その3 他人様の誕生日なんて、覚えていないもの
◇令息のお誕生日のわりと前◇
それはマグノリアが初めて厩舎まで行き、厩務員のバートに馬のことを聞きに行った時だ。
厩舎には、黒毛と栗毛の二頭の馬がいた。
マグノリアが見上げると、栗毛の馬と目が合った。
「私、栗毛色の馬に、乗ってみたいわ」
「カスターが気に入ったかい? 嬢ちゃん」
「ええ!」
バートはマグノリアの父と同じか、もう少し年上の男性だが、引き締まった体躯でキビキビと動く様は、年齢より遥かに若く見える。
「それじゃあ、まず、仲良くならないと、だな」
「仲良くなれるの? 馬と?」
バートは片目を閉じて、牧草の束をマグノリアに渡す。
「おおよ。毎日挨拶してさ、ブラシかけたり、牧草を食べさせたりしていると、馬が安心するのさ」
「へえ……。そうなんだ」
おっかなびっくり、ヘコヘコ歩いて、マグノリアは栗毛のカスターに、牧草を差し出した。
カスターは何回か匂いを嗅ぐと、もしゃもしゃと食べ始める。
「ああ! 見て見てバートさん! カスターが食べてる!」
はしゃぐマグノリアの姿を見たバートも、目を細めた。
「馬は頭が良い動物だ。嬢ちゃんのことを、カスターも気に入ったみたいだぜ」
「やったあ!」
「でもな、馬は神経質だし、特にカスターは臆病だ。信頼関係が出来るまで、ゆっくり仲良くなりな」
信頼関係を築く。
それが必要だとマグノリアは理解したが、難しいとも思う。
なぜって、人間同士でありながら、オリシスとの間には、成り立っていないものだから。
「信頼関係、作れるかしら。カスターと……」
「大丈夫だって。嬢ちゃんは素直な良い娘さんだ。まあ、最後の決め手は『根性』かな」
「根性!」
貴族同士の会話では、あまり耳にしない言葉である。
マグノリアはなぜか、『根性』という響きが心に沁みた。
「わかったわ、『根性』ね! これからもよろしく、カスター」
牧草を食べたカスターは、軽く鼻息を吐いた。
その後、順調にカスターと仲良くなったマグノリアは、秋を迎えカスターの為に、何か作ろうと思い立つ。鞍から馬の胸にかけて、飾りを付けたらどうだろうか。
「おお、嬢ちゃん、それは良いな! 『胸縣』っていう、馬具だぜ」
バートも賛成してくれたので、布を用意して、刺繍をすることにした。
カスター用の刺繍を始めて、マグノリアはふと思う。
あれ?
そういえば、この時期よく刺繍をしていたわ。
何故かしら?
窓の外には、間もなく満ちる月が、金色に光っていた。
◇令息のお誕生日前夜◇
明日はオリシスの誕生日であり、夕方からは友人らを招いてパーティを開く。
結局、マグノリアからオリシスへのプレゼントは、届かなかった。
もっとも、オリシスからマグノリアへ、洒落た贈り物をしたことはない。
彼女の誕生日など、母や侍従が代わりに花束を贈っていたのだ。
相変わらず、学院内ではよそよそしい、マグノリアである。
だが、いつの間にかマグノリアの周りには、薔薇姫や白百合の君だけでなく、学院の女生徒が何人も集まっている。
そうなると、男たちも花に釣られた蜂の如く、その周囲を飛び回る。
オリシスとて、出来るのならそうしたい。
マグノリアの婚約者として、彼女の側に立っていたい。
しかし、それは彼のプライドが許さない。
「愛することはない」
なんて科白は、言うべきじゃなかった。
吐き出した言葉を消すことは、きっとどんな優秀な魔術師でも、出来ないことだ。
ちっぽけな、本当に微小なプライドなのだが……。
「招待状を送った方々は、全員出席されます」
侍従が報告する。
「マグノリアも……来るのか?」
「はい。伯爵夫人からはそう伺っています」
ほっとした顔のオリシスを見た侍従は、笑いをこらえた。
「なんだよ、その顔」
「いえ、別に」
「明日は、マグノリアの相手だけするから……」
「ほおおっ! それはそれは」
「他の女、特に呼んでないから……」
**
「それで、お嬢様は明日、パーティにご出席されるのですね」
「ええ」
「ドレスは如何いたしましょう?」
「オリシス様のお邸だから、裾さばきしやすいのが良いわ」
退出しようとした侍女が、ふとマグノリアに訊く。
「ところでお嬢様」
「なあに?」
「明日って、何のパーティでしょう?」
「それは秋に生まれた、オリシスの……はああああ!!」
明日はオリシスの誕生日を祝うパーティだ。
時計が鳴る。
日付が変わった。
どうしよう。
オリシスの誕生日のプレゼント、すっかり忘れてた!!
何の用意もしていない!!
あたふたしながら、マグノリアは徹夜で、オリシスの誕生日プレゼントを作ったのだった。
朝になって、充血した目のマグノリアを見た侍女は、大きくため息をついた。
次回、誕生日のパーティのお話となります。