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東周概略史 ~天の時代~  作者: 友利 良人
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第九十四話 戦国への胎動




         *    *    *




 春3月、魯の季孫宿きそんしゅく莒国きょこくを攻めてうんを得た。

鄆邑は魯と莒の国境にあり、しばしば所有が入れ替わる。



 莒君がかくに集まっている諸侯に、魯の侵攻を訴えた。


楚の冷尹れいいん・公子・囲が言う。

弭兵びへいの盟を確認している最中、魯が莒を討ったという。

これは盟約への冒涜ではないか。魯国の代表(叔孫豹)を処刑する」


晋の楽王鮒がくおうふは、叔孫豹の助命を乞う一方で

魯へ賄賂を求める使者を送ったが、叔孫豹はこれを拒否した。


叔孫豹の家臣・梁其踁りょうきけいが叔孫豹に語る。

「財は身を守るためにあります。なぜ惜しむのですか」


叔孫豹が答えた。

「わしは君命を奉じて来た。魯の罪を、我が財で赦しを請うのは私事である。

もし、賄賂でわしが放免されれば、以後、これを真似る者が出てくるであろう。

わしが惜しむのは財ではなく、不正の咎を負う事である。

わしが罪を犯したのではない。たとえ殺されても不義にはならぬ」


晋の正卿・趙武は叔孫豹の言葉を聞いて

「患に臨んで国を忘れないのは忠である。

危難に陥っても職責を守るのは信である。

国を慮って死を惜しまないのは貞である。

この三つを考慮するのは義である。

忠、信、貞、義の四つを持つ者を殺してはならぬ」と語った。


趙武は叔孫豹の助命を楚の公子・囲に請うたので、叔孫豹は赦された。




            *    *    *




 夏4月、晋の趙武、魯の叔孫豹、曹の大夫が鄭に入り

鄭簡公は宴を開き、三人をもてなした。


鄭の相・子皮が趙武に宴の日時を伝えると、趙武は質素な宴で構わないと答えた。

「周の礼法では、公は九献、侯・伯は七献、子・男は五献の宴を受けます。

私は一献のみ受けましょう(「献」は酒を受ける事)」


「それは士階級の宴です。宜しいのですか」


叔孫豹は「趙子がそれを望んでいられる。問題はありません」と答えた。



 当日、趙武等が宴席に集まると、五献の食事が東房に用意されていた。

趙武は五献を辞退して、子産に「我が意志は鄭相(子皮)に伝えました」と言い、一献だけ受けた。


酒宴で叔孫豹が『鵲巣じゃくそう』を賦した。

かささぎが作った巣に鳩が安居する内容で、新婦が新郎に嫁ぐ事を寿ことほぐ歌である。

鵲を晋、鳩を魯に喩え、魯が晋の庇護の元にある事を感謝する意味を込めている。


趙武は謙遜した。


叔孫豹が続けて『采蘩さいはん』を賦した。

苦労してしろよもぎを採り、祭祀さいしに用いる、という詩である。

魯が晋に贈る貢物をたとえたものである。


「小国(魯)がはん(粗末な物)を献上し、大国(晋)はそれを節約して使う。

我々が命に逆らうことはありません」


子皮が『野有死麕のゆうしきん』の末章を賦す。

「私の腰帯を動かさないで下さい。犬に見つかって吠えさせないで下さい」

と、女性が男性に話す歌で、晋が礼をもって諸侯に接している事を風刺した。


趙武は『常棣じょうてい』を賦した。仲の良い兄弟を謳う詩である。

「我ら(晋、魯、鄭、曹は全て姫姓の国)は兄弟です。犬に吠えさせることはありません」


叔孫豹、子皮、曹の大夫は立ち上がって趙武に拝礼し、杯を持って言う。

「小国はあなたのおかげで禍から免れています」



 宴を楽んだ後、退席した趙武は

「我は甚だ快酔した。斯様に楽しい宴はもうないであろう」と述懐した。




