英雄と女神の妙な関係 -1-
これは3年と少し前の話である。
魔女ソフィーティアの本拠地である天空魔城は、常にぶ厚い雷雲に囲まれていて、大陸でも残りわずかとなってしまった空中船であってもたどり着く事が難しいが、アリシア達にはそれを突破できる7人目と呼べる仲間がいたために、6人だけがたどり着く事が出来た。
地上の多くの場所では魔女が放った魔物や強力な手下と人間とが、各地で戦いを繰り広げている中、最終決戦は6人の冒険者に委ねられることになった。
たかが冒険者と侮るなかれ。この1年に渡る魔女との戦いで、魔女軍団の幹部の悉くを撃破という突出した戦果をあげてきた、世界最強の冒険者と認められた6人だからこそ、この大役を任されることになったのだ。
「魔法騎士アリシア」「破山のヒルダ」「業炎のハルキス」「聖騎士イリーナ」「轟雷のルビィ」「蒼空の舞姫ライア」という二つ名を持つ6人は、天空魔城に辿り着くやいなや、強力な魔物の群れに切り刻み、多くの罠を消滅させ、怒濤の勢いで魔女の間へと歩みを進めた。
そして、目的地の直前に待ち構えた、最後に残った魔臣将軍2人を、ヒルダ達5人に任せ、アリシアは単独で、いや、もう1人の仲間と共に、魔城の通路を進んでいく。
後ろでは5人が強敵と戦っているがそれも時間の問題で、いずれ自分と合流することだろう。
そんな状況だというのに、当のアリシアは気持ちが優れなかった。残してきた仲間が心配なのではなく、この2人だけで魔女に戦いを仕掛けるという事が心配なのでもなく、この戦いが終わった後の事を考えると憂鬱なのだ。
足取りも重い。
「ねえシスティー、この戦争の終わりが見えてからずっと、ボクは不安に駆られてるんだよねー」
赤く長い髪をポニーテールにし、ある思いが込められた黒いドレスに身を包んだ少女、に見えるが実際は少年のアリシアは、1人になってからテンションが低下中。
「皆は旅の目標とかゴール地点があるじゃない。そういうのがボクには無くてさー、多分この戦いが終わったらパーティーは解散して、皆それぞれの居場所に帰っていくんだろうね」
「私にはよく解りませんが」
幽体のように浮かんだ、青い女性のビジョンがアリシアの横に現れる。
「ボクはさ、ルビィと一緒に魔法学院を卒業して魔導士なんていう、王国でも100人ちょっとしかいない地位を貰ってさ、剣も退役した騎士のおじさんに教えて貰って、こんなに強くなっちゃって、今は大陸の存亡をかけた戦いの一番前にいちゃってるんだけど、元々は宿屋の三男で、将来的には故郷の王都ラスタルで私塾をしながら学生向けの下宿でもやろうかなとか思って、お金稼ぎに冒険者始めたんだよねー」
「マスターとはそれほど長くはありませんが、今の能力を見ていると過剰気味かと思われます。ルビィのように学院に戻るのが良いかと」
「学院のお爺さん達って苦手でさ。でもこのまま魔女を倒しました、って地上に帰ったら、ウチの王様はボクらを奉りあげる気満々だし、土地持ちの貴族にしてやるって言ってるし、いやー、なんか違うんだよねー」
「名誉なことじゃないですか」
アリシアは平民生まれだから、町中で貴族の姿を見たり、騎士を見たりして、英雄譚なんかを読んだりして、子供の頃はそういうお金持ちな生活にも憧れたものだが、料理が好きだし、家事も好きだし、旅の途中で出会った宿屋のご主人達と楽しく話をしたりして、やっぱり自分は宿屋の息子なんだなと自覚してしまった。でも貴族になるとそれはもう出来ない。
領地運営の片手間で宿を経営するくらいは出来そうだが、それは人を使っての事業だろう。でもそこは自分の手でやりたい。
「人それぞれなんだよー。ボクは向いてないんだよね、貴族的な生活。だからって、解散後も冒険者を続けるなんていっても新しい仲間は集まらないだろうし、大陸中で有名になっちゃって宿なんか開けないし、どこかいい場所無い?」
「私に言われましても。星空を旅してきた私ですが、文明のある星はここが初めてで、コネとかはないです」
