、その辺を飛んでいる羽虫くらいなら燃やせる程度の威力しかないけれど、とにかく魔法を使う事への慣れが必要な超初心者に向けて開発された、勉強用の魔法だ。
今実践している中瀬は火弾を1発作るのに30秒程度かけている。これでも伽里奈が座学に付き合っているからクラスの中ではいい方だ。
入学してから半年程度が経ち、最初に比べれば大夫早くなった。他のクラスメイトにはまだ1分以上かかっているのもいる。
「伽里奈に魔力適正があれば同じクラスになれたんだけどな」
「無いものは仕方がないよ。霞沙羅先生との付き合いで知識はあるんだけどねー」
「羨ましいよな。あの新城大佐に教えて貰ってるんだから」
実の所、魔力適正についてはとっくに解決していて、伽里奈が左手の人差し指につけている指輪が適正対応装備で、右耳につけているイヤリングが魔法の発動体だ。これを連動させることで、伽里奈は地球側の魔法を完全に使用する事が出来る。でもそれはやらない。例え、高校入学前に霞沙羅が実験と称して、日本の最高学府である【国立横浜魔術大学】の卒業試験を受けさせて、歴代卒業生の中でも最高水準の成績をたたき出して、「あなたは大学には入学出来ません」と卒業資格を手渡されいてもだ。
伽里奈がその実力を日本で発揮するのは、霞沙羅に関わった時か、この高校に通う入居者が来た時だけだ。
だから高校生活では、友人に勉強のアドバイスをすることしかしない。
* * *
家に帰るとすぐに着替えて、軽く館の掃除を済ませて、夕飯の支度に入る。夕飯は6時半から提供している。
現在の入居者2名と、お隣さん1名の帰宅時間としては、アンナマリーが日勤だと午後6時前に帰ってくるが、夜勤だと午後6時前に出ていき、早朝に帰ってくる。フィーネは占い師として場所を提供してくれているガラス工房が午後6時に閉まるので、遅くても午後七時には帰ってくる。霞沙羅は大学にいる時は午後7時くらい、軍に行っている場合は札幌から自家用車で帰ってくるので、何も無ければ午後7時から8時の間には帰ってくる。
このように、いつもは食事開始はバラバラなのだが、今日は全員が6時半に揃ったので、皆で食卓を囲っての夕食になった。
アンナマリーはお箸が使えないし、まだこちらの料理には慣れていないので、ずっと別の料理を用意している。ただそれだと一人だけ申し訳なさそうな顔をするので、今日は伽里奈も一緒なモノを食べている。
「これって向こうの人の口にあってるの?」
ワインを使った特製ソースをかけた豚肉のソテーと付け合わせ、野菜のスープ、そしてパン。これだと物足りないので、他の人用に作ったクリームコロッケをつけた。
「味に違和感は無いぞ。パンがやわらか過ぎるような気がするが、私はこれが好きだ」
今日のパンはシスティーが贔屓にしている近所のパン屋さんで買ってきた。
「この揚げ物は何だ?」
「クリームコロッケだよ。中にエビが入ってるんだけど食べられる?」
「エビか? たまに食卓にあがっていたな。王都が海から離れているから、海産物を口にする機会は多くはないが、好きだぞ」
「じゃあ大丈夫だね。中は熱いから気をつけてね」
フラム王国人でも食べられそうな料理となると、基本的に洋食系の肉料理は問題ないだろうし、揚げ物も大丈夫。海産物は王都では、荷馬車で往復して半日程度かかる港町から運ぶ必要があるので、価格も高く、流通量も限られていた。平民には日持ちのする塩漬けか干物程度しか回ってこない状況だ。
「貴族の小娘は館の外に出ていないから知らぬであろうが、この小樽は海に面しておるから、海産物は普通に手に入るのじゃ」
「そ、そうなのか。エビなんかどこから手に入れたのかと思ったぞ」
「貴族といっても何でも食べられるわけじゃ無いんだねー」
「ヒルダ様にしても冒険の旅から帰ってきてからは、近くの湖から獲れる、淡泊な川魚くらいしか食べていないと言ってたな」
「割と淡泊な川魚も料理の仕方次第だけどね。こうやってフライにしてソースなんかかけると、万人向けな料理になるんだよ」
―2年間で色んな場所を旅したからねー。海沿いの町も、島も行ったから、色々食べたなー。
「このコロッケだけでなくメンチカツやトンカツもラシーン大陸に持って帰りたい」
「伽里奈、どうにかしてやれよ。パン粉がなくてもパンが普通に売ってるんだったら、メンチカツくらい出来そうなもんだろ」
「そうなんですけど、向こうに行ったところで調理をする場所が無いですから」