            *    *    *




 周景王が劉夏をえい(かつての周邑。この時は鄭領)に派遣して

趙武を迎えさせて慰労し、雒汭らくぜいに宿泊させた。


雒汭は洛水の曲がる箇所にあり、それを眺めて劉夏が趙武に語る。

「天下の河水を尽く治水した夏の禹王うおうの功は素晴らしい。

もし、禹がいなかったら、我らは魚になっていたかもしれません。

私とあなたが身を礼服に包み、民を治め、諸侯に臨んでいるのは、全て禹の功です。


「臣は浅学にして、目の前の罪を恐れるのみで、古遠を想う事は出来ません。

ただ現状の安寧に満足し、何事も起こらぬ日々を過ごすだけです」


劉夏は帰国して周景王に報告した。

「晋の正卿(趙武)は諸侯の主でありながら、奴隷の如く

その日の安寧に満足しています。彼が年を越す事は難しいでしょう」




            *    *    *




 叔孫豹が魯に帰国すると、季孫宿きそんしゅくの臣・曾夭そうようが御者になり

叔孫豹の邸宅へ慰労に来たが、正午になっても叔孫豹は姿を現さない。


しびれを切らした曾夭が叔孫豹の臣・曾阜そうふに尋ねた。

「会盟で叔孫子が危機に陥ったと聞いたが、魯を忍ぶ事で堪えたという。

外では忍んでも、内に対して忍べないのは、何故であろう」


「主は数ヶ月、外で忍んで参った。汝の主(季孫宿)が一朝を忍ぶ事に害があるのか。

利を得ようとする賈(商人)が、市場の喧噪を嫌う事のないように

目的を達するためには困難を乗り越える必要がある」


邸内に戻った曾阜が叔孫豹に伝える。

「外に出ても問題ありません。季孫氏は反省しています」


「季孫氏は憎むべき者だが、彼もまた魯の柱石である。除くことは出来ない」

と言い、季孫宿に会いに行った。




            *    *    *




 鄭の大夫・徐吾犯じょごはんには美しい妹がいて、子南しなんと婚約した。

しかし、子晳しせきが強引に委禽いきん(婚約の礼物(雁)を贈る事)をしたために

徐吾犯は恐れ、子産に報告した。


子産は徐吾犯に「本人が希望する方に嫁がせよ」と助言した。


徐吾犯は子南、子晳の両名と相談し、妹に選ばせる事で、共に同意した。


子南は華やかに着飾って徐吾犯の家を訪ね、布幣ふへいを届けて退出した。

子晳は戎服を着て庭で矢を射て、その後、車に飛び乗って去った。


徐吾犯の妹は二人の様子を見て言った。

「子晳は容貌が優れていますが、子南を選びます」

こうして妹は子南に嫁いだ。


子晳はこれに不満を抱いたので、よろいを着て子南の家に行った。

子南を殺し、妻を奪うためである。


しかし、子南は逆にを持って子晳を追い、鄭都の大通りで子晳を戈で打った。


負傷した子晳は家に帰り、鄭の群臣に宣言した。

「私が子南の家へ婚礼の祝いに会いに行くと、彼が私を戈で打ち、怪我を負った」


これに子南が反論する。

「子晳は服の下に甲を着ていた。私を殺すために来たのを返り討ちにしたのだ」


子産が言った。

「双方に理由がある場合、若く、身分が低い者を罪とする。

この場合は子南に罪がある」


子産は子南を捕え、罪を宣言した。

「汝は武器を用いて大夫を打った。これは威を畏れない事だ。

法を犯したのは、政令を聴かない事である。

子晳は上大夫、汝は下大夫である。貴人を尊ばぬ罪である。

年下が年上を敬わないのは、年長に仕えていない事を意味する。

子晳は汝の従兄にあたる。これは親族を養わない事である。

我が君は汝を鄭より逐うと申された。速やかに鄭より去るがよい」


5月2日、鄭は子南を呉に追放した。



 子南が出奔する前日、子産が子大叔しだいしゅくに意見を求めた。

子大叔も子南の従兄弟に当たり、同時にゆう氏一族の宗主でもある。


子大叔が子産に語る。

