楽しい野外演習 -4-
急遽、小隊長を集めて相談をした結果、オリビアと見張りの順番を交換してくれる人間が現れたので、アンナマリーは無事に見張りの経験が出来るように調整をしてくれた。
捻挫については、打ち合わせをしている間にはもう痛みも無くなっていた。それでも腫れは引いていないので、念のため患部に湿布を貼って貰ってから医療用のテントを出て、寝るために女性用テントに移動した。勿論伽里奈にお姫様抱っこをされてではあるが、あれだけ手を尽くしてくれたのだから、アンナマリーはもう拒否しない。大人しく寝床まで運んで貰った。
「面白いモノが見れたよ。あの魔法が上手く行くようなら騎士団でも採用したいね。練習用の武器だと傷よりも打撲が多いからね」
「それは良かった」
伽里奈はアンナマリーのためにサンダルを用意した。ちょっと寒いが、まだブーツを履けるような状態じゃないから、腫れがひくまでにうろつくようなことがあるなら、これを使いなさいというわけだ。
「用意がいいな」
「休憩時に小川に足をつける事があったら使おうかなって持ってきたんだ」
「そんな余裕があったらよかったんだが」
結局休憩所では疲れて寝転んでしまったから出番はなかったけれど、冷たい小川に足をつけるとか、それはそれで気持ちよさそうだ。
「そろそろ女衆は寝かせてもらおうかね」
「カリナ君ならいて貰ってもいいかなって思うけど」
「いえいえ、その辺は、ボクの居場所は決まってますし、寝る前にパイ生地を作っておかないとダメですからねー」
アンナマリーの世話係でもあるが、伽里奈はやっぱり男なわけで、さすがにテントは別に用意されている。
「あの変わったシチューは暖まるし美味しかったね。朝とお昼もこの調子でよろしく頼むよ」
「はーい」
伽里奈は女性用のテントを出て、調理場所に戻った。アクシデントでちょっと時間をくってしまったけれどまだ誤差の範囲だ。
「もー、まずいなあ。それにしても何にも伝わってないもんだよねー」
完成度は低かったとはいえ、打撲や捻挫向けの回復魔法はイリーナにあげたし、冷蔵用の術式もルビィに説明はしたはずだけれど、自分がいなくなった後にはそれが広まっていないという事が解ってしまった。
「そんなに難しいのかなあ。それとも口伝だからダメなのかなあ」
冒険中には宿やキャンプで解説はした。本人達には伝わったけれど、書類としては残っていない。
神聖魔法は宗派が違っても、ちょっと調整すれば他でも対応出来るはずなのだが、オリエンス教はケチなのか、それともそういう発想がないのか、伝わっていないことは本当にがっかりだ。
「もうしょうがないなあ」
ちゃんとお別れをしていればこんな事にはなっていなかったわけだから、仕方ないと諦めるしかない。
「あーあ、このままって訳にはいかないかなー」
剣士としてのアンナマリーの能力は思った以上に低い。けれど彼女も自覚していて、貴族特有の自惚れはなく、苦手な事を克服していこうという姿は見ているので、素直に応援したい。
ただ伽里奈=アーシアではそのサポートに限界がある。今日もアリシア=カリーナであれば何の問題も起きなかった。
「覚悟決めないとダメかなー」
それはともかく、朝食用のパイ生地を練って、一寝入りすることにしよう。
* * *
伽里奈の体内時計は健在で、予定した時間に目が覚めて、早速朝食作りを再開した。
テントの外は、ここが森の中ということもあってとても暗い。所々で松明が焚かれたり、松明やランタンを持った騎士達がいるので何も見えないわけではないから、その明かりを頼りに調理エリアに行き、早速たき火に火をつける。
たき火が安定するまでに、寝かせておいたパイ生地を持ってきたり、挽肉やリンゴなどの食材を馬車の荷台から持って来た。
やがて騎士団の料理当番も起きたので、オニオングラタンスープの作り方を指示して、伽里奈はミートパイ用の挽肉を炒め、アップルパイ用のリンゴを煮込み始めた。
