新しい日常生活の始まり -5-
「マスター、相手はヒルダですからくれぐれも気をつけてください」
「あまり強く力をかけるとアンナにも影響が出るのよ。だから上手くやってね」
まだアシルステラに帰りたくないエリアスの為にアリシアだとばれるわけにはいかない。会話には気をつけるしかない。
とにかく自分の調理道具を持って、伽里奈はモートレルの騎士団に向かった。その途中にある露店には、昨日は気にしていなかったけれど、確かに「劇団来る」という紙がぶら下がっていた。横目で見るとに翌々週に講演が始まるそうだ。
「まさかこのお店の事はやらないよねー」
アンナマリーが冒険譚を持っていたのでちょっと見せて貰った。冒険中にルビィは色々と日記を書いていたけれど、あの時は居合わせていなかったのでこの花屋さんの事は書いていなかった。あれは今考えると大人げなくてちょっと恥ずかしい思い出だ。
花屋の前を、今日も別の子供達がごっこ遊びをしているのを横目に見ながら騎士団の敷地に辿り着くと、門番に言って中に入れて貰った。
騎士団の敷地内では団員達が鍛錬を行っていた。体が資本だから、アンナマリーもこれに参加している姿があった。
事務所建物の食堂に到着するとヒルダと厨房担当達が待っていた。領主ともあろう人間がこんな所までくるとは、ヒルダの本気度が解る。そういう事ならちゃんとやらないとなんか悪い。
「伽里奈=アーシアです」
「ヒルダよ。今日は来てくれて嬉しいわ。それにしてもホントに男の子?」
「レイナード様にも同じ事を言われましたけど、男です」
「アーちゃんを思い出すわね」
「そうですか」
「あと昨日のお菓子は美味しかったわ。また持ってきてくれる?」
「ええ、機会がありましたら」
とりあえずエリアスの【認識阻害】はきちんと効いているようで、「アーちゃんじゃない、何してるの?」と言われるような事は無かった。
ところでアーちゃんはアリシアの愛称だ。逆に伽里奈もヒルダのことを「ヒーちゃん」と呼んでいた。一応、この愛称については冒険譚にも書かれているから、知らない国民はいない。
「それでですけど」
伽里奈は考えてきたメニューを説明する。
今日の昼食は予定通りに出して貰って、伽里奈からは二種類のサンプル品を作って、団員達に小皿程度の量を試食として食べて貰って、その評判を聞くという流れになっている。
「大量に捌けるのがいいと思いまして」
スパゲティーナポリタンと鶏の唐揚げを作ることにした。採用された時には、ナポリタンはそのまま出してもらえばいいけれど、鶏の唐揚げをどういう形で出すかは後で考えてもらおう。
このフラム王国ではお米を炊いて食べるのはマイナーで、米粉にしてビーフンみたいな麵にするとか、スープに直接入れてお粥感覚で食べるかだ。丼とか定食はあり得ない。
ナポリタンの方は、ケチャップが無くてトマトソースで代用するのであのままの味というわけにはいかないけれど、それに近いモノは既に下宿で作成済みだ。鶏の唐揚げは、醤油が無いので塩胡椒とニンニクでシンプルに味付けをすることにした。
ヒルダに説明を終えたら、早速食料庫に材料を取りに行った。基本的には保存の利く乾物とかチーズとか干し肉とか小麦粉とか調味料系が置いてある。あとは今日のお昼ご飯に使う新鮮なお肉や牛乳、野菜、パンなどが一時的にあるくらい。
今は厨房の人が今日使う材料を持って行こうとしていたので、伽里奈は邪魔にならないように必要な食材をえらんで、厨房に持って行った。
「うーん、久しぶりの食材があるなー」
この世界は何度か文明がリセットされているけれど、文明全てが消し去られたわけでは無い。農耕や牧畜技術といったものは延々と紡がれていて、地球側の中世時代に比べて食糧事情はずっといい。
お手頃価格では無いけれど、香辛料も一般市民でも手に入れることは出来るし、砂糖だって贅沢品ではあるけれど超が付くほどの高級品では無い。タマゴも言うほどお値段が高い食べ物じゃない。
