その1 愛することはないと言われた令嬢
大陸の中心にある王国には、三人の美女がいるという。
薔薇の王妃、トリアンティフィ。
白百合の公爵夫人、クリノス。
そして木蓮の侯爵夫人のマグノリアである。
マグノリア夫人には息女が一人。
よくよく見れば、じんわりと可愛さが伝わるような、御年十五歳のご息女だ。
名をアマリーダという。
アマリーダは十歳の頃、公爵家の次男と婚約した。
そう、白百合夫人のご子息である。
公爵家の次男は、殊更御母堂にそっくりの、麗しき顔。
アマリーダよりも一つ年上の彼の名は、ジャスティという。
初めて顔合わせをした時に、アマリーダは、白金色の髪と翡翠のような瞳を持つジャスティに、一目惚れをしたそうな。
しかしジャスティ、自分の母のようなタイプ、即ち気品ある華やかなタイプが好みだった。
よくよく見れば、アマリーダは地道に可愛い。
だが、華やかさには、ちと欠ける。
思春期の入り口に立っていた、ジャスティはつい口にしてしまった。
「アマリーダ。君を愛することはない!」
◇侯爵令嬢のため息◇
令嬢は、ほおっと一つ、ため息を吐く。
「あらあら。眉毛が下がっているわよ、アマリーダ」
自ら淹れたお茶を娘に渡す、侯爵夫人は微笑む。
『木蓮の侯爵夫人』こと、マグノリアは三十路を越えた今も、清冽な美貌を保つ。
「お母様には、分からないわ」
アマリーダは頬を膨らませる。
バラ色の頬は肌理細やかで、頬にかかる髪は艶やかな栗色。
大人の女性になる直前の、愛らしさが全身に漂う令嬢である。
そんなアマリーダのお悩みと言えば……。
「ジャスティ様と、何か、あったの?」
マグノリアは母の顔で、娘に訊ねる。
「べ、別に、何も……。いつも通り、わたしに無関心なだけ」
昨日は確か、月に一度の婚約者同士のお茶会だった。
ジャスティはいつものように、分厚い本を持参し、お茶会の間、ずっと本を読んでいる。
アマリーダが一生懸命話しかけても、「ああ」とか「そう」としか答えない。
「やっぱり、私のことを、愛していないのよ……」
アマリーダの藍色の瞳に、涙が浮かぶ。
初顔合わせの時にジャスティから言われた「君を愛することはない」という科白は、今もアマリーダの心に傷を残している。
「わ、私は、家同士の決めた政略結婚でも、愛情のある結婚をしたいと思っていたの。……お母様とお父様みたいな」
マグノリアはテーブルに置かれた娘の手に、そっと自分の手を重ね、ゆっくりと口を開く。
「ねえ、リーダ。お父様とわたくしも、最初から愛があったわけではないのよ」
「えっ!」
マグノリアはクスッと笑う。
「お父様。当時、ヘンダー侯爵ご子息のオリシス様はね、わたくしに言ったのよ。『お前のような地味な女は、我が侯爵家にふさわしくない! 俺はお前のことを愛するつもりは一切ない』って」
アマリーダは目を見開く。
アマリーダの父、オリシス侯爵は、邸にいる時はいつでも母を側に置く。
出かける時は口づけを交わし、帰宅すれば母を抱きしめる。
そんな両親を間近に見ているので、いつか自分もと思っていたのだ。
「愛するつもりは一切ない、なんてお父様が言ったの? お母様は、どうやって、お父様を振り向かせたの?」
「うふふ。聞きたい?」
アマリーダは頷く。
「それはね、わたくしが、『根性』出したから」
「こ、根性?」
およそ恋や愛には不釣り合いな単語が、マグノリアから飛び出した。
◇侯爵夫人の過去◇
歴史あるティアーニ伯爵家の息女であったマグノリアは、やはり十歳の頃、ヘンダー侯爵家の嫡男、オリシスと婚約した。
オリシスは幼少のみぎりより、端正な面立ちと洗練された頭脳で、将来を嘱望されていた。
「我が国の、貿易上の問題点を述べよ」
初対面の挨拶で、オリシスがマグノリアに言ったのがこれだ。
それまで、のほほん少女だったマグノリアは、おメメをパチパチするだけで、言葉に詰まった。
当たり前である。この時マグノリア十歳。オリシスとて十二歳だった。
「ふん、何も答えられぬか。つまらん」
つまらん、と言い放つ小生意気な少年に、マグノリアはなぜか憧れた。
なんか……。
なんか、カッコいい!