オニオングラタンスープとはなんぞや、という状態の料理当番達は、先日のナポチタンと唐揚げ、そして昨晩のクリームシチューの出来から、折角作るなら美味しい物が食べたいと考えて、伽里奈の指示通りにしっかりと動いて下ごしらえをしてくれている。
そして警戒要員の交代が行われ、アンナマリーがやって来た。
「足の方はどう?」
「ああ、出てくる前にオリビア隊長にも確認して貰ったが、腫れも引いて痛みも無いが、フロイトさんの診察が終わるまではあまり歩くなと言われた」
捻挫した方の足はサンダル履きで、捻挫をした箇所も確認が出来るが、もう腫れも引いていて、歩き方にも支障は見えない。もう大丈夫だ。
アンナマリーは伽里奈の側にあった、腰掛け替わりに置かれた丸太に座った。歩かなくてもいいけれど、警戒はしなければならない。
「食材は予定通りに鮮度も落ちてないし、腐りもしてないねー」
「お前がこんな妙な魔法を使えるとは思ってもみなかった」
「小樽じゃいらない魔法なんだけどね。とはいえ、機械だって万能じゃないし、何があるか解らないから、軍の訓練でもバックアップで使ってるんだー」
普段の生活からは見えていなかったけれど、伽里奈が持っている技能は、地球側の英雄だという霞沙羅が信用している程度には優秀なようだ。
アンナマリーは父親から聞いているが、あのルビィや魔法学院の賢者達をもってしても、アリシアの作った冷蔵魔法は実用化されていない。料理に適した状態で保存することが出来ていないのだ。それを伽里奈は使いこなしている。
神聖魔法もだ。異世界人のくせにベテランのフロイトが知らない術式をあっさりと作って見せた。
一体何者だろうか。
「くしゅん」
まだ朝方の森の中、しかも川も側を流れているからまだ冷える。アンナマリーがくしゃみをするので、伽里奈はここまで持ってきていた毛布を掛けてあげた。
「ボクはたき火の近くにいるからねー」
「な、お前」
くそ、こんな女みたいなヤツにここまで世話をして貰う事になるなんて。まさかこんな所で点数を稼ごうとしているんじゃないのか。とか思ってしまうが、そもそも伽里奈にはアンナマリーに媚びを売る必要性がない。伽里奈にはエリアスという美人のパートナーがいる。それに霞沙羅だって、フィーネだって、システィーだって、あの館は美人揃いだ。
だったら超お嬢様である自分の家柄を狙って、といっても住んでいる世界が違うのだから、そんな下心は無いだろう。
アンナマリーが妙な考えに入り込んでいる間に、伽里奈はもうミートパイとアップルパイを焼き始めている。フライパンを釜替わりにするのだが、それではサイズが小さいので何枚も作る必要がある。朝食までまだ時間はあるけれど、そろそろ焼き始めないと間に合わない。
フライパンに合わせて生地と具材を設置して、蓋をして火にかけると、伽里奈はアンナマリーの横にやってきた。
「この後は朝食用にロイヤルミルクティーを作るよー」
「何なんだそれは?」
「向こうでのミルクティーの作り方で、鍋を使って低温で紅茶とミルクを煮ながら作るんだよ」
「雑な作り方だな」
ミルクティーというモノは、ティーポットでお茶を煎れで、カップに注いでからミルクを入れるものだ。それをなぜ一緒に煮なければならないのか。
「そう思えるけど、かなりリッチな口当たりになる作り方だよ。とりあえず明け方で冷えてるから、アンナにはホットミルクをつくってあげるねー」
いつの間にか自分の呼び方が愛称の「アンナ」になっているけれど、とりあえず家に帰るまでは黙っておこう。やっぱり男に愛称で呼ばれたくはないけれど、今それを抗議するのは申し訳ない。
―ホントに馴れ馴れしいヤツだな。
家が王国内でも有数の由緒正しい騎士の家系なだけに、他の家の男性は、同年代であっても愛称で呼ぶことはなかった。愛称は家族だけ。多少は親しい友人であっても男に愛称で呼ばれることはなかった。
