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東周概略史 ~天の時代~  作者: 友利 良人
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第八十八話 弭兵の会盟




                *    *    *




 黄河の畔に「文明」と呼びうる物が築かれ、2000年が過ぎようとしている。


「中原」という呼称は春秋時代に生まれたとされ、狭義の意味では

京帥(周都・洛邑)を中心とする、黄河中流域、今日の河南省を指す言葉であった。


人口と文明地域の拡大により、黄河の下流域、更には流出・流入する

無数の支流域も中原と定義され、広漠たる華北平原の全域が対象となる。



その間「中原」に戦乱が絶えた事は稀であった。

諸侯国の多くは国土が荒廃し、民は流亡し、ただ食と水を求めて彷徨う。

かつて斉の宰相・管仲は「倉廩満ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知る」と言った。

餓えた民にとっては、礼や徳など何の価値もなく、ただ腹の虫を鎮める事のみ求める。




                *    *    *




 宋の左師・向戌しょうじゅつは、晋の正卿・趙武と、楚の令尹れいいん・屈建の双方と懇意にしており

収まらぬ諸侯同士の争いを中止させようと、晋楚両国を主に、天下を奔走している。



 まず、向戌は晋に入り、趙武と面会して和平の相談をした。


趙武は晋の諸卿と謀ると、次卿・韓起が発言した。

「兵事は民に害を与え、あらゆる財を蝕む、人の生み出す災いです。

(停戦)を主張する者がいるならば、同意するべきでしょう。

晋が同意せずに楚が同意すれば、楚が諸侯を糾合し、晋は盟主の地位を失います」


趙武は韓起の言を容れ、向戌の和平案に同意した。



 続いて向戌は楚に行き、和平を提案すると、楚も同意した。

楚は呉、陳、許、鄭と連年のように出兵が続き、その財政は逼迫している。

弭兵の実現は晋以上に望んでいた。



 晋、楚に次ぐ第三の大国は斉である。

向戌は東方に向かい、斉に対しても停戦和平の話を持ち掛けたが

しかし、斉では右相・崔杼さいじょが難色を示した。


斉の卿・陳須無ちんしゅむが崔杼を説得する。

「晋も楚も同意しています。斉のみ同意出来ないのは何故でしょう。

天下が弭兵を望んでいるのに、斉のみ反対したら

民は離れ、諸侯より孤立し、天下の誹謗を浴びるでしょう」


崔杼は納得して、斉も和平案に同意した。



 そして最後に向戌は第四の大国・秦に入り

西方の雄・秦国の同意も得たのである。



こうして、四大国に加え、それらに従属する諸侯国、小国群が

宋都・商丘で一同に集まり、停戦を目的とする会見する事が決まった。




                *    *    *




 周の霊王26年(紀元前546年)5月27日、晋の趙武が宋に入る。

29日、鄭の伯有が宋に入った。


6月1日、宋は趙武を歓待する。

宴では叔向が趙武を補佐し、司馬が折俎せっそ(宴席で用いる、犠牲を切って俎に置いた料理)を準備した。


2日、魯の叔孫豹しゅくそんひょう、斉の慶封けいふうと陳須無、衛の石悪が到着した。

8日、晋の荀盈じゅんえいが宋に入る。

10日、邾悼公ちゅうとうこうが到着した。

16日、楚の子晳しせきが令尹の屈建より先に入り、晋との交渉を行う。

21日、向戌が陳に入り、陳にいる屈建と交渉する。

22日、滕成公とうせいこうが到着した。



 屈建は向戌に、和平の条件を提示した。

「晋と和平を結ぶ事に反対はない。しかし諸侯には、晋に従う国と楚に従う国があり

盟約後、これらの諸侯は晋楚両国に朝見する事を希望する」


24日、向戌は宋に戻り、趙武に屈建の意向を伝えた。

「晋、楚、斉、秦は同等の扱いにしたい。

今、晋は斉と盟約を結んでいるが、晋は斉に対して命じる立場ではない。

また、楚も秦と盟約を結んでいるが、これも同様である。

楚君が秦君を晋を訪う事が叶うなら、晋君も斉に対し、楚に入朝する事を要求する」


26日、向戌は再び陳に入り、趙武の提案を屈建に伝えた。

屈建は楚都にいる楚康王に急使を送ってこれを伝えた。


楚康王は「斉と秦を朝見の対象から除外し、他の諸侯には楚晋両国に朝見させよ」と提示した。



7月2日、向戌が陳から宋に戻り、晋の趙武と楚の子晳が

盟約の内容を統一する会合の席を持った。


4日、陳から屈建が宋に入り、陳の孔奐こうかん、蔡の公孫帰生、曹と許の大夫も到着した。


各国の重臣は兵を率いて宋に入ったが、営塁は築いておらず

竹や木の柵だけで境界を作り、晋軍は北、楚軍は南に駐留する。