人生の選択ミスは、だいたいこんな風に始まる。
この顔合わせ以来、マグノリアは、オリシスとの会話が上手く成り立つようにと、ひたすら勉強に励むようになる。
この国の、多くの貴族の女性が熱心に取り組む、美容やファッションへの興味を持たぬままに。
そして三年後、オリシスの後を追うように、貴族の子弟が通う高等学院に入学した。
マグノリアの成績は超優秀だった。
だが……。
周囲の女子学友たちは、皆垢抜けていて美しかったのだ。
婚約者がいる者もいない者も、髪型や服装に時間とお金をかけていた。
濃い茶色の髪をただの三つ編みにして、眉もぼさぼさのマグノリアは、もっさり感が半端ない。
勉強に時間をかけていたため、ダンスや乗馬の訓練をほとんどしていなかったマグノリアの身体は、筋力のないブヨブヨしたもので、女性らしい魅惑の曲線とは、大分違った。額や頬には、ニキビが咲いていた。
学院内でオリシスに挨拶しても、あからさまに無視される。
頑張って声をかけると睨まれる。
挙句の果てに、怒気を含んで彼に言われた。
「家同士の約束だから、仕方ないけどお前と結婚はする。だが、お前のような地味女は、我が侯爵家にふさわしくない! 俺はお前のことを愛するつもりは一切ない。覚悟しておけ!」
マグノリアは、頭を大きな金槌で、思いきり殴られたような衝撃を受けた。
オリシスの言葉は勿論のこと、彼の隣には蜂蜜色の豊かな髪を持つ、水色の大きな瞳の女子生徒が、ぴったりと寄り添っていたのだ。
その華やかな容姿で、学院内でも有名な女子だ。存在はマグノリアも知っていた。
すれ違いざま、彼女はマグノリアに囁いた。
「お可哀そうに。ブサイクな女は、愛される価値なんてないわ」
思わず落ちそうになる涙をこらえるのが、精一杯の矜持だった。
悔しかった。
悲しかった。
せっかく勉強して勉強して、オリシスと釣り合うような知識を身に付けたのに。
我が国の貿易収支も、穀物生産量も、農地面積と適切な税率も、その他諸々、全部頭に入ったのに!
結局、外見が整ってないと、愛されないの? 理不尽だ!
唇を噛みしめ、マグノリアは決意する。
価値がないですって?
ふざけないで!
「私の価値は、私が決める! 絶対、愛される女性になってみせる!」
◇侯爵夫人の奮闘◇
愛される女性になってみせる!
決意したマグノリアであったが、具体的に何をどうすれば良いのか、よく分からなかった。
「何か都合の良い魔法って、ないかしら?」
マグノリアの生家は、魔術が扱える者をたくさん輩出している。
マグノリアも、本人の希望があれば、魔術学校への入学が許される位の魔力持ちである。
国の機関の一つ、魔術研究所には、現在マグノリアの従兄が勤務している。
とりあえず、研究所に行って、従兄に訊いてみよう。
「何? 異性に愛される魔法があるかって?」
二十歳になった従兄は、マグノリアから見るともの凄い大人である。
「あると言えばあるよ」
「ホント? 知りたい知りたい!」
瞳を輝かせるマグノリアに、従兄のフィンは苦笑する。
「いや、あるけどさ、その魔法使ったら捕まるよ」
「ええっ!」
「最悪、絞首刑」
フィンは立てた親指で、首に横への一直線を引く。
「やだ、何で?」
「他人の感情を支配するなんて魔法、危険でしょ? 『魅了系』という種類なんだけど」
分かったような気がするが、納得もいかない表情のマグノリアに、フィンは優しく諭す。
「いよいよとなったら、俺も協力するから、まずは魔法以外のことで、出来ることを考えなよ」
「例えば、どんな?」
「リアちゃんの望みって、気になる異性に振り向いてもらいたいんでしょ?」
「……うん」
「じゃあまず、相手の好きなタイプの女性、目指してみたら?」
「フィン兄さん、それって、外見も?」
「もちろん! ていうか、外見が九割だな、男としては」
マグノリアの頭に、教会の鐘が百個位、同時に鳴ったような気がした。
外見……九割。
どうしよう。
オリシスが連れていた、子爵令嬢の姿を思い浮かべる。
髪の毛や瞳の色は変えようがない。
ただ滑らかな肌や細い腰なら、マグノリアでも手が届く? かもしれない。
魔法が無理なら、お薬か施術で何とかならないだろうか?