それにどこでもやっているワケではないけれど、魔術設備を利用してハウス栽培に似た、季節外の栽培だって行われている。
「ソーセージの在庫が無かったからベーコンにするかー。あれはあれでいい脂が出るしね」
でもまずはトマトソースからかなと、持ってきたトマトを使って早速調理を始める。
「じゃあ厨房のこっちを使わせて貰いますね」
食堂利用者の数も多いから、その仕込みも早めに始めないといけない。やっぱり正規の料理作りが優先だから、伽里奈は厨房にちょっとスペースを空けて貰って、そこで料理を始めた。
下宿にいる人数に比べても、この食堂で食べる人間の数はずっと多い。けれど霞沙羅に頼まれて軍の野外演習で料理を作ることもあるし、高校では料理の授業を取っているので、大人数にも対応出来る経験は積んでいる。
軍や高校では一人で全部やるわけでは無いけれど、量が増える事による味の調整もわきまえているし、今日は試食程度にしか作らないので、料理をする人間は伽里奈一人でも大丈夫だ。
ケチャップ替わりのトマトソースも無事に完成し、ナポリタン用の具材も下ごしらえを終え、茹でた麵はちょっと寝かしておく。唐揚げ用の鶏肉も下味をつけている最中だ。
「ヒルダ様はここにいていいんですか?」
一先ず準備を終えたけれど、まだヒルダは厨房にいる。冒険中も、料理をする気は無いけれど、アリシアの料理をずっと見ていたものだ。
「知らない料理が出来上がっていくのは楽しいわね」
「抜群に美味しいという料理では無いですけど、下宿では人気ですねー。唐揚げなんかはお酒のおつまみとしては定番です」
「初対面の人に言うのも何だけど、ウチに欲しいわねえ。料理の手際もいいし、あのアンナマリーにも気に入られているんでしょ?」
「まあそうなんですが、下宿をやってますから」
「たまにでいいのよ、たまにで」
「え、ええ、考えておきます。それより、そろそろ仕上げにに入りますよ」
まだ料理も完成していないのに、早くもスカウトされそうになっている。この食堂に協力してもいいけれど、ヒルダの家に仕える気はさすがに無い。
衣をつけた鶏肉を揚げながら、ナポリタンを同時に作る。一度に作るナポリタンの量は数人分にしないと間に合わないけれど、伽里奈は腕力にモノを言わせて、フライパンを軽々と振るい、ナポリタンの山が出来上がっていく。
「な、なんか食欲をそそられる外見と匂いね」
「貴族の方でもそう思います?」
「私は2年も旅をしていたから、町の庶民料理に偏見はないのよ。その中でもアーちゃんの料理は忘れられないわね。行く先々で色々考えてくれて、仲間同士でたき火を囲みながら食べたっていう雰囲気もあるのだけれど。騎士団の演習とか遠征時にああいう料理を食べさせてあげたいわ」
「随分と騎士団の人に目線を合わせますね」
「領主だけど、冒険者だった2年の経験は大きいわね。旅は辛いもの。そこで食べる楽しみって大切よ」
今の話で思い出したけれど、そういえばアンナマリーは近々、一泊で野外演習をする予定があると言っていた。
―ヒーちゃんも地方とはいえ貴族育ちだから、最初の頃は結構文句も多かったし、少し大きな虫が出るだけで騒いでいたっけ。だったら大都会の王都育ちのアンナマリーは大丈夫なのかなー。
それからもヒルダからあれが美味しかった、またあれを食べたいとか、そういう思い出話を聞きながら、ナポリタンと唐揚げを作り終え、小皿に小分けにしていく。
「美味しいわ、これ。あなたたち、これはここで作れそう?」
早速つまみ食いを始めたヒルダの口にも合ったようで、嬉々として厨房担当者に食べるように勧めていく。
「これだけ作ればいいのであれば、問題ないですよ。その時は鉄板を使って数をこなしましょう」
「あとはこの味付けに使ったトマトソースの作り方を教えて貰えればいけます」
