その8 それは父侯爵の黒歴史
頑張れ、パパ。
◇悔恨もしくは愚痴◇
初めてマグノリアに会った時、オリシスは僅かにときめいた。
藍色の瞳が輝く、二歳下の少女に。
しかし。
嗚呼しかし。
この時オリシスは十二歳。
頭でっかちな少年は、思春期に足を踏み入れていた。
ちなみに思春期というのは、西洋的な言い方では「草が芽生える時」らしい。
オリシスも、ぼちぼち芽生えていた。
よって、年下の少女に対しては、どうしてもカッコつけたくなっていた。
だから、初対面のマグノリアに、余計なことを言ってしまった。
「お父様は、お母様と初めて会った日に、『我が国の、貿易上の問題点を述べよ』そう、おっしゃったって……」
「どあああああ! えっ聞いちゃったの、それ? ひどい、ひどいよ、リア」
オリシスは猫を抱きしめ、涙目になる。
猫は嫌がり、オリシスの膝から飛び降りた。
その後、婚約者同士の顔合わせの時に、オリシスは何回かカッコつけ発言をしている。
小難しい単語を並べると、マグノリアの瞳がキラキラするので、ちょっと嬉しかったのだ。
オリシスの誤算は、マグノリアが難しい単語や社会情勢を聞いて触発され、せっせと勉強を始めたことだろう。
婚約した翌年、オリシスは高等学院へ進学する。
同年齢の男子と席を並べて勉学に励み、授業が終了すれば下町に遊びに出かける。
常々オリシスが感じていた、高位貴族の圧迫感が和らいだ気がした。
周囲も同じような貴族の男子である。「跡取」とか「家を継ぐ」とかの重圧は、皆一緒だった。
「お父様は、侯爵家を継ぐことが、重荷だったの?」
オリシスは唇を緩める。
「そう、だね。あの頃はそれが、鬱陶しかったな。姉の方が、僕より優秀だったから」
「えっと、お父様の姉様って、イエル伯母様?」
「そうそう。剣術や語学は、ずっと敵わないままだ」
そもそも、オリシスより四歳年上のイエルは、騎士に憧れていた。
だが、この国で女性騎士は、まだ誕生していない。
今は隣国の公爵家に嫁ぎ、夫君と共に外国を飛び回っている。
「せめて、学院時代だけは自由でいたいと思ってね、婚約者の存在も忘れて……」
家同士の都合で決まった婚約だから、嫌でもいずれは結婚する。
だから、それまでの間は、自由恋愛でも良いだろう。
オリシスは自惚れてもいた。
いつもマグノリアは、自分を見ている。見てくれている。
そして彼女は、他の男性からアプローチを受けるタイプでもない。
だったら、文句言うなよ。
俺の好きにさせろ。
どうせ、結婚するのだから……。
「あのお。冷静に聞くと、お父様って『ヤな奴』だったのね」
娘の指摘に、オリシスは項垂れた。
「でもね、ある時からリアは、僕のことを見てくれなくなった」
それは、薔薇姫とか白百合の君と、交流を深めた頃だろう。
「そして、みるみるうちに、グワッと綺麗になったよ」
ピクラ茶の恩寵だろうか。
「それでさすがに僕も、焦ったんだ」
「ああ、それで、ぶりっ子の子爵令嬢さんと、別れたのですね」
「いやああ、そこまで聞いたの? もうホントひどいわ、ウチの妻って」
元々本気ではなかった相手であった。
爵位も不釣り合いだし、話をしても、たいして面白くない。
連れて歩くには、丁度良かっただけ。
「うわ、最低だ、この父」
「うん。最低だった」
だから、もう一度最初からやり直そう、そうオリシスは思った。
誕生日パーティが、そのきっかけになればと。
「ケガしたのですよね、お父様」
「そう血が出てね、結構大変で」
「お父様、血が苦手だったのね」
「そうなの。だから、リーダが産まれる時も、付き添わなくて良いって、リアに言われちゃったよ」
ソウデシタカ。
「あ、でも最近、猫ちゃんの出産なら、立ち会えるようになったよ!」
ワタシ、ネコ以下デシタカ。
「そんな情けない僕を、リアは励ましてくれたよ」
『私はあなたと一生添い遂げたいのです! だから、そんなに簡単に死んでもらっては、困ります! 私があなたを死なせません! 何があっても守ってみせます』
「ずっと片意地張って、斜に構えていた僕は、その時思ったんだ。
僕も、リアと、マグノリアと添い遂げたいって。一生かけて」
誕生日パーティの後から、オリシスとマグノリアは、一緒に学院に通うようになる。
冬を迎える頃、オリシスはマグノリアに指輪を贈った。
喜ぶマグノリアの笑顔は、雪の結晶のように、澄みきっていた。
プロポーズを思い出したのか、急にニヤニヤする父を、アマリーダは冷めた目で見た。
それでつい、余計なことを言ってしまう。
「そういえば、お父様のセフレだった子爵令嬢さん、どうなりましたの?」
「セッ! ち、違う違う、全然違うよリーダ。なんてこと言うの、貴族令嬢が!」
「で、どうなりましたの?」
招待されてもいないのに、侯爵邸に立ち入ったコッキーノだったが、子爵を通じて厳重注意にとどめ、侯爵家からの罰は、特に与えなかった。
ただし。
コッキーノが好んでつけていた輸入品の香水に、極少量ながらも媚薬成分が含まれていた。
それは魅了系の魔法を薄めたような効果があると、分析した魔術研究所からの提言もあり、一年の禁固刑に処されたという。
アマリーダは両親の話を聞いて、何か得ることがあったでしょうか。
それは次話にて。