魔術研究所の近くに、王立の施術院がある。
せっかくなので、マグノリアは行ってみることにした。
「ほうほう、美しくなる施術とな」
施術院の院長は、他国にて、医学薬学の研鑽を積んだという、高齢の男性であった。
院長は、マグノリアの脈を取り、瞼や舌の状態を確認する。
「ふんふん。栄養の過多と不足。血脈の滞り。姿勢の悪さ」
「栄養……。食べ物でしょうか?」
院長はニッコリしながら、マグノリアに飲み物を出す。
勧められるままに一口飲んだマグノリアは、その苦さに思わず吐き出しそうになる。
「ピクラ茶だよ、令嬢。血脈の滞りの解消になる。さすれば肌の吹き出物は、綺麗に消えるはずだ」
ピクラとは、道端や庭の隅によく見られる野草である。
摘んで干して、煮出して飲むようにと院長は言った。
「それと貴族の令嬢なんだから、乗馬しなさい、馬です、馬」
姿勢が良くなり、腹が凹むそうだ。
「女性の美しさは、体の内側から滲み出るものだよ」
そんなものかとマグノリアは思う。
だが、せっかく偉い先生に診てもらったことだし、言われたことはやってみよう。
幸い、伯爵家には馬と厩務員がいる。
そう言えば、マグノリアの父、ティアーニ伯爵は、乗馬好きであった。
魔術研究所と施術院から戻ったマグノリアは、翌日から実践に取り掛かった。
朝早く起きて厩舎へ向かう。
厩務員の指示のもと、まずは馬の世話をする。
世話が終わると軽く湯浴みをして、自分で煮出したピクラ茶を飲む。
「ううっ……。不味い」
不味いピクラ茶だが、飲むとスッキリする。
朝食は野菜や卵を中心にしっかり食べる。
「リア。乗馬を始めたって?」
久しぶりに父と会話をした。
今までは、夜遅くまで勉強していたので、朝もギリギリまで寝ていて、髪や服装は侍女任せ。
無理やり朝食を詰め込むので、両親との会話もなかった。
「はい」
「ウチの馬は、人懐っこいから、すぐに乗れるようになるだろう」
父は機嫌が良い。
機嫌の良い父を見た、母の表情も柔らかい。
「リアが乗れるようになったら、わたしと一緒に遠出しようか」
「はい!」
こうして、マグノリアの生活は、変わっていった。
季節は春から初夏へと移っていく。
マグノリアは、速足の馬に乗れるようになった頃のことだ。
「少し、よろしいかしら、マグノリア様」
天気の良い日、マグノリアは学院内に設置してある四阿で、昼食を摂るようになった。
昼食も、なるべく自分で作ったものを持参している。不味いピクラ茶も一緒に。
食堂では、相変わらず子爵令嬢を侍らすオリシスと出会うことがあるため、避けるようにしているからだ。
この日声をかけてきたのは、学院内の三大美少女の一人、「白百合の君」クリノス侯爵令嬢である。
ちなみに三大美少女とは、クリノスの他に、王太子の婚約者である、「薔薇姫」トリアンティフィ公爵令嬢と、オリシスのお気に入りの子爵令嬢、コッキーノである。コッキーノは爵位が低めのため、二つ名はない。
自分よりも一つ年上の高位令嬢であるので、マグノリアは思わず立ち上がる。
「ご、ごきげんよう。クリノス様」
クリノスは、陽に当たるとプラチナ色に見える豊かな金髪と、翡翠のような碧色の大きな瞳を持つ。
間近で見ると、一本筋の通った、キリリとした美しい顔だ。
さすが、「白百合の君」である。
「ねえ、マグノリア様。あなた、最近、とってもお美しくなられましたね」
「ひょえっ!」
マグノリアは、食べかけの人参スティックを、思わず落とした。
「えええ、そ、そ、そんなこと。『白百合の君』に言っていただけるなんて……」
ガクガクするマグノリアに構わず、クリノスは話続ける。
「入学した頃と比べると、月と亀どころか、北極星とダンゴムシくらいの違いがありますわ」
喩えが良く分からない、マグノリアであった。
クリノスはそんなマグノリアに斟酌することなく、話を続ける。