晋の荀盈が趙武に語る。

「楚は剣呑な雰囲気です。会盟の間に我々を襲うつもりでは」

「左に転回して宋に入る。楚は何も出来ない」




          *    *    *




7月5日、宋都の西門の外で盟約を結ぶ運びに決まった。


この時、楚の代表はみな服の下によろいを着ていたので

楚の大宰・伯州犁はくしゅうりが屈建に言った。

「諸侯の間に不信を招くのは宜しくありません。諸侯は楚に信がある事を望んでいます。

我々が不信であれば、諸侯が楚に服する理由を棄てる事となりましょう」


伯州犁は甲を脱ぐように主張したが、屈建は言う。

「晋と楚が信を失って久しい。ただ、我々にとって利になる事を行うだけである」


伯州犁は退出した。

「令尹は三年以内に死ぬであろう。信を棄てては志を達成する事は出来ない。

志(意思)より言は発し、言は信を生み、信が志を立てる。

志、言、信あってこそ事は成就する。

信を失ったら、三に達する事が出来ない。故に三年生きることはない」



 趙武は楚の群臣が甲を着ていることを恐れ、叔向に相談した。

「恐れる必要はありません。何人であっても不信を行う者は終わりを全うしません。

諸侯の卿が集まる中で不信であれば、勝てるものも勝てません。

言を守れぬ者は、人に難を与える事能わず。

信を口実に人を招き、不信を以て人を利用する者には誰も賛同しない。

ここは宋地。この会盟は弭兵を目的に諸侯を集めています。

今、楚が兵を用いて我々を害したら、逆に我々の勝利です。

ですが、楚の冷尹もそれは承知しているでしょう。心配はありません」



 この会盟で晋軍は水草の多い場所に駐留して、警備を置いていない。

楚は晋が信義を守っていることを恐れ、手が出せなかったという。




            *    *    *




 魯襄公の命として、季孫宿きそんしゅくが宋に使者を送り

会盟に参加している叔孫豹に「魯を邾や滕と同等の国とせよ」と伝えた。


会盟では、斉は邾を属国に、宋は滕を属国にする事を要求し、容れられた。

邾と滕は他国の属国になったため、会盟に参加しなくなる。


叔孫豹は「邾と滕は他国の属国になった。我が国は独立した諸侯である。

魯がいかに小国と言えど、邾や滕ほどではない。宋や衛が我々と同等な国だ」

と語り、魯襄公の命を無視して会に参加し、盟を結んだ。


属国は主の国だけに幣(貢物)を献上すれば良いが、独立した諸侯は

晋楚両国に入朝して幣を献上しなくてはならない。


それを避けるため、襄公や季孫宿は魯を邾や滕と同等にするよう命じたが

結局、叔孫豹は理解出来ず、諸侯と対等の盟約を結んだ。




            *    *    *




 晋と楚が歃血てんけつ(犠牲の血を啜り、血を口の横に塗る儀式)の順位で揉めた。


 晋の趙武は

「晋は元々諸侯の盟主である。今まで晋より先に行った者はいない」と主張した。

これに楚の屈建は

「あなたは晋と楚は同格だと認めた。晋が常に先に行うなら同格ではない。

43年前、蜀の会盟で晋と楚は盟主を交代した。

楚が晋より先に儀式を行うべきであろう」と返したのである。


 両者が譲らずにいると、叔向が趙武に進言した。

「諸侯は晋の徳に服しています。会盟の主に帰しているのではありません。

先を争う必要はありません。ここは楚に譲りましょう」


趙武は叔向に従い、晋は楚に歃血を譲った。


楚の屈建が先ず歃血を行い、続いて晋の趙武、魯の叔孫豹、蔡の公孫帰生

衛の石悪、陳の孔奐、鄭の伯有、許人、曹人が参加し、盟約は締結された。




            *    *    *




 6日、宋平公が晋と楚の大夫を招いて宴を開き、趙武が客(主賓)になった。

屈建が趙武に質問したが、趙武は答えられず、側に従っている叔向が回答した。

叔向が質問すると、今度は屈建が答えられなかった。


 9日、宋平公と諸侯の大夫が宋都の東北門の外で盟約を結んだ。

屈建が趙武に尋ねた。

「士会の徳とはどのようなものだったのでしょう」


趙武がこれに答えた。

「彼は善く家を治め、晋国に対して隠し事がありませんでした。

士氏の祭祀・祈祷の官も天に対して信を表し、誠実であったといいます」


屈建は楚に帰国してから楚康王にこの事を話した。

「士会とは、天と人を喜ばせる事が出来た。何と高尚な人であったか。

晋の五代の国君(文公・襄公・霊公・成公・景公)に仕え

いずれも盟主にすることが出来たのは当然である」


屈建が楚康王に言う。

「晋は伯(覇者)に相応しい国です。叔向が趙武を補佐していますが

楚には叔向に匹敵する者がいません。楚は晋と争うべきではありません」




            *    *    *




