入居者を募集中です -2-
突然この舘が異世界にあると言われても、中々受け入れにくいだろう。管理人である伽里奈=アーシアはやどりぎ館を任された時にあまり気にしなかったけれど、入居希望者の多くは最初に驚く事になる。ただ、それで入居を拒否した人はいなかった。ちゃんとこの館の説明をすれば、どのくらい快適な住居なのか解るからだ。
「さっき入ってきた裏の入り口が、入居者それぞれの世界と繋がっているんだ。だから後ろにある窓から外を見てみてよ、アンナマリーさんがいる町とは別の町でしょ? そのヒルダさんの町は城壁で囲まれていると思うんだけど、それが無いよね?」
言われてアンナマリーは立ち上がって外を見る。窓の外はこの舘の庭があって、正面の門だと思われるその向こうには見知らぬ住宅地が広がっている。
「気になるなら裏口から一度出てみる? 異世界に来たからって帰れないわけじゃないから」
伽里奈は説明のためにアンナマリーを連れて裏口に移動した。
「じゃあボクが一旦開けるからね」
と伽里奈がドアをが開けると、さっきの路地裏。
「違うって、ボクが開けたんだから小樽でしょ。ちゃんと説明するんだからー」
ドアに文句を言って、一度ドアを閉めて、もう一度開けると、さっきの門は無く、柵があって、その先には森が見える。
「じゃあアンナマリーさんがやってみて」
「あ、ああ」
とアンナマリーが開けると、路地裏だった。
「アンナマリーさんがいるからボクもそっちの世界に行けちゃうけど、普通はこうなるんだー」
「お、おお」
「ここから出勤して、ここから帰ってくるんだよ。でもそれが出来るのは入居者になるアンナマリーさんだけで、ここに来る時に入った路地は町の人には見えないし、入る事も出来ない」
「そ、そうなのか」
今アンナマリーは異世界の町にある建物にいるのだが、ドアを開けると元のモートレルの町に繋がっている。どうしてこうなっているのかは解らないが、ここに住むのも、モートレルのアパートに済むのも変わらず、騎士団の仕事を続ける事が出来る。
奇跡、神様の力でこうなっていると言っていた。自分はとんでもない場所に辿り着いてしまった。
「まあまあまあ、一旦応接に戻って頭を落ち着けようよ。お茶のおかわりもあるから」
伽里奈はアンナマリーを連れてまたソファーに座らせる。悩んでいるアンナマリーを落ち着かせる為に、もう一杯お茶を入れて、さっきのカステラに引き続き今度はクッキーを出した。
「悩むとは思うけどね、一息ついて、この館の設備を見て、ここに住む自分を想像してみるのがいいよ。なんだったらしばらくお部屋の中にいてもいいし、お休みみたいだし一泊してみる?」
とりあえず伽里奈に出されたお茶を飲んで、クッキーを口にしてアンナマリーは考える。三食付きと謳っているだけに、出てくるお菓子は美味しい。王国では上位の貴族出身の自分が口にしても解る。さっきのケーキもこのクッキーも、決して派手さはないけれど美味しい。
「とりあえずこの舘を案内して貰おう」
異世界というワードが引っかかるけれど、アンナマリーの気持ちは入居に傾いている。異世界なのだと意識すると奇妙な設備が色々と見えてくるけれど、なんと言っても建物自体に手入れが行き届いていて、清潔で綺麗だ。
今日は何軒も部屋を見てきたけれど、総じて貴族出身者の目で見てはいけない物件ばかりだった。この家は実家の屋敷と比べてしまうと狭いが、清潔さについて劣ることはない。
応接兼談話室とされるこのスペースの横には清潔に保持された多人数用のテーブルと椅子が置かれている食堂となっているし、見た事もない設備が置かれている厨房も整理整頓されていて、日常的に清掃されている事もうかがえる。
温泉が引かれている浴室は入り口から男女用に部屋が別れていて、更衣室も浴室内もちゃんと清掃が行き届いている。しかも源泉掛け流しという贅沢仕様で、湯船にはなみなみとお湯が満たされていていつでも入浴が出来る。そのお湯に触れてみたが温度も丁度いい。
2階は説明されたとおりの居住スペースだ。階段を上がり、扉を抜けると、4つの個室があるエリアになっている。
各部屋のドアはちゃんと鍵がかかるのでプライベートも保たれている。部屋のサイズは自分の実家の部屋と比べてはいけないが、1人で暮らすには余裕がある。室内には清潔な布団も枕もセットされているベッドと、窓側に簡単な物書きが出来る机と椅子、背の高いクローゼットと、物置の棚と一体になっているタンスがある。シンプルな設備ながら、今日入居してもこのまま住む事が出来るようにはなっている。
「あのね、夜になったら蝋燭とかランプとかじゃなくて、こんな感じで明かりが点くから」
伽里奈が壁のスイッチを入れると、天井の明かりが点く。机の上にも小さなライトが置いてある。
「このままの状態で入居出来るのか?」