などと愚痴を言い続けても魔女のいる広間は遠くには移動しないし、結局仲間達はまだ後ろから来ないので1人でドアの前に到着してしまった。
大きな部屋に繋がるであろう大きな扉には鍵もかけられていない。これには魔女の絶対の自信がうかがわれる。
「まあいいや、とりあえず中に入ろう。出来たら話し合いをして、やめてくれるといいんだけど」
ドアノブを回し、大きな扉は部屋の中に向かって開いた。
入ると地面には真っ赤な絨毯が部屋の奥の方に向かって続いている。その先にはドラゴンの骸を象った大きな椅子があり、そこにはこれまで何度も空中に現れた幻影で見た、黒くて際どい服を着た魔女ソフィーティアが座っていた。部屋の中にはたった1人、他に護衛もいないし、魔物も配置していない。探知魔法を使ってみたけれど罠も無い。
正々堂々としているのか、やはりそれだけの実力があるのか。
「んー、なんか様子がおかしいな」
この天空魔城は絶賛戦闘状態だから、当然自分達が入り込んでいることは解っているはずなのだが、部屋にやって来たアリシアには目もくれていない、というか両手で顔を押さえて泣いているようだ。
「ど、どうしたんだろ」
「罠かもしれませんよ」
「役者もやってたライアに散々からかわれてきたボクだよ。嘘泣きかどうかは解るよー」
ここまで来てとんだ拍子抜けだが、泣き方に本気が入っている。どうしたものか、とりあえずアリシアは魔女に向かって歩いて行く。
「システィーはちょっと待機してて」
「知りませんよ?」
「なんか理由があるのかも。全然魔女って感じがしないよ」
泣いている姿には全くといっていいほど邪悪さは無い。持っているはずの杖も床に転げ落ちているし、まさに無防備だ。
「ちょっとどうしたのさ?」
近づくと随分と背の高い女性だった。男としては背の低めなアリシアだけど、ずっと大きい。
ニセモノなのかなー、それとも誰かに操られていただけなのかなー、とか考えてしまう。
「とりあえず泣き止もうよー。泣いてる理由を教えてよー」
羊のようなぐるぐる巻きの角が生えた頭をポンポンと優しく叩くと、魔女はアリシアの方を向いた。目からは涙が溢れている。本気で泣いているようだ。
「キミを倒すために来たんだけど、これはどういうことなの?」
剣を持ったままだと話し合いにならないので、鞘に仕舞い、魔女を落ち着かせるように抱きしめて、背中をポンポンと叩いてやる。それでもしばらく泣いていたけれど、次第に泣き止んでいった。
「やりたくなかったの。私のせいで沢山の人間が死んでしまったわ。これは必要な事だと解っていたけれど、1年は長すぎたわ」
「やりたくないって、ボクも最近はやりたくないのにここまで来ちゃったんだけど、どういうわけなの?」
「まず最初に嫌な国を消したわ。でもそれはあなた達にも得のあることだったから良かったの。けれど、そこからが長すぎた。それが私の心を徐々に傷つけていった」
大陸中を震撼させた魔女ソフィーティアが、今はアリシアの胸の中で、小さな少女のように身を震わせている。もう完全にここから戦闘が起きるようなことはないと確信出来る程、魔女は自分の弱さを吐露してきた。
「もっと大きな破壊行為が起きるだろう事を、あなた達がこの城に入ってきた時に感じて、泣いていたの」
「大きな破壊行為って、何のこと? 君じゃない誰かがやるっていうの?」
「でもここ広間に最初に辿り着いたのがあなたで良かった。あなたは、私達が仕掛けた最後の罠を回避して、正解を掴んだのよ」
胸の中で泣いていた魔女が顔を上げた。まだ涙を流してはいるけれど、その顔は悲しげな表情ではなく、嬉しそうにしていた。
「何、何が起きたの?」
笑顔を見せた魔女に角は無くなり、灰色だった髪は輝くような銀色になり、黒い服は純白に変化した。
「そういう事でいいですね?」
「わかった。その人間の勝利だ」
広い室内に、2人、いやシスティーを入れて3人以外の声が響き渡った。
今後ともよろしくお願いします。