第四十話 南西の天
鄭の公子・蘭は、以前はあまり興味なかったんですが
色々と調べてるうちに好きになりました。
・一国の君主が、偶然見かけた女と一晩まぐわった結果生まれる
・血筋は立派なのに極貧
・顔も心もイケメンでモテまくる
・難を避けて他国へ亡命
・後継者争いで血の繋がらない兄弟がどんどんいなくなる
・みんないなくなった結果、消去法で跡継ぎに選ばれた
見事なまでの主人公ムーブ
* * *
重耳たちは公子・蘭を伴い、鄭を出て南へと進み、楚国を目指した。
楚は長江流域を拠点とする国で、様々な点で中原と異なる。
乾燥した河北に比べて江南は温暖湿潤で、楚の南方には象や犀がいたという。
黄河の流域では粟や麦といった雑穀を主食とするが、楚人は稲を育て、米を食う。
ために、周王を天子とする諸侯からは蛮夷と蔑まれてきたが
時代が下るに従い、楚は人口を増やし、周に入朝する諸侯を圧倒するようになる。
重耳の一行は楚の国境に入り、楚成王の元に報せが届いた。
「晋の公子・重耳が来国したそうだ。如何に遇するべきか」
冷尹の子文が応えた。
「重耳は寸土の地も持たぬ身でありながら、君子の誉れ高く、多くの賢臣を従え
これまで訪れた国で斉、宋は彼を厚遇し、衛、曹、鄭は冷遇したそうです」
楚王はそれを聞いて
「斉も宋も覇を唱えた国。ならば、わしも重耳を厚遇しよう。
天子の如くもてなし、楚の礼を諸侯に知らしめよ」と命じた。
重耳が楚都・郢に入り、成王に謁見すると、王は九献の宴を設けた。
かつて楚王が鄭文公から受けた歓待である。
「それがしは亡命公子に過ぎぬ身。これはあまりに過分でございます」
重耳は驚いて、宴を辞退しようと申し出た。
しかし、趙衰がこれに反対した。
「公子が晋を出奔して以来、多くの小国を訪れましたが
礼を疎かにする国君が多うございました。
しかるに、楚のような大国がこれほどの礼を尽くすのは
天が公子を祝福している事に他なりません。辞退せず、受け入れるべきです」
重耳は趙衰の進言に従い、楚王の歓待を受けた。
宴の間、楚王は終始、恭敬な態度を変えず、重耳を周王の如く遇し
それに対する重耳も礼を外さず、謙譲の姿勢を崩さなかった。
楚王と重耳に周の礼を教示したのは子文と趙衰である。
重耳は楚で安逸な暮らしを供され
ある日、重耳は成王と雲夢の沢へ出向いて狩りをした。
楚王は弓矢の腕前に自信がある。
鹿と兔を見つけると、二矢で両方を仕留め、その技を見た全員が王を賞賛した。
しばらく進むと、一頭の熊がこちらへ向かってくる。
楚王が重耳に「公子、あの熊を射よ」と言った。
重耳は弓に矢を番え、心中で祈りつつ射た。
(天よ、わしが晋君になれるなら、この矢は右掌に中れ)
重耳の放った一矢は熊の右の掌を射抜いた。
右手を射抜かれた熊は右手を抑えながら倒れ、暴れているところを従者が取り押さえた。
楚王は重耳の腕前に驚嘆した。「公子はまさしく天祐がある」
その時、狩場を囲む兵が騒いでいるのが聞こえ、何事かと確認させた。
「山中から、誰も見た事のない、不思議な獣が現れました。
鼻は象、目は犀、尾は牛、足は虎で、体に黒白の斑点を持ち
剣も矢も通じず、俊敏に動くため、誰も抑えられないでいます」
楚王が重耳に尋ねた。
「わしは寡聞にして、そのような獣を聞いた事がない。公子は存じておるか」
重耳の傍らにいる趙衰が王に進言した。
「それは獏と言う獣です。天地の金気を受けて生まれ
頭は小さく脚は短く、銅鉄を食らい、骨は槌が作れるほど堅く
その皮を敷いて寝れば疫病を防げるとか」
楚王は「どうすれば斃せるのだ」と趙衰に問うた。
「鼻孔だけは空洞になっているので、矢が通ります。
また、木火土金水の五行説に従えば、金気は火に弱いはず」
重耳の臣・魏犨が前に進み出た。
「臣がその獣を生け捕りにして、王に献上しましょう」
魏犨は騒ぎのする方へ入って行くと、ほどなく獣を見つけ、即座に襲いかかる。
数発殴打したが、獣に怯む様子はなく、牛の鳴き声のような咆哮を発した。
それから体を起こして直立し、魏犨の腰にある帯金に食らいついた。
魏犨が獣を引き離し、その怪力で投げつけると、空中で一回転してこちらを向く。
魏犨は獣に飛び掛かり、両の腕で獣を抱き抱えて羽交い絞めにした。
獣は全力で逃れようと暴れるが、魏犨は掴んだ腕を放さず、更に締め上げる。
獣は徐々に動かなくなり、やがて力尽きて死んだ。