「この状態だよ。お隣の人は長い事住んでるから、自分好みの家具を入れててね、そんな感じで撤去して欲しくなったらどけるからね。ベッドのシーツとか枕とかは割とすぐ取り替える人が多いかなー。枕はやっぱり自分の好みに合わせたくなるしね。あと、このままの状態で使うんなら、定期的にシーツも布団カバーも洗濯するからねー」
「ちょ、ちょっと1人にして貰っていいか?」
「うん、どうぞー。ボクらは下にいるからねー」
建物の設備を一通り見せて貰い、破格の物件だというのは解った。ただ、そう、最後に異世界だというところが引っかかってしまう。窓の外を見ると間違いなく異世界なのだろうが、急に異世界だと言われても悩む。
「しかしな」
アンナマリーは頭を落ち着ける為に、一先ずベッドに横になる。シーツは洗濯されているし、ふかふかで寝心地もいい。実家のベッドと比べると狭いが、寮のモノとは段違いにふかふかで寝心地がいい。そう、ふかふかしているし、寝心地がいい。
「寝心地がいい…」
寝てしまうのは早かった。今日はずっと歩いていたから疲れてしまっていたようだ。異世界とかそういうのはどうでも良くなった。
アンナマリーを部屋に置いて、伽里奈は一階に降りてきた。
「どんな感じ?」
食堂のテーブルでファッション雑誌を読んでいるエリアスが話しかけてきた。
「多分寝ちゃってるけど、異世界って所さえクリアすれば住むと思うよ。ヒーちゃんの所の寮から比べちゃうとさすがにねー。あの寮が修理されても貴族が住むには抵抗があるから。それも3大将軍の1人、エバンス家のお嬢様ともなればちょっと合わないかなー」
「マスターが恐れていた日が来ましたね」
館内の掃除を終えた女性もやって来た。
「なんでよりによってヒーちゃんの町に繋がるかなー。でもボクはともかく」
伽里奈はエリアスを見る。
「いきなりというわけじゃないでしょう。それでも覚悟はしておくわ」
「ごめんね」
「あなたが謝る事じゃないわ。この家に住む資格のある子が来た、それだけ。あの子がここに住むというのならその手伝いをする、それが管理人の仕事でしょう?」
「そうだねー。そっかー、あの子はヒーちゃんの家を選んだのかー。ボクに向かって、立派な騎士になる、って言ってたもんねー。ヒーちゃんの所だし、居心地は悪くないかもね」
伽里奈が途中途中で挙動不審だったのは、アンナマリーと伽里奈は同じフラム王国の王都ラスタルの出身だからだ。
自分の実家は長年続く宿屋兼食堂で平民出身。あちらは何代にもわたって王家に仕える騎士の家系。由緒ある貴族の家だ。身分違いで接点はあまり無いけれど、平民からすれば有名な貴族のお嬢様の顔くらいは覚えている。
しかも 伽里奈と名乗ってはいるけれど、本名はアリシア=カリーナ。元冒険者であり、6人の英雄の一人でリーダーだ。旅の途中で国王から「魔法騎士」の称号を与えられた程の、剣と魔法に秀でた冒険者だった。
それが三年前に魔女戦争を終わらせた後、訳あって小樽の地に移り住んで、このやどりぎ館の管理人になった。
伽里奈の事を「マスター」と呼ぶ女性、システィーは、人間の女性の姿をしているが、旅の終盤で手に入れた、強大な力を持つ、生きた魔剣だ。
そしてエリアスも、伽里奈と共同でこの館の管理人をしているが、同じくアシルステラの住民だ。
「あんなに近くで話をしても英雄アリシアだって気がつかないモノね。王立魔法学院出身の冒険者とはいえ、魔女戦争が始まってからは結構有名人だったじゃない?」
「髪の色も赤から茶髪にしてるし、髪型も変えてるからねー。あの子とは2回くらいしか会った事が無いから、さすがに解らないかも。ただヒーちゃんは要注意かな」
「向こうの人間に解りにくいように軽く『認識阻害』をかけておきましょうか? それでヒルダさんも誤魔化せると思うわ」
「そうだねー、会う事になったらよろしくね」
「ただ『認識阻害』は、相手があなたをアリシアだと断定したら解けるわよ。力を過信して油断はしない事ね。振る舞い方には注意しなさい」
「うん、解った」
「悪いわね」
「ううん。エリアスには辛い思い出しかないからね。ボクがここに誘ったんだから、それはボクの問題。あーあ、でも5人が今何をしているのか、それは気になるなー。ボクと違ってみんなは旅のゴールを決めてたからね。ちゃんとゴールにたどり着いていればいいなー」
結局お別れもしないまま、自分はこの地球という世界にいるから、ちょっと後ろめたい気持ちのまま3年以上が過ぎてしまった。話ではヒルダは領主になっているようだし、上手くいっているのだろう。それにしても19歳で領主とかちょっと若くないかなー、と思う。
「マスターって向こうの世界でどういう事になっているんですかね?」
「あの時、死んでない事にはして貰ったけど、実際はどうかな。後でアンナマリーに聞いてみよう」
向こうの世界に顔を出す事になるのなら、まずは自分がフラム王国でどういう扱いになっているのかは知りたい。
まだアンナマリーから入居かどうかの返事は貰っていないけれど。
今後ともよろしくお願いします。