会盟を終えて晋に帰る趙武が、鄭の国境・垂隴すいろうを通った時に

鄭簡公が趙武を宴に招いた。

子展、伯有、子西、子産、子太叔、子石、伯石が簡公に従う。


趙武は鄭の並み居る群臣を見て感嘆した。

「七子が鄭君に従っているとは、誠に光栄です。

鄭君の恩恵に報いるため、詩を賦してください。私が七子の志を見てみましょう」


子展が『草蟲』を賦した。

「君子に会うまで、憂いで心が安定しなかった。

今、君子に出会って交わったら、心が穏やかになった」

君子とは趙武を指す。


趙武が言う。

「子展は民の主である。しかし私には、君子と呼びうる力量はない」


伯有が『鶉之賁賁』を賦した。

「兄は品行が悪く、兄と呼ぶ必要はない。彼を主とする必要はない」

鄭簡公を暗に批判している。


趙武が言う。

「褥の話は門より出てはならぬと言う。人に聞かせることではない」


子西が『黍苗』第四章を賦した。

「謝邑の建築は急を要し、召伯がこれを采配する。軍旅は武威を奮い、召伯が任務を完遂する」

会盟を成功させた趙武を召伯に喩えている。


趙武は謙遜して言う。

「晋国には晋候がおられ、多くの群臣もいる。臣に何の功があろうか」


子産が『隰桑』を賦した。

「今、君子に会えた。なんと楽しい事か」


趙武が言う。「その詩の末章を受け入れて頂きたい」


末章は「心中で彼を愛する。なぜそれを言わないのか。

心中に想いを隠す。いつか忘れる日が来るのだろうか」とある。

趙武はこの句を子産に贈った。


子大叔が『野有蔓草』を賦した。

「偶然にも彼に会う事が出来た。我が願いを叶える事が出来た」


趙武が言う。「あなたの恩恵によるものであろう」


子石が『蟋蟀』を賦した。

「過大な歓喜は必要ない。ただ深く考えよう。享楽を好んでも荒まず、常に恐れ、自戒しよう」


趙武が言う。

「あなたは良く家を保つ主である。望みある言葉だ」


伯石が『桑扈』を賦した。

「君子は礼があるから天の助けを受けられる」


趙武が言う。

「驕らぬ者から福が逃げることはないと言う。

この言を守れば、福禄を辞退しても、福禄が自らやってくるだろう」



宴が終わった後、趙武が叔向に言った。

「伯有は死ぬであろう。詩とは志を表す。彼の志は上を誣告ぶこくし、怨みを含んでいる。

それを以て賓客をもてなした。長くは続かない。例え死ななくとも、鄭を出るであろう」


「申される通りです。伯有は驕侈でもあります。5年は持たないでしょう」


「他の者は皆、数代に渡って家を保つであろう。

子展は上にあっても下に従う者なので、最も長く栄えよう。

次いで子石だ。楽しんでも荒淫に陥らぬ者は、民を安定させるので、永く続く」




               *    *    *




 宋の左師・向戌は宋平公に、弭兵の会盟を成功させた功による賞賜を求めた。

「会盟に失敗したら臣は死を賜るつもりでした。

今、大任を成功させたので、邑を頂戴したく存じます」


宋平公は60邑を向戌に与え、その文書を司城・子罕しかんに見せた。


子罕が言う。

「小国に対して晋も楚も兵で威を示すから、小国はそれを恐れて上下が和し

和することで国を安定に導けます。大国に仕えるから小国は存続出来るのです。

大国の脅威がなくなれば驕慢が生じ、驕慢は乱を生み、乱が起きれば必ず滅びます。


天は五材(木、火、土、金、水)を生み、民はそれを併せて用い、欠ける事はありません。

兵(武器)は金(属)と木で作られ、金属の鋳造に火と水を使い、武器で土(地)を争う。

即ち、武器は五材全てに関係しているのです。


武(器)は礼に外れた者に威を与え、文徳を明らかにしてきました。

聖人は武で興り、咎人は武で討たれました。

国の興廃と存亡は兵によるものです。


向戌はそれを除こうとしています。これは欺瞞というものでしょう。

誤った道で諸侯を覆う事は大いなる罪に他なりません。

死罪を受けなかったからと言って、逆に賞を求めるのは傲慢の極みです」


子罕は木簡に書かれた文字を削除して、それを地に投げ捨てた。


向戌は邑を辞退した。


向戌に与する者が子罕を非難し、攻めようとしたが、向戌が止めた。

「私が亡ぼうとした所を子罕が救ってくれた。これほどの徳はない。なぜ攻める必要があるのか」


春秋時代も弭兵の会盟まで来ました。

これ以降、諸侯同士の争いは減り、代わりに国内での勢力、派閥争いが激化していきます。


この会盟に参加したのは、全員が卿大夫で、国君は一人もいません。

すでに君主よりも、その下で働く家臣の方が重要な存在になっています。

下剋上がどんどん進行している証拠と言えましょう。

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