「臣は自分の身を守る力もないので、宗族を守る事は出来ません。

彼の過ちは国の政に関わり、個人の難ではありません。

あなたは常に鄭国のために事を図り、国の利がある事を行っている。

游氏の宗族を気にする必要はありません」




            *    *    *




 現在、秦国の君主は景公である。

秦景公の弟・后子鍼こうしかんは秦の先君・桓公に寵愛され、多くを施されたために

国君以上に富強を誇っていたため、母から諫められた。


「あなたは、いずれ秦君より国を逐われるでしょう。その前に秦を去るべきです」



 5月25日、后子鍼は晋に出奔した。持ち出した財は馬車千乗に及ぶ。

舟で黄河に浮橋を作り、十里ごとに車を置くと、秦都・ようから晋都・こうまで連なった。


晋都に着いた后子鍼は、宴を開いて晋平公を招待し、九献の礼を行う。


まず、主人(后子鍼)が賓客(平公)に酒を勧める(献)。

次いで、賓客が主人に返杯する(酢)。

最後に、主人が自ら酒を注いで飲み、再び賓客に勧める(酬)。

「献・酢・酬」の一巡が「一献」で、酬の時に主人は賓客に幣(礼物)を贈る。

九献はこれが九回繰り返されるので、幣も九回贈られる。


后子鍼は幣を取りに行くため、車と宴席の間を八往復した。


晋平公に仕える司馬侯が后子鍼に聞いた。

あなたの車はこれで全てですか」


「晋都の郊外にも多くあります。多すぎたため、秦を出る事になったのです」


司馬侯が平公に報告した。

「后子鍼は自分の過ちを知り、令図(将来の予定)を持っています。

いずれ秦に帰国するでしょう」



 次に、后子鍼は正卿の趙武に会った。

趙武が「あなたはいつ秦に帰るのでしょう」と尋ねた。


「私は秦君に追放される事を恐れて晋に来ました。秦の太子の即位を待っています」

「秦君とはどのような人物でしょうか」

「無道です」

「秦は亡びますか」

「一代の君が無道でも国は絶えません。国には天、地、人があり、助ける者が必ずいます。

無道が数代に及ばなければ、滅びる事はないでしょう」

「秦君は夭折するでしょうか」

「するでしょう」

「あと、何年ほどでしょう」

「秦君は無道ですが、穀物がよく実っています。これは天が助けているからです。

早ければ、5年の後でしょう」


最後に趙武が語る。

「その日に起きる事ですら、朝には分からない。どうして5年も待てようか」


后子鍼は退席してから知人に語る。

「趙子(趙武)はもうすぐ死ぬであろう。

諸侯の主でありながら日を急いでいる。長生き出来るはずがない」




            *    *    *




 6月9日、邾悼公ちゅとうこうが崩御し、穿せんが邾君に即位した。邾荘公ちゅそうこうである。



 同日、鄭国では、子南の騒動のために

子産は鄭簡公と、鄭の諸大夫と共に、伯石の家で和合を図る。


その後、子皮、子産、伯石、子石、子大叔、子上の「六子」が

鄭都の城門の外にある薫隧とうすいで、秘かに盟約を結んだ。


しかし、これを知った子晳は、この盟約に強引に参加し

太史に命じて、会盟に参加した者を「七子」と記録させた。


子産は内乱を恐れ、子晳を討伐しなかった。




         *    *    *




 晋の上軍の将・荀呉じゅんごが晋軍を率いて

無終むしゅう山戎さんじゅう)と群狄ぐんてきてき)を攻撃した。


戦いの前に、上軍の佐・魏舒ぎじょが言った。

「狄の帥は歩兵で、晋帥は兵車です。険阻な地形で会敵するでしょうから

兵車ではこちらが不利になります。

敵が10人の兵で一乗の兵車を攻めれば、敵が勝つでしょう。

我が軍も全て歩兵にするべきです」


晋軍は兵車を棄て、歩兵で隊列を組んだ。

この時、荀呉の寵臣が編成に不満を示して拒否したため、魏舒が処刑した。