行った所でどこで料理をするのかというのが一番の問題だ。材料的にはなんとかなるけれど、まさかヒルダの屋敷に乗り込むわけにはいかない。
その機会があったとして、正直一目でばれる気はしないが、彼女は料理は出来ないくせに調理を見ているのは好きだから、色々と話しかけてくる。メンチカツなんか悠長に作っていたら質問攻めにあってボロが出るかもしれない。
「その内実家に行く機会があったらついて来て欲しい」
「アンナマリーの家って貴族のお屋敷じゃない? ボクみたいなのが入っていいのかな?」
アンナマリーが家に帰る機会となればルビィに送って貰う事になるだろう。子供の頃から付き合いのある彼女が一番危険なのに、出会った瞬間にばれる可能性がある。何と言っても今の髪の色は光の反射を変える魔法がかかっている。向こうの世界でも何度か使用した、伽里奈オリジナルの魔法だ。ヒルダならまだ何とかなりそうだが、専門家のルビィが気がつかないわけが無い。
「先日父上宛に手紙を出した。それにはお前の事を書いてあるから、問題ないと思う」
「アンナマリーのお父さんて、王様に仕える将軍の一人でしょ。そんな、向こうに行ったら平民扱いのボクが、ねえ」
「父上は騎士を指揮する将軍として、アリシア様が冒険中に作った料理に興味を持っている。魔女戦争時にアリシア様達が合流した時に、最前線で食べた料理のおかげで部下達が力を取り戻したと私や兄にも語ってくれたし、戦後のヒルダ様にどんな料理があったのかと聞いていたから、屋敷用ではなく、現場で食べる料理を探していた」
「ほう、そのアリシアとかいう者の料理は残ってはおらぬのか? 残り5人は2年も一緒にいたのであろう?」
「5人中、料理が出来たのがハルキス様だけで、それもあまり凝った料理は出来ないと言っていた。キャンプでのスープや肉料理等の覚えていた分だけは、ルビィ様による冒険譚執筆のネタとして記録してはくれたのだが、それだけでは少ないのだ」
「ウチの伽里奈は私の部隊の野外演習に付き合ってくれるが、その時に同行する料理班はこいつにべったりついているもんだ」
毎度毎度というわけでは無いけれど、これも管理人としての仕事だ。
「こ、こいつが霞沙羅さんの演習についていくのか?」
「こっちの世界でも軍人の戦闘食には気をつけているからな。演習は苦しいモノだから、食事くらいは楽しみたいだろ?」
「父上も、ヒルダ様もそう言っている。ヒルダ様は特に2年も一緒にいたからな。領主の娘が大陸を冒険出来たのは、アリシア様の料理が大きかったと言っていて、騎士団の食堂も良くしたいと常々言っている」
「どこもそんなもんなんだろうな」
アンナマリーと霞沙羅の意見が同じ所に行っているけれど、伽里奈は生きた心地がしない。なにせドアを開ければヒルダの町だ。この3年間はあまり気にしていなかったが、繋がってしまっては、友人のお悩みに応えたくなるのが人情だ。けれど今のところは行きたくない。
変に「やめてよ」とは言えないから、ただただこの会話がどこかで決着がつくのを見守るしか無いが、意外な人が助け船を出してくれた。
「飼い主よ、ネコが水を所望しておるぞ」
「水が無くなっていたか、仕方ねえな」
霞沙羅は一時的に席を立ってウォーターサーバーから水をネコ用の容器に補充し、席に戻ると明日の予定に話題は変わってしまった。
うーん、さすがに未来予知が出来るだけあるなー、と伽里奈はフィーネに感謝した。
何と言っても彼女は異世界の魔女では無く、異世界の女神だ。しかも数百年に一度、龍の姿となって人に災いを及ぼす役目を負った神。その未来を見通す力で適当に人に試練を与え、適当なところで手を引くということを何度もやってのけている。
今ここにいるのも、数十年前にその役目を終えて休んでいるからだ。フィーネはこのコミュニティーが壊れることを望んでないから、会話の流れが変わる転換点を見つけて、良い方へ誘導したのだ。
霞沙羅もそれに気がついたようで、「すまん」と目で謝ってきた。
ただ、アンナマリーの手伝いをする以上、いずれ料理でヒルダに関与することにはなるのかなと、伽里奈は改めて覚悟した。
エリアスの気持ちも大切なので、どのような形でラシーン大陸に復帰するべきなのか、それが問題なのだ。
読んで頂きありがとうございます。
評価とか感想とかいただけましたら、私はもっと頑張れますので
よろしくお願いします。