魏犨は獣を楚王と重耳の御前に献上した。
趙衰が火を焚き、鼻の先を燻して火気を獣の内に入れると
鉄の如き皮や肉が柔らかくなったので、切り裂いて処理した。
楚王は「公子に従う者は文武に傑出している。我が国はとても及ばない」と語った。
それを聞いた子玉は不満を抱いた。
「楚にも文に秀でた子文がおり、武はそれがしがおります。公子の臣と比べて頂きたい」
子玉に対して楚王は
「卿らはわしの宝であるが、公子の君臣は楚の客人である。敬意を払え」と応えた。
狩猟が終わり、酒宴が開かれ、その席上で楚王が重耳に尋ねた。
「公子がもし晋国に帰ることができたら、わしにどう報いてくれる」
「王は金や玉帛は有り余るほどお持ちで
羽毛、象牙、犀皮などは楚でのみ採れる。
如何にして王の報恩に応えるべきか、思いつきません」と重耳は答えた。
楚王は笑いつつ、重ねて尋ねた。
「そうかもしれぬが、何か報いる術があるのではないかな」
重耳は王の問いに対し
「王の御力で晋に帰国が叶えば、楚と晋は永く友好を結び
両国の民が安逸に暮らせる事を望みます。
ですが不幸にして、楚と晋の兵が争う事態に至れば
それがしは楚王の兵を三舍(三日分の移動距離)避けましょう」と回答した。
楚王は重耳の回答に苦笑した。
酒宴が終わった後、子玉が楚王に言った。
「王は公子重耳を厚遇してきました。然るに、重耳の言は不遜です。
もし公子が晋君に就けば、必ず楚に仇をなすでしょう。臣に重耳を殺せとお命じください」
楚王は子玉に反対した。
「公子は君子であり、その従者も揃って賢臣である。
これは天が公子を助けている証だ。何者も天には逆らえぬ」
「ならば、咎犯と趙衰を楚に抑留しましょう。重耳が虎なら、両名は翼です」
「わしは公子に徳を施している。恨みを以て徳に換えるわけにはいかぬ」
* * *
やはり、重耳には天祐があるのか、晋に動きがあった。
周襄王の16年(紀元前637年)、晋の恵公が病に罹ったのである。
恵公の世子・圉は、晋が韓原の役で秦に敗れて以降
人質として秦国に滞在しており、圉の生母は梁国の出身である。
梁の君主は贅沢を好み、豪勢な宮殿を建設するために
民を休ませずに酷使し続け、その怨嗟を招いたので、多くの梁人が秦に逃亡した。
秦君・穆公は百里奚に命じて梁を攻撃した。
秦が攻めている間、梁君は民に殺され、梁の社稷は滅んだ。
梁の滅亡を知った圉は秦を恨んだ。
晋恵公が病に倒れたという噂が秦に届き、圉は妻の嬴氏と相談した。
「私は晋君の世子だが、永く秦に留まり、晋の国人は私を忘れているだろう。
晋君が崩御すれば、国内の公子を次の晋君に立てるに違いない。
そうなれば、私は秦でこのまま朽ちて死ぬ事になる。
今こそ晋に帰国し、晋君の最後を看取って、喪主となるべきではないか」
嬴氏は「私は秦君の命に従い、世子の妻として仕えて参りました。
主人の帰国を留めるつもりはありませんが
私までが晋に行けば、その罪は倍になるでしょう。
どうか、お心のままに、望まれる道を選んでください」と泣いて語った。
世子圉は独りで秦を脱出して晋に帰国した。
秦穆公は世子・圉が無断で晋に帰国した事を知り、群臣に語った。
「晋は国君と世子、共に秦を裏切った。誓ってこれを赦す事は出来ぬ」
公孫枝が進言した。
「やはり、公子重耳を晋君にせねばなりません。
公子は今、楚に滞在していると聞いております」
穆公は公孫枝を使者として楚王を聘問させ、重耳を秦に迎えるように命じた。
秦の使者から話を聞いた楚王は、帰国について重耳に伝えた。
重耳は「それがしは王の命に従います」とのみ語った。
「楚から晋は遠い。公子が楚から晋に還るには多くの国を通過せねばならぬ。
だが秦と晋は隣接している。また秦君は賢人であり、公子を高く評価している。
秦からの申し出は公子にとって天佑である」
重耳は楚王に拝礼して感謝した。
楚王は重耳の帰国が決まると、楚へ入国した時に数倍する物資を贈った。
秦に行く前の晩には、楚王は豪華な饗宴を催して重耳の前途を祝った。
楚都を出る前、重耳とその臣は楚成王に再拝稽首した。
* * *
数ヶ月後、重耳は秦の国境に差し掛かった。
途中で通過した小国は全て秦か楚に属しており
公孫枝も同行しているため、時間はかかったが危難には遭わなかった。
ただ、秦楚の間は峻険な道が続き、中原を進むより遥かに困難な道程であったが。
秦穆公は重耳が到着したと聞き、郊外で出迎え、邸宅を与えて厚遇した。