―それがこいつは、昨日は勝手にブーツを脱がすし、勝手にお姫様抱っことかするし、今だって勝手に毛布を掛けてきやがるし。
荷台から牛乳を持ってきて、小さなやかんで暖め始めた伽里奈を見る。これほどまでに横に置いてある剣が似合わないヤツもいない。こんなのよりも包丁で野菜でも切っている方が似合う。
しかも見た目はまるで同年代の女子だ。
それにしても先日の、体の大きな酔っ払い2人をあっさりとあしらったのには驚いた。全く危なげなく、しかも完全に手抜き感満載の投げだった。いや、ケガをさせないようにただ転ばせたのだ。そう考えるとかなりの技量を持っている事になる。
―霞沙羅さんの言っていたことが本当だとすると、こいつはどれだけの力を隠しているのだろうか。
「ちょっと特別だよー。こっちの素材で作ったモノだからインチキじゃないからねー」
伽里奈はやかんの中に肌色の粉末と、やや黄色の粉末を入れた。それを混ぜて、カップに入れてアンナマリーに差し出してきた。
「な、何入れたんだよ」
「乾燥大豆を粉末にした、いわゆるきな粉と、とある蕪から作った砂糖だよ。勝手に騎士団の砂糖を使うのもどうかと思ったから、こんな事もあろうかと持ってきてたんだー」
きな粉のせいでホットミルクがやや肌色になっている。だが伽里奈が作るのだから間違いはないだろう。
アンナマリーは恐る恐る一口飲むと、ただのミルクとは違って飲み応えがある。大豆の粉のせいか、砂糖を入れたからか。しかし蕪から作った砂糖とか何をしたのだろうか。
「大丈夫、ただの砂糖だから。館で使ってる砂糖の半分以上も蕪みたいな植物からのものなんだ。寒いところでも育つからね、日本ではこっちの方が流通量は多いんだ」
いわゆる甜菜の事だが、ラシーン大陸には似たような蕪があるので、モートレルの露店で購入して砂糖を作ってみた。
食料としてはそのままではあまり美味しくはなく、漬物にして食べているのだが、予想通りだった。
「すごいな」
体が温まるし、いつもと違うホットミルクを飲んで目が覚める。
「アンナも、ヒルダさん達の旅の記録を読んで、冒険に憧れたりしてた?」
「今も憧れてるよ。あの人達はこんな森の中で夜を過ごしたのかなとか思ってる。こんなに沢山、騎士の人達はいるけれど、あの人達だってたまに大人数で動くこともあったしな。その一員になっているみたいだ」
アリシア達はあまりにも強かったのと、領主の娘ヒルダと族長の息子ハルキスは王宮でも知名度があったから、別の領主や国からの依頼を受けることもあった。そうなった場合は、人数は少ないけれど騎士や兵士達との合同作戦になり、数十人程度に膨れ上がることもあった。
「自分がここにいたらとか、そんな風に読んでるよ。ヒルダ様はお嬢様育ちだから自分に似ている部分もあるけれど、アリシア様にちょっと厳しすぎるんじゃないかって思ったりしてな。そういえば似たようなのが側にいるのが気になる」
「それボクのこと?」
―アリシア本人だしねえ。
「よく見たら似てないけどな。だが、父様や兄様から聞かされていたキャンプ地での料理とは違う、予想外に美味しい料理が出て、何となくあの人達の旅ってこんなのだったのかと思ってる。アリシア様が心がけていた美味しい料理がなぜ必要なのか、自分が初心者だから余計によく解った」
―その発想の延長線上で作った料理なんだけどねー。まあ褒められているならそれでいいか。
「今はあのパイの出来が気になる」
「急にパイの話?」
「楽しみにしているからちゃんと作れよ」
「はいはい」
次回以降はどうなるか知らないけれど、人生最初の野外演習を無事乗り越えられるのなら、管理人としての仕事は成功だろう。
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