姉という傍若無人な生き物
「あの......?」
少し遠慮したような声が聞こえ、ハッ、と意識を引っ張りあげる。声の出処を見ると、眼前の少女が訝しげな目をこちらに向けていた。どうやら短くない時間ぼーっとしていたらしい。俺は取り繕うように無理やり笑みを顔に貼り付ける。
「すみません、何でもないです。...色々見させてもらいますね。」
そう言いながら俺は足早に陳列棚の方へ向かい、その後ろを菜々姉がニヤニヤしながら付いてくる。
「ねぇねぇ、柊。何よさっきの。可哀想にあの子、柊に声かけるまで困った顔で私の顔チラチラ見てきてたのよ?」
「...悪かったって思ってるよ。あとお願いなんですけど声のボリューム下げてもらえませんかね」
さっきのは確かに俺が悪かったが、この姉の声の大きさは話が別だ。変なことを口走らない内に声量を抑えて頂かなければならない。
「まーあんなに可愛い子なら見惚れるのも分かるけどね」
「ちょ...!?」
危惧していたことが起きた、もちろん声量はそのままで。俺の顔は見えていなかったはずだが、お見通しということらしい。
「深鈴ちゃんとはまた違った可愛さね。清楚というか、雰囲気の儚さというか」
「だから声を抑えてくれって...。あと、それ深鈴本人に言うなよ。俺が怒られるんだから」
半ば諦めながら二回目の注意をし、さりげなく失礼なことも言っていたのでついでに釘を刺しておく。言っている内容についてはまあ、否定しないが。
「というか、まさか彼女が菜々姉の学校で講演したって人?」
「いや、違うわよ。来てたのはほんわかお姉さんって感じだったわ。あの子はバイトとかじゃないかしら」
そりゃそうか。見た感じ中学生くらいだもんな...。ん?でも中学生だとバイトは考えづらいか。見かけによらず高校生以上か、家族がこの店を経営していて、その手伝いとしてやっているか........まあどちらでもいいか。深鈴へ買うものを考えよう。
俺は本来の目的のため棚に目を向ける。この棚はアロマオイルが陳列されているようだ。同じ棚にディフューザーも置かれている。
「さすがにたくさん種類があるわね。柊気づいてた?入浴剤じゃなくてこういうの入れてる時もあるのよ」
「へえ」
「へえって...もしかしなくても話聞いてないでしょ」
「そんなことないっすよ」
姉のこの手の話題は、話半分ないしそのまた半分くらいに聞いていなければキリがない。彼女のジト目から逃げるため目当ての棚へ移動する。
その棚には、鮮やかとは言えないまでも、様々な色のハーブが小分けされて並んでいた。ありがたいことにそれぞれにどんな香り・味なのかが傍らの小さなプレートに書かれている。
その説明を見ながら、まずは自分の分を確保する。玄米をベースにした芬しい香りが特徴のブレンド、というものを選んだ。説明を見る限り味にクセもなく飲みやすそうだ。後は深鈴への分だが...どうするか。
「どういったものをお探しですか?」
背後から初めて聞く声が聞こえ、振り返るとエプロンを付けたお姉さんが立っていた。今度こそ彼女が菜々姉の学校に来た人だろう。ゆるくウェーブのかかった長い亜麻色の髪、浮かべている柔らかい笑顔。なるほど、確かにほんわかした雰囲気の女性だ。
俺がしばらく悩んでいたため声を掛けてくれたのだろう。事実決めかねていたので助かった。振り返った時に目が自然と先ほどの少女を探すが、店内にはもういなかった。...いなかった。
「贈り物ですか?」
「あ、はい。友達へなんですけど、相談させてもらってもいいですか?」
「ええ、もちろんですよ。...そのご友人の方は学生さんですか?」
「そうですね。今年から高校生になります」
「なるほどなるほど...」
その後雑談を交えながらいくつか質問をされ、おすすめのものを選んでもらった。甘い香りのするローズティーで、リラックス効果があるらしい。よし、これで目的は達成したな。あとは菜々姉だが...。
「菜々姉、俺はもう大丈夫だけどそっちは?」
「私のほうも大丈夫よ」
そう言って手に持った紙袋を見せてくる。いつの間にか会計まで済ませていたようだ。そういうことなら俺も済ませてしまおう。レジでお金を払い、商品を紙袋に入れてもらう。商品を受け取る際、またお越しください、という言葉一緒に割引券ももらった。ありがたく受け取り、また必ず来ようと心に決めた。
店を出た俺たちは予定通り夕飯の買い出しに向かった。普段利用しているスーパーは家を挟んだ反対側にあるため、一旦家に寄り買ったものを置き再び家を出る。家までの道中菜々姉がどんなものを買ったのか熱弁していたが、割愛させていただく。
スーパーに着くと菜々姉は鮮魚売り場へ向かった。今日は鮭のホイル焼きを作るらしい。俺の持っているかごに次々に商品を入れていく。買い物かごが半分ほど埋まってきた時、菜々姉がそういえば、と口を開いた。
「さっきのあの子もこの春から高校生らしいわよ?」
唐突に降ってきた情報に一瞬思考と足が停止する。
「...は?なんでそんなこと知ってるんだよ」
「お会計の時にちょっとお話したのよ。ほかにお客さんもいなかったし、柊もあのお姉さんと話してて時間かかりそうだったし」
「全然気づかなかった......参考までに聞くけど他には?」
「他に話したこと?そうねぇ...ふふっ、教えなーい」
「いや、あるんなら教えてくれよ」
「嫌よ。言ったらつまんないもの」
何がつまらないのか全く分からないが、教えてくれるつもりはないらしい。非常に気になるが、こうなってしまっては今までの経験上絶対に教えてくれないので諦めるしかない。
「さて、こんな所かしらね。欲しいお菓子とかあったら買ってあげるわよ」
「俺は幼子か...」
「そんなこと言っても買うんでしょ?」
「そりゃあ買ってくれるのなら」
ということでレジに向かう前にお菓子売り場に寄ることにした。俺は迷わず片手に収まるくらいの缶を手に取る。砂糖と下味のついた水分を原料にした、表面に凹凸状の突起(角状)をもつ小球形の和菓子...俗に言う金平糖だ。
「絶対それにすると思ったわ」
「いいでしょ、好きなんだから」
苦笑いを浮かべる菜々姉俺はそう答える。飴やソフトキャンディよりも口に残らず、様々なフレーバーがあり、なにより純粋な糖分という感じが良い(全て個人の所感です)。中学時代はお菓子などの持ち込みは禁止だったが、おそらく高校に持っていくバッグの中には常備されることになるだろう。
その後会計を済ませ、両手にパンパンのエコバッグを持った俺はホットコーヒー片手に軽やかな足取りの菜々姉と帰路についた。........別に文句とかはないですよ、はい。