「お肌は剝きたてのゆで卵の如く、白くつるんつるんに変わり、シュロの箒と見間違えた髪は、夕陽に輝く川面のような流れをなし、発泡酒でも醸造しているかのようだったお腹周りは、両手で囲める位の細さになられましたわ。それに、ゲジゲジが這っているのかと見間違えた眉も、すっきり三日月形に!」
なんだか誉められている気がしない、マグノリアだった。
「どのような魔法、どのような施術を受ければ、そこまでの美を手に入れられるのかしら。是非ともご教授いただきたいのよ!」
侯爵家のお嬢様で、こんなに綺麗な方なのに、更なる高みを求めるものかと、マグノリアは驚く。
でもその気持ちは、女子ならば、誰もが抱くものかもしれない。
「分かりました。拙い経験ですが、クリノス様のお役に立てるなら」
「ありがとう! マグノリア様!」
マグノリアは、婚約者の言動から始まり、それこそ魔術研究所にも行き、施術院で指導を受け、ピクラ茶を飲みながら乗馬に勤しむようになった日々を、クリノスに語った。
「まあ! そんなことが!」
「ああ、眉は自分で整えましたけど……」
クリノスは、話し終えたマグノリアの手をぎゅっと握る。
「わたくしも、是非所望するわ、ピクラ茶なるもの」
ええっ……。
「不味いですよ、本当に」
「大丈夫。わたくし、毒慣れしてますので」
仕方なく、マグノリアは食堂でカップを借りた。
離れた所にオリシスとコッキーノの姿が見えたが、気にならなかった。
「ど、どうぞ」
持参したピクラ茶をカップに注ぎ、クリノスに献上する。
躊躇うことなく、グビリと飲んだクリノスは、次の瞬間口から吐き出し、マグノリアの顔面にぶちまけたのだった。
翌日も、クリノスはマグノリアの昼食時にやって来た。
なにやらツヤツヤの頬を擦りながら、唇は弧を描いている。
「ごきげんよう、マグノリア様!」
「ご、ごきげんよう、クリノス様……」
「昨日、わたくしは、宇宙の深淵、ビッグバンを垣間見ましたわ!」
相変わらず、クリノスの話は難しい。
「すみません。不味かったですよね、ピクラ茶」
「ええ、それは勿論。でもね、それからが凄かったのよ」
昼食時である。
マグノリアも持参した物を食している。
しかし、白百合の君にとって、そんなことは些細なことだった。
彼女は滔々と、便秘が解消したという話をし続けた。
「わたくし、今まで、何種類もの薬草を試しましたが、ここまではっきりと効果を実感できたのは、初めてだったの!」
子どもの様に目を輝かせるクリノスを見て、マグノリアも食事の手を止め微笑んだ。
幸せそうな女性の笑顔は、それを見る者も幸せにする。
ふと、オリシスとのお茶会を思い出す。
マグノリアはいつも引きつった表情だった。
笑っては、いなかった。
「それでのね、わたくしの体験をお話したら、お友だちも興味を持って、ぜひピクラ茶を試してみたいって。よろしいかしら?」
「はい。それくらい、いつでも!」
「まあ、良かった! よろしくてよ、トリアン!」
トリアン?
静々と、もう一人の女子生徒が現れた。
「ええええっ!! 『薔薇姫』様!?」
トリアンとは、王太子の婚約者、トリアンティフィ公爵令嬢であった。
薔薇姫の名は伊達ではなく、咲き誇る真紅のバラを体現している。
「でもね、わたくしも王妃教育やら何やらで、お肌の調子がどうも良くなくて……」
再びマグノリアは食堂に走る。
この日はカップを二個借りた。
いそいそと、二人の美女の元に戻ろうとするマグノリアの前に、立ちふさがる人影がある。
「おい」
不愛想な声の主は、まさかのオリシスだ。
「あ、ごきげんよう。オリシス様」
適当なお辞儀で立ち去ろうとするマグノリアに、オリシスは言う。
「ちょっと、聞きたいことがある」
はああっ?
今、急いでいるのよ! 分からないの?
「すみません、お話なら放課後にでも。今、急ぎの用がありますので」
くるりと出口に向かって、マグノリアは走る。
「あっ! おい! 待てよ!」
引き留めようとしたオリシスだったが、周囲を気にして止めた。
スカートの裾からちらっと見えた、マグノリアの足首の細さを目で追いながら。