 歩兵で陣形を組んだ晋軍は予定通り、険阻な地で狄と遭遇した。


狄軍は兵車を棄てた晋軍を侮り、油断していたために

荀呉は狄が陣を構える前に急襲し、大原で狄軍を破って大勝した。



  この時の晋軍の勝利は、春秋時代に於いて、少なからぬ意味を持つ。

  兵車を棄て、歩兵を重視した事によって勝利を得た事は

  即ち、春秋時代における戦争の花形とされた兵車戦が

  時代遅れになりつつある事を意味する。

  人口の増加により、集団戦の重要性が増した一方で

  兵車に座上する車御、車右、車左といった

  個人の武勇の重要性が減少していったのである。




         *    *    *




 前年、莒国きょこくで即位した莒君・展輿てんよは貪婪で、莒の公子の俸禄を奪った。

莒の群臣は、斉に出奔した展輿の弟・去疾きょしつの帰国を画策する。


秋、斉の公子・さいが去疾を莒国に帰国させたので

莒君・展輿は生母の生国・呉に出奔した。


こうして、去疾が莒君に即位した。莒著丘公きょちゅきゅうこうである。


先君・展輿の与党であった大夫・務婁むる、大夫・瞀胡ぼうこ、公子・滅明めつめいの三名が

莒の大厖たいぼう常儀靡じょうぎびの二邑と共に斉へと降った。



 莒で内乱が発生した隙に、魯の叔弓しゅくきゅうが軍を率いて

魯と莒の国境にある鄆田こんでんの境界を定めた。




      *    *    *




 晋平公が病を患い、秦に医者を求めた。

秦景公は医和(和は名前)を晋に派遣した。


平公を診た医和が告げた。

「晋候の疾病は治りません。これは蠱疾こしつ(精神疾患の一種)に似ています。

鬼神も飲食も原因ではなく、女色に惑わされ、志を失っているのです。

間もなく、良臣が死に、天命も守ってはくれないでしょう」


「女を近づけてはならぬのか」


「節制すべきです。あらゆる物事は度を過ぎたら禍となります。

陰が過ぎれば寒さに凍え、陽が度を超えたら酷暑で熱病となり

過食、過飲は腹疾を招き、かいが度を超えたら惑疾(精神病)を招き

明が度を超えたら心疾を招きます。女の事も同様でございます」



医和は退出して、趙武に同じ話をすると、趙武が尋ねた。

「間もなく死ぬ良臣とは誰であろうか」


あなたの事です。子は晋国の正卿となって八年

晋に乱なく、諸侯同士の相剋なく、良というべきです。

しかし、国君に仕える者は、寵信と俸禄を受けたら大節を担うもので

災禍が起きているのに改めないようでは、必ず咎を受けます。

今、晋君は病を招きました。いずれ晋の社稷を祀る事が出来なくなるでしょう。

これほどの禍はありません。あなたはそれを防ぐ事は出来ません」



趙武がさらに聞く。

蠱疾こしつの蠱とは何であろう」


「『蠱』の字は、皿の上に蟲(虫)が乗っている状態です。

これは、何か一つの事に溺れ、心が惑乱する事です。

穀物に飛んで集まる蟲も蠱といいます。

『周易』に『女が男を惑わす。風が山に吹いて樹木を落とす。これを蠱という』とあります。

全て、同じ物です」


「我が君の寿命はどれくらいであろう」


「諸侯が晋に服せば三年と持ちません。安泰に満足し、更に女色に耽るからです。

諸侯が晋に服さねば、長くて十年でしょう。それ以上生きたら、それは晋の禍になります」



趙武は「汝は良医である」と言って厚い礼物を贈り、秦に帰らせた。



              この年、趙武は死ぬ。

      名臣・趙武の死によって、諸侯は晋から離れ始める。

   そして十年後、晋平公が死に、晋君の権能は六卿へと委譲していく。

   

       晋の六卿、即ち范、智、荀、趙、魏、韓の六氏である。


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