秦候夫人・穆姫は弟の重耳を敬愛し、甥の圉を嫌っていたので
圉の妻である嬴氏を重耳に再嫁させようと考えた。
嬴氏は「私は世子圉の寵愛を失いました。再び嫁いでもいいのですか」と聞いた。
穆姫は嬴氏に語った。
「公子重耳は天に祝福されており、必ず晋君になるでしょう。
汝が晋君の夫人になれば、秦と晋は姻戚関係を結ぶ事になります」
「それなら、私は秦晋両国の誼となりましょう」
翌日、穆公は重耳に婚姻の話を伝えた。
重耳と圉は叔父と甥の関係である。
甥の妻を貰うのは倫理上の問題があると考え、重耳は辞退しようと思った。
しかし趙衰が反対した。
「公子が晋に帰国するには秦の協力が必要です。
秦君の機嫌を損ねる訳にはいきません。この婚姻は受け入れるべきです」
「同姓の婚姻は禁忌である。嬴氏は異姓とはいえ、甥と結ばれた身ではないか」
続いて咎犯が意見した。
「公子が晋に帰国するのは、圉に仕えるためではなく、晋君になるためです。
今の晋君が亡くなれば、次の正統な晋君は圉です。
公子は、これに取って代わる必要があります。
嬴氏を娶るのは、大事の前の小事でございます」
重耳はようやく決意した。
吉日が選ばれ、重耳は公館で嬴氏と結ばれた。
嬴氏は斉姜に劣らぬほどの美貌で、さらに秦の公女四人が媵(側女)となった。
秦穆公は重耳と甥舅の関係になった事を喜び
三日に一宴、五日に一饗を開いた。
秦の世子・罃は重耳の人柄に心酔し、頻繁に挨拶に行き
趙衰、狐偃等は秦の蹇叔、百里奚、公孫枝等と友誼を結んだ。
* * *
一方、秦から晋へと逃げ帰った世子・圉は晋恵公に復命した。
恵公は世子の帰国を喜んだ。
「病に罹って以来、世子が秦にある事を憂いていたが
汝が戻って来た事で、ようやく安心できた」
9月に入り、恵公の病は重くなった。
恵公は呂甥と郤芮を枕頭に呼んで遺命を伝えた。
「圉の事は頼んだ。重耳が秦にいる。よくよく警戒しておくように」
呂・郤の二人は頓首して拝命した。
その夜、恵公は崩御した。
世子圉は恵公の喪を発し、23代目の晋君に即位した。晋の懐公である。
懐公は重耳を恐れ、重耳に従う臣の親族を集めた。
「今から三ヶ月以内に、重耳に付き従う者を晋に呼び戻せば罪は問わぬ。
期日を過ぎれば処刑する」
晋の国舅・狐突の子である狐毛と咎犯は重耳の臣として秦にいる。
狐突は懐公の命令に従わず、狐毛と咎犯を呼び戻そうとしないので
郤芮が狐突を説得したが、狐突は応じなかった。
郤芮が懐公に伝えた。
「重耳に従う臣で、狐毛と咎犯は我らにとって脅威です。
彼らの父である狐突は二子を呼び戻そうとしません」
懐公は狐突に使者を送って招聘した。
晋の朝廷に出向いた狐突が懐公に尋ねる。
「我が君、老臣に何用でございましょう」
「国舅の子、毛と犯が秦にいる。呼び戻して戴きたい」
「あれらは公子の臣。とうに我が子ではございません」
「重耳に従う者が期日を過ぎても帰って来なければ
罪は親族に及ぶと命じたのは、国舅どのもご存じのはず」
しかし、狐突は応じない。
「毛と犯は公子に永く仕えております。臣が主に仕える時は
死んでも二心を抱くべからずと教えました。
二子が公子重耳に忠を尽くすのは、晋の諸臣が我が君に忠を尽くすのと同じです。
もし、二子が公子の元から逃げ戻れば、その不忠を譴責し、殺すでしょう。
呼び戻す訳には参りません」
懐公は震怒して兵士を呼び、狐突の首に刃を突き付けた。
「二子を呼び戻す手紙を書いて戴きたい」
狐突の前に筆と木簡が置かれた。
狐突は筆を取り「子に二父無く、臣に二君無し」と大書した。
懐公は怒りで顔が蒼くなった。「国舅は死を恐れぬか」
「子が不孝をなし、臣が不忠となることを恐れています」
懐公は狐突を市の広場へ連行し、多くの国人の前で処刑した。
太卜の郭偃が狐突の処刑を見て嘆息した。
「国君は若くして晋君に就いたので、まだ徳を積んでいない。
それなのに無罪の老臣を誅戮した。長くはないであろう」
春秋時代には、まだ今日的なモラルが出来上がっていないので
感情を言語ではなく行動や態度で表しています。
とはいえ、古代中国の歴史を俯瞰すると
人の本質は現代とそれほど変わっていないように思います。
重耳や咎犯が現代の日本に生まれていれば
歩きスマホでLINEやりながらコンビニ弁当食ってるだろうし
公子蘭はアイドルグループの一員になってるかもしれません。