―日本にはナポリタン専門店もあるから、これだけ作って出してもいいと思うよ。
昨日見せて貰った騎士団の正規メニューは多くても二品とパンくらいだったから、仮にナポリタンだけ出しても文句は出ないだろう。子供っぽい味だけど、伽里奈もナポリタンは好きだ。焼きスパなので、屋台の焼きそばのように出来た分をどこかに積んでおいて、食事時間が始まったら軽く炒めて出していけば供給も間に合うと思う。
「この鶏肉もいいわね。衣もサクサクだし、肉汁が口の中で広がるわ」
「ニンニクが効いてますね。騎士団は何と言っても体力勝負ですから、好まれる味だと思います」
「炊いたお米と食べるのがいいんですけど、半分くらいに切って、パンに挟んで出してもいいと思いますよ」
「そうね、パンには合いそうね」
―函館にそんなハンバーガーがあったっけ。大きいから噛む時に口が汚れるけど、美味しかったなー。
とりあえず厨房の担当者達にも好評だったので、これは食堂のメニューになってくれるだろう。
そして昼食時間になったので、ボチボチ団員達が食堂に現れ始めた。
「なんかいい匂いがするんだが」
トレーにシチューとパンを乗せられた騎士は不思議そうな顔をしている。食堂に漂っている匂いはどう考えてもシチューのものではない。
「今日はちょっと試作品があるのよ」
「わあ、ヒルダ様」
「皆の口に合うようなら、新しいメニューに加えるわ」
領主であるヒルダが直々にトレーに小皿を乗せてくるので、騎士の人達は恐縮してしまう。
「うお、何ですかこれ」
真っ赤な麵と茶色かかった何かの塊に怪訝そうな顔をしている。
「トマトソースのスパゲティーと鶏肉を揚げたモノよ。感想聞かせてね」
「わ、解りました」
団員達が食堂に並び始めて、先にいる人がヒルダから何かを渡されているので、何だろうかと思いながら、自分の番になってその正体が解り、食堂に残る唐揚げの香ばしい匂いにちょっと期待しながら席に着く。
「お、おー、こういう味か」
「トマトの味で、シンプルだけどいいねえ」
「衣の食感もいいしなんかもっと食べたい」
食べた人達は美味しかったようで、食器の返却の際には「また食べたい」と言って帰って行った。
「む、アンナの所の管理人か。まさかこれを作ったのはキミか?」
「ええそうですよー」
やって来たオリビアからの質問に、厨房の向こうから伽里奈が答える。
「それは期待出来るな」
見たことがない料理だが具材も単純な麵料理だ。それにオリビア達は伽里奈の腕前を解っているので、こちらは抵抗なく持って行った。
「オリビアとは面識があるの?」
「ええまあ、昨日町中で、ちょっと」
「そういえば、酔っ払いを投げ飛ばしたとか聞いたわ」
「そんな事もありましたね」
「腕っ節も強いのねえ」
「下宿の入居者の人に習うこともありますし、町にいても絶対に安全ってワケじゃ無いですしね」
モートレルのような大きな町でも酔っ払いの喧嘩は日常茶飯事だし、変なチンピラに絡まれることもあれば、空を飛ぶ魔物が急にやってきたりもあるから安全では無い。
これに加えて、野生の動物が侵入して来ることもある田舎の村とかに比べれば遙かにマシだけれど、自動車に気をつければまあ死ぬことは無いだろう小樽市街地に比べればはるかに危険だ。
「オリビアが報告する程度には強そうね」
「そこまで強くは無いです」
「そうかしらね」
―剣だけならヒーちゃんはボクより強いからねえ。超一流の剣士の目を誤魔化すのは難しいかなあ。
だから「一応誰かに習っている」と誤魔化してはいるけれど、どこまで引き延ばせるだろうか。
「とりあえず今日は以上になります」
「またよろしく頼むわね。カステラもよろしくね」
「はい」
今の一言で。、ヒーちゃんはホントに食べることが好きなんだよなー、と改めて